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第五十八話 生殺与奪

(ここが木下きしも城の最上階……、やっぱり日本の城と比べるとなんだかんだ色々と違うな)


 狛とハヌマンに先への道を拓いてもらい、カワベエを後に残してここまで来た。

 階段を上がれば城の最上階。

 廊下も、その先にある扉も、城の主の待つ部屋に繋がるものとしては質素なようにも見えた。


 桃はまだこの世界に来る前、何度か日本の城に観光には行ったことはあった。

 だがやはり、何から何まで同じという訳ではない。

 当然城の規模や場所、用途にもよるのだろうが、異世界というだけあって日本の城には無かったような物だってある。


 たとえばこの灯明。マナを通すことで光る鉱石を使用したものだ。

 採掘量が少ないため、城の中の、それも最上階だったりといったところにしか使われない。


 廊下の突き当りなんかを見てみれば、西洋風の鎧が飾ってあるのが見えた。

 恐らくは大陸西側から入手したものだろう。


 どこまでが本来のこの世界の文化で、どこからが次元穴からやってきた他の世界の文化なのやら。


(――いや、余計な事だな。今は)


 他所の世界からやって来た身としては気になるところだが、今考える事ではないと桃は思考を振り払う。

 一寸にもいつか言われた通り、ちゃんと集中しなければと気を持ち直した。


 そうして、目の前に現れた大きな扉を開く。最上階は板間の外周の中央を大きな畳張りにした一室。

 質素ながらも清潔に保たれたその部屋には中央に一本の大きな柱。

 部屋の隅には火災防止の為か石造りの器の上に燈明がぼんやりと輝き、柱の前に一人の人影を炙り出している。

 柱を背に安座で佇んでいたのは顎髭を生やした一人の老人のようであった。


 顔に刻まれた皺からそれなりの齢に見えるその老人は、背筋をピンと真っすぐに立てて、瞑想するように目を閉じている。


 顎髭は清潔に切り揃えられており、鎧姿だというのにどこか紳士的な雰囲気があった。


「……ついにここ迄、来られたか」


 桃が数歩近づくと、老人はその気配を察した様子で静かに目を開いた。

 そして驚く様子も無く、ただ全てを知っていたような静かな口調で桃に話しかける。


「……よくぞ参られた」

「……貴方が、此処の敵将か」

「その通り。木下きしも城の守りを任されておる、納戸なんど灰簾ばいれんと申す」

「俺は桃。蘇芳の将だ。既に配下の妖怪達は俺の配下たちが倒した。もう貴方に勝ち筋は無い。納戸なんど殿、投降されよ」

「敵である私に投降を促すか。成程、お優しい方だ。しかしそれは出来ませんな」

「……吉祥きっしょう様はあなた方を悪いようにはしないと思うが」

「それは分かっておりますとも。本当に、よくわかっております。ですが、私の処遇は問題ではないのです」


 納戸なんどはそう言って、ゆっくりと立ち上がった。

 腰には太刀が一本。

 柄を撫でるように手にかけると、鞘からその白刃を抜き放つ。


「勝ち筋も、処遇も問題ではない。私は人寿郎じんじゅろう様をお支えすると誓い、吉祥きっしょう様を裏切った身。それをまた翻すなど……戦わずして下るなど、吉祥きっしょう様が許されても私自身が許せぬ」


 そう言って、老人は太刀を構える。

 その切っ先も眼差しにも、一切の濁りは無い。

 ほんの毛先程の迷いも感じられなかった。

 その様子に桃も本気なのだと、理解した。


「詫びましょう。そこまでの覚悟を持った相手には、却って失礼な言葉だった。――俺も一人の将として、貴方と戦いましょう」

「礼を、申します。では、参られよ」


 桃の言葉を聴いて、老人は微かに笑ったようにも見えた。

 しかしそれも一瞬。

 鋭くなった眼光をもって、納戸なんどの視線が桃を貫く。

 それに導かれるように、桃は畳を蹴った。


 納戸なんどの手にある太刀が上段から振り下ろされる。

 それを剣で受け、絡めとる様にして右側に弾いて接近する。

 直後襲って来たのは顔面を狙った掌底。

 両手で持っていた太刀から即座に片手を放して、攻撃してきたのだ。


「ッ……!!」


 放たれた掌底を、桃は左側に体を捻って転がって躱す。

 それぞれの距離が離れて、再度互いに武器を構え直して睨みあった。

 薄明りだけが頼りの室内で、互いの刃の反射する光が鈍く光る。


 一時の静寂は、ほんの短いこの一時を異常なまでに長く感じさせる。


 そのまま互いの距離をじりじりと詰めながら、円を描くような形で二人は互いに歩みあう。

 先ほどの激しさから一転、互いの呼吸が聞こえそうなほどの静寂があって、今度動いたのは納戸なんどだった。


「いやぁあああっっ!!!!」


 気合の篭った声を上げて、納戸なんどが太刀を二度三度振るった。

 それを剣で受け流し、弾き、桃が最終的に追い込まれたのは室内にそびえる太い柱だった。


「貰った!」


 納戸なんどが桃に止めを刺さんと、太刀を顔に向かって突き出してくる。

 その切っ先を、桃は寸前で首をひねって躱す。

 桃の頬が切れて一筋、赤い線が走った。


「ぬっ!?」

「俺もそう簡単にやられるつもりは無い!」


 顔面の横に突き刺さった太刀へ触れ、柱ごと凍結させる。

 納戸なんどは即座に柱ごと桃の手を切り払おうとしたようだが、場所が悪かった。

 柱に深々と刺さった太刀は、即座には抜けない。

 このままでは自分自身も凍結すると判断したのか、納戸なんどが即座に太刀を手放し後ろに下がる。


「今度は此方の番だ!」

「なんのぉ!!」


 それを追いかけ、桃が上段から剣を振り下ろした時、納戸なんどが足元の畳を思い切り叩いた。


(畳返しか!!)


