私たちが前辺境伯に対して清く正しいざまぁを決めてやった、その数日後。
私は、温泉郷の『女神邸』の執務室で忙殺されていた。
――ドタバタドタバタッ
「領主様!」部屋に飛び込んできたのは、我が領の財務大臣を務める元奥様。「取り急ぎ、来月分の予算案をまとめました。至急、ご裁可を」
「了解です!」
どんっ、と執務机に積まれる書類。
「エクセルシア様!」続いて飛び込んできたのは、総務大臣を務める元奥様。「旦那様……じゃなかった、前辺境伯が残した借金の催促が来ております」
どどんっ、と執務室に積まれる書類の山。
「あのクッッッッッッソ辺境伯! 全部返し終えたと思ってたのに、どんだけ借金してやがんだ!」
私は思わず天を仰ぐ。
「地龍素材で返す当てはありますので、お手数ですが財務大臣さんと相談のうえ、完済しておいていただけますか?」
「かしこまりました」
「女神様!」入れ替わりで飛び込んできたのは、温泉街で働く獣人女性。「ガラの悪いお客様が揉めてまして……」
私はチラリと、手元の端末(魔の森で発掘したノートパソコン)をチェック。
「この時間帯だと従士防衛隊のB班が空いてますから、詰め所に応援要請していただけますか? これ、許可証です」
「ありがとうございます、女神様!」
「辺境伯様!」さらに飛び込んできたのは、我が領の国土交通大臣を務める元奥様。「領都フォートロンとバルルワ温泉郷を繋ぐ街道で、大型馬車が横倒しになってしまったとのこと! 大渋滞が発生しております!」
「クゥン君っ」
「ははっ」私の背後で執事のように
彼は国交大臣と一緒に颯爽と出ていく。
「閣下――」さらに飛び込んできたのは、法務大臣の元奥様だ。
◇ ◆ ◇ ◆
「ふい~……」
デスマは前世で慣れてたけど、今のほうが断然ツラい。
なぜって、私が動かし、治め、保護すべき人々の数が段違いだからだ。
前世では、ひとりふたりの後輩の面倒を見たり、数百人が使うシステムの管理をしているくらいで、その程度でも十分プレッシャーだった。
けれど今は、1万数千人の領民の、生命と財産に対して責任を持つ立場だ。
私の判断ひとつ、一挙手一投足で何十人、何百人もの領民が右往左往する羽目になると思うと、ストレスで冷や汗が出てくる。
領地貴族というのは、小心者にはとてもツラい職業だ。
地球の社長や政治家、この世界の領主などは、いったいぜんたいどんな鋼のメンタルを持っているのだろうか。
カナリア君のお父君――ゲルマニウム王国国王陛下なんて、国家を左右するお立場だというのに、いつも笑顔を絶やさずひょうひょうとしていらっしゃる。
『王の器』というやつなんだろうな。
小心者の私にも、いつかその境地に到達できる日が来るのだろうか……一生来ない気がする。
「ううっ……」
「女神様、冷たいタオルです」
そんな私の不安を解きほぐすかのように、絶妙のタイミングでクゥン君がタオルを差し入れてくれた。
「ありがと、クゥン君」
冷たいタオルとクゥン君の優しさが脳に染み渡る。
幸せだ。
安心したら、ちょっと喉が乾いてきた。
「お茶です」
お茶が差し出される。
「ベストタイミング! さっすがクゥン君。私だけの完璧執事」
「いえ、それほどでも」
すんっと取り澄ました顔をしておきながら、しっぽをブンブン振っているクゥン君。
へっへっへっ……しっぽは正直だぜ。
可愛いなぁ!
