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第五十七話 ホワイトアウト

  戦闘開始の合図は桃が飛び込んだことだった。

 相手が構え終わる前に、素早く懐に潜り込んで斬りつける。

 そのつもりで駆けだして桃が振るった刃はしかし、雪女の手にある武器によって遮られる。


(扇……!)


 予想していなかったわけではない。が、やはり彼女の扇は武器でもあった。

 金属音を立ててぶつかった剣と扇は、少しの膠着こうちゃくの後、幾度かぶつかり合う。


「――ッ!!」


 幾度かの打ち合いを経て、桃が感じたのは足元からの冷気。

 咄嗟に跳びのくと直後、先ほどまで立っていた足元から鋭い氷柱が槍の様に勢いよく突き出す。


「まだまだ……!」


 雪女がそう言って微笑み、扇をひらりと翻す。

 すると氷柱はそのまま飛び退いた桃を追いかけるように、次々と新たな穂先を突き出していく。

 それを躱すために今度は真横に躱すが、それでも氷柱はしつこく桃を追い続けた。


「だったら!」


 ならば、と桃は氷柱を出している雪女自身へ足を向けた。

 回り込む形にはなってしまうが、いずれ追いつかれるならばこちらから出向くまでだ。


「容易に近づかせるとでも!?」

「だろうな!」


 雪女は俺の挙動に一瞬驚いたようだったが、直ぐに照準を近づいて来る桃の足元に定め直す。

 だが桃も、ただで近づけるなんて思ってない。


 足下に冷気を感じたタイミングで、桃は雪女に向かって走った勢いのまま飛び上がる。

 そしてそのまま、空中で身を捻って斬りかかった。


「甘いですよ」

「そうみたいだな」


 振り下ろした剣はしかし、雪女の扇に阻まれた。


(やっぱりあれは鉄扇か……)


 剣を受け止められた時の音で予想はしていたが、どうやらあれは鉄扇のようだ。

 雪女はその細腕にも関わらず、桃の攻撃を難なく受け止めている。

 そして桃の姿勢は空中で不安定。

 このまま氷の技を食らうのはまずいと雪女の身体を足場代わりに蹴って急ぎ距離を取った。


「おまけだ!」


 蹴り際に桃が放ったのは【水刃輪すいじんりん】だ。

 酒呑童子のアドバイスと、梔子くちなしでの幾らかの修行を経て、手掌からでも安定して投げられるようになっていた。

 放たれた【水刃輪すいじんりん】は狂いなく、狙いすました軌道で雪女の首めがけて飛んでいく。


「それも、甘いですね」

「なっ!?」


 しかし狙い通りにはいかなかった。雪女は文字通り涼しい顔で、口元に微笑を浮かべたまま【水刃輪すいじんりん】を素手で掴む。

 ふつうなら掴んだ途端手の平から切断される威力。

 だがしかし、水刃輪すいじんりんが雪女の手を切り裂くことは無かった。

 雪女の手元に完全に到達する前に【水刃輪すいじんりん】は凍結し、あっさりと回転を止めてしまったのだ。


「私の武器は冷気。貴方が水を操ることは存じていますが、私が冷気を操る以上、貴方の魔法は私には届きません。すべて凍らせてしまいますから」

「……成程ね……」


 辛うじて口元に笑みを浮かべて言葉を返せたが、正直な話良くない状況だった。

 雪女の言う通り、桃の魔法は大抵手前で凍り付いて届かないだろう。

 桃の頭が再び回転を増し、様々な攻略法を頭の中で羅列し始める。


(雪女を倒す方法はいくつか浮かぶが、何がどこまで通じるか……)


 一番は近接攻撃での突破だろう。

 あくまで魔法は目くらましとして使い、本命の剣での一撃を浴びせる。


 雪女が桃の魔法を凍らせるにしろ、その対処の為に注意を逸らすこと自体は可能だ。

 しかしそれは恐らく相手も一番警戒しているはず。よほど大きな隙でなければ突くことは出来ないだろう。


 他に浮かぶのは水の魔法でも大規模なものを使い、ごり押しする事。

 すぐに凍結できない圧倒的な水量で押し流すか。

 しかしそれでは下の階の狛達まで流してしまいかねない。

 他に考えられるのは熱湯をぶつける、水分を奪う等々。


(……どの程度の凍結能力があるのか分からない以上、どれも綱渡りか。なら仕方無い)


 桃は開いた雪女との距離を埋めるために再度駆けだす。

 今度は真っ直ぐに、雪女までの最短距離を選んだ。

 当然の如く雪女は桃を串刺しにしようと氷柱を打ち込んできたが、桃はそのまま飛び上がるとその場で足元に魔法で水の足場を生成し、そのままそれをステップ代わりに雪女の頭上へ飛んだ。


