滝汗を流し、大慌てでやって来た男の言う通りに【露天通り】へと向かったソフィア達。
そこには二人の帝国兵による『理不尽』があった。
「もうやめて下さい……! あ、謝ってるじゃないですか……! こ、これ以上この人を傷つけないで……!」
「あ……う……。だ、だめ……だサティ……。さ、逆らっちゃ……」
痛みで疼くまる男性を、妻と思わしき傷だらけの女性が身体を張って守っている。
そこではきっと屋台を開いていたのだろう。しかし、そこにはもう面影しか残っていない。
破壊されたのか辺りには屋根や柱と思われる木片が散らばっており、そのすぐ横には土に塗れた肉の串が生ゴミと化している。
それを思いっきり踏み潰し、そのまま靴の汚れを拭うが如く女性を蹴り飛ばした。
「あぐっ……!!」
「うっせぇんだよ。そもそも、テメェらがクソ不味いゴミみてぇなメシを出したのが悪ぃんだろうが。俺たち帝国兵サマによくもンなもん食わせやがったな」
「つか、天下の帝国兵様に逆らったらどうなるかくらい、その足りない頭でも考えられるよなぁ?」
「うぐっ……!」
人々を守る兵士とは思えない、チンピラにも等しいその振る舞い。いや、チンピラでもここまでのことはしないだろう。
暴力を免許化している様なその帝国軍服を着崩し、下卑た表情を作るその様は見る者に不快感しか与えない。
それでも何も言うことが出来ないのは、あらゆる面で力の差があるからだ。
「アイツ等……! クソが……! 帝国兵の奴ら、ここまで腐ってんのかよ……!!」
甚振られている夫婦を見て、グーリスが苛立ちに歯を鳴らす。その隣ではソフィアとハーベも似たような表情をしており、それを見たアイリスが肩をすくめて小馬鹿にするように言い放つ。
「ハッ。帝国兵が腐ってるのは見りゃ分かるけど、そんな奴ら相手にクソ不味いメシを出したアイツ等も悪いんじゃねぇの? こういうのをなんて言うんだっけ? 喧嘩両成敗?」
「馬鹿言うな!! レーゲル夫婦の肉屋はこの街随一の名店なんだぞ!! 誰でもカルメリアの味を楽しめるようにって、普通なら倍近くはする値段を安く提供してる人想いの店なんだ! 決して、あんな理不尽なことされていい人達じゃない!!」
「理不尽……か」
グーリスの本気の怒りにアイリスが眉を顰める。彼から感じる熱意。
だとすれば、帝国兵のアレは正しく言いがかりであり人をオモチャの様に嬲る卑しい行為だ。
アイリスは帝国兵達に向き直り、その行為を見つめる。その双眸には、今にも斬られそうな夫婦の姿が映っていた。
「そんなっ……! あんな簡単に剣を抜くなんて……! こうしちゃいられない……! 今すぐ二人を助けないと!!」
「『セレネ』様、待っ——」
義憤に駆られ、帝国兵達の前に躍り出ようとしたソフィアをハーベが止めた、それよりも速く。
一陣の風が二人の頬を撫でた。
「——帝国兵様に逆らった罪だ。せめて、お前達が今までやっていたことと同じ方法であの世に送ってやるよッ!」
ニヤニヤと凄惨な笑みと一緒に振り下ろされる直剣。二人まとめて串刺しするつもりなのだろう。
誰も間に合わない。
人間なら——
「あ……?」
振り下ろされようとした帝国兵の腕を、刹那の時間で近づいたアイリスが後ろから掴んでいた。
「アイリス!!」
ソフィアが喜色をあらわにしながら駆け寄ってくる。何もお願いしなくても、人を守ったアイリスのことを嬉しく思ったのだろう。
ただ、そのアイリスはなぜか不思議そうに首を傾げている。まるで自分が何故こんなことをしたのかと、その無意識の行動に。