「けれど、完璧というには少し足りない」
「な、何か粗相がございましたかっ?」
「そうじゃないの。意地悪言ってごめんね。でも、前に言ったじゃない。ふたりきりの時は、名前で呼んでって」
そう。
この場には今、私とクゥン君しかいない。
いつも私の膝の上にいるカナリア殿下は、今は王城から派遣されてきた側付きメイドに連れられて湯治中。
ヴァルキリエさんとクローネさんにも、それぞれ『治安維持』と『治療院での【
「っ!」クゥン君、真っ赤。「~~~~ッ! …………え、エクセルシア」
「くぅ~~~~! 最高! 大好き!」
私がクゥン君を抱きしめようと立ち上がると、
――ドタバタドタバタッ
折り悪く、次の仕事が舞い込んできた。
「領主様!」
青い顔で部屋に飛び込んできたのは、我が領の商務大臣を務める元奥様。
新生バルルワ = フォートロン辺境伯家の閣僚が元奥さんばかりだけど、何しろ665名もいらっしゃるし、みな貴族家令嬢だったり大店の娘だったりで極めて優秀なのだ。
私のリクルート活動に応じて、半数の元奥様が新生辺境伯家に留まってくださった。
残りの半数は再婚したり実家に戻ったり修道院に入ったり、中には元冒険者で冒険者稼業に戻るツワモノもいた。
なお、私が特に頼らせてもらっているヴァルキリエさん、クローネさん、ステレジアさんは私について来てくれた。
「商店街の第3期拡張計画はどのようなご状況でしょうか?」と商務大臣さん。「このとおり、商人たちからの出店希望申請が山積みでして……」
どどどんっ、と執務室に積まれる書類の山。
「あー……その話ですよね。実は、開墾と木材調達に当てる人員リソースの割り当てがまだできてなくて。バルルワ村各家の作業進捗が全部分かれば、すぐにも『エクセルシステム』でBOMが回せるのですが」
Bill Of Materialとは、『何を作るためには何が必要か』を定義したマスタのこと。
例えば、
『1皿のカレー』を作るためには『1合のご飯』と『200mlのルゥ』が必要で、
『200mlのルゥ』を作るためには『200mlの水』と『50gの牛肉』と――
と細分化していくピラミッド構造になっているものだ。
私はすでに、バルルワ温泉郷のあらゆるリソースと成果物をBOM化し、手元のノートパソコンのエクセルファイルで管理している。
エクセルシアの名は伊達ではない。
自分で言うのも何だが、前世では腕利きの社内SEだったのだ。
『バルルワ温泉郷BOM』には、
『どのくらいの幅の道を一本敷くには、どのくらいの石材と人的資源が必要か』
『どのくらいの大きさの建屋を建てるには、どのくらいの木材・石材と人的資源が必要か』
『平均的なバルルワ村成人男性の、1日あたりの木材伐採量はどのくらいか』
『商店の建設を領都の建設ギルドに依頼した場合の料金はいくらか』
といった情報がすべてインプットされている。
だから、今現在のバルルワ村各家の手空き具合と木材調達状況が分かれば、何日後に商店街の拡張工事が完了するかがボタンひとつで分かる。
だがそれをするためには、『バルルワ村各家の手空き具合と木材調達状況』を調べなければならない。
村中を駆けずり回って情報を集めるのは純粋に重労働だし、女神呼びされている私が直接出向くと相手を萎縮させてしまうかもしれない。
地龍シャイターン討伐戦で団結を確かめられたとはいえ、私は未だ、バルルワ村の全村民の顔と名前が一致しているわけではないのだ。
仕事が忙しいことを言い訳に、積極的なコミュニケーションをサボってきたツケとも言える。
私は生来のコミュ症で、このとおりエクセルで黙々とシステム構築をするのは得意でも、すでに出来上がってしまっているコミュニティの中に身ひとつで飛び込んでいくのは非っっっ常にニガテだ。
