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第34話

 稲穂の造形もまだ見えない浅緑の田んぼを踏み散らかして、まだ辛うじて構えられるライフルを手にしてとぼとぼと残骸の元へと歩み寄っていく。


 至近距離で勝負を仕掛けたエイブラムス。砲塔と車体に分離したそれは、面影はあっても原型はない。この状態では生存者など……。


 これも誘発したのが自分と思うと総毛立つ。だが、ジャックが送り出した時、去り際に言ったことを思い出し、まだ人の命を燃料に燃ゆる残骸から目を離した。


 薄情だの言わようとも、私は私のやるべきことを遂行する。突っ走って、失敗してもいい。全身全霊でぶつかるまでだと、皆に教わった。


 だから、自分が眼を向けるべきはこの成れの果てではない。すぐ横で砲口をぐったりと俯かせた10式戦車の車体へ近づく。


「動かないで」


 背後の声が滑らかに擦れた金属音を共にしてラヴィーを制止する。死闘を終えた二両の残骸を前に振り返ると、拳銃を握り勇ましく構えるシュガーショコラの姿がそこにはあった。


「似合わない……」

「銃を……捨てて。早く!」


 素直に応じて水面にライフルを投げやる。もう砲弾も銃弾も、あなたには一発たりとも撃たない、と誓うように捨てる。


 泥にまみれていくそれをしばし見つめてから、目線を戻す。なおも揺れ一つない銃口を前にしているが、動揺も恐怖も、彼女には一切抱かなかった。


「敵を前に、どうして撃たないの?」

「何ッ!?」


 ラヴィーは直感的に思った疑問をぶつける。


「後ろを取ったなら、まず真っ先に引き金が動くはず。なのに敵を前に、わざわざ引き留めて、こうやって話している」

「悪いかしら? それとも、撃ってもらうことが本望なの?」

「どうだろうね」


 煽るようにはぐらかしたラヴィー。拳銃を突き出したが答える様子のない、憔悴し切っているような彼女の様子にシュガーショコラはアプローチを変える。


「なら、二つ、聞かせてよ」

「その分、お返しさせてくれるなら、答える」


 若干沈黙し、躊躇うもシュガーは強行する。


「なぜ、私から照準を避けていたの?」

「……気づいてたんだ」


 気づかれていたことに驚く。同士討ちになった最初の一発のコースは、移動する10式の偏差を敢えて外していた。


「二つ目は?」

「一つ目がまだ」

「その答え、全部一緒だと思うよ」

「なら二つ目。なぜここに呼んだの。アレだけ突き放したのに、ストーカーのように追ってきて」

「……放っておけなかったから」


 顔を顰め、激しい剣幕でラヴィーに眼を付けた。さも、まるで自らは慈悲深い女神のように振舞う彼女の言葉が古傷と癪に障った。


「放っておけなかった……そう」


 沸騰していく。感情が沸々と、喉元に昇ってくる怒り、憎しみを呑み込むことが出来ずに吐露する。


「こんな平和なら最初からなければ良かったよ! 命を掛けて得たはずの平和が、誰が勝ち取った平和か、無頓着な奴らはそれすら知ろうとせず、胡坐をかいて私達を痛めつける。あなただってそうでしょう!」

「確かに今まではこれが当たり前で、無意識にあなたを傷つけていたのかも知れない。痛みに触れてから、変わった。無責任にあなた達を責めたり、面白おかしく攻撃したり、そんなのは絶対に許されない」

「お前に何がわかる!?」


 彼女の絶叫は銃声と重なった。突き飛ばされて踊るように倒れるラヴィー。幸い、動揺で震え始めた腕のおかげで弾丸は肩にキレイな風穴を開いた。


「わかるよ。あなたのこと、全部聞いたから」

「え……?」

「あなたのお父さんは立派だよ。自らの意思で兵士になって、数多の戦争を戦って」


 何もかも、わかっているんだ。静流と彼女の父の過去を。


 彼女の父は元軍人で第三次世界大戦の終結直前まで生き残ったベテランだった。だが終戦間際、敵国を追われテロリストに成り下がった敵の指導者を叩くため、膠着していた都市部への総攻撃に加わり、戦死した。


 その戦闘で第三次世界大戦は終結し、世界に永らく訪れていなかった平和と安定が蘇ることになる。しかし遺された者達の戦争はこれで終わりにはならなかった。


 総攻撃の最中、取材に入っていた戦場カメラマンの一人が特番のドキュメンタリーで当時の様子をこう証言したのである。あれは虐殺だった、と。


 人権を蹂躙し、自ら溜め込んだストレスを発散するためだけに罪も敵対心もない市民が犠牲になった。そう世間では話題が持ち上がり、戦闘に参加していた国防軍の兵士、そしてその遺族に怒りと憎しみの矛先が向いてしまう結果となってしまう。人殺しの家族と罵られ蔑まれた彼らは証言したカメラマンとその内容を切り取って放映し、またまるで流行りの音楽や話題のように敵愾心を煽ったメディアに謝罪を求めた。


