「話終わったんならさぁ…そろそろなんか、注文してくれねぇか…」
町中華の店主が、厨房から力なく声をかけてきた。
「あ…すいません…」
ここが撮影場所ではないというなら、俺たちは単なる客だ。
ずっと何も注文しないで、土下座だの携帯だのチョコだの…変なやり取りをしていた俺たちを見られていたというわけか。
未来はキョトンとしているが、まともな俺は、ちょっとハズいぞ。
「…とりあえずなんか、注文するか」
「はっ!かしこまりました!」
やり取りは聞いていたらしく、話が早くて助かる。
早速ラーメンと餃子を頼み、俺たちは向かい合って食べ始めた。
「…そういえば朝からなんも食ってなかった」
「…えぇっ?!」
ほんの小さなつぶやきに、100倍の反応が返ってきて焦る…
「なんだよ…そんなこと、よくあるだろ」
特にこの業界、収録が朝までかかってしまったとか、飲み会が朝を通り越して昼までとかよく聞く話だ。
だから寝不足の人は全体の半数以上だろうと俺は見ている。
「…でも、心配です。食べるものが何もないなんて…」
「…は?」
「冷蔵庫、空っぽなんでしょうか?棚に、袋麺もカップ麺もないなんて…こんな心細いこと、ありませんよね?」
また話が明後日に行って、ぐるっと回って戻ってきた、みたいなことになっている。
「…あるよ。冷蔵庫にはちゃんと、ヨーグルトとかフルーツとか、肉も野菜もあるから!」
心配すんな!と付け加えてみれば…
「あぁ…よかったですぅ…本気で今日、何か買ってお届けしようと思いました…!」
その顔は本気で安堵して、本気で心配したという表情。
そういえばラーメンの湯気で曇るので、丸メガネは外している未来。
…潤ませた目をパチパチまばたきするたびに、長いまつ毛が濡れるのがわかる。
ふと手元の箸袋を取り、折りたたんで目元に持っていった未来。
…は?なにする気だ?
「…おい!そんな紙で目を拭くなって!目元の皮膚が薄いって知らねぇの?傷つけたらどうすんの?」
「…あ」
…箸袋で目元を拭う女なんて初めて見た…あまりの衝撃に、未来の手を握っていることに気づく。
…こういう時、赤くなって目をそらすとか下を向くとか。
それが普通の女の仕草ならば…
「大丈夫です…ご心配、ありがとうございます!」
未来は逆に、俺の手を両手で包み込み、満面の笑顔を向けてくるんだ。
…至近距離で。
「…頬が、」
「はい?!」
初めて会った時より、赤みがやわらいで、赤というよりピンクになってる。
「田舎っぺって感じに赤かったのに、なんか薄くなってるじゃん」
別に…ちょっと見て気付いたから言っただけなのに、妙に訳知り顔で答える未来。
「…少しは都会の風に慣れてきたんですよ…それより椎名さんの方が…」
「…あ?」
「ほっぺた、赤いですよ?」
…何だ、ちょん…って。
指先で突っつくんじゃねーよ。
………………
「…本日は本当に申し訳ありませんでした…!」
「うー…」
もう言葉も出ない。
…こんなに疲労困憊したのは、何年ぶりだろうか。
「明日は午後からの撮影ですので、また、お迎えに参ります…」
マンション前まで俺を送り、お役御免とばかりに帰ろうとする未来。
今、スキップしようとしただろ?
…いやいやちょっと待て。
「…エレベーターのボタンも押せねぇ。ドアも開けられねぇ…」
「どうか…したんですか?」
「全部、お前のせいな?」
荷物のキャリーを引かせ、未来の肩に片腕を乗せて全体重をかける。
小さいから頼りがいはないが、自力で歩くよりずいぶん楽だ。
俺がこんなに疲れている理由は、あのラーメン屋で、代金を支払う場面までさかのぼる必要がある。
「あれ…あれあれ…?!」
黒いズタ袋(この際バッグなんて言ってやらない)を引っ掻き回し、「ない…」と青くなった未来。
「まさか財布?」
コクンと頷き、店主に声をかけた。
「…こちらのお店では、キャッシュレス決済は、どのあたりまで進んでおられますか?」
「なんだよ…日本語で言ってくれよ…」
そっと店主に声をかけるものの、想像通りの答えが返ってきたらしい。
当然クレカ決済も無理で、現金での支払い方法しかないとわかった。
「俺、現金なんか持ってねーぞー」
「…ど、どうしましょう…」
しめて2500円余の現金が必要だが、財布を忘れた未来は当然、キャッシュカードも何も持っていない。
…今日はかなり迷惑をこうむっている自覚があった俺は、このまま先に帰ろうかと思った。
急に予定がガラ空きになったし、誰か1人くらい女の子は捕まるだろうし。
「労働で払うというのは…?」
店主に向かって、思ってもない言葉が飛び出すおのれの口をふさぎたくなった。
「いいねぇ…!お兄ちゃん、店に立ってくれるの?」
店主、二つ返事で労働会計を承諾。
早速、白黒の味気無いチラシを押し付けられ、外に放り出された。
「お姉ちゃんはこっちの洗い物やってよ」と店主に分業させられそうになったが、俺を1人にさせられないと、一緒にビラ配りをすることに。
…それからはもう、すごかった。
俺というイケメンがいる町中華として、情報がSNSを飛び交い、客が押し寄せた。
店主が作ったラーメンを運び、未来と皿洗いをして、足りなくなった材料を買いに行き、ゴミまで出した。
いい客寄せになった俺。
あっという間に1ヶ月分の売り上げを叩き出し、店主に泣いて喜ばれたところで…やっと帰宅した、というところだ。
「…逆に時給出せって感じだろ」
未来に部屋まで送らせ、ついでに体中に湿布を貼らせる。
「わ…私のミスからこんなことに…本当に、申し訳ありませんでした!」
「あぁ…」
眠い…
閉じかけた目の端に、土下座をする未来が見えたけど…ここは俺の家だからまぁ…いいか。