「何を!?」

「こうするのさ」


 桃の手元には【水刃輪すいじんりん】。

 そして目の前には天井から無数に伸びる無数の氷柱。

 その氷柱に向かって、【水刃輪すいじんりん】を投げつける。


「氷柱を……!!」


 切断された氷柱は真っ直ぐに雪女に向かって落下していき、その頭上へと降り注ぐ。

 硝子の割れるような硬い音と、鋭い氷の破片が周囲に飛び散った。


 その無数の破片から雪女が顔を庇う様に扇子で覆った隙に、桃は彼女の懐へと潜り込んだ。

 そのまま胴体を一閃する。


「くっ!」


 渾身の一撃、とはいかず。

 その攻撃は鉄扇で雪女に防がれた。

 だが終わりではない。本命はむしろ次の一撃だ。

 抜き放ったのは腰に差した短剣。剣で鉄扇を抑えたまま、桃はそのまま短剣を腕に突き刺す。


「うっ!!」


 雪女が呻いて鉄扇を取り落し、数歩下がった。

 その隙を逃す手は無い。更に桃は彼女を斬ろうと距離を詰めて追撃を浴びせるが、雪女にもう片方の鉄扇で防がれる。


「さすがに防がれるか……だが!!」


 これまでふたつの扇子で桃の攻撃を防いでいた雪女にとって、武器をひとつ取り落すのは致命的だった。

 片方の扇子だけでは桃の攻撃を受けきれずに、雪女は徐々に後退していく。


 そして、後退し続ける雪女が僅かによろめいてとうとう体制が崩れた。

 その瞬間、扇子を持ったそのまま剣を振り上げてもう片方の手の鉄扇も刎ね飛ばす。


「とどめだ!!」


 彼女の手に、武器は既に無い。

 彼女の身を守る物は、何もない。

 桃はそのまま、袈裟懸けさがけに雪女の胴体を斬り付けると、更にその胸を剣で突き刺した。

 それに合わせるように、少し離れた場所に鉄扇が落ちる。


「……っあ……」


 雪女が目を大きく見開き、呻き声を上げて崩れ落ちる。


(――何かおかしい)


 反応は無い。じっと観察しても動かない。なのに、違和感があった。

 服の下に何か着込んでいたのか、刃の通る手ごたえは正直堅かった。

 本来なら、致命傷のはず。

 だが雪女は妖怪。塗壁の件もある。

 死んでいない、という事は十分にあり得る。


(血が流れていない……?確かめるべきか……?)


 雪女という妖怪がそう言う種族なのかは分からない。が、あの攻撃を受けたのであれば血を流してしかるべきだ。

 かといって、気絶している女の服を剥くのはこの状況でも気が引けた。


(首を刎ねるべきか……)


 気は進まなかったが、確実に止めを刺すならそうするべきだろう。

 油断したところで後ろを取られるのが一番まずい。

水刃輪すいじんりん】を手元に作り出して、桃がその首を刎ねようとしたその時だった。


「桃ォ!!」

「カワベエ!?」


 激しい戦闘でいくつかの明かりが消えて、薄暗くなった二階に響いたのはカワベエの声だった。

 その声に慌てて振り向くと、目に入ったのは何かを掴み、必死の形相でこちらへ向かってくる傷だらけのカワベエの姿。

 カワベエの身体と地面の境界は泥濘ぬかるんで、上半身だけをだしたカワベエは床を泳ぐようこちらへ迫っていた。


 桃が振り返ったのを確認したカワベエがさらに叫ぶ。


「こいつを凍らせろ!俺ごとでいい!!」

「――!!わかった!!」


 カワベエの身体と、掴んでいるものを見て桃は状況を察した。

 あれは敵だ。泥で汚れているが、白い布のようにひらひらとした人影。

 そのカワベエの身体は傷だらけで、抵抗を受けながら這う様に沼に変わった床の中を泳いでくる。

 カワベエはこいつを凍らせろと言ったのだ。


「行くぞ!」

「させません!」

「――!!やっぱ生きてたか!!」


 やはり死んでいなかった!そして感じていた違和感の正体に気付き、唇を噛む。

 桃が再び雪女の方に振り返れば、彼女は僅かによろけながらも両の脚で立ち上がり、此方へとにらみをきかせている。


「なぜ、という顔ですね。たしかに貴方がかつてやって見せたようにこの鎧を纏っていなければ危ない所でした。」


 そう言って雪女が、真っ白な振袖の袂を拓いて胸元を広げた。

 陶器のように白い肌が露わになる。

 しかし、本来曝け出されたはずの胸は氷で編み上げられた鎧によって守られていた。


(あれは氷!俺が鎧武者と戦った時に見せた技の応用か……!)


 もっと早くに気が付くべきだった。

 気絶した女の服を剥くのは気が引けるなど、言っていられる相手ではないことは分かっていた筈なのだ。


 どうやら彼女は、事前に服の下に鎖帷子の様に氷の鎧を張り巡らせていたらしい。

 それが攻撃の威力を抑え込んだのだ。加えて抑えきれずについた傷も、凍らせて血を止めている様子だ。


 迂闊だった。

 手ごたえに違和感を感じた時点で、首を落としておくべきだった。


(どうする……!どっちを優先する……!!)


