突然鬼龍さんに肩を抱かれるように外に出て、ジメジメした夏の夜を味わった。
どこに連れて来られたのかよくわからないまま、座るよう言われたソファに腰を下ろし…そのままボンヤリしていたらしい。
「…少し、落ち着いた?」
連れ出されたときの暑さによる不快感も含めて、私は鬼龍さんの質問に答えた。
「…はい。落ち着きました」
気付けば目の前に湯気の上がったコーヒーカップ。
鬼龍さんが頼んでくれたみたいだ。
促されてコーヒーカップを持ち上げた私の手首のあたりを見つめながら、鬼龍さんが口を開く。
「あんまり、気にしないでやって」
「…え?」
さっき、突然現れた女の人のことだろう。
吉良は、私を連れ出す鬼龍さんを止めなかった。
無理です…って言いたかったけど、遠慮して言えなくて、黙り込む。
でも、私の沈む表情で、何を思ったかわかったように視線を合わされる。
「…どこまで、知ってるの?」
鬼龍さんにそう聞かれて、走馬灯みたいに今まで感じた不安が蘇った。
「ど、どこまでって…」
そんなに、深い事情を抱えているの?
吉良の過去は、親友をこんな表情にするほど、暗い何かがあるの?
不安そうな私に気づいて、鬼龍さんは一旦下を向いて視線を外した。
「過去の…吉良の取り巻きの1人」
金沢さんという女性のことだろう。
…でも、それだけじゃないってことは、感覚でわかる。
「隠さなくていいのに…元カノ、とかですよね?」
逆にどうして隠すの?と思う。
吉良ほどの人に恋人がいなかったわけがないって、わかりすぎるぐらいわかってる。
でも、鬼龍さんはどう言ったらいいか迷ってる…
「あ、わかりました。セフレ…とかですか?」
過去、私自身セフレなんじゃないかと不安になったことを思い出す。
それが結果的に、お互いの気持ちを伝えあうことにつながって今があるわけだけど…
「…吉良って、心を開きにくい人だったのかな。私も悩んだ事あるけど…」
言葉がたりない。
愛情表現に乏しい。
それを乗り越えたから今がある私だけど、過去に乗り越えられなかった人がいたんじゃないかな。
「セフレだったとしても…驚きません。私…」
慎重に鬼龍さんを見つめるも、曖昧に笑うだけで何も言ってくれない。
それが私をさらに不安にさせるって、わかってるのかな…鬼龍さん。
「あの、私…大丈夫なので、これ飲んだら帰ります」
吉良に聞いてみる方がいいと思った。かえって鬼龍さんを巻き込んで心苦しい。
この際、全部聞いてみる。
元カノなんていない、付き合ったのは私が初めてなんて、どうして嘘を言ったのか。
私の中では、例えば金沢さんがセフレだったとしても、大きな括りの中では交際していたのと同じだと思う。
そんな意識の違いも含めて、聞いてみよう。
反面、どことなく多くを語りたがらない鬼龍さんの顔を見ていると、いろんなフラグを置いていった香里奈さんを思い出す。
「いや、帰りはちゃんと送るよ。1人で帰るなんて言わないで。後で吉良にぶっ飛ばされるの俺だから」
少し笑って言う鬼龍さんに、私も笑顔を返したのは、もうこれ以上深刻な話にしたくなかったから。
「あの…金沢さんって女の人のことは、帰ったら吉良自身に暴露してもらいます。…だから」
「…だから?」
「コーヒーはやめて、お酒飲んでいいですか?」
鬼龍さんは諦めたように笑い、スタッフにお酒のメニューをもらってくれた。
「…だから…私は大人になりてぇんですよ…」
「うんうん。モネちゃんは立派に大人だと思うよ?」
「どんなトコがですかぁ?」
「…へ?…うーん、まず、あの吉良を手なづけたところとか?!」
「吉良は関係ないんでしゅっ!」
腕を振り回した瞬間、コロナビールの瓶が倒れそうになった。
鬼龍さんが「あっぶねー…!」と言って押さえてくれなかったら、床に落ちて派手に割れていただろう。
「…ナイスキャッチですぅ!鬼龍さん!」
また腕を振り回し、ヒラヒラ宙に彷徨わせる私の手を、鬼龍さんがバシッと掴んでやめさせた。
「…んがっ!なにするですかぁ…?」
「ちょっと酔っちゃったかな?…大人になったモネちゃんの話を聞きたかったけど、そろそろ帰るか?」
「…えぇ?まだいいです!私の話全部聞いて下さいよぅ…!」
なんだか、家に帰って吉良と顔を合わせるのが怖いような気になっていた。
この時の私は確かにお酒に酔っていたけど、本当の自分の気持ちに気づいていたんだ。
本当のことを聞くのが怖いって。
どんな話であれ、女性が絡む吉良の話を、私は冷静に聞く事ができるのか…
酔うほどに、その恐怖は強まっていくのを感じる。
「わかった。…じゃあお酒だけ、もう終わりにしようか?」
鬼龍さんはそう言うと、アイスレモンティーを頼んでくれた。
やがて少し酔いが覚めた頃、鬼龍さんがそろそろ行こうと席を立つ。
お金を出そうとした私は優しく叱られ…ご馳走になってしまった。
「吉良はさ、本当に変わったんだよ」
タクシーに一緒に乗り込み、本当に家の前まで送ってくれるらしい。
「だから、幸せになって欲しいんだ。俺ら3人とも、本気でそう思ってる」
隣に座る鬼龍さんの真剣な横顔を見て、私は吉良にちゃんと話を聞く勇気をもらった気がした。
…私を、鬼龍さんの恋人だと言った理由。
やがてマンションの前に停車したタクシーから、鬼龍さんも一緒に降りてしまった。
「これ、一応念のため」
そう言いながら鬼龍さんは、意外なものを私に差し出した。