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8章…第1話

「いったいどこへ、行くんですか?」


何度声をかけても、金沢さんは真っすぐ前を向いて運転しているだけ。


車は都内を抜け、郊外を走っているようだ。


いくつか、知っている多摩地区の駅名が走っている車の窓から見えて、ここがどこなのかだいたいわかった。



「…私の住まいに連れてってあげる」


「住まいって…お勤めされてる都内の会社の近くで、マンション暮らしなんじゃ…」


「やだぁ!私が言ったこと、全部本当だと思ってるの?」



前に連れて行かれた店で、キャリアウーマン風だった金沢さんを思い出す。


ハキハキ喋って、はじめに感じた怪しさはなく、素敵な女性とすら感じたこと。



「どうして…私を金沢さんの住まいに?」


私に吉良の過去を知らせて、それで気が済んだのではないのか…。


それとも、私たちの仲がどうなったのか知りたいとか…壊れたことを確認したいとか。


…嫌な予感がして、背中を冷たい汗が流れるのを感じた。



「だから言ってるでしょ?話したいだけだって」



いったい何を話したいと言うのだろう…


後部座席から、バックミラーに映る金沢さんの目元は、穏やかで普通に見える。


でも…もし、狂気を隠しているとしたら。



「あなた、吉良と結婚するって言ってたわよね?」


「…え?」


「この前、一緒に食事して、吉良の過去を教えてあげたとき…そう言ってたじゃない?」


…確かに、言った。


聞いた直後は、正直、無理やりそう言ったところもある。


でもあの話は本当のことだって吉良も認めて…私はすべてを胸の奥にしまうつもりだった。


そこに至るまでに、私も吉良もたくさん苦しんだけど…



「…バカじゃないの?」


金沢さんの声色が変わった気がした。


反論して大丈夫か…

それとも何も言わずに、金沢さんの話を聞くだけにするか…


迷う私をよそに、金沢は勝手に激昂していく。



「吉良はお金で体を差し出したのよ?いろんな女に!…そして私に買われたの。…そんな過去のある男が、あんたみたいなお嬢ちゃんとうまくいくはずないでしょ?」


…バックミラーに映る金沢さんの目元が、激しく歪むのが見えた。


私はギュッとスカートを握りしめ、これからどうするのが最善か考える。


…吉良に、霧子に…錦之助に、連絡をするのは無理だ。


私の携帯はおろか、バッグもどこに隠されているかわからない。

そっと視線を移して探してみるも、それらしいものはなかった。


ただ…助手席に、見覚えのない携帯がある。あれは多分、金沢さんの携帯。


…ロックがかかってる可能性が高いけど、もし外された状態で手にすることができれば…110番通報することはできる。


後部座席のドアも、運転席からのロックがかかっているのか、開かなかった。


信号で停まったとき、車外に逃げ出すなら、助手席に移らないといけない…


怪しまれずにそんなことをするのは…無理だ。



「…吉良はね、堕ちてしまった男なのよ。私と同じ…。だから、本当ならこれから先、私と一緒にいるのが最善なのよ」


…堕ちた、なんて…勝手に決めつけないで欲しい。


確かに、1度は『堕ちた』のかもしれない。でも、仲間がそこから救い出してくれた。


吉良自身、安易な方法でお金を稼いだことを悔いて、きっと大変な努力をしてそこから這い上がったんだと思う。


それは吉良の強い意志で、強い思いで。

たとえどんな過去があったとしても、私はそんな吉良を誇りに思うし尊敬する。



「どうせね…またやり始めるわよ。あの男は…」


聞き捨てならない言葉で…私はつい言い返してしまった。



「それ…どういう意味ですか?」


自分でも、こんなに激しく怒りが溢れてくるのは初めてだ。


心臓がドキドキして、手が震える。



「どういう意味って?…そのまんまに決まってるじゃない。女を喜ばせて、女をイかせて…裸でいるのが似合うって言ってるのよ」


「…吉良は、当時のことを悔やんでいます。そんな後悔は、私に出会ってより強まったって、言ってました」


「はぁ…?私に出会ったことが?私に買われたことを後悔してるとか言ってるの?…あの男はっ!」



車内に響く金切り声に、耳をふさぎたくなった。



「仕方がなかったんです。…吉良がそういう仕事に手を染めるに至るには、理由があって…」



「うるさいわよっ!何も知らないくせに、えらそうなこと言わないでっ!」


興奮したのか、急速にスピードが上がる。

背中で背もたれを激しく押して、手でハンドルを叩いた。


近くの車がクラクションを鳴らし、警告していく。

フラフラ車が揺れて、危険だ。


「…あの、金沢さん、ちょっと車を止めませんか?」


金沢さんも呼吸が乱れて、少し苦しそうだ。


…何か持病でもあるんだろうか。



「どこかでお茶でも買ってきますから」


「…いい。自分で行くわ」


よほど苦しかったのか、金沢さんはおとなしく車を停車させた。


私を車に残し、鍵をかけられたものの、携帯を探すチャンスだと、手当たり次第探した。


なのに次の瞬間、車のトランクが開く音がして振り返ると、どこに隠してあったのか…私のバッグを車のトランクに積んでしまった。


もうひとつ、見知らぬバッグも。

あれは多分、金沢さん本人のものだろう。


その中に、携帯も入っていたら…


これで、自分の携帯を取り戻すどころか、金沢さんの携帯を奪って外部に連絡することも不可能になってしまった。



彼女はトランクを閉めると、すぐそばの自動販売機でお茶を買い、ポケットから薬を取り出して飲んでいる。


さっき飲んでいた薬とは違うものなんだろうか…


…安定剤のような薬?

その効果や効能はわからないけれど、金沢さんは何かしらの精神的な病を患っているのかもしれない。


…運転席に戻ってきた金沢さん。


わずかな隙を見て、走って逃げることもできたのに、それを迷ったのは…


彼女を1人にして大丈夫なのか、少しだけ心配したから。


そして、それがどんなに甘い考えだったかを、私はこの後思い知らされることになる。


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