――ああ、私はまた子を失うのか。
手を伸ばしたとしても間に合わない。
まるで土塊を撒くように、ぼろぼろと幼い我が子は崩れて落ちていく。
急ぎ地上に降り立って無惨に割れた我が子の頭蓋を抱えても、我が子は応えない。
既に、我が子は居ない。
もう既に、我が子の身体は骨となり、血も肉も魂もそこには無い。
抱きかかえていたその骸を地に晒して、嫌というほど突きつけられてしまう。
認めたくなかった事実を。
嗚咽が叫びとなり、喉を割くように湧き続ける。
肌身離さず抱え守ってきた亡骸が砕けた。
これではあの方に蘇らせてもらうことが出来なくなる。
私とこの子を繋ぐ物が砕けた。
私は二度も子を殺してしまった。
憎悪と悲哀、絶望と失意。
あるのはあらゆる負の感情のみ。
血を吐くような痛みと苦しみがあって、目の前が真っ暗になった。
もう何も考えられない。
もう何も。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
(……そうか。あの妖怪、子供を亡くしたのか)
様変わりした己の姿に目もくれずに、相も変わらず泣き叫び続ける
あれは二年ほど前だったか。
父に連れられて、領内で土砂崩れの起きた地域へ救援に行った時だ。
まだ当時は、早く戦に出られるようにと訓練場で槍を振るっているような時期で、
領内の兵達とも渡り合えるようになり、それなりに槍を振るう姿が様になって来た辺りで、
いよいよ初陣に出られるのかと鼻息荒く父の元に参じた
大切な仕事だと理解しつつも父の口から告げられた言葉は期待とは違ったもので、内心がっかりしたものだ。
領内で土砂崩れが起きていたことは聞いていたし今にして思えば想像できそうなものだが、当時の自分は今以上に考えの至らない奴だった。
なにより領民の命と生活よりも己の功名心に目が行っていたのだから、救いようがない。
ともかく、そんなわけで
そこで
見た事も無いような大量の土砂と、木と石くれが沢山の家を押し潰していた。
村は
それがあっさりと壊滅状態になっていた。
人の生活とはかくも脆く崩れ去る物なのかと絶句した。
昔から父や幹久の話で、そういったこともあるのだと理解しているつもりだったが、実際に壊滅状態の村を見て言葉が出なかった。
自分と同じように言葉を失くして唖然としていた桃も同じだったと思う。
多くの人手と時間をかけながら土砂を掘り起こして、土砂に飲み込まれた村人達を引っ張り出したが、ほとんどが手遅れだった。
そんな中、どうにか見つけることが出来た骸を無事だった場所に並べていた折、
声をかけてみれば、女はこの子供の母親だという。
人目も
母親の前に横たわる泥に塗れた活発そうな顔立ちの幼い少年の亡骸は、泥に塗れてボロボロだった。
子供特有の柔らかそうな細い腕はあらぬ方向に痛々しく曲がり、生き埋めになった後も暫くもがいていたのか爪は所々割れている。
この土砂崩れが起きる前まで、彼は遊び、両親に甘えて、笑顔を浮かべていたのだろう。
それを突然あっさりと奪われた喪失感は如何程のものか。
まだ親になったことのない
声をかけたくても、自分にあの母親の悲しみの何が理解できるのか。
それを考える事すら
「
「父上」
「俺達上に立つ人間が間違えれば、ああやって泣く奴らを増やすことになる。戦や災害、病を完全に無くすことはできんが、俺達は治める立場の人間として、奴らを守らなきゃならねえ」
「治める立場の人間として……」
「そうだ。今後お前たちが兵を率いるようになれば、声ひとつで連中は命を賭けるだろう。戦でなくとも判断ひとつで多くの命の行方を左右することもある。だからあの母親の姿を絶対に忘れるな」
その時の父の言葉とあの母親の姿は、今でも一言一句違わずに心の中に焼き付いている。
なによりあの時、空から零れ落ち、転がって砕けた
「ハヌマン、後は俺に任せてくれ」
「……はい、分かりました」
前に立ち振り返らず告げた
有無を言わせないだけの力強さが、そこにはあった。
(
五感に魔力を通す。
視覚と聴覚に直感的に感じるのは音の波だ。
今の
震えは壁となって、
「
声をかけても、此方に対して反応しないのは変わらない。
子を失った母親の嘆きとは斯くも大きなものなのかと、改めて突きつけられる。
それでも、今は情をかけていられる時ではない。
差し伸べたい手をぐっと堪えて、
(感覚で分かる。この力の源を俺は知ってる。俺の血に眠っていた魔物の力は……)
父から聞いた、自分の名の元にもなった鯨のような魔物の一体。
海の恵みを連れてくるこの魔物は、豊漁や漂着の恵みの象徴として、同時に海の脅威として古くから
そして漁師たちによれば、彼らのような鯨の姿をした魔物は、音を使うという。
話を聴いた時はピンとこなかったが、自分の血に流れ込んできた力で漸く理解できた。
今の自分は空気の振動を使い、音を使うことが出来る。
音でなにが出来るのか、全て理解することはまだできないが、漁師たちの話から、ひとつだけ出来ることを知っていた。
――曰く。鯨も鯨の魔物も、音で獲物を探し、音で獲物を気絶させることがある。と。
鯨の魔物は空気や水へ振動を自在に与えることで、攻撃や防御に使う。
それこそが、
息を吸い込み、
その空気に、魔力が込められていく。
空気。即ち属するのは、風の属性だ。
そして鼻歌でも歌うような感覚で、己の魔力を込めた空気を吐き出すと、その響きは音波となった。
音の響きは槍と共振し、さらに鼓膜を通じて
「――!!」
突然の衝撃に、
赤く腫らした目元に涙を浮かべながら、うわ言のように繰り返される謝罪は我が子に向けた者だろうか。
その姿をどこか痛ましい気持ちで見下ろしながら、
同時に
いつの間にか、あれだけ強く感じていた桃の魔力も小さくなっていた。
弱まっているというよりは物理的な規模が小さくなった感じだから、あちらも戦闘が終わったのだろう。
それと同時に、ぽつぽつと顔を小さな水の粒が叩き始める。
「
「いいさ。今回は俺の力の方が相性良かったってだけだよ。ハヌマン、まだ戦えそうか?」
「……正直、すこし支障がありそうですね」
「そうか。なら無理は出来ないな。俺も正直初めて魔法なんて使ったから、正直疲れちまった」
「桃様を追いかけたいですが……」
「やめておいた方がいいだろうな。この感じだとあっちも終わったようだし、
「やりたいこと、ですか?」
「ああ。正直今やるような事じゃないかもしれないが……」
「もう敵兵もほとんど引いたみたいだし、桃達の方も終わったみたいだからさ、悪いが俺の自己満足に手伝ってくれないか。時間が経ったら見つけるのに苦労しそうだ」
掌に乗せたその欠片を見て、ハヌマンも
ハヌマンはそんな
「では、私は先に
「悪いな。ほんとにただの自己満足なのに」
「今回の戦は皆
「ああ。ありがとうな」
幸いというか、
ある程度形が残っている骨の欠片を拾い集めていると雲間から日差しが再び射してくる。
水面が反射するその眩しさに、思わず