「クラウス様?」
彼女の声に視線を逸らす。
「ああ、なんでもない」
あまりにも綺麗で顔を直視できなかった。
当日顔を合わせた彼女は着飾っていて美しさが際立っていた。
それに気づいた周りの視線が集中していたが当の本人はそれに気づいていない。
だから敢えて彼女を引き連れて回した。
時折見せる浮かない表情の彼女を不思議には思いつつも彼女がわたしのものだという優越感で浮かれていた。
べつに誰にとは言わないが。
あらかた挨拶を済ませ彼女と会話を楽しむ。
「アメリア。君がいてくれたおかげで今日は女性が少なくて助かります」
少しでもこちらを見て欲しくて心にもないことを口にする。
「こういう場ではやはりパートナーがいる方がいいですね」
「そうですか」
「今日は付き合わせてすみません」
「いえ、これも仕事ですから」
自分でそう仕掛けておいて彼女の口から言われる言葉に傷ついた。
「ええ、ですからきっちり務めてくれると助かります」
彼女の腰を引き寄せて密着する。
先程からこちらを見ていた男共が遠のいた。
馬鹿が。彼女はお前たちが近寄っていい女性じゃない。
「すみません。団長」団員から声がかかる。
「なんだ」
「トリシア様がお呼びです」
ちらりと彼女を見ると
「私は大丈夫です。お仕事をされてください」と笑った。
その笑顔が作りもののようで心がざわついた。
「クラウス。あんたが結婚してるって知らなかったんだけど」
呼ばれていくとトリシア様がグラスを片手に座っていた。
「訊かれませんでしたから」傍に立って返答をする。
「紹介しなさいよ」
「嫌です」
「王女命令よ」
「嫌です」
「なによ冷たいわね」
「そんな話ならもういいですか」
先程まで一緒にいた彼女に視線を定めるとなにか話していた。
誰と話しているのかと思っていたら、彼女が笑った。
それはわたしに向けられたものとはちがって彼女の本当の素顔が見えたような気がして視線の先を追うと知らない男が立っていた。
楽しそうに話している。
アメリアと知らない男が。
なにか身体の中が蠢いた気がした。
あまり良くない、あまり表に出したくないものだ。
トリシア様がなにか言っていたが構わずそちらにそちらに足を運んでいた。
人混みをかき分けていくとあの男がアメリアの腕を掴んでいたのが見えた。
歩いていくふたりを追う。
嫌な予感がした。
行くな。と願ったらつんのめった彼女が倒れていく様子がスローモーションになっていて、身体を滑り込ませて抱き寄せる。
「大丈夫か?」
顔を上げた彼女と見つめ合う形になる。
「……アメリア?」
「は、はい」
「大丈夫そうですね」
「す、すみません、」
退こうとするのを遮って訊ねる。
「ボロが出たら困るんです。彼は誰ですか」
「昔馴染みです」
「あなたとわたしのことは」
「知りません」
「わかりました」
「悪い、大丈夫かアメリア?」
「ええ」
「あんたも、怪我はないか」
「大丈夫です」
差し出された男の手を断って立ち上がってからアメリアのドレスについた埃を払っていく。
「申し訳ありません。私は大丈夫ですから」
「いや、アメリア君に怪我がなくてよかった」
男を見据えてアメリアに紹介を促した。
「彼は、ジャレット・スタンリード。ジャレット、こちらはクラウス・ラグドール=ジル」
男が、ジャレットが、アメリアに視線を向ける。
「えっと、彼は……」
なんで躊躇うんだ。
わたしは夫だろう。
「わたしはアメリアの夫です」
そのアイコンタクトはなんだ。
ふたりの様子が気に入らず間に割って入る。
「妻を助けていただきありがとうございました。あとはわたしがついていますので。どうぞお気遣いなく。では我々は失礼します」
一刻もはやくここから離れたい。
あの男の目に彼女を映していたくない。
「待ってくれ」手をとり踵を返した背中に声がかかる。
「まだなにか?」
「いまのはどういう意味ですか」
「そのままの意味ですが」
「…………アメリア、お前結婚したのか?」
「え、ええ」
「もう構いませんか?」
彼女の話も聞かず腕を引いていく。
なにを話したんだとかなんで笑ったんだとかどうでも良くて、彼女がアメリアとあの男が話していた。
わたしとはちがった砕けた口調だった。
そのことが引っかかった。
「ジャレットごめん、また」
アメリアが名残惜しそうに振り返り声をかけた姿が気に入らず歩く速度を上げた。
馬車の前へと辿り着き息を吐き出す。
少し、いやかなり頭に血が上っていた。
わたしはここまで余裕がない人間だっただろうか。
「アメリア、君は、隙がありすぎます」
振り返って口を開いたら思っていたよりも低い声が出たことに驚く。
「どういう意味ですか」
「先程の彼もそうです」
「ジャレットはべつにそういう人ではありませんから」
ジャレット。ジャレットジャレットジャレット。
身体のどこかでなにかか切れた音がした。
彼女の腕を引いて馬車の座席に放り込みその上に覆いかぶさった。
目は潤んで暗闇の中で光り彼女の体温が感じられる距離に高鳴る体とはちがい頭の中ではうるさいくらいに警鐘を鳴らしている。
「では、こうなったら、説き伏せることはできますか?」
「ジャ、ジャレットは」
「悪いけど、いまは君の口からわたし以外の男の名前は聞きたくない」
こうなっても彼の名前を出すのか。
それほどまでにあの男がいいのか。
「君が悪いんじゃない、これは嫉妬だ。すまない今はわたしの顔を見られたくはない」
顔を覆った手に触れる彼女の手は華奢なのに力強く解いていく。
「私はクラウス様の妻ですよ。それ以外になにがあるというんです」
「君はわかってない。アメリア。君はわたしのものだ。どうか行かないでくれ」
彼女の髪に触れて髪の先に口づけをする。
彼女に触れるのはわたしだけであってほしい。
「大丈夫ですよ」
わたしに向けられた彼女の笑顔は作られたもので、そこで、もうなにを言ってもすでに手遅れなのだと気づいてしまった。