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第六十一話 共に戦うものとして

 兵達の武器と鎧が鳴らす金属の音と、弓弦ゆづるが鳴らす風を切る音を聴きながら、反逆者側の大将である人寿郎じんじゅろうは戦の行く末を静かに見守っていた。


人寿郎じんじゅろう様。そこは危のうございます。前線は我らにお任せください」

「ああ、そうだな。すまぬ、其方たちにも迷惑をかける」


 どこか虚ろに戦場を眺める人寿郎じんじゅろうを見かねて、流れ矢が飛んできては一大事であると、傍仕えの兵が引くように進言する。

 人寿郎じんじゅろうはその言葉に気を悪くする風でもなく、ただ事実として納得して引き下がった。

 そして用意された床几(しょうぎ)に腰かけると、傍に控えていた白磁の鎧を全身に纏った武者へと声を掛けた。

 数か月前、桃と対峙したあの面頬の鎧武者だった。


「桜花殿、この戦本当に私は勝てるであろうか」

「さあ。戦に絶対はないから、私にもそれは分からない」


 正面の戦場に目を向けたまま問いかけた人寿郎じんじゅろうに、桜花と呼ばれた鎧武者は同じように戦場に目を向けたまま愛想無く答えた。

 一見すれば礼を欠いた行為だが、この場にそれを咎める者はいない。

 主だった将は戦場に立ち、兵達は客将である桜花に対して強く口を挟めない。


「そうか。そうだな」

「しかし、私がいる限り、貴方の身の安全は保障しよう」

「かたじけない」

「仕事だからな」


 鎧武者の言葉は、決して根拠のない自信から来るものではないことを人寿郎じんじゅろうは知っていた。

 この人物が蘇芳すおうの将たちによって瀕死になっていた塗壁を助け出した事を知っている。

 なにより、この人物を寄越してきた送り主が、その実力を保証している。


 それでも、彼女の言う通り戦に絶対は無い。


(……分かっている。私とて今は一介の将だ)


 不安を無理やり押し殺して、己に言い聞かせる。


 長らく幽閉された身であったが、書物は与えられていた。

 戦が厳しいものであることは知っているつもりだ。

 それが単純に数で勝るものが勝つわけでは無い事も。


 現に先の矢車城では、殆ど勝ちを確信していた状況をひっくり返されたという。

 例え今押していたとしても、本当に勝てるのか不安が押し寄せてくるのは無理もないことなのだ。


人寿郎じんじゅろう様」

「どうした、姑獲鳥うぶめ


 そこへやって来たのは、鳥の羽を腕に生やした一人の女であった。

 女は人寿郎じんじゅろうに頭を下げると、淡々と状況の報告を始める。


「川の西側で、丑御前と酒呑童子が交戦をはじめました。その影響で陣形が乱れております」

「分かった。三目八面みつめやづらはどうしている?」

「西側の陣の維持に努めております」

「……前線は引き続き維持するように伝えてくれ。このまま押し切りたい」

「しかし前線の陣形は間延びしております」

「我らは元々数に劣るのだ。その状況で我らに向いた流れを相手に与えたくない」

「畏まりました」


 姑獲鳥うぶめはそれだけ言うと、再び姿を消した。

 横では桜花がため息をついて、人寿郎じんじゅろうを咎めるように口を挟んだ。


「……配下の進言を無碍にしていいのか?」

「そんなつもりはない。むしろありがたいと思う。だが我らは勝たねばならぬ。意思を示すために」

「……そうか」

「なにか、間違っているか。私は」

「いや。それもひとつの戦術だろう。押し切れるのなら押し切ってしまえばいい」

「ならばこのまま行こう。早く決着をつけた方が、犠牲も少なくなるはずだ」


(――それがカムナビの領を纏め上げている三人に通用すると良いが)


