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Ep.270 Side.S これはノーカン

「……クサビ」


 私はクサビに声を掛け続ける。反応がなくても、その声が届いていることを願って。


「ウィニもラシードもマルシェも、皆心配しているわよ……。いくらぐうたらだからって、寝すぎよ……」


 私は努めて穏やかに声を掛ける。クサビは天井を見つめたまま動かない。


 時折、ちゃんと呼吸しているのか心配になって確かめてみるけど……大丈夫。ちゃんと呼吸はしているみたい。


 クサビは生きることを諦めていない。ならば私も諦めることなんてできない。


 思えばここまで、長閑な生活から一変して、不条理ともいえるほどに激動だったわね。それをクサビは乗り越えてきた。


 今のこの状況は、私達への時の祖精霊の試練なのかもしれない。

 ならば、私達が折れるわけにはいかない。

 ――私は諦めない。



 その時、ドアをノックする音がして開かれた。

 そこから白い猫耳がぴょこんと顔を出す。


「さぁやとくさびんにスープもらってきた」

「私の分も?」

「ん! さぁやも元気付けないと、くさびんが心配する」


 そう言ってウィニは私に器を渡してきた。……温かい……。


「……そうねっ。ウィニの言う通りだわ。……ありがとう」


 そうだ。私が元気でいなければ誰がクサビを支えるというのか。

 活力が少し湧いてきたのか、思い出したように空腹が押し寄せてきた。スープのいい香りがさらに食欲を掻き立てた。


「……じゃあ、頂くわね。厨房のおじさんにもお礼を伝えてね」

「ん! じゃ、わたしもごはんたべてくる」


 ウィニは微笑気味に頷いて去っていった。



「……クサビ、一緒に食べよう? ……ほら、美味しいよ……」

「…………」


 やっぱり反応はなかった……。


 私はクサビの体を起こし、口元にスプーンを運んで囁くが、やはり何の反応もない。

 少しでも食べて欲しいと願いながら、クサビの唇を割ってスプーンを押し込み、少しずつ流し込む……。


 …………でも、途中でクサビの喉が拒絶反応を示す。

 そしてすぐに吐き出してしまった……。


 私は泣きそうになるのを我慢して、クサビの口元を拭いた。


「……っ。ほ、ほら駄目よクサビ……! ちゃんと……食べなきゃ」


 声を震わせながら無理矢理に笑みを作り、またスープをクサビの口に運んで行く。


 ――お願い! 一口でもいい……。一滴でもいいから――――!



 …………しかし無情にもスープはクサビの喉を通らない。

 私は愕然と項垂れてしまう。


 諦めないと心に決めたばかりだというのに、この現実があまりにも辛すぎて……。


 私は負けるものかと、ぎゅっと自分の手に力を込める。

 そして睨みつけるように強い意思を宿しながらクサビを見た。


 虚ろに俯くクサビを、このままにはしてあげないんだから……!



 ――そして私はクサビのスープが入った器を掴み、口をつけ、自らの口内に流し込んだ!


 そして、それを口に含んだまま、クサビの両頬に手を添える!


 ――私は絶対にアンタを元に戻す――

 その強い意思を込めて、私はクサビの唇に自分の唇を押し当て、口の中を流し込む……!


「――――…………ふぐっっ……っ……」


 クサビの体が驚いたようにビクンと跳ねるが、私は決して唇を離しはしなかった。


 ――飲みなさいっ! 生きる為に! ――


 クサビの体がスープを飲む事を拒絶し、私はそれを拒否する。

 私は少しの隙間の許さずに口移しし続けた。



 ――ごくん。



「――っ!」


 確かに聞こえた。

 クサビの喉を通る音が……! 良かった……っ!


 私はクサビから唇を離す。

 クサビは相変わらず光のない目をしていたが、吐き出すことなくスープの飲んでくれたようだった。


 そこで私は、再びスプーンに掬ってクサビの口に運ぶ。


 ――ごくん。


「クサビ……! 食べてくれた……!」


 食事を摂ることを思い出したように、今度は抵抗もなく自然に喉を通った。

 私は一つの心配事が消えて、つい嬉し涙を流してしまった。


 ちゃんと栄養さえ摂れれば、きっとクサビは持ち直してくれるわ!

 それまでは私がしっかり支えていくからね。


 私は自分のスープの器を手に取る。先ほど燻りまた静まりかけていた食欲が、安堵によって蘇ってきたのだ。

 そして今度はきちんと言える。


「クサビ。一緒に食べようね」


 そうして私は、私とクサビへと、交互にスプーンを動かすのだった。



 ――と、そこで思い出した。


 クサビを死なせない為とはいえ、私はとんでもないことをしたのでは。と。

 今になってクサビの唇の初めての感触が鮮明に蘇り、私の顔が熱くなる……!



「…………っ」


 ……私はその感触に浸るようにうっとりと、自分の唇をそっと指でなぞった…………。


 ――――はっ!?

 ち、違うわ! これは非常時だったから……!

 そう、これはノーカン! 数のうちに入らないわっ!


 ……こんなの、ちゃんとしたうちに入らないんだから……っ。


 私はクサビをちらと見て一人、また顔を赤くしていた。




 ――その夜。

 皆がクサビの様子を見に来ていて、食事を摂れるようになったことを凄く喜んでくれた。

 ラシードなんて感極まって泣いていたわ。その横のマルシェはそんな姿にもらい泣き。ウィニは『わたしのスープのおかげ』とドヤ顔だ。


 私含めて皆張り詰めた様子だったから、久しぶりに喜びを分かち合う。


 クサビ? 貴方の為にこんなにも喜んでくれる仲間がいるのよ。早く戻ってきなさいね。

 と、心の中で祈りを送った。



「それにしても、よくクサビが食えるようになったな! 一体どうやったんだ?」


 ラシードの何気ない言葉で、私は再びさっきのことを思い出す。

 急激に顔は熱くなって、しまいには汗まで……!


「……い、いや? ふつうに……よ?」

「……? なんで顔真っ赤なんだよ」


 私は挙動不審になりながらラシードから目を逸らして誤魔化した。

 真顔で首を傾げるラシードだったが、隣のマルシェとウィニは、何か感付いたような表情で私を見ていた。


「ま、いいか! クサビの顔色もだいぶマシになってきたしな!」


 特に引きずることなく、ラシードは笑い飛ばす。……ふう。


「そうですね、これならサヤが付きっ切りじゃなくても大丈夫そうです。ラシード、クサビを見ていてくださいね?」

「……え?」

「お? なんだ風呂か? わかった、行ってこい!」

「ではさぁや、まるん、れっつごー」

「……えええっ?」


 気付けば私は両腕をマルシェとウィニに抱えられていた。そのまま引きずられるようにして船室を出る。


「えっ、あの、どこへ……?」

「もちろんお風呂です。そこで詳しく聞かせてくださいね……?」


 マルシェが威圧感のある笑みを浮かべてくる。


「ていこうは、むだ! さぁや、観念するのだー」


 ウィニまでもがニヤニヤしている……。


「ふ、二人とも……? そんな大したことじゃ……ないからっ――」




 ――私はその後、自分達の船室に連行された。精霊具のお風呂セットの用意万全の部屋の中、二人によって衣服をはぎ取られ、事の詳細を根掘り葉掘り問い詰められたのだった……。

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