幼稚園や小学生低学年時代から、『隠れんぼしましょ。この指とまれ』と言い出せるような陽キャではなく、『私なんかが隠れんぼに混ざったら、みんな嫌がるんじゃないだろうか?』と不安になって指をつかむこともできないようなド陰キャだった。
クゥン君とかカナリア君とかクローネさんとかヴァルキリエさんみたいに、特定少数かつ友好的な相手とは楽しくコミュニケーションを取ることができる。
けれど、不特定多数かつ、必ずしもこちらに好意的とは限らない相手に笑顔で突撃するのは、死ぬほどニガテ。
領民たちの前で笑顔を振りまいているのは、『女神様』『新領主』というペルソナを被って内心ムリしているからだ。
そんな性格だから、文系大学出身なのに営業職ではなくSE職を選んだくらいなのだから。
「うう……今から情報収集に行ってきます」
とはいえ、これ以上先送りにはできない。
商人たちからの陳情書類の山が、私の胃を刺激する。
私が胃を押さえながら立ち上がろうとすると、
「大丈夫です、女神様!」
ストレスを感じている私の脳みそに、優しい声が染み込んできた。
クゥン君だ。
「そんなこともあろうかと、今朝時点の情報を集めて参りました」
どさどさどさっ、カラカラカラランっと机の上に積まれる木簡の山。
中世ヨーロッパ風のこの世界では、羊皮紙は高級品だ。
だから、その場限りのメモには木の板を使う。
「さっすがクゥン君! ぱぱっと入力しちゃうね」
――ズダダダダダッ!
――バチバチバチバチッッッッターン!
私は、前世譲りの鬼タイピングであっという間に『エクセルシステム』へ現状データを入力する。
データ入力は得意中の得意作業だ。
「データ入力完了。MRP実行!」
Material Requirements Planningは資材所要計画のこと。
『資材』と言いつつ人的資源も計算する。
数秒すると、ノートパソコンに接続したプリンター(魔の森産)から1枚の羊皮紙が出てきた。
「できました。第3期拡張計画です」
「さすがは領主様!」私から紙を受け取り、小躍りの商務大臣。「これを元に、出店希望者たちと協議してきますね」
「ふいーっ、一段落」
商務大臣が飛び出していったので、再び部屋が静かになった。
独り言が思いの外よく響いて、私は気恥ずかしくなる。
「いつもありがとね、クゥン君」
恥ずかしさをごまかすために、私はクゥン君に話しかける。
再びふたりっきりだ。
「いえいえ、そんな。オレにはこのくらいしかできませんから」
「クゥン君はそう言うけれど。キミの『このくらい』が、すごく嬉しいんだよ。私一人だったらきっと、3日ともたずに倒れてたと思う」
勇気を出して、クゥン君の手にそっと触れる。
「これからもよろしくね」
「っ!」
クゥン君のしっぽがぶわわってなった。
うふふ、可愛いなぁ。
などとイチャついていると、
「エクセルシアちゃ~ん」元奥様のステレジアさんが部屋に入ってきた。「温泉宿が足りないって言ってたでしょう? ちょうど領都で数百人が収容できる大きな屋敷が売り出されてたから、持ってきたのだけれど」
「屋敷を、持ってきた!?」
ステレジアさんは【アイテムボックス】という便利な魔法を使うことができる。
しかも、普通はキャリーバッグとか小屋くらいのサイズしか収納できないはずの魔法なのに、ステレジアさんのそれは、大きな屋敷を丸々収納できるほどのバケモノじみた性能を持つ。
そんな彼女が『屋敷を持ってきた』と言ったということは、言葉どおり彼女の【アイテムボックス】内には今、収容人数数百人規模の巨大な屋敷が入っているのだろう。
……ん?
領都で売りに出されている、数百人規模が収容可能な屋敷?