 心の内で桜花が呟いた声は、人寿郎じんじゅろうには届かない。

 否、届けるつもりも無かった。

 これ以上余計なものを、背負いたくなかった。


 桜花にとってこの戦いは、主からの命で参加しただけの事。

 その命令を下した主も、桜花にとっては仕方なく従っているだけだ。


 そう言い聞かせて、桜花は目の前の戦場の趨勢すうせいを静かに見届け続けた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 その頃、勇魚いさなは変わらず迫りくる敵兵に向けて槍を振るい続けていた。

 進んでは押し戻され、徐々に後退させられながらも懸命に勇魚いさなは戦場の第一線を守り続ける。


 川の水は血で赤く染まり、なんとも言えない臭気が辺りを包んでいる。

 馬で動き回りながら敵を蹴散らしてはいるが、何処にいても敵兵たちは変わらず此方の命を狙ってくる。

 水で足が取られる故に陣形を素早く変えることもできない。


 或る者は槍を振り下ろして柄で頭を叩き割り、複数の敵兵に対しては薙ぎ払って、背後から迫る兵は顔面に柄尻を突き入れる。

 時に鎧で刃を弾いては矢を躱し、常に馬を動かしながら敵兵を葬り続けた。


(キリがねえっ……)


 兵は確実に倒しているはずなのに、減っている気がしなかった。


 敵兵の勢いに、味方は押されている。

 死人の数で言えばこちらの方が上だろう。


 厄介なのは異様なほどの敵兵の士気の高さ。

 勇魚いさながいくら兵を倒しても、まるで菓子に集る蟻のように次々と敵兵はやってくる。


 ただでさえ緊張状態が続く戦場で、ほんの一瞬息つく間すら与えられない。

 周囲の味方も減ってきている。

 いつまで耐えればいいのか、それが分からない状況ではいずれ皆が力尽きるのは時間の問題だった。


 それでも勇魚いさなは、少し離れた山間から煙が伸びるのをひたすらに待った。


 親友が臨んだ城の攻略が完了し、こちらへ向かう合図をかけるのを。

 味方がそれを見て、合流の合図を行う事を。


 攻略の完了の合図は、既に確認した。

 父がそれを見逃すことは無い。望月衆もちづきしゅうもいるから、伝令という形で報告も言っているだろう。


 待つべきは、合流の狼煙。

 それさえ上がれば反撃できる。


 あと少しだ。桃や望月衆もちづきしゅうが、しくじる事など、勇魚いさなの頭には浮かばない。


 そして信じた光明は、陽の光の中一筋の棚引きと成って現れる。


「来た!!」


 勇魚いさなが目を向けたのは東側、攻め寄せる敵兵たちの背後。

 その背後に伸びる煙だった。


「皆!もう少し踏ん張れ!蘇芳すおうの白鯨の兵達の力を見せるぞ!」

「「うおおおおぉぉぉぉ!!」」


 勇魚いさなの叫びに、周囲の味方が呼応して咆哮をあげる。

 それは波のように少し離れた味方にも伝染し、押されていた兵を奮い立たせた。

 奮起した兵達に押され、敵兵の侵攻が止まる。


勇魚いさな様はまだ一番前を維持して戦っておられるんだァ!俺も行って戦わねば!」


 どこかで、誰かが叫ぶ。

 前線で戦う勇魚いさなの姿に勇気づけられ、川岸で膠着したまま徐々に下がっていた戦線が息を吹き返していく。


蘇芳すおうの兵として勇魚いさな様を一人で戦わせるな!死なせるな!!皆、踏ん張れ!!」


 川岸で敵兵と組合いった末に小刀で首を捕った兵が、己に振り下ろされた刃を防ぎながら声を上げた。

 掠れた声が戦場に響き、蘇芳すおうの兵達の両手足に力が籠る。


「者共!!勇魚いさな様の隊に遅れるな!!我らも押し返すぞぉ!!」

「我らも前線を押し上げるぞ!!弓兵構えぃ!」

「槍で叩き伏せろ!押し戻せぇ!!」


 兵達の奮起に合わせるように、前線の維持に努めていた将たちにも力が入る。


「おお~!!勇魚いさな様もやりますなぁ!!」