「おい、テメェ……! いつまで俺の腕を掴んでやがる!! いい加減、この汚ねぇ手を離しやがれ!!」
「あれ?」
乱暴に帝国兵がアイリスの手を振り解く。
アイリスの右腕ならそのまま掴んだその手が砕けてもおかしくなかったのだが、それをしていなかったところを見るに、自分が思った以上に戸惑っていたことにアイリスは気付いた。
「女……! テメェ、勝手に突っ込んできて勝手に呆けてんじゃねぇぞ! こっち見ろよ!!」
「あーらら、やっちゃったねぇお前。コイツ、自分の邪魔されると相当キレちゃうんだよねー」
アイリスが考えに耽っているのが気に食わないのか、くすんだ金髪の帝国兵が直剣をアイリスに突きつける。その隣、縮れた黒髪の帝国兵はニチャついた笑みを浮かべている。
すると、ソフィアがアイリスの前にゆっくりと出た。その表情は俯いていてよく見えない。
「あ、今度はなんだ? お前もこいつの仲間か?」
「ねぇ貴方たち、なんでこんなことするの?」
「あ、なんだ急に。まさか俺たちに説教でもかますつもりか? ハハッ笑わせるぜ」
「いいから答えて。帝国兵だから……力があるからって、何をやってもいいと思ってるの?」
静かに、震える声でソフィアが問う。
それを怯えと捉えた帝国兵達の口端が更に歪んだ。
「あぁ、良いと思ってるぜ。当然だろ? なにせこの世界の覇者は俺たちオスカリアス帝国だ。誰も俺たちに逆らえねぇ、逆らっちゃいけねぇのさ」
「そういうこと。このゴミ共は俺たちに逆らった。だから殺されてしょうがない。少なくともこの国じゃそれがルールなんだよ」
「……そう、よく分かったわ。それが今の帝国の考えなのね」
ゆらりと、ソフィアの身体が揺れる。すると、真後ろにいたアイリスに彼女の感情が叩きつけられた。
怒りとやるせなさ、そして悲しみ。パスが繋がっているからこそ、混ぜられたその負の感情が流れ込んでくる。
「ハーベ、その人たちをお願い。アイリスは下がっていて」
「お、おい!」
物言わせぬ静かな言葉。それにアイリスが更に戸惑う中、ハーベは帝国兵が意識を逸らしていた隙に、既に夫婦の介抱に入っていた。
いつの間にか、ハーベと夫婦はアイリスの後ろにいる。
「あ、う……」
「もう大丈夫だよ、あとは彼女が全部ヤるつもりだから」
「……おい、色ボケ従者。アイツ、あんなこと言ってるけど大丈夫なのか? オレが戦うべきじゃ——」
「大丈夫だよアイリス様。だって『セレネ』様、結構強いから」
「は?」
アイリスのその疑問符は、鈍い殴打音にかき消された。
「ガハッ!!」
バッと呻き声の方をアイリスが見ると、帝国兵の腹にはソフィアの拳が力強くめり込んでいた。
一撃で男の帝国兵を跪かせたソフィアの表情は後ろからじゃ伺えない。だが、その顔は確実に笑みを浮かべていないだろう。
「アイリスじゃないけど、ほんとどいつもこいつも……。帝国兵ってこんな奴らばっかりなの? 億が一、帝国領で良い思いをしているなら引き下がるっていう選択肢もなかったわけじゃないけど……」
「お、女ァ……! ブツブツ、意味の分からねぇこと言ってんじゃねぇぞ!!」
腹の痛みを堪え、硬い拳を叩きつけようと立ち上がりながら殴りかかる帝国兵。
それを首を傾げるだけで躱し、お返しと言わんばかりにソフィアは右拳を天から地に向かって叩きつけようとする。
「こんなことばかり起きてるのに、引き下がれるわけないじゃない!!」
憤怒が宿る碧い双眸が怯える帝国兵を貫き、そのまま顔面をソフィアの右拳が潰す。
腹と顔面の二撃。たったそれだけで、帝国兵は頽れた——