目次
ブックマーク
応援する
10
コメント
シェア
通報

俺の未来③

「話終わったんならさぁ…そろそろなんか、注文してくれねぇか…」


町中華の店主が、厨房から力なく声をかけてきた。



「あ…すいません…」


ここが撮影場所ではないというなら、俺たちは単なる客だ。


ずっと何も注文しないで、土下座だの携帯だのチョコだの…変なやり取りをしていた俺たちを見られていたというわけか。


未来はキョトンとしているが、まともな俺は、ちょっとハズいぞ。



「…とりあえずなんか、注文するか」


「はっ!かしこまりました!」


やり取りは聞いていたらしく、話が早くて助かる。


早速ラーメンと餃子を頼み、俺たちは向かい合って食べ始めた。



「…そういえば朝からなんも食ってなかった」


「…えぇっ?!」


ほんの小さなつぶやきに、100倍の反応が返ってきて焦る…



「なんだよ…そんなこと、よくあるだろ」


特にこの業界、収録が朝までかかってしまったとか、飲み会が朝を通り越して昼までとかよく聞く話だ。


だから寝不足の人は全体の半数以上だろうと俺は見ている。



「…でも、心配です。食べるものが何もないなんて…」


「…は?」


「冷蔵庫、空っぽなんでしょうか?棚に、袋麺もカップ麺もないなんて…こんな心細いこと、ありませんよね?」


また話が明後日に行って、ぐるっと回って戻ってきた、みたいなことになっている。


「…あるよ。冷蔵庫にはちゃんと、ヨーグルトとかフルーツとか、肉も野菜もあるから!」


心配すんな!と付け加えてみれば…


「あぁ…よかったですぅ…本気で今日、何か買ってお届けしようと思いました…!」


その顔は本気で安堵して、本気で心配したという表情。


そういえばラーメンの湯気で曇るので、丸メガネは外している未来。


…潤ませた目をパチパチまばたきするたびに、長いまつ毛が濡れるのがわかる。


ふと手元の箸袋を取り、折りたたんで目元に持っていった未来。


…は?なにする気だ?


「…おい!そんな紙で目を拭くなって!目元の皮膚が薄いって知らねぇの?傷つけたらどうすんの?」


「…あ」


…箸袋で目元を拭う女なんて初めて見た…あまりの衝撃に、未来の手を握っていることに気づく。



…こういう時、赤くなって目をそらすとか下を向くとか。

それが普通の女の仕草ならば…


「大丈夫です…ご心配、ありがとうございます!」


未来は逆に、俺の手を両手で包み込み、満面の笑顔を向けてくるんだ。

…至近距離で。


「…頬が、」


「はい?!」


初めて会った時より、赤みがやわらいで、赤というよりピンクになってる。


「田舎っぺって感じに赤かったのに、なんか薄くなってるじゃん」


別に…ちょっと見て気付いたから言っただけなのに、妙に訳知り顔で答える未来。


「…少しは都会の風に慣れてきたんですよ…それより椎名さんの方が…」


「…あ?」


「ほっぺた、赤いですよ?」


…何だ、ちょん…って。

指先で突っつくんじゃねーよ。



………………


「…本日は本当に申し訳ありませんでした…!」


「うー…」


もう言葉も出ない。

…こんなに疲労困憊したのは、何年ぶりだろうか。



「明日は午後からの撮影ですので、また、お迎えに参ります…」


マンション前まで俺を送り、お役御免とばかりに帰ろうとする未来。


今、スキップしようとしただろ?


…いやいやちょっと待て。



「…エレベーターのボタンも押せねぇ。ドアも開けられねぇ…」


「どうか…したんですか?」


「全部、お前のせいな?」



荷物のキャリーを引かせ、未来の肩に片腕を乗せて全体重をかける。


小さいから頼りがいはないが、自力で歩くよりずいぶん楽だ。




俺がこんなに疲れている理由は、あのラーメン屋で、代金を支払う場面までさかのぼる必要がある。


「あれ…あれあれ…?!」


黒いズタ袋(この際バッグなんて言ってやらない)を引っ掻き回し、「ない…」と青くなった未来。


「まさか財布?」


コクンと頷き、店主に声をかけた。


「…こちらのお店では、キャッシュレス決済は、どのあたりまで進んでおられますか?」


「なんだよ…日本語で言ってくれよ…」


そっと店主に声をかけるものの、想像通りの答えが返ってきたらしい。


当然クレカ決済も無理で、現金での支払い方法しかないとわかった。


「俺、現金なんか持ってねーぞー」


「…ど、どうしましょう…」


しめて2500円余の現金が必要だが、財布を忘れた未来は当然、キャッシュカードも何も持っていない。


…今日はかなり迷惑をこうむっている自覚があった俺は、このまま先に帰ろうかと思った。


急に予定がガラ空きになったし、誰か1人くらい女の子は捕まるだろうし。




「労働で払うというのは…?」


店主に向かって、思ってもない言葉が飛び出すおのれの口をふさぎたくなった。


「いいねぇ…!お兄ちゃん、店に立ってくれるの?」


店主、二つ返事で労働会計を承諾。


早速、白黒の味気無いチラシを押し付けられ、外に放り出された。


「お姉ちゃんはこっちの洗い物やってよ」と店主に分業させられそうになったが、俺を1人にさせられないと、一緒にビラ配りをすることに。



…それからはもう、すごかった。


俺というイケメンがいる町中華として、情報がSNSを飛び交い、客が押し寄せた。


店主が作ったラーメンを運び、未来と皿洗いをして、足りなくなった材料を買いに行き、ゴミまで出した。


いい客寄せになった俺。

あっという間に1ヶ月分の売り上げを叩き出し、店主に泣いて喜ばれたところで…やっと帰宅した、というところだ。



「…逆に時給出せって感じだろ」


未来に部屋まで送らせ、ついでに体中に湿布を貼らせる。


「わ…私のミスからこんなことに…本当に、申し訳ありませんでした!」


「あぁ…」


眠い…


閉じかけた目の端に、土下座をする未来が見えたけど…ここは俺の家だからまぁ…いいか。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?