街道はそこからさらに血管のように枝道を伸ばし、主に領内の民や集落の間を往来する商人の生活道路として利用されている。
領主の
桃の教育係でもあるこの老人は
つるりと綺麗に
一見すると
現在は早朝の出発時に
手作りらしく、桃は「帰ったら感想聞かせてね」と期待に満ちた顔で言われてしまっている。
因みに中身は大きめの握り飯4つと干し肉である。
村人たちが是非にと作ってくれた根菜の汁物もある。
最初は大変な状況の中もらえないと桃は
「本当に来てくださってありがとうごぜぇます。なにせあの化け物が出て以来山に入れんもんで……。
しゃがれた声で村長が零した。
この集落の主要な産業は山中という事もあり炭焼きや狩猟、林業だ。
しかしここ数日の化け猪の出現により、とてもじゃないが山中には立ち入れない状況になってしまった。
話によればこの数日で集落にも被害が出始めており、死傷者も出ているそうだ。
件の猪は尋常でなく狂暴で巨大だという。
それだけならば繁殖期に入った大型の個体が狂暴化したともとれるが、奇妙な点もいくつかあった。
化け猪はどうにも、他の動物を襲って喰っているというのだ。
襲われた人々も積極的に縄張りに入っていったわけではなく、街道を通っていた際に突然襲われたとのことだった。
街道も含めて縄張りにしてしまった可能性も考えられるが、人を恐れることもなくむしろ積極的に襲い掛かってくるという。
「襲われた者は?」
「幸い襲われた者は逃げ延びました。しかし話を聴いて討伐の為に狩りへ出た狩人三人は一人を残して戻らず、その一人も酷い怪我で結局……」
爺様の問いかけに沈痛な表情で村長が答える。
息絶える寸前であったというもう一人が話を聴きだした後、どうなったかはその表情から察することができた。
曲がった腰を庇うように上半身を杖で支えながら腰かけている村長の手は、その時のことを思い出してか僅かに震えていた。
「話を聞く限りじゃあ、どうにもただのデカい猪とも思えんな」
「確かに猪がほかの生き物を襲って食べるってあまり聞いたことがないけど……あいつら雑食だからなぁ」
「雑食ってことはよ、なんでも食うんじゃねえの?」
汁物のお代わりをつぎながら
土を掘り起こしてドングリのような木の実や筍、植物の根や山芋等が主で、昆虫やミミズなんかも食べる。
肉食といっても蛙やザリガニが精々で、哺乳類を捕食するために襲う話は耳にしたことがないというのが、桃の認識であった。
「流石にいきなり人を食うようにはならんよ。熊ですら積極的に人を食うわけじゃないからの」
「なっぱそんな話あんまり聞かないよな……。熊といえば爺様、たしか熊の死体もあったんですよね?」
「まじかよ!?冗談だろ!?」
「まじもまじよ」
「まじかー。」
「実際熊の死体には猪の牙でやられたらしい傷跡があったらしいからの。件の猪がやったとみていい」
驚いた様子の
本当だとすればとんだ大物だ。まさに化け猪と呼んで相違ない。
「しかしやはりただ狂暴になったわけではないじゃろう。明朝に出るから気を引き締めてかかれよ」
「「了解」」
脅されているようだが、実際警戒するに越したことはない。
その言葉通り桃と勇魚は鍋に残った汁物をそれぞれの器に入れてかき込むと、明日の出立の準備に取り掛かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
明朝、出立の準備を整えた桃たちは集落の人々に見送られて猪退治に向かった。
村を出るとき、村の者達が沈痛な表情を浮かべて炉に火を入れているのを見かけた。
その中で一際声を上げて泣きじゃくる女の姿に、桃と勇魚はその痛哭を目と耳に痛いほど刻み付ける。
自分たちが失敗すれば、また泣くものが増える。
勇魚は領主の息子としての責任感から、そして桃は自分自身が転生した際目にした両親の顔を思い出して、一際胸の中で気持ちを奮い立たせる。
源泉は違えども、ただ普通に暮らしていた者が泣くような事を減らしたい。
その思いを一層強くした二人をどこか頼もしそうに見つめ、幹久もまた己が手本たらんと気を引き締めた。
そうして侵入した静かな山林の中を、3つの人影が分け入っていく。
周囲は風で木々の葉がざわめく音ばかりで、獣や鳥の声はない。
街道に面した山は、一本獣道に踏み入れば深々と生い茂る木々と
僅かな隙間から
「しかし桃も運がないよなあ。親父……じゃない、
「俺は鹿狩りで一度失敗してるからなあ。正直あんまり自信ないわ」
鹿狩りで失敗した身に化け猪は荷が重い。
その時は追い詰めた鹿を殺す事を
桃にとって愛玩動物のイメージがあった兎を狩るのも躊躇いが強かったが、ある程度の大きさのある鹿もそれはそれで抵抗を感じてしまった。
それが鹿に反撃の隙を与えてしまい、これでは対人の殺し合いなどもっての外と、桃の初陣は遅れることとなったのである。
切羽詰まった状況になれば覚悟も決まるだろうということかもしれないが、野生動物というのは何にせよ危険なものだ。
「なにを言うとるか。ここできっちり一線を越えねばいつ迄たっても一人前にはなれん」
「十六年前の天災以降、規模の大小問わず各地で災害が頻発して治安が悪化しておる。早う自分の身を守れるくらいにはなれ。でなければいつまでたっても領の外での任などできんぞ」
「わかってるよ。」
気が滅入るといった声色をしていたのであろう。
諭すように続けた幹久の言葉に、桃もこくりと頷いて返す。
実際、ここで一線を越えないことにはこの世界で生き抜くのは難しい。
「ならば良い。
「花咲の爺さんの弓の腕は家中一だからな。頼りにしてるよ。」
「勿論お前の事もな」と小さな声で耳打ちしてくる
実際この二人がいるのは桃にとってとても心強かった。
魔法こそまだ使えないが、初陣を務めたばかりにも関わらず並の兵士では相手にならない実力を持っていた。
桃の育ての親兼教育係でもある幹久に至っては、弓を使わせれば家中一だ。
背丈こそ低いが、鍛え抜かれた肉体は老人とは思えないほどに頑強で腕などは子供の頭ほどの太さがあった。
桃も
なにより前世で喧嘩もまともにできなかった桃にとって、荒事自体不慣れなことだった。
それは悔しくもあったが、まだ力の及ばない部分を手助けしてもらうことに対して桃に抵抗はない。
前世からして、心臓の持病で手助けしてもらうことが多かったのだから。
――それでも助けてもらう以上は精一杯自分の力を尽くさなければ。
二人の言葉と存在に勇気を貰いながら、桃は一歩、山林を分け入って踏み入った。