「……クサビ」
私はクサビに声を掛け続ける。反応がなくても、その声が届いていることを願って。
「ウィニもラシードもマルシェも、皆心配しているわよ……。いくらぐうたらだからって、寝すぎよ……」
私は努めて穏やかに声を掛ける。クサビは天井を見つめたまま動かない。
時折、ちゃんと呼吸しているのか心配になって確かめてみるけど……大丈夫。ちゃんと呼吸はしているみたい。
クサビは生きることを諦めていない。ならば私も諦めることなんてできない。
思えばここまで、長閑な生活から一変して、不条理ともいえるほどに激動だったわね。それをクサビは乗り越えてきた。
今のこの状況は、私達への時の祖精霊の試練なのかもしれない。
ならば、私達が折れるわけにはいかない。
――私は諦めない。
その時、ドアをノックする音がして開かれた。
そこから白い猫耳がぴょこんと顔を出す。
「さぁやとくさびんにスープもらってