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Ep.269 死なせないために

 真っ暗な世界に包まれていた。僕の五感のあらゆる情報を遮断していて、何も分からないでいた。

 何も聞こえず、何も見えず、僕は今立っているのか、座っているのか……。


 ただこれだけは分かる。ここは現実ではないと。それだけは。



 僕は自らを閉じ込めたんだ。

 時の祖精霊の試練に挑んで、これ以上ない地獄の連続を見せられた。

 あれがこれから起こる未来だと言うならば、僕は何も出来なかったということになる。


 ……僕には、何かを成し遂げる力なんかないんだ。

 大切な人達すら守れない――。


 綺麗でふわふわな白い髪や猫耳が、血に塗れて赤く染まるのを見た。


 いつも笑っていたその顔が歪み、悔みながら地に倒れ伏したのを見た。


 最後まで信念を貫いて守ろうとし、その砕けた盾と共に果てたのを見た。


 ……己が壊れても尚、約束を守り、その命を散らしたの見た。



 立て続けに訪れた悪夢は僕の心を粉々にするには充分だった。

 そしてこの真っ暗な空間の中で、僕はただ漂っていたのだ。


 これ以上何も見たくない。何も聞きたくない……。

 目を開けば、またあの恐ろしい光景を見せられるのではと、恐ろしくて堪らなかった。

 もう仲間が、愛する人が殺されるのを見るのは嫌だ。



 ――だから僕はこうして消えていくのを待っている。

 こうしていれば、辛くないから。

 僕は闇の中の安らぎに身を任せていたいんだ……。



 ……でも。さっきから何か変な感じがするんだ。

 頭の奥に微かな違和感。誰かにノックでもされてるような、何かが僕にちょっかいを掛けてきてる感じだ……。


 ――この感覚はなんだ?

 …………まあ、いっか。僕はこのままここでじっとしていたいんだ……。






 わたしは自分のお部屋のベッドに身を投げ出して、昨日のことを思い返していた。


 精霊具の『言霊返し』で師匠にくさびんのことをおしえた。

 師匠も先生たちも、びっくりして言葉を忘れたみたいに黙ってしまってた。


 何か、くさびんを助ける方法、師匠たちなら知ってると思ったんだけど、師匠たちでも分からないことはあったみたい……。


 ただ、アスカ先生からは『絶えず話しかけ続けなさい。思いはきっと伝わりますわ!』と言われた。


 くさびんには、さぁやがついてる。でも、さぁやも顔色が良くなくて、このままじゃ倒れてしまいそうで心配。

 まるんは船酔いで大変そう。こんな時に役に立てない自分が嫌になるって言ってたけど、わたしはそんなやさしいまるんがすき。

 ラシードはラシードなりにいい方法がないか考えてるみたい。


 あの白髪のおじさんは、聖都の病院に行けばなんとかなるかもしれないって言ってた。


 ……でも、ごはんも食べてくれないくさびんが、聖都まで辿り着けるとは、わたしには思えなかった。

 聖都までは急いでも一週間は掛かる距離。何かたべないと生きていけないから……。

 このままではくさびんが死んでしまう。それは嫌だ。



 わたしはくさびんの船室にやってきた。

 入ると、さぁやがくさびんの手をぎゅっと握ったまま項垂れるように眠っていた。近くの棚には、空になった器があった。


 ごはんをたべて、少しでも眠ってくれたことにわたしは安堵を覚える。


 わたしはさぁやを起こさないように、くさびんの様子を見る。

 昨日と変わらずぼーっと一点をみている。顔色も良くない。


 昨日はぜんぜんごはん、食べてないはず。きっとくさびんは、ほんとははらぺこに違いない。


 わたしはポケットに忍ばせてあった干し肉を取り出す。

 あとで潮風を浴びながらたべようと取っておいた、わたしのおやつ。

 これをくさびんにあげよう。


 わたしはベッドに乗り上げてくさびんを見下ろして、干し肉をくさびんの口に突っ込んだ。

 味わっている様子はない。……むぅ。


 あ。そうか。これはよく噛まないとだめだから食べてくれないんだ。


 わたしは干し肉を食べさせるのを断念する。

 ……これは返してもらおう。



「――うぅん……。……ぁ。ウィニ、何してるの……?」

「あ。さぁや起きた。おはよ」


 さぁやを起こしてしまったみたい。ベッドの上にいるわたしを訝し気に見ていた。


「くさびんにごはんあげてた。けど失敗」

 わたしは干し肉の切れ端をさぁやに見せる。


「やっぱり、食べてくれなかったみたいね」

「……ん」


 さぁやの声に元気がない。わたしも悲しい気持ちになってしまう。


「昨日ししょおたちに連絡した。アスカせんせーは、くさびんに絶えず話しかけなさいって、言ってた」


 ベッドを降りながらそう伝えると、さぁやは伏し目がちにくさびんを見ながら『そうね』とだけ呟いた。


 重い空気が流れる部屋で、わたしはくさびんの為になにかできないか考えていた。


 試練に行った後からくさびんは笑わなくなった。

 心が壊れたんだと、みんなは言う。


 最初はどういうことかわからなかったけど、くさびんの変わり果てた姿を見て、その意味がわかった。

 くさびんは目の前にいるのに、何故か居なくなってしまったような気持ちになって、すごく悲しい。


 息はしているけど話もせず、笑ってもくれず、食べることもしない。

 目は虚ろで、くさびんの中から大事な何かがなくなってしまった。


 みんなは、その大事な何かを取り戻すために色々考えているんだ。


 ……正直わたしにはその方法は思いつかない。

 それならわたしは別の事を考えて、くさびんを助けよう。

 そう切り替えることにした。


 そして一番大事なのは、くさびんが死なないことだ。

 今一番心配なのは、やっぱり、何も食べてくれないこと。


 とにかく水でもなんでもいい。何か口にしないと。



「さぁや。くさびんに何かたべさせよう。わたし、厨房のおじさんにスープ的なの貰って来るから!」


 わたしはさぁやに宣言する。わたしに思いつくのはこれくらいしかないけど、くさびんの為に頑張るんだ。


「……ありがとう、ウィニ。お願いね」

「ん! まかせろ」


 さぁやは弱々しく笑う。


 そしてわたしは船室を出て、厨房へと走った。

 厨房のおじさんとはもう仲良しだ。きっと相談にのってくれるはず!

 自分にできる事をするために、わたしは厨房のドアを叩くのだった。

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