 正面には雪女。背後にはカワベエの掴んだ見ず知らずの敵。

 判断する時間も惜しいと、桃は即座に決断を下す。


「カワベエ!!」

「早くしてくれえ!!もう限界!」

「させないと言っているでしょう!」


 雪女が俺を妨害しようと、転がっていた扇を掴む。

 さらに桃を凍らせて止めようという魂胆なのか、激しい冷気が背後に満ちていく。

 しかし桃はそれを無視して、カワベエに向かって走り出し――跳んだ。

 その瞬間、ほぼ同時に雪女が放ったのは、吹雪だった。


「何っ!?」


 雪女は桃の予想外の挙動に目を見開いた。

 攻撃を止める為、吹雪に向かって魔法を使うはず。そう思っていたのだろう。

 そして身体を捻り、雪女と挟み込むようにカワベエの後ろに着地すると、桃はそのまま雪女の放った吹雪とぶつかる様に水の魔法で熱湯の水流を放つ。


 ――しまった!と思わず雪女が吹雪の向こうで声を上げたのが聞こえた。


 何をするつもりなのか分からないまま妨害の為に技を放ったのが裏目に出たのだろう。


 ふたつの技がぶつかった事で、激しい飛沫と煙が上がる。

 やがてそれは空気中の冷気に冷やされて、キラキラと光って落ちていった。

 その中から、氷の塊となった一反木綿が現れる。


 雪女の吹雪の冷気は、凄まじいものだったようだ。

 カワベエが連れてきた見知らぬ敵の身体が湿っているのは見て分かったが、それにしたってこんなにも綺麗に凍るとは思っていなかった。


「……やってくれましたね」

「お湯花火っていうそうだ。厳しい寒さの冬に熱湯を撒くと氷の湯気ができるんだと。理科は苦手なんで、間違っているかもだけど」

「ですが、これであの裏切り者の河童も凍らせました。先ほどと同じ一対一。先ほどの手は通用しませんよ」

「……そうだな。確かに手間取りそうだ。――本当にそうならな」

「なっ!?」


 直後響いたのは鈍い音。

 その音を立てた者の正体は、他でもないカワベエだった。

 背後に回り込んだカワベエが雪女の後頭部に向かって、甲羅で強烈な一撃を見舞ったのだ。


「馬鹿な……なぜ……カワベエ、貴方その力……まだ半端にしか」

「お前らには言ってなかったから知らなかっただろうがな。俺も兄貴と同じように、ちゃぁんと地面に水脈作って潜って移動できるんだよ」

「あの時俺の技と貴女の技がぶつかる瞬間に、カワベエは咄嗟に地面へ潜った。あとは背後から飛び出てガツン。だ」

「俺を舐めてたろ、お前ら。俺が一反木綿を掴んで泥の中を泳いできた時点で察するべきだったぜ。それか、兄貴を生かしてりゃそこから情報を得られたかもしれないのにな」

「……仰る通りですね。どうやら、私達が甘かったようです……」


 そう言って、雪女は眠る様に目を閉じた。

 どうやら今度こそ本当に意識を失ったらしい。

 念のために手足を凍結させて動けないように捕縛して、先を急ぐことにした。

 雪女だから、氷に触れ続けても凍傷になることは無いだろう。


 そこまで後処理をして、桃は近くでへたれ込んでいたカワベエに声をかけた。


「大丈夫か」

「お前さぁ、やるにしてももうちっと俺の事気遣えよ……」

「あの場で思いついたのがあれだったんだ。勝てたんだからそう言うな」

「うるせぃ!お前!熱湯がかかって結構熱かったんだぞ俺ぁ!!」

「悪かったって。それよりも、お前はここで休んでろ、カワベエ」

「……俺はまだいけるぞ」

「馬鹿。瘦せ我慢なのが丸わかりだ」


 そう言って、俺はカワベエの身体に付いた無数の傷を水魔法で洗ってやった。


 カワベエの背には大きな裂傷。

 腕には貫通創が数か所。

 それをのぞいても無数の切り傷が体中についている。


 妖怪が破傷風なんかになるのかは分からないが、傷口が汚れているのはどちらにしても良くない。

 拗ねたようにそっぽを向きながら其れを受け入れるカワベエも、それを分かっているのだろう。


「これで傷を消毒しておけ。無いよりはマシだ。凰姫こうひめ様のくれた傷薬の軟膏も渡しておく」

「お前はどうする」

「この先に待つ敵将を討つ。お前が倒したのも含めてすでに妖怪が三体。浦島うらしま衆の情報通りなら、もう残っているのは敵将だけだろう」

「一人で大丈夫なのか」

「大丈夫だとは思うが、狛とハヌマンには可能なら上に来てくれるように伝えてくれ」

「わかった。……死ぬなよ」

「分かってる。お前も、生きていてよかった」

「……早くいけよ」


 桃の言葉を聴いて座り込んだまま俯いたカワベエが、ぶっきらぼうに答えた。

 その言葉に背中を蹴り飛ばされるように、桃は奥へ足を向ける。

 木下きしも城を預かる、敵将の元へ。

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