目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第五十九話 木下川の戦い

 瑠璃るり領・木下きしも川 東


 瑠璃るり領を西から東へ流れるこの川で、ふたつの軍勢が対峙していた。


 片や蘇芳すおう瑠璃るり梔子くちなしの三勢力の旗が混じる混成軍。

 彼らは瑠璃るり領主の意思の元、反逆者である人寿郎を打倒するという名分でここに立っていた。


 そしてそれに対峙するのは、瑠璃るり領主葛葉吉祥くずはきっしょうと袂を分けた人寿郎じんじゅろうの旗。

 数は劣るが背後に拠点のひとつである川崎城を背負い、大将の人寿郎じんじゅろうとその側近ともいえる将たちによって士気高く纏まっている。


 双方川を挟んで睨みあったまま、朝から数刻にわたり動かずにいた。

 勇魚いさなは槍を手に、味方の組んだ陣形を崩さぬままそれを見つめる。


「……思ったより、数が多いな」

「それだけ敵さんも本気って事だろうよ。奴さん、自分たちの手勢だけじゃ足りないと判断して他所から兵を募ったらしい」


 呟いた勇魚いさなに声を掛けたのは父であり、蘇芳すおう領主でもある恵比寿えびすだった。

 彼は前回と同じように輿こしに座った状態で、兵達を伴い勇魚いさなの背後でとまる。

 その気配と声に、勇魚いさなもこの地に着陣して以来の疑問をぶつけた。


「父上……。けど、今更人寿郎じんじゅろうの軍に味方する奴なんているのか?」


 勇魚いさなの疑問も、当然ではあった。

 先の矢車城の戦において、人寿郎じんじゅろうの軍が被った被害は戦の敗戦で失った将兵だけに留まらない。


 領主と人寿郎じんじゅろうのどちらに付くべきか日和見状態でいた者達や、元々勝ち馬に乗ろうとしていた者などは、先の敗戦で戦の流れを奪われ た人寿郎じんじゅろうの軍を見限った。

 元々領主を裏切ったという事で、人寿郎じんじゅろう側についていた勢力の中には後ろめたさを感じていたものも多い。


 矢車城の戦の前のように、吉祥きっしょうの安否も定かでないのならばそれもまだ誤魔化せた。

 しかしその健在が明らかになり、しかも人寿郎じんじゅろうの軍の討伐に動いた今、もう誤魔化しようがない。

 領主の敵となれば逆賊となるのは必至であり、まして勝ちの目をひっくり返されかけているとなれば、人寿郎じんじゅろうに味方する理由もない。


 そんな人寿郎じんじゅろうの軍に味方をするとなれば、よほど彼に忠義を持っているか、あるいはなにか他に利益があるかだ。


「考えられる相手は幾らかいるが、一番可能性が高いのはお前たちが遭遇したっていう面頬の武者の勢力か」

「あいつらの……、そういえば、あの時の盗賊連中、望月もちづき衆が身元や装備を検めたけど、瑠璃るり領の人間じゃなかったんだっけか」

「そうだ。奴らの装備はこうを襲撃した河童兄弟が従えていた連中とよく似通っていた。加えて、同じ種類の植物の種が付いていた」

「てことは、あの時の連中と面頬の武者たちは」

「同じ勢力の人間の可能性がある。って事だぁな。なにかしらの利益があって、奴らに力を貸すような連中がいるって事だ」

「もしかして、それって……」


 そこまで聴いて、勇魚いさなの脳裏に浮かんだのは桃の姿だった。

 河童兄弟が妹を襲撃した際も、面頬の武者の襲撃の際も、敵の狙いは桃である可能性が高かったという。


 少し前に聞かされた、桃の出生と力の話。

 それを聴いた時は驚いたが、彼に対する見方が変わるわけではなかった。

 勇魚いさなにとって桃は変わらず血の繋がらない兄弟であり、親友であり、戦友で、愛すべき家族だった。

 むしろ、彼に感じていた底知れなさの正体の一端を知れた気がして、安心したくらいだ。


 しかしそれは身内である勇魚いさなから見た話にすぎない。

 桃自身が言っていた通り、その身分や力を利用しようとする勢力がいる。


 勇魚いさなは最初人寿郎もその一人なのだと考えていたが、父の話を聴くにそうではなさそうだと直感した。


(……もしかして、桃を欲しがってる連中が、蘇芳すおうへ近づくために人寿郎じんじゅろうを焚きつけたのか……?)


 到達したひとつの推論。

 もし彼らの狙いが桃の身柄なのであれば、猶更負けるわけにはいかない。


「考えるのはそこまでだ、勇魚いさな


 黙り込んだ勇魚いさなに、恵比寿えびすが声を掛ける。

 そしてその背を叩くと、黙って正面の川向うに目をやった。


「仕掛けてくるようだ」


 聴こえるのはざぶざぶと水をかき分ける軍靴の音。

 陽の光に反射して煌くその飛沫が、敵勢の多さを物語っている。

 川を挟んでの対峙の場合、先に仕掛けた方が基本的には不利。

 しかし相手は、それすら覚悟した上だろう。


「気を引き締めろよ。骨の折れる戦になるぞ」

「――ああ」


 蘇芳すおうを預かる大将でもある恵比寿えびすが、一旦下がる。

 それを守る様に、勇魚いさなや他の兵が十重二十重とえはたえに壁を作った。


「……負けらんねぇ」


 緊張で乾いた唇を舐め、勇魚いさなは近づいて来る敵兵から目を逸らさずに睨み続けた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 木下きしも川 西


「ぬぅん!!」


 鬨の声を上げながら向かってくる敵兵へ、酒呑童子は馬上から大槍を振り抜いた。

 その一撃の動作で、目の前の敵が纏めて吹き飛んでいく。


 しかし雲霞うんかの如くに渡河してくる敵兵は尽きることなく、酒呑童子にやられる味方を見ても怯む様子を見せなかった。


「……へぇ」


 その様子に、短く感心したように酒呑童子は声を漏らした。

 先の戦ではいいように手玉に取られていた相手の軍勢は、今回は士気高くこちらに立ち向かってくる。


 人寿郎じんじゅろうに近しい、本拠に詰めていた兵ということもあるのだろうが、同じ人寿郎じんじゅろうの軍とは思えない程の違いがあった。

 そしてどうやら彼らを率いる将もまた、一角ひとかどの将のようだ。

 川岸で互いに陣取っているとき、ちらりと顔を確認したが、あれは妖怪だ。

 それも、自分の見知った相手だ。


「やあああああ!!」

「ふん!!」


 騎馬で突進してきた槍兵の槍を掴み上げ、酒呑童子はそのまま相手を持ち上げる。

 そのまま掴み上げた槍ごと相手を振り回して上空に放り捨てると、騎首を向かってくる敵勢の波へと向ける。

 その様子を見て、沙羅さらが何事かを察して叫んだ。


「酒呑!どこへ行く!」


 沙羅さらが慌てて呼び止めたが、酒呑童子は止まらず、振り返ってにやりと笑った。


「敵が勢いづいているからな。俺は敵の中央で暴れて注意を集める。婆さんは女狐殿の御守りを頼む!」

「勝手な事を……」

「なあに、心配すんな。敵さんの将を倒せば勢いも削げるさ。頼んだぜ婆さん!」


 酒呑童子はそのまま騎馬を駆り、敵勢の、川の最中へと飛び込んだ。

 向かってくる、あるいはすれ違う敵兵を木偶の如くなぎ倒しながら酒呑童子は雄たけびを上げた。


「命が惜しくば退けぇい!!天下御免の浮浪雲、酒呑童子様がお通りだぁ!!」

「くっ……!!怯むなかかれ!奴を止めろォ!!」

「はっはっぁ!!いいねぇその意気、骨があるのは好きだぜぇ!!」


 馬に刎ね飛ばされかねないと、敵兵が埃を吹き分けるように散った。

 それでも武器の矛先は此方に向けたまま。酒呑童子はその様子に心底楽しそうに駆け抜けた。

 その疾走を、止めたのはひとつの大きな影だった。


「!!」


 酒呑童子がそれに気づいて、馬上から飛ぶ。

 それと同時に、彼の乗っていた馬は危機を察したように一目散にその場を逃れた。


 酒呑童子はそのままざぶんと音を立てて川の中へと着地すると、上から来るであろう衝撃に備えた。

 上空から武器を叩き下ろしたその影の一撃を大槍で受け止めた酒呑童子の身体が、僅かにその重さで沈む。

 まるで家が倒壊したような轟音が響いて、周囲の川の水が波打つ。

 その重みに耐えきれなくなった川底が沈み、ひび割れて浮き上がるのが分かった。


 周囲の兵がどよめく。

 しかしそのどよめきは、酒呑童子を妨害した影の正体を見て歓声へと変わった。


「っははぁ、危ない危ない。よお。久しぶりじゃあねえか。丑御前うしごぜんよ」

「そうじゃなぁ。伊吹の。いや、酒呑童子と呼んだ方がよかったか」


 現れたのは、牛のような角を生やした大女であった。

 手には金棒。酒呑童子の持つそれよりも細身ながら、長く、棘も多い。さながら茨のようだ。

 胸元を大胆に曝け出した女は着流しに身を包んでいたが、しかしそこから除く手足は無駄のない筋肉によって覆われており、まるで肉食の獣のようでもあった。

 背丈は酒呑童子以上に高く、身の丈2メートルを超える彼の更に頭ひとつ分は大きい。


「いんや。しかし鬼人のお前が人間に付くとはな。人寿郎じんじゅろうの境遇に己を写したかい」

「お主に話すことは無いな。わしからすれば浮世の雲の如く自由を謳歌するお主の方こそ、意外だよ」

「知っての通り、俺は自由な男なんでな。気の向くままに動いたらこうなったってだけさ。で、お前何しに来たんだ?再開を祝して飲み明かそうって訳じゃあないだろ」

「馬鹿を言え。貴様の酒に付き合うては体がもたぬわ。分かっておるだろう。貴様を叩き潰しに来たのよ」

「そいつぁ重畳だ。お前との戦を楽しめるんならこの戦、それだけで釣りがくる」

「抜かせ。楽しむ余裕など与えんよ。その頭蓋、粉々に叩き砕いてこの川へ曝してやろう。お前たち!!この男は私の獲物だ!手を出すなよ!」

「いいね。これを味わえるから、戦は面白い。さあ、楽しい一騎打ちと行こうぜぇ!!」


 戦場で二人の鬼が対峙する。

 その暴威は周囲の兵士を巻き込みながら、両者共に牙を剥き、互いの喉を食い破らんとその眼を爛爛らんらんと輝かせた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?