 しかし誠意ある謝罪も、ましてや回答も一極で責任を逃れ、それが全くの『でっち上げ』だったことも報道しないまま、誤解を抱いた市民が戦死し心を疲弊させた人々を際限なく攻撃する、なんて構図が出来上がってしまった。


 静流も例外ではない。吹き込まれた子供達は取って付けたような悪口と軽蔑で除け者にし、理性なき嗜虐心で永遠と彼女の心を嬲り殺した。壊れていく頃にはすでに彼女の姿はその場に存在せず、拠り所を求め彷徨う亡霊になっていたという。


 難破した亡霊が漂着したのがゲームであった。特に人と撃ち合うFPSにハマり、小中は家で課題をこなしながら部屋に籠りコントローラーを握る日々が続いた。


 そして疑心暗鬼しかプログラムにないサイボーグのような彼女が意図もせず作り上げられてしまう。けれどその瞳に宿している青く揺らめく小さな炎はなんだ。モカは立ち上がり、静流の瞳に焦点を戻し、言葉を紡いだ。


「私に引き寄せられたものは何? 人を疑って止まないあなたが、名前も覚えてなかった私に声を掛けたのは、どういう」


 一歩、また一歩とだんだん白くなっていく目線を前に意識だけはと踏ん張って、歩み寄っていく。


 想像を絶する苦痛に触れたから、敵対心ではなく、分かり合いたいと懇願した。だから私はもう、立ち止まらない!


「来ないで!」

「もしまだ私が敵なら、撃てばいい。心臓でも、頭でも」

「それ以上、こっちに来たら」

「本能的に覚えた寂しいという感情が、同じゲームにいる私を引き寄せた。違う?」

「私は……寂しくなんか」

「弱みを見せないように、近寄りがたいオーラを常に放っていたあなたが、そうしてしまったのは、他に説明が」

「五月蠅い!」


 否定するも引き金を引かない静流。引けるわけがない。そうでしかない、私は寂しかったんだ。けれど今更彼女にそれを打ち明けたって、もうどうにも。


 逡巡する心が物理的な距離を詰めるモカを眼の前から消し去った。ピンと張った腕がいつの間にか項垂れていて、力なく膝から頽れた静流は、この世界で初めて涙を流した。


 最後の力で銃の射線から身体を反らしたモカは、両手を肩の後ろへ回し抱きしめた。


「一歩踏み出す勇気を与えたのはきっとそれでしょう? 人に傷つけられて、沢山痛い思いをして、それでもなお、同じゲームをプレイする人は信じようとした。それが残っていた。蹂躙されたあなたの心というべき見えない存在が、可能性を見出した。痛みを背負いながらも、燃え尽きなかったあなたは」


 優しさに触れようと追い求め、過去のシガラミから抜け出したくて、でもその過去が邪魔をする。こんな私でも認めてくれると片隅では信じ続けていたのかも知れない。


ゲームで敵対して、それが折れかけて。どうしていいかわからずに、貶した。後戻りはできない、追い縋るモカを潰そうとも思った。


「誰よりも強く勇ましい……立派な英雄よ」


 でも人の温もりがこんなに暖かいなんて。啜り泣きながら、青い結晶に変わり始めたラヴィーの身体を必死に静流は抱きしめた。


「傷……もう手遅れかな」

「え?」


 撃たれた銃創と弾薬の誘爆で焼かれた背中は、想像以上にダメージを受けていた。微細な輝きに変貌していくモカに静流は引き留めようとさらに身体へ力を入れる。


「ヤダ! 行かないで!」

「……また、会えるから。泣かないで」

「私、あの時の事」

「いいから。それは」


 まるで死期を悟ったように衰弱しきった声を発するモカ。ゲーム内とはいえ、この雰囲気では虚実の区別も見失ってしまうのも無理はない。


「また……あの場所で待ってる」


 モカは小さな約束を口にして、勝手に去っていく。感触が無くなり、一人きりになった静流は、膝から崩れてそこにいた者へ頷き誓った。


「うん。あの場所で、ね」


 黄金色の太陽が昇り始めた明け方の空。固く、その言葉を噛み締めて、空に還した返事は、誰に届くことがない鐘のようにこだました。


 その鐘と共に優しさを求めていた孤独で永遠に等しかった戦争が、幕を下ろしたのだった。



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