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4章…第3話

「綾瀬さん…お忙しいのに、申し訳ありません」


「いいえ。ちょうど添島さんの顔が見たいと思ってましたから」


「またまた…!」


吉良の笑顔の前で、添島先輩の顔が赤いような気がする…


もしかして、女性だけじゃなくて男性も魅了しちゃうの?

すごいんですけど…!


本当に吉良が私達の前にやってきて、こんな公の場所で吉良に会うなんて照れくさくて、添島先輩と背の高い観葉植物の影にそれとなく隠れていた。


目の前に立つ吉良の足元を見ていれば、その爪先はよく磨かれていて、思わず見とれてしまう。



…すると突然背中を後ろからポンポン、と叩かれた。

ハッとして添島先輩を見ると、目の動きで名刺を出せと言っているのがわかる。


私は慣れない手つきで名刺入れから1枚取り出し、吉良に向かっておずおずと差し出した。


「は、はじめまして。トリトルエージェント、営業部の、桜木桃音と申します。


「…どうも…」


私が現れて、さすがの吉良も驚いたみたい。

吉良も名刺入れから1枚取り出し、私に差し出した。


「シルバースタンレー数理課の、綾瀬吉良です。…実は担当の課長が産休中で、代わりに対応させてもらってます」


そうだったのか…


「…ハッ!」と変な返事をして、ふふ…と笑われた。


添島先輩にわからないようにそぅっと見上げると、思いのほか楽しそうな吉良が私を見下ろしていた。



「桜木さん、名刺交換のしかたはね…」



すると様子を見ていた添島先輩が、両手で吉良の名刺を持っている私の両腕をつかんできた。


急に添島先輩のレクチャーがはじまる。


気が気じゃない…

吉良はヤキモチ焼きなのに、目の前で男性に触れられるなんて、後でなにを言われるか怖い…!


「あ、ありがとうございます」


添島先輩は指導以外の気持ちがあるわけではない。当然だけど。


…だけどこんなこと、クライアントさんの前でやっていいのかな…


ふと吉良を見上げると、まるで感情が読み取れない無表情。


「これからしばらくは、こちらの桜木と一緒に伺うことになりますので、よろしくお願いいたします」


添島先輩が頭を下げるので、私も慌ててそれに習う。


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


家にいるときよりキリッとした声。

きっときれいな所作でお辞儀をしているんだろうな…



「…また桜木さんに会えるのが楽しみだ」


頭を上げた吉良がそんなことを言うから、みるみる頬に熱が集まってしまう…!

そんな私に気付いたのか、添島先輩が口を挟んだ。


「あはは…!そんなこと言っていいんですか?確か可愛い彼女がいるって言ってましたよね?」


「ええ。桜木さんと同じくらい可愛い恋人がいますよ?」


絶対からかってる…と思いながら、心の片隅で、もし本当に別の恋人がいたら…なんていうあり得ない妄想を繰り広げる。


そんなはずないのに…。

会社での吉良を見るのが初めてだから、変な妄想もついてきてしまったらしい。


そこへ部下が呼びに来て、私達にもう一度頭を下げ、吉良は行ってしまった。


エレベーターで下がってから、添島先輩が口を開く。


「今日は綾瀬さんに、練習に付き合ってもらったんだよ」


「え?名刺交換の、ですか?」


「まぁ顔繋ぎは本当だけどね?…前に綾瀬さんと新入社員の話になったとき、練習に来ていいよって言ってくれてね」


…仕事中なのに?

別の会社の新入社員より、自分の会社の新人の面倒を見る方が忙しいんじゃない?


「さっき言ってた、綾瀬さんの恋人も、この春就職したんだって」


だからって優しすぎだろ―…と笑う添島先輩。


隣で頬を染める。

だってそれは私のことだから。

さっきほんの少しだけ変な妄想をしたことは、吉良には内緒。…なかったことにしてしまおう。


吉良はいつでも私を1番に考えてくれてる。それを添島先輩が教えてくれたから。



今日の夕飯は、吉良の好きなツナマヨのおにぎりにしよう…


帰りにスーパーに寄らなくちゃ、と、幸せを噛み締めていたのに…


ツナマヨもスーパーもいらなくなってしまった。



『今日急に新入社員の歓迎会が入った』


ガーン…

予期しない吉良の予定は普通にショックだ。


歓迎会…。

時期的にまだ、開催されてもおかしくないよね。


…わかった、と返信しようかスタンプを送ろうか迷っているうちに、新しいメッセージがもうひとつ、送信されてしまった。


『取引先のね。どうしても行かなきゃならないやつだから、ごめんな』


…わかってる。

私も半人前ながら社会に出たもん。

自分の希望だけを通すなんて無理で、いろんな人とうまく合わせてこの社会を作っていかなきゃならないってことくらい。


少し迷って…カバが大きな口を開けて、その中にOKの文字が入ってるスタンプを送信した。


今日偶然会ったことは、また明日話そう…



『今日、どこの可愛い子が来たのかと思った』


まだラリーが続くなんて珍しい。

今夜は話せないことが決定したからかな。


今までなら、飲み会に出かけても、帰るまで待ってた。

でも就職した今、そうはいかない。


それに…可愛い子だなんて。


女の子はいつの世でも、好きな人に可愛いと言われるのが一番嬉しい。


『…ビックリしたね!』


吉良の会社に行ったこと。うちの会社のクライアントに、吉良の会社が入ってること。そしてオフィスで顔を会わせたこと。


『うん。あんまり可愛くてビックリした』


もー…。

本当に吉良は、私の転がし方を知ってるんだから。


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