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7章…第5話

「その前に…先日は大酔っぱらいで、本当にご迷惑をおかけしました…」


「あぁ…それはもういいよ。モネちゃんの酒の理由は吉良だろうし」


「はい…」


返事をしながら、前に居酒屋で金沢さんに遭遇したときのことを思い出していた。あの日鬼龍さんは家まで送ってくれて、メッセージアプリを交換したっけ。


それは、この先悩むことがあるかもしれないと言われたような気がしたことを思い出す。


そして、この前の酔っ払って迷惑をかけた時に言ってたこと…



『これから吉良と話して、辛くなったら連絡して。実は俺も、モネちゃんに聞いてもらいたい話がある』



私に聞いてもらいたい話って、なんだろう。





「金沢さんのこと、吉良に聞きました。…バイトしてたことも、そのあと金沢さんの専属になったことも」


「…そっか」


鬼龍さんはじっと私の顔を見て、ひとこと、言ってくれた。


「つらかったね」


気づくと頬に涙が伝っていて、私は慌てて指先でぬぐう。


「モネちゃんもわかってると思うけど…吉良の過去は、あいつだけのせいじゃない」


鬼龍さんの声が温かくて、後から後から涙が溢れて困る…私はウンウン…と、うなずきながら鬼龍さんを見上げた。


「家庭環境…特に母親。自分を一番に守ってくれるはずの存在に、吉良は無視され続けた。唯一愛情をかけてくれた祖父母との交流も禁止されて、荒れるのは当然だよ」


「はい。わかります」


料理が運ばれてきて泣いてたら、きっと変に思われる…

バッグからハンカチを出そうとして、忘れてきたことに気づいた。


「ほら…」


トイレに行って整えようとしたのに、鬼龍さんの指が伸びてきて、頬の涙をぬぐわれた…


ここ数年、頬に触れられたのは、父親と兄と…吉良だけで。鬼龍さんの指先の感触にビクッとした。


「ちょっと、トイレで顔を直してきます…」


「うん、それがいいね」


鬼龍さんはなんでもない顔をしてる。

私だって別にときめいたりしたわけじゃないけど…。



席に戻ると、頼んだ料理が来ていた。



「ごめんなさい…!先に食べてくれていてよかったのに」


「いや、一緒に食べた方が美味しいじゃん」


他愛もない話をしながらランチを食べすすめ、私はかなりお腹がすいていたのだと気づく。


…そういえばここ数日、吉良の様子がなんとなく変で、食欲が落ちていたかも。


ほんの少し、心の中身を外に出すだけで、負担は軽くなると実感した。


「私…吉良の過去を知っても嫌いになんかなれないんです。それよりは、当時の吉良を理解したいと思う。…やってきたこと自体は、ショックだし、気にならないことはない。今すぐは受け入れられない…」


そこまで言って気づいた。

もしかしたら、私が吉良を、拒絶していた?


「あの話を聞いて…私は吉良を、無意識に遠ざけていたかもしれません」


どことなく寂しそうにたばこを吸う吉良を思い出した。

…吉良が変なわけじゃなくて、私が…?



「無理、しなくていいんじゃない?」


鬼龍さんもいつの間にか食べる手を止めて、私の話をじっくり聞いてくれた。


「無理してるつもり、なかったのに」


自分で自分がわからなくなるほど、吉良の過去に、私は傷ついたんだろうか。


「傷つきたくない…受け入れたいのに。吉良の全部を、難なく受け入れられる自分でいたかったです…」


わかるよ…と言いながら、先に食べてしまおうと促され、話は食後のコーヒーを飲みながら続いた。



「自分でもまさかと思うほど、心がダメージを受けた経験は、俺にもあってさ」


鬼龍さんは片手に顎を乗せて、遠い目で窓の外を見た。



「鬼龍さんにも…?」


「うん。前に付き合ってた彼女が、吉良に惚れちゃってね」


「…え?」


鬼龍さんの話は、とてもショッキングな内容だった。




「可愛い子だった。人懐っこくて、明るくて元気で」


大学で出会って、猛アプローチを受け、付き合いだした恋人。



「今モネちゃんと、俺ら3人も仲良くさせてもらってるけど、彼女もそんな付き合いだった」


鬼龍さんはそう言いながら、ふと目をそらす。


…どうして目をそらすんだろう。

まさか、吉良がこの話で悪者になるから…?


でも鬼龍さんの話は、思いがけない方向に行った。



「俺の彼女に対して、吉良が何かしたとか、そんなことは一切ない。親友の恋人として、適切な距離感を持って接してくれてた」


そう聞いて、安心する自分がいた。


「気持ちが飛び越えたのは、彼女だけだ。それがわかったのは…」


鬼龍さんはコーヒーをひとくち飲んで、視線を落として言った。



「抱いているとき。俺を『吉良』って呼んだんだ。何度も…夢中になってて、自分でも気づかなかったんじゃないかな」


あんまり大きなリアクションは傷つけてしまうかもしれないと、とっさに思った。



「俺はそれから、EDになった」


「…え?」


そういえば、鬼龍さんの恋人の話って聞いたことない。

それってつまり…心の傷…



「それから何年もたつから、さすがに惹かれる女の子には出会ったよ。…でも、付き合うまでにいかなくてさ」


「そう…ですよね。そんな経験したら誰だって…」


誰だって…人を愛するのが怖くなる


「変な話しちゃったけど、今の話を人に聞いてもらったのは初めてなんだ」


鬼龍さんの笑顔は吹っ切れている。

何年前の話なのかはわからないけど、時が解決したのかな…


「俺が言いたかったのはね、吉良に惚れちゃった元カノは、別に悪くないって話なわけよ」


「…え?」


「もちろん、吉良も悪くない。俺だって悪くない。だから、この話に悪いやつはいない」


「誰も、責められないって話ですか?」


「うん。…吉良の過去も、同じだと思うんだ」


吉良の過去…


確かに…吉良が荒れたのは家庭環境のせいで、過去のバイトや金沢さんとのことも、自分でお金を稼がなきゃならなかった境遇のせいだといえる。


「俺がED になったことも、吉良が悪いわけじゃない。しいて言うなら、我慢し続けた、気づいて見ないふりをしていた自分が愚かだったってことかな」


ハハッ…と笑う鬼龍さんの顔は明るい。…けど。



「モネちゃんも、吉良の過去をすぐに受け入れようとしなくていいと思う。好きであればあるほど、ショックなことだと思うし、気持ちが揺れるのは当然だよ。だから、平気なふりをしないで」


私は鬼龍さんの目をじっと見つめた。


平気なふりをし続けて、つらい気持ちに蓋をした結果、鬼龍さんは思いがけない体の異変に襲われた。


だからこそ、私を心配してくれてるって伝わった。


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