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 翌日になって、涼佑は目の前の光景に朝から驚くこととなった。一瞬、自分の目がおかしくなったのかと疑ったが、それはすぐに少し違うと分かった。目の前には何体かの半透明なものが見えており、よくよく目を凝らしてみると、それは狸の顔をしていたり、うさぎや狐の顔もあった。その内の一つが耳元を通り過ぎる際、すぅーっという空気が動くような音がする。彼にはすぐにそれらが今まで彼の目には見えていなかった動物霊達なのだと分かった。そのお陰か、それまで覚醒しきっていなかった頭は冷や水を掛けられた時のように一気に目覚め、涼佑は思わず飛び上がった。


「おわぁっ!? な、なんだこれ!?」

「どうした、涼佑。何か変な夢でも見たか?」


 涼佑の声に反応して出てきた巫女さんに、彼は今自分が見えているものの説明をしようとしたが、ふとそこである考えが起こり、閉口してしまう。訊いても黙ってしまった相方に巫女さんは訝しげな顔をしていたが、そのまま涼佑が何か言い出すのを待ってくれているらしく、特に言葉を発することはない。それを知ってか知らずか、涼佑は小声で恐る恐る起こった考えを口にする。


「これって、もしかして、オレも直樹達と同じように『あっち』に片足突っ込んだ……ってこと?」


 涼佑の様子を少し観察していた巫女さんは、やがて納得したように頷き、「まぁ、そういうことだろうな」と返す。それはそうだろうと巫女さんは先日出会った梅の木の怪を思い浮かべる。一度でも肉体から魂が離れた涼佑は所謂、『臨死体験』をしたという訳だから、それだけ『あちら側』に一時でも近づいた。一歩間違えていれば、二度と魂を取り戻せない可能性だってあった状況下で、結果的には霊が見えるようになっただけで済んだのだから幸運な奴めと巫女さんは口に出さずに心中で済ませた。そのまま見慣れない視界に困惑している涼佑に、そろそろ頃合いかと巫女さんはまた声をかける。


「涼佑。驚くのもいいが、そろそろ動かないと遅刻するぞ」

「へっ!? えっ、ああっ!? やべっ! 巫女さん、ありがとっ……!」


 ベッドから跳ね起きた涼佑は慌てて上と下の服を同時に着替えようと横着した結果、綺麗に足を滑らせて転んだのは言うまでもない。


 それから大慌てで登校する支度をし、大慌てで家を出た頃には走らないと遅刻確定という時間だった。口ではしきりに「やばいやばい」と言うが、だからといって行動が早まる訳もなく、涼佑は転げるようにして学校へ向けてひたすら走る。走り始めると、背後から「おーい」と直樹の声が聞こえてきた。その声に上げようとしたスピードを緩め、涼佑は後ろを振り返る。予想通り、直樹がこちらへ向かって走ってくるところで、その姿に涼佑は思わず立ち止まる。

 直樹は家からここまで走りっぱなしだったのか、少し息を切らしつつも合流した。「なんだ、お前も遅刻かよ。んじゃ、一緒に怒られよーぜ」と軽口を叩く彼の肩に涼佑は釘付けになっていた。直樹の肩には小さなミドリガメがちょこんと、さも当然という顔をして乗っていたからだ。自分の肩の辺りを凝視して固まってしまった涼佑の様子に気付いた直樹は、あまりにも彼が動かないので段々と何か不審なものを見るような目つきになり、「なに? 何だよ」と怯え始める。このままではあらぬ誤解を受けてしまうと分かった涼佑は「いや、あのな……」ともごもご口ごもってしまう。言っていいものなのか、いまいち判断がつかないからだ。しかし、それが却って、直樹の恐怖を逆撫でてしまったようで、「いいから言ってくれよっ! なんか怖いから!」と急かされる。急かされたというのもあり、そこで涼佑はもう一度カメの様子を見てから口を開いた。幸い、カメは眠そうに瞼をゆっくり動かしただけで害は無さそうだ。


