ゆっくり起きた11時少し過ぎ。
吉良の社用携帯が鳴って、嫌な予感がした。
一瞬目線を合わせたものの、吉良はふう…っとため息をついて着信をつなげる。
しばらくのやり取りの後、吉良が浮かない顔で振り向いて会社へ行くと言い出した。
「ひぇぇ…休日出勤…?」
ガックリうなだれる私を笑い、切り替えたようにスーツに着替える吉良の背中をぼんやり見ていた。
「…夕方前には帰れると思うから」
黒のスーツにえんじ色のネクタイ姿。今日の吉良もキリッとしてて、欲目なんかじゃなく「出来る男」って感じで本当に素敵。
目にハートが浮かんじゃってるのが自分でもわかるのです…。
さっきまで私の胸に抱かれて、甘えた顔を見せていた同一人物とは思えない…!
玄関先まで見送って、吉良が仕事なら私も仕事をしなくちゃと、半日ダラダラした休日を取り返すことにする。
「暑いっ…けど、いい天気!」
洗濯物を干そうとベランダに出て、この暑さの中、スーツで出ていった吉良を思う。
同時に…
昨日のことも頭をよぎった。
説明してくれたし、謝ってくれたから、何も気にする必要はないって…わかってる。
でも、さっきの涙はなんだったんだろう。
あの金沢さんという女性と何か関係があるのかな…って、つい不安が心をかすめる。
「…私は知らなくてもいいことが、あるのかもしれない」
何でも知ればいいことばかりじゃないのかもしれない。
知られたくないことも、あるのかもしれない。
吉良は複雑な家庭で育ったから、私よりずっと見たくないもの、知りたくないことに囲まれて成長してきたはず。
何度も聞いたもん。
尖った10代を過ごしたって。
正直、尖るって…どういう状況のことをいうのかあんまりわかってないけど、要するにきっとたぶん、ヤンキーだったってことで…。
その全てを、今すぐ正しく理解しようとしなくてもいいのかも、って思った。
吉良が説明する言葉を信じて、吉良のそばで私が笑っていることで、その不安や悲しみが少しでも和らぐなら…それが私の役割だ。
「一生、そばにいるんだもん。吉良の隣に、いたいんだもん…」
洗濯物を干し終えたら、急に吉良を感じたくなった。
寝室に戻って枕を抱きしめて、思い立ってクローゼットの扉を開けてみる。狙うは吉良のスーツをハグすること…!
…だったのに。
昨日着てたスーツはクローゼットの中。しかも紙袋に無造作に入れられてることに気付いた。
すぐにクローゼットにしまうなんて…
いつもなら、その日身につけたスーツは、クローゼットにしまわずに外に出しておくのに。
紙袋に入っているからクリーニングに出すつもりかもしれないけど…前日着たスーツを、こんな風に無造作に放り込むなんて。
ちゃんとたたみ直そうと、紙袋からスーツを取り出してみて…その異様さに気づいた。
…昨日の女性がつけていた香水が、強く香る。
どうしてこんなに匂いがついてるの…?そんなに近くにいたの…?
一旦おさめたはずなのに、また胸に広がるもどかしい黒いシミは、今度は広がるのを止められなかった。
昔付きまとわれていた迷惑な人なのに、私を外させてあの席に座ったのは、やっぱり吉良の特別な人なのかもしれない。
…金沢さんって…本当は誰なの。
嗅ぎ慣れない香水をまとうスーツを握りしめていると、ふいにインターホンが誰かの来訪を知らせた。
「…は、はいっ!」
玄関先に来てるわけじゃないのに、つい返事をするクセが抜けない。
夢から覚めたようにスーツを紙袋にしまった。
「…あ、れ?」
モニターに映るのは、憂さんと鬼龍さんだった。
2人とも変なポーズをキメてて、さっきまでの黒いシミが引っ込んで、口元に笑顔の花が咲く。
玄関のドアを開け、吉良の不在を告げた。
「すいません…吉良さん、急に休日出勤頼まれちゃったみたいで…」
「あぁ…いいの!いいの!ここに来たのは吉良の了解済みだから!」
「そうそう!じゃあ…早速行こうか?」
「え…っと、どこかへお出かけですか?」
憂さんと鬼龍さんはパッと視線を合わせ、私にニッコリ笑いかける。
「昨日嫌な思いさせちゃってさぁ…吉良と険悪な雰囲気になってると思ったんだよ、俺ら」
「だから気分転換にね…?」
2人して魅力的な笑みがカッコいいですけど…イケメンなら吉良だけで間に合ってます…
「…あの、それならその…昨日鬼龍さんに少しぶちまけましたし、吉良にも謝ってもらったので、ご心配には…」
及びません…と言い終える前に、腕を取られ、外に連れ出された。
「あの…私お化粧もなにもしてなくて、髪も変だし…服だって、こんな…」
部屋着に毛が生えたような、薄いピンクのT シャツと白のハーフパンツ。
なぜか憂さんに白のスポーツサンダルを見つけられて、それを履くよう言われて履いてきたけど…
「こ、こんな格好世間にさらして…私、迷惑じゃないでしょうか…?」
私の言い方に2人とも吹き出した。
「モネちゃんが迷惑なら、俺らも迷惑な存在だから!平気平気!」
はぁ…優しいなぁ。鬼龍さん。
お2人が世間にとって迷惑なんて、あるわけない。
「ところでホントに、どこへ行くのでしょう?」
車の後部座席にちんまりと座らされた私の問いかけに、憂さんがニヤリと笑顔を向ける。
「楽しいとこだよぉ…なんとなんと、この俺様の、仕事場へ連れていってあげるからね?」
「え…?水着のお姉さんがいっぱいいるところですか?」
瞬間、グラビア撮影…という言葉が出てこなくて変な言い方になった…と思っていると、聞いていた鬼龍さんが吹き出した。
「モネちゃんに言わせると、憂の仕事がとたんにいかがわしいものになるな!」
「勘弁してよー…?!俺、これでもれっきとしたカメラマンだからね?」
すいません…と謝りながら、見えてきた建物に、私は驚きを隠せなかった。