それってまさか――
「前辺境伯の屋敷ですね!?」
何しろ666人の奥さんが住んでいた屋敷だ……5等級落ちした奥さんたちは相部屋やタコ部屋で寝泊まりさせられていたとはいえ。
ちょっとジメついているのが玉に瑕だけど、温泉宿としては十分利用できるだろう。
「エクセルシアちゃんだって、あの屋敷で暮らすのが嫌なんでしょ? だから売りに出してたのではなくて?」
「まぁ、そのとおりなんですが」
私の場合、領都はフォートロンに置いたまま、政治のメインをこっち――バルルワ温泉郷で行いたいという意向があったからだけど。
少なくとも、魔の森の魔物たちが沈静化するまでの間は、鉄神たちと一緒にここに張り付いておく必要がある。
この世界には【瞬間移動】なる便利魔法があるらしいけど、残念ながら領軍にも奥さんたちの中にも使える人はいなかった。
「それにしても、『だから宿にしてしまいましょう』とは、さすがはステレジアさんですね」
彼女は、若干サイコパスなところがある。
まぁ大多数の奥さんたちが真っ青な顔をして働いている中、上級奥様としてのほほんと生活できていた精神力・精神性から、推して知るべしといったところか。
けして悪人ではないんだけどね。
「温泉郷の風に当たれば、あの屋敷もきっと空気が良くなるわよ」
「あはは、それはそうかもしれませんね。ですが、それほど大きなものを建てるなら、区画整理が必要ですよ」
ステレジアさんのすさまじいところは、家屋を基礎ごと収納して別のところに出せるところ。
まるで都市開発シミュレーションゲームのような気軽さで、建屋を消したり出したりできるのだ。
彼女が本気を出せば、ものの数日で街を一つ創り出せてしまう。
まさにチート級の土建プレイヤーなのだ。
ただし、欠点もある。
それは――
「そ」ステレジアが可愛らしく微笑む。「だから、区画整理の手配をお願いできない? 今すぐ。できれば、大通りに面した一等地が良いのだけれど」
「い、今すぐですか。しかも、大通りに面したところとなると、立ち退き対象の宿や商店も数十件に及ぶ……。せめて1週間、待ってもらえませんか?」
「お・ね・が・いっ」
「ううう……」
ステレジアさんの欠点。
それは、恐ろしいほどに気分屋で自分勝手なところだ。
彼女は悪気なく無茶振りをしてくる。
ちょうど今の彼女のように。
繰り返しになるが、ステレジアさんはけっして悪人ではない。
基本的には善性の人物だ。
とはいえ、あの前辺境伯と上手くやれていたくらいだから、やはり若干サイコパスなところが……以下略。
とかくも彼女がこう言っている以上、今すぐにやってあげないとヘソを曲げられてしまいかねない。
そうなったら今後の温泉郷拡張にとって大きな損失となるし、そもそも『大きな宿が欲しい』と言っていたのは、この私。
ステレジアさんは善意でやってくださっているだけなのだ。
それにしても……。
「区画整理か……」
つまり、一種の地上げだ。
地上げ対象の宿屋や商店は別に、取り壊されたり追い出されるわけではない。
ちょっと離れた場所に移転するだけの話だ。
なのだけれど、何しろ大通り沿いかつ正門近くという素晴らしい立地を失うことになるので、反発もあるだろう。
必死に抵抗されるかもしれない。
そんな交渉相手が、数十人以上。
できるのか、私に?
こんな、小心者の私に。
鉄神に乗って魔物をぶちのめすのとはワケが違う。
相手は血の通った人間であり、禍根や悪評を残さないためにも納得感のある交渉を行わなければならない。
緊張してきた。
動悸がする。
急激に、視野が狭まっていく感覚。
前世でも愛沢部長に詰められていた時などに感じていた感覚だ。
でも、やらなければ。
私はこの地の領主なのだから。
「わ、分かりました。今から交渉に――」
私が立ち上がろうとした、その時。
「オレがやります!」
「…………え?」
温かな声を耳にして、私の視界がぱっと晴れた。
声の主は、クゥン君だ。
「大丈夫。こう見えて、オレは顔が利きます。任せてください」
そう言って、優しく微笑んでくれるクゥン君。
またしても、だ。
私がテンパったり困ったりしたら、絶妙なタイミングで助けてくれるのだ。
私は今、彼に支えてもらっている――明確に、そう感じる。