「あー……お前さ、カメ飼ってた? ちっちゃいミドリガメ」

「んえ? ……あぁ、幼稚園の時飼ってたけど。――え、それが何?」

「いや、今お前の肩に乗ってたから」


 それを聞いた途端、直樹は怖がるのを止めて興味をそそられたようで「へぇ~。どんな?」と訊いてくる。そこで涼佑はあることを思い出し、直樹に確認した。


「ってか、直樹。見えてないのか?」

「ああ、そういや何か最近、見えづらくなってきてんだよね。まぁ、お陰で快適な日常生活に戻れたワケだけど。で? で? どんなんよ、そのカメって」

「ん~と……そうだなぁ。まず、ちっちゃい」

「それはもう聞いたって」

「それと、ほっぺんとこが赤い」

「まぁ? ミドリガメってみんなそうだからなぁ」

「後はそうだな……あ、なんかお前の肩を前足でたしたししてる」

「なんだ、たしたしって」

「こういう感じ」


 そう言って涼佑は両手を招くように軽く叩く真似をする。それを見た瞬間、直樹ははっとしたようで殆ど無意識に呟いていた。


「それ、ぱく助の癖だ……」

「ぱくすけ? 何それ、カメの名前?」

「そう……そうだよ! それ、ぱく助が餌ねだる時にやってたやつだ! えぇ~!? おれ、ちょっと前まで幽霊見えてたのに~! なんでぱく助は見えなかったんだよぉ~!」


 聞くと、ぱく助はとにかく食べるミドリガメだったようだ。専用の餌でも野菜でもとにかく何でもよく食べる。種類だけではなく、食べる量も多いので、直樹の母がぱくぱくとよく食べる子だからという理由で『ぱくちゃん』と呼び始めたのがきっかけで名前は『ぱく助』になったらしい。そんな彼・ぱく助は餌が欲しい時にいつの間にか前足を懸命に動かして、マッサージをするような動きをするようになっていた。それが可愛くて、いつしか直樹達家族はぱく助にその動きを芸として仕込んでいたようだ。


「ぱく助、『ちょーだい』は? って聞くと、やるようになってさ。これは史上初の芸を覚えたミドリガメになったなって、みんな喜んでたんだけど……」


 段々と尻すぼみになっていく言葉に涼佑は先を促すように「だけど?」と返す。それを受けた直樹は、一瞬で絶望したような顔になり、項垂れた。


「日光浴させようと思って水槽ごと縁側に置いてたら、カラスに攫われたんだよ……。なんで……なんでおれはあの時、水槽の蓋を……!!」

「嫌な事件だったんだな」

「んで、その、ぱく助が、いるのかっ!? 今、ここに!?」

「お、おお……。うん」


 興奮して自分の肩を指しながら迫ってくる直樹の勢いに押されつつも、涼佑はしきりに頷きながら答える。それに改めて感動すると共に、直樹は不思議そうに首を傾げた。


「でも、おれ本当なんでぱく助のこと見えなかったんだろうなぁ。ずっと一緒にいてくれてたんかなぁ?」

「ずっとお前の傍にいたからじゃないのか?」

「ん? どゆこと?」


 いまいちぴんと来ていない直樹に涼佑はもう少し詳しく説明しようと少し考え、やがて口を開いた。


「あー……ほら、近すぎるものは見えにくくなる、的な」

「ん? ああ、『大切なものはいつも傍にいたのに……』的な? まぁ、いいや。そろそろ行こうぜー。このままじゃマジで遅刻かくて……い……」


 軽口を叩きながら二人してほぼ同時に見たスマホの画面には、始業のチャイムが鳴るまで後七分というところを示していた。画面を見た瞬間、涼佑の頭の中で普段使わない適当な計算式が動く。今から全力で走れば、もしかしたら、多分、きっと間に合うかもしれない。それは直樹も同じように思ったのか、スマホを大急ぎでポケットにしまうと、落とさないようにしっかり鞄の紐を握り直した。しかし、それより早かったのが涼佑だ。


「ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいっ!! 今回ばかりは笑えないってっ!!」

「あっ、おまっ……ずっるっ!!」


 出し抜けに走り出した涼佑の言葉を直樹が理解した頃には、涼佑は少し先を走っており、慌てて直樹もその後を追いかけていった。

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