放課後まではあっという間で、授業の終わりのチャイムと共にモカは座席を立って大きく身体を伸ばす。
週に三日とない学校は隔日だと疲労もそれ相応に感じられるのが、不思議でならない。課題は多いし、ゲームに没頭する時間が減るのも嫌なのだが、学生の本分が疎かでは本末転倒、卒業も見込めず、人生が詰む。
縛られるのは好まないけれど、それはさすがに困るので、だが好きなことで生きていきたい——などと、人生周回しましたかなんて問われそうな考え事に脳内が渦巻いていると、そこに聞き心地の良い、鈴のような凛と透き通った声がモカを呼ぶ。
「三浦 モカ」
フルネームを呼び捨てとは、とも思ったが、閉じた瞼が開かれると眼前には静流が直立不動でこちらを睨みつけていた。
「はい、なんでしょう?」
「面貸して」
「この後ですか? 時間ありますし、いいですよ」
快諾すると、睨まれていた剣幕が薄っすら解ける。ただ、その尋常じゃない怒りに似たオーラはなぜだか感じ取ることが出来た。
私、何かしたのかな。罪悪感も、心当たりすらないモカは、言われるがままで、その一言だけを放って机に戻ってしまった静流を目で追っていた。
モヤモヤした感触が心に残ったまま、ホームルームが始まる。話の大体は課題や来週の予定で、メモに記帳して時間が経つと終了の音頭が無意識に取られ、教室の生徒達は解散となる。
本を手にして、席から動かずじまいの静流を一瞥し、モカは自ら足を向けて彼女元へと寄った。呼び出しておいて人を待たせるなど、クラスメイトでも非礼だと受け取ってしまい、嫌悪感を僅かに抱く。
「湯河原さん、その、話って何でしょう」
焦れるモカが切り出す。すると無言で眼をやった彼女は、
「ついてきて」
そう口走り、モカを連れて教室を去った。
下校する生徒でごった返している階段を逆流して、昇る。一体どこへ向かおうというのだろう彼女は。
やがてその人波は薄れていき、人気のない屋上の踊り場へ辿り着く。鍵は開いていて、フェンスで囲われたそこは街や遠くの都会を一望することが出来る。生徒の憩いの場にと常時開けられてはいるが、認知度故かそれとも下手な噂が上級生の間に流れているのか、普段は気にすることもなく、近づく用もない。
タイルに足を移すと、静流が啖呵を切る。
「この前、とても大きな戦闘があったわね」
「えっと、関門のことでしょうか」
「えぇ。色んな記事でも出てた。あなたのこと」
「あっありがとうございます」
背中を向けたままだが、その顔はどこか朗らかで嬉しそうに勝手に感じてしまっていた。声音に震えが出始めてのは、そんな褒め言葉を口ずさんでからだった。
「さぞ、嬉しかったでしょう?」
「……それはもう。一度、やられてましたから。屈辱を晴らせて」
なんだか不穏だ。空を仰ぐように見上げて、静流は無理にそんな言葉を捻っているようで。
「大和でも有名だもの」
「堕したエース……私達もギリギリの戦いでしたから……でも、なんで私の事を知ってるんですか?」
二人で交わしたあの小さな宣戦布告。あの時、私達は二人のユーザーネームは最後まで伏せると約束した。
でもそれをなぜ、静流が認知していて、しかも記事になっているとまで断言するのだ。アバターの容姿がほとんど一緒だったからか。自由自在のそれが信用に足るとは思えない。憶測ならば、迂闊に口走ることはないはず。
振り返る静流。その剣幕は険しく、モカを斬るように睨む。
「湯河原……さん?」
「違う!」
「え?」
「私はシュガー。シュガーショコラ。シラヌイ中隊、中隊長。あなたが殺した、戦車乗りよ」
「シュガー、ショコラ」
「あなたは私の敵。絶対に居場所は奪わせない」
「居場所、どういう?!」
「それじゃ、話はそれだけ」
「待って! まだ!」
いなしてモカから遠ざかる静流に手を伸ばし、静止する。
「触らないで! あなた敵。あいつらのように虐げて、愉悦に浸る、クソ野郎よ!」
「く、クソって……私は!」
謂われない罵倒を浴びて、モカの頭にも血が登り始める。なんのつもりなんだ一体。
ぎくしゃくしながら手から力が抜けてくる。手が、彼女の手中が離れていく。咄嗟に口が言葉を発そうと小刻みに動くが、声が出ない。目線は霞んで、遠くなる背中をただただ傍観するしかなかった。
敵、それは二人を決別する言葉。だがモカはすでに、彼女を敵としては見れない。目の前から消えかかる彼女が、黒檀の怪物、死神、けれど彼女は私のクラスメイトだったから。