 畳に視界が遮られ、桃の剣筋も同様に遮られた。

 柱で武器を封じたつもりが、此方もしてやられてしまった。


(くそっ!やらかした!)


 桃は納戸なんどの狙いを察して、即座に畳から離れた。

 直後、畳の向こう側から桃のいた位置に向かって、一振りの刃が突き入れられた。

 深々と突き入れられたその刃は、多少身を引いただけでは逃がさないとばかりに深々と畳を破りながら、ついには手首までがこちら側に貫通してくる。

 桃はすぐさまその腕をつかむと、畳ごと凍結させる。


 ――危なかった。


 納戸なんどの手にあったのは、鍔の無い短刀だった。畳の下にでも隠していたのだろうか。

 直感にしたがって回避行動をとっていて幸いだった。


「……さて、納戸なんど殿、これで決着はついた。……!?」


 桃がハッと息を飲む。


 腕ごと畳を凍結させた今、納戸なんどは畳の裏で動けなくなっている。


 そう、思っていた。


 だが納戸なんどの執念を、見誤っていたらしい。


「腕だけ……だと!?」


 畳に残っていたのは、切断された腕のみ。

 血の跡は薄明りの合間、暗闇へと続いている。


(逃げた……?いや、たぶん違う)


 戦う前の納戸なんどの言葉は、きっと本心だった。

 そんな彼がここまでして逃げるとは考えにくい。


 その執念が向けられる先は、逃走ではない。


「桃殿っ覚悟っ!!ぬぅおおおお!!」

「うぉおお!?」


 納戸なんどが現れたのは、桃の背後。

 なんとことだ。

 桃の頭の中が己に対する不甲斐なさと、納戸なんどの身を捨てた先方に対する驚愕に満ちる。

 畳の下に隠していた武器は一本ではない、短刀がもう一本あったのだ。

 薄明りだけを頼りにした視界の悪さと、畳の裏にいるという思い込みに付け込まれた。

 だが桃にはやることがある。


 こんなところで戦線離脱するわけにはいかないと、即座にマナを体中に巡らせる。


 納戸なんどの残った手にある短刀が迫る。

 回避はもはや間に合わない。

 ならばとれる選択肢は、ひとつだった。


 薄明りの中、ふたつの影が重なる。


 みっつ程数えて、畳の上に数滴の血が滴った。


「――見事……」

「いえ、危なかったですよ」


 納戸なんど殿の手の短刀は、桃の腹へ確かに届いていた。

 対して、桃が咄嗟に相手の首に向けた短刀は首筋へ。


 本来であれば、桃の負けだった。


 それでも桃が無事でいるのは、氷で作った鎧のお陰。

 氷の鎧は見事に短刀の刃を防ぎ、桃の内臓を守った。

 お陰で僅かに腹に傷をつける程度で済んだのだ。


 先ほどの雪女との戦いを受けて、いざという時は使おうと思っていたものだ。

 鎧武者や天狗との戦いの折には咄嗟だったために、これまでは自分の技のひとつとして意識してこなかった。

 その使い方を思い出すきっかけを作ってくれた雪女には、感謝しなければならない。


 それ以上深く刺されないよう納戸なんどの腕を掴んで、今度こそ彼の身体を氷で拘束する。


「……私の負けだ。首を刎ねられよ。この老いぼれの首でも、かつては吉祥きっしょう様と人寿郎じんじゅろう様の世話役を務めた身。執事として勤め、ある程度の役職についていた。手柄になろう」


 観念したように、納戸なんどが目を閉じて静かに告げる。

 切り落とした腕の傷を氷で塞ぎ、そこまでやって今度こそ、決着が付いたのだと少しだけ安堵した。

 だが、彼の言うことに従ってこの場で首を刎ねるわけにはいかない。


「すまないが、それは出来ない。ここで拘束させてもらって、貴方の処遇は吉祥様へ委ねることになる。戦いの結果死んだならともかく、観念した貴方の生殺与奪を決める権利は俺には無いよ」

「……そうか、此処を死に場所には、させてくれぬか……」

「……」


 そう言った納戸なんどは、どこか打ちひしがれているようにも見えた。

 その心の内はどんなものなのか、彼の長い人生に、その中で決めた道筋に対する結論に、桃は軽々しく口出しすることが出来ない。


 かけるべき言葉も見つからず、ただ先ほど戦っていた老人とは思えぬほどに小さくなった背中を桃はただ無言で見つめる事しかできなかった。

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