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第26話

「では、あなたには死んでもらいます」

 彼の言葉に反応することができなかった。

「ああ、誤解しないでください。正しく言えば死んだことにしてもらいます」

「……はあ?」と男が訝しげに口を開いた。

「スペンス、あなたなにを言って」

 言葉を言い終わる前に引き金が引かれてカルロスの体に血が染みていく。

「あなたなにをやってるの。死んだらどうするつもりよ」

 非難めいた言葉にきょとんとした顔のスペンスは理解していないようで銃口に掌を当てひとまず静止するとやけに感触が軽いことに気づく。

 男の体から出た血が滴り床に血溜まりができていくが付随した鉄のにおいはしない。

「幸いにも弾は貫通してますので消毒して止血しましょう。アメリア様その瓶をこちらに」

 あなたはこれを。ジャケット胸元から取り出したハンカチを口に噛ませ「染みますよ」と言ったスペンスは瓶のコルクを奥歯で引き抜いて男の出血箇所にかけていく。

「うぅああ、っ、くっ」

 歯を食いしばり痛みに耐える男のそばで男の楽器ケースの側に膝をつき弾を取り出す。

 弾の中身を腹部にかけて、サイドテーブルのマッチを手に取る。

「いいですか」

「さ、酒だ。さっきの酒をくれ」

「駄目です」

 男が反論する前にスペンスはマッチを擦り火薬に近づけると男の腹部から上がった炎が部屋を煌めかせ、じゅうっと傷口を焼き染み込む音と肉片が焼ける独特なにおいが顔を顰めさせた。

「ぐあああっ、うぐ、あぁああ」

 男の口からは堪えきれない声が上がり握り込んだ拳からは血が滲んでいるのが見えた。

「呼吸を止めないでください。息を吸って」

「う、あああ、ふっ、くっ」

 傷口が塞がったのが火薬は燃え尽き上った煙は消え出血も止まっていた。

「成功したようですね」

 気を失ったのか男は浅い呼吸を繰り返しているのが額に溢れた汗を拭ったさいに聞こえて息を吐き出した。

「スペンス、さっきの銃はどういうことなの」

「ああ、これは血糊です」

「血糊?」

「劇場などでよく見られるでしょう、血がどばーっと。あれです」

 あれと言われても観劇経験のないアメリアにはあれがどれをさしているのかわからなかったがそれでもさして重要ではないのだろうと思いスペンスの話を続けて聞くことにした。

「偽物の血液といえば伝わるでしょうか。彼に危害を加えたわけではありませんのでご安心ください」

「そう。それならいい。それで、これからどうするつもりなの」

「彼を病院に運び込もうと思っています」

「待ってくれ。そんなことしたら俺がどうなるかあんたわかって」

 言葉を言い終える前に咳き込んだ男に寄り添ってサイドテーブルに置かれたコップに水を注ぎ口に含ませる。

「だからですよ」

「……それはどういう意味だ」

「一度あなたの死を確認すればもうあなたが狙われることはないでしょう。ああ、ご心配なく。あなたには病院にいる間は仮死状態になってもらいます。そうすれば万が一誰かがあなたの生死を確かめに来たとしてもあちら側にはあなたが死んだと思うでしょう」

「あのよ、ひとつ確認したいんだが」

「なんでしょう」

「それ、そのまま死ぬとかないよな?」

「ええ。実証済みですからご安心ください」

 誰で実証したのか、その人物はその後どうなったのかアメリアは訊かないでおいた。

「それからあなたは病院に運ばれ荼毘に附されます。まあ附される前に私たちが救出いたしますが。その後あなたの葬式が挙げられるはずですのでそこで奥さんと子供には難なく接触できるでしょう」

「そんなにうまくいくものなのか?」

「これが今できる最善の策なのです向こうだって簡単には動けないでしょう。あとはこちらで処理いたします」

 それから男に薬剤を注入し呼吸と脈が完全に止まったところで血糊をかけて頃合いを見計らい指示に従って悲鳴を上げる。

「この後は?」

「アメリア様はお逃げください」

「はあ?」

「旦那様とカルロス様がいらっしゃいます」

 目についた窓から飛び降りて茂みに隠れる。

 息を殺して耳を澄ませると男女の声の後に懐かしい声を耳が捉えた。

「なにがあった」

 もう私には向けられることのない彼の声を耳にするだけで胸がぎゅっと締め付けられる苦しさに襲われる。

 はやくこの場を離れないと。

「……奥様」

 暗闇に浮かぶ双眸には見覚えがあった。

「メアリー。あなたどうしてここに」

 口元に指を当てて声を落とすよう仕草で伝えてきた。

「こっちです」

 どうして彼女がここに?

 スペンスがここにいることは理解できる。

 けれど、メアリーは別だ。

 私はまだしも血生臭い凄惨な場所にいることは彼女にはあまりにも不釣り合いに思えた。

 屋敷の壁に沿って進んだところで腕を引かれて「奥様」ぎゅっときつく抱きしめられる。

「遅くなって申し訳ありません」

「なにを言っているのメアリー。私は奥様ではないしあなたが気にすることではないのよ。それに」

 それに、旦那様はもう私に用がないみたいだから。とは言えなかった。

 彼女の背中を摩り落ち着かせてから体を離して顔を覗き込む。

「私も元気でやってるから心配しないで」

 もうこれ以上踏み込まないでと曖昧に微笑を貼り付けてメアリーの後に続いて人混みに紛れて馬車に入り込んだ。

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