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7章…第3話

「…ごめん、何でもない」


一瞬で、私の表情の変化を読み取ったらしい。

でも…気づいてしまった。


吉良とのハジメテは、あのアパートの、シングルベッドで。


それまでされていたような、優しいキスじゃなかった。

耐えられないように、キスが深くなって、吉良から漏れる吐息が激しくなって…


早急に求める手が、唇が、愛の深さだと信じて身を任せた。


一晩中…抱きしめられて、下着を着けることも許してもらえなかった。


体中を這う舌を、切ない吐息を。愛してるって言われた低い声を。

ハジメテの…あの夜のことを、私はとても大切にしていたの。




…あのベッドでも、金沢さんと過ごしたこと、あったんだね。


いつもは鈍感なのに、吉良に関しては少しだけ鋭くなってしまう自分が嫌だ。



「…モネ」


泣きそうな私を抱き寄せる吉良。



「これで、全部。俺がたどってきた過去…」


吉良は私を少し離して、目を見て言った。



「居酒屋で金沢さんに会ったとき、ごまかしてごめんな。それから…俺から言えなくて、悪かった」


あの日、私を鬼龍さんに連れ出してもらったあと、勝手に隣に座った金沢さんにもう一度伝えたという。


「とっくに終わっている関係だと。しかも初めから愛のない関係だとキッパリ言ったんだ」


その後吉良は、一足先に店を出たらしい。



「帰ったら、隣に座ってただけなのに彼女の香水がスーツに移ってて…」


翌日見つけた、紙袋に入ってたスーツのことだ。



「捨てたよ。…俺には、それほど消したい過去で、勝手ながら…彼女にも2度と会いたくなかった」


吉良は自分の過ちを認めながら、正直な気持ちを打ち明けてくれたのだと思う。


隠していたこと、自分から言えなかったことを、本当に申し訳ないと…真摯に謝ってくれた。



…次は私の番だと思った。




「私は…それでも吉良が好きだよ。

過去は確かに、間違いが多かったかもしれない。でも家庭環境的にも仕方なかったと思う。だから…」


許すとか、許さないとかそういう問題じゃない。


私が受け入れるか受け入れないか。




もちろん、私は…受け入れる。



「金沢さんに偶然会って、詰め寄られて…怖かった。でも、話を聞こうと決めたのは私なの。内容は、聞いたことをすぐに後悔するほどショックなことだった。金沢さんが、そういう言い方をするからだけど…でも、吉良のやっていたことは、ショックじゃないとは言えない」


「モネ…苦しめて…ごめん」


「大丈夫。大丈夫なの…吉良を好きだからツラいの…」



…ハジメテのあのベッドで…かつて金沢さんとも寝てた………



そのベッドは、このマンションに越してくるまで、吉良の部屋にあった。


ここに越してくるタイミングで、どうしても買い替えると言ってたのは、そういう理由があったからなんだね……………




「それから、私も吉良に言わなくちゃいけないことがあるの」


「モネが…?」


少し意外そうに首をかしげて、私を見下ろす吉良。

眉間にシワを寄せた…苦しそうな表情。



「昨日、憂さんの行きつけの会員制バーで飲みすぎちゃって…帰り、鬼龍さんにここまで送ってもらったみたいなの」


「…みたい?」


「寝ちゃってたみたいで、意識を失ってて…。気付いたらこのソファに寝かされてて、お腹にバスタオルがかかってた」


「お腹に…バスタオル…」


「ごめんなさい。すぐに言えなくて…」


吉良は急に横を向いて、指先を口元に持っていった。

しばらくそんな格好で何も言ってくれなくて…私はもう一度「ごめん」を届けた。



「…責められないよ。俺だってずっと隠し事してたし」


急にソファから立ち上がった吉良。

ベランダに出て…しばらくすると、ほんのりタバコの匂いがした。


吉良がタバコを吸うなんて…

そんな姿、見たことない。


私はそっと窓に寄って、紫煙をくゆらせる吉良を見つめた。

…その姿がなんだか寂しそうで、私もベランダに出てみることにする。


わずかな軋みの音と共に開く窓に気づいて、振り返った吉良は、火のついたタバコを咥えていた。


立ち上る煙を邪魔そうに目を細めて、唇の端のタバコを吸い込む。


ふぅ…と吐き出す煙は、顔を背けて私にかからないように…


その仕草は初めて見るもので…なんだか胸が高鳴って困った。



「タバコ…吸うんだね…」


「うん。中学の頃からな」


「たまに、吸ってたの?」


…私の知らないところで…


「いや、出張先で久しぶりに買った」


吉良がタバコを吸っている姿はカッコいいしときめいちゃうけど…知らない人みたいでちょっと寂しい。


「…煙いから、中に入ってな」


2人でベランダに出ると、いつも私を後ろから抱きしめてくれた吉良。


今日もそうしてくれるかなって思ったけど…火のついたタバコを持ってるから、私に触れないんだよね?




「うん…」


言われるまま素直に…部屋に入った。



すっかり冷えたお茶を流しに持っていって洗っていると…


「もう1回シャワーするわ。なんかタバコ臭いな」


振り返って笑顔を返しながら…


本当は、タバコの匂いの吉良に抱きしめて欲しかったと思う。


タバコの匂いを移すようなキスをしてほしかったと思う。


それが、私の知らない吉良だからこそ、わからせてほしかった。


出会った時を巻き戻すのは絶対無理で、私の知らない吉良がいたのは消せない事実。


大切なのは過去じゃなくて未来だと皆言うけど、それでも好きな人の過去を少しでも知りたい。理解したいよ、私。


昔はずっと…タバコの煙に包まれていたんでしょ。


だったら、あの頃と同じ匂いを感じさせてよ。私にも移してよ…


バカみたいだと思いながら…私は手を泡だらけにして、少しだけ…泣いた。


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