おやすみのキスをして、手をつないで。
明かりが消えた後、隣で眠る吉良を見上げたら、目が合った気がする。
「どうした?」って…いつもの声が聞こえないから、少ししてもう一度見あげたら…もう吉良は目を閉じてた。
3日の出張のあと、熱を交わさずに眠るなんて初めてだ。
…それは、吉良の優しさ?
それとも、酔いつぶれて鬼龍さんに送ってもらったこと、怒ってるの?
何とも言えない…拭いきれない違和感を感じながらも、私から吉良に詰め寄るなんてできない。
…いつの間にか私も眠りに落ちて、翌朝を迎える頃、吉良がベッドから降りる気配で目覚めた。
起きるには早い時間。
ドアを出ていく吉良、なんとなく予感がして、私も後に続いてみる。
…見つかったらトイレに起きたと言おうと思い、そっとリビングに行くと、ベランダに続く窓が開いてる…
ゆらゆら揺れる白いカーテン越しに、愛しい人の姿が見える。
ふと…タバコの匂いがした。
昨日に続き、また?
それは何か、表現できない心の変化のような気がして…私は立ち尽くして、カーテン越しにいつまでも吉良を見つめていた。
2人の中の、何かが噛み合っていない。そんなもどかしい数日を過ごした。
吉良は、気に病んでるの?
自分の過去を、それを…私に知られたことを。
そして、酔いつぶれて親友に送ってもらった私を…責めてるの?
なんでも知るべきじゃなかった…?
言うべきじゃなかった?
後悔しそうになって、慌てて自分の思考を止めた。
「吉良、私ちょっと、出かけてくるね」
休日、紺色のシャツワンピースを着た。
白いバッグと、今日は日傘を持っていこう。
「…どこ行くの」
休日、2人で家事をした後、吉良は持ち帰った仕事をしていた。
声をかけた私の姿をサッと見て、もう一度視線を合わせる。
「霧子から連絡があって、ちょっとランチに行ってくる」
「霧子ちゃんか…」
少しの間の後、吉良は「気をつけて行きな」と、抱き寄せておでこにキスをしてくれた。
連絡をくれて、誘ってくれたのは霧子だけど…私も吉良とのことを聞いてもらいたくて、すぐに話はまとまった。
霧子の住まいとのちょうど中間で待ち合わせる。
そこは大きなターミナル駅。
どこでランチをしてお茶をしようか…考えながら待っていると…
霧子から着信が入った。
「モモ…ごめん!やっぱ今日、ダメになっちゃった…」
何があったのか聞いてみると、派手な喧嘩をした彼氏が、たった今家に来た…と言う。
「出かけようとしたら、ちょうどあいつが来ちゃって…」
彼氏と連絡を絶って1週間。
こんなに長い期間、連絡を取り合わなかったのは付き合って初めてで、その話を聞いてほしかった…という。
「でも、土下座して謝ってるから…ちょっとは話を聞いてやろうと思って…」
霧子はそう言うけど、喧嘩のキッカケは、きっと浮気とかの大ごとではないのだろう。
「…そっか!じゃあ改めて、話聞かせてね!」
何度も謝罪され、私は笑って着信を切った。
元気を装ってみたけれど…私のモヤモヤを吐き出す場所が無くなってしまった…
錦之助は確か、この週末は実家に帰るって言ってたし…このまま帰ろうかな、と思った時だった。
「…モネちゃんじゃない?」
男の人の声に振り向く。
それは…
「鬼龍さん…!」
白シャツに黒い細身のパンツ。
いつもと少し雰囲気が違う感じがするけど…
「仕事帰りだよ」
「そうなんですか…!あ、でも今日土曜日…?」
「言ってなかったっけ?俺、デンタルクリニックに勤めてるんだよね」
「…デンタル…」
…歯医者さんっ?!
そう言われてみれば…マスクとか白衣が似合いそう…
「モネちゃんは?吉良と待ち合わせ?」
「いえ…霧子と会う約束で出てきたんですど…」
キャンセルになった経緯を話すと、鬼龍さんは気楽な様子でランチに誘ってくれた。
「…あ、」
吉良の様子が少しおかしいこと、鬼龍さんに送ってもらったことと関係していたら…
その時、キュルキュルと私のお腹が鳴った…
「…なんか食べさせろって言ってるよ?モネちゃんのお腹…!」
鬼龍さんは遠慮しないで…と言いながらクスクス笑って、私の背中をそっと押す。
「吉良も呼ぼうか?」
店内のあちこちに観葉植物が置いてあるジャングルみたいなお店。
ミントの香りがして、心地いい。
「はい…でも、出てくるとき、仕事をしていたので…無理かな」
ふと…思いついた。
鬼龍さんに吉良の話を聞いてみようか。
霧子に話すはずだった、最近の吉良の変化、鬼龍さんなら理由がわかるかもしれない。
…そして、吉良の過去。
当時の、吉良のこと。
「そっか。じゃあ連絡だけしておこうか」
鬼龍さんが携帯を出したので、私はそれを止めて、自分から伝えると言った。
『お仕事してたらごめんなさい。…霧子がね、急にキャンセルになっちゃって、帰ろうとしたら偶然鬼龍さんに会ったの。…で、ランチを食べて帰ることになりました。
…吉良も来ますか?』
お店のURLを貼って、ポン…と送信した。
…すぐに、既読にならない。
私はあまり気にしないようにしてスマホを脇に置き、鬼龍さんが渡してくれたメニューを覗き込む。
う…全部英語…?フランス語?
なんにも読めない…
「尋常じゃない腹の減り方だったら…この『ポークソテー赤ワインソース』がオススメ。そぅでもない普通の減りだったら、『スズキのポアレと焼き野菜』がいいと思うよ?」
一文字一文字解読しようとメニューを見つめていたら、鬼龍さんが助け舟を出してくれた。
「あ、じゃあ…ポークソテー赤ワインソースで…」
パタンとメニューを閉じると、鬼龍さんが笑う。
「これ外人向けのメニューじゃん!ちゃんと日本語のあったのに…w」
「そうだったんですか…外国語で書かれたメニューなんて、すごくお高いお店なんじゃないかと思ってドキドキしました…!」
「全然!至って普通の店だよ?」
それを聞いて安心した…!
日本語メニューにはちゃんと日本円で料金も書いてあり、私が頼んだポークソテー赤ワインソースは、セットで2000円弱。
…いつもの値段だと、ホッとした。
注文し終えて、吉良から返信が来た。
『俺はまだ終わりそうもないから、モネは食べておいで。鬼龍におごらせろよ?』
「…で?何があったの?」
まだ何も言ってないのに、鬼龍さんに聞かれて…驚いてその顔を見上げた。