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第32話

「おや。気づく者が出ましたか」

 あらかた爆発し終えたのかはたまた犠牲になる人間がいなくなったのか、続いていた爆発音は次第に萎んでいった。

 紅茶の注がれたカップを机に置くと様子を見ていたスペンスの声に同じように窓から確認するといくつかの部隊が草原を避けて轍を歩きそこから山小屋へと向かって来ていた。

 数で言えば明らかに劣勢だ。

「……スペンス? あなたなにをやっているの」

 暖炉脇の棚から取り出したレコードを蓄音機にはめ込みパドルを回す。

「レコードを聞こうと思いまして」

 状況と噛み合わない彼の行動に不審に思っていると銃弾が打ち込まれ壁にかかっていた絵画が落ちる。

「困りました。山小屋周辺には地雷を取り払ってありますからこれではひとりひとりお相手するしかありませんね」

 蓄音機からは厳かな音楽が流れはじめていた。

 音楽に溶け入る様に目を閉じたスペンスに瞼をはためかせる。

「これ私のお気に入りなんです」

「スペンス」

 そんなことを言っている場合ではないでしょ。と続く言葉は銃弾により声が届いているのかもわからない。

 背にした窓硝子の割れる音とともに床になにか転がってきたのをスペンスが素早く投げ返したところで爆発した。

「こうもうるさくては仕方がありません」

 ため息をこぼしたスペンスの声を喧騒を掻き分けて拾った。

「準備はいいですね?」

 こちらを振り返ることなく銃弾の中へと闊歩し撃ち込むスペンスの後に続き撃ち込まれる銃弾の合間を縫って仕留めていく。

 数は向こうが上回っていたがそれを上回るだけの技量があった。

 軽やかに楽しげに。

 流れるクラシックの打楽器に合わせて撃ち込まれる銃弾。

 まるでそれはダンスを踊っているように滑らかに動いてその優雅な美しさに自然と彼を目で追っていた。

「なにを惚けているんです」

 言い終わるより先に背後の男の額に銃弾を撃ち込んでいく。

 肩越しに振り返ったスペンスは倒れた男の姿に意外そうに眉を上げた。

「希望していた通り腕はいいらしいですね」

「撃ち抜かれたくなかったらその口を閉じて目の前のことに集中してちょうだい」

「失礼」

 私が撃ち逃した男の膝を撃ち抜いていく。

「……これでよろしかったでしょうか?」

 嫌な男。

「あなた、私がいなくてもよかったんじゃない?」

「いえ。アメリア様はいてくれるだけで話が進みますからね」

「あのね、スペンス。あなたがどうしたいのかは訊かないでおくけれど、少なくともあなたは私が清廉潔白な人間で、公爵夫人に収まるに値するに相応しい人間ではないことはわかっているでしょう。私はあなたの望む人とどうこうなるつもりはないの。そもそも私たちの結婚はゲームみたいなもので、私にとってはただの仕事のひとつでしかないわ」

「では、なぜイヤリングをつけてらっしゃるのです?」

 はっとして手を伸ばせばいつの日かクラウス様からスペンスを通して渡されたイヤリングが手の中で揺れた。

 返したはずのそれは鞄の中へと紛れ込まれていた。

「……これは、ただ今回の任務に必要だっただけよ。べつに、べつに私は──」

 顔を上げると詰め寄るはずの人物はいなく、視線を彷徨わせると「さて、ひとり息のある人間を捕まえましょう」スペンスが死体の山から息のあるらしい男を引き摺ってきていた。

「起きなさい」

 死体の山を背もたれに座らせた男の脚は膝から下が消し飛んで傷口は黒く炭がかっていた。

 スペンスが上着の内側から取り出したボトルの中身を男の頭からぶちまける。

「これは誰の指示なのか答えなさい」

「誰が言うかばー」

 膝を撃ち抜く音に男は悲鳴を上げて崩れ落ち暴言を吐いていたがもう一発スペンスが撃ち込むとそれも掻き消えた。

「時間は金なり。ですよ。あなたの場合命となりますが」






「見た目に反して従順な方でしたのでずいぶんと時間を要してしまいましたね」

 スペンスの服には血がぐっしょりと着いていた。

「これでは怖がらせてしまいますか」

 そう漏らしたスペンスとわかれ武器庫に戻って弾丸の補充をしていたはずの私はいつの間にかバスルームへと押し込まれていた。

「ねえちょっと」

 扉に張り付き向こう側のスペンスに問いかける。

「なんでしょう」

「これはいったいどういうことかしら」

「お召し替えでございます」

 ドアノブを捻ってもびくともしない。

 ため息を吐き目に映った鏡に映る自身の髪には少しばかり血がついていた。

 こんな悠長にしている時間はないはずだけれど。

 ため息を吐いて仕方なくシャワーの蛇口を捻って流れ落ちる水の中へ頭を突っ込み血を洗い流していく。

 排水溝に円を描いて吸い込まれる水が透明になったのを確認して蛇口を戻した。

 髪についた水分を振り払い用意されていたタオルに水分を吸わせる。

 鏡に映る自身の顔には見慣れない深い青色のイヤリングが目についた。

 ──ああ、まあ、いてもいなくても変わらない。

 いつの日かこのイヤリングをはじめて身につけた日に聞いたクラウス様の言葉が蘇る。

 髪、短くしておいてよかった。

 彼の触れた髪なんて必要ない。

 この方が楽だもの。

 見計った様に扉を叩く音と声に応えるように手櫛で髪を整え部屋を出た。

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