 弓を射かけながら、まるで面白いものでも見たというような表情で幹久は恵比寿えびすに語り掛けた。

 恵比寿えびすもそれを受けて、口角を僅かに上げてにやりと笑う。


「ちょいと不格好だがな。まああんだけ味方を鼓舞出来りゃ上出来だ」

「いやいや、戦って味方を奮い立たせるなど、若いころの恵比寿えびす様にそっくりで」

「ちげえねえ」


 いつの間にか、勇魚いさなは戦の士気の中心となっている。

 領主の息子を死なせまいとする皆の心持もあるのだろうが、それ以上に皆が奮起するのは別の理由だろう。


 勇魚いさなの立場であれば、この陣に籠って戦の趨勢すうせいを見守っていても文句は言われない。

 実際、跡取りである勇魚いさなが前線に出ることを将の半数が反対した。


 それでも勇魚いさなが前線にいるのは、本人の意思に他ならない。

 頑なに前線に出ることを希望するので、将たちが見守る中で恵比寿えびすは前線に拘る理由を勇魚いさなに尋ねたことがあった。



 ――俺自身がちゃんと戦の怖さだとか痛みだとか、重みを知らないままで指揮をするわけにはいかねえよ。そんな奴について行きたいなんて思わねえだろ。



 教えるまでも無く、本人の口からその言葉を聴いた時、恵比寿えびすは内心驚いた。

 いつの間にここ迄考えるようになったのか。と。


 本人が自覚している通り、勇魚いさなは考えるのがあまり得意ではない。

 それでも、そんな言葉を口にするほどに自分の頭で考えて行動するようになっていた。

 そうして自分自身でどうしたいか、その答えを導き出し、言葉に出して実行しようとしている。


 図らずもそれは、恵比寿が若いころにたどり着いた考えと同じであった。

 粗削りでも、勇魚いさなは確実に成長している。


 皆と共に痛みや恐怖を背負い、大黒柱として支え引っ張っていく。

 その道筋を見つけ始めている。


 本人はただ無我夢中で戦っているだけのつもりかも知れない。

 あるいは、桃も戦っているのだから、という気持ちもあるのかもしれない。

 それでもあの時の言葉に嘘は無い。


 将兵もそれをあの背中に感じ取っているからこそ、奮起するのだ。


「……成長が、楽しみですなあ」

「そうだな。あいつも、いつの間にか一端いっぱしの将になったって事か。親父だってのに今気付くなんざ情けねえな俺も」


 戦の最中だというのに、好々爺のように目を細めて和やかに言った幹久に、恵比寿えびすは同意しつつも己を情けないとなじって見せる。

 それに対して幹久は責めるでも、同意するでもなく、ただそういうものなのだと笑って見せた。


「ほほほ。子供とは、そういうものですよ。転がるばかりだった赤子が、あっという間に這い、歩き、喋るように。ワシらが気付かぬうちに、気付かぬ速さで学んでいるものです」

「この歳になっても、まだまだ思い知らされる事があるなんてな」

「人生、常に勉強ですなあ」


 兵達の鬨の声の中で、相応しくないと思いつつも恵比寿えびすは珍しく微笑む。

 そうして少しだけ笑った後で、ふっと何かを察して表情を切り替えた。


「……来たな」


 方角は東。旗印を掲げて、ひとつの集団が勢いよく戦場に迫り、その場を掻き乱さんと突進するのが見えた。

 敵陣に回り込むように反対側の川岸に現れたその一団は挟撃の形をとりながら、川の中でもつれ合う敵兵を蹴散らしていく。


「桃!!来たか!!」

勇魚いさな!待たせた!」


 颯爽と着陣した軍を率いる将の姿を見るなり、勇魚いさなは声を弾ませ、活き活きとした様子で叫んだ。


「さぁて、反撃と行こうじゃねえの」


 奮起する若き将とそれに奮い立つ兵達を見て、恵比寿も若かりし頃のように意気が上がるのを感じていた。

 その目には、獅子が獲物を見つけた時のような光が、ぎらりと浮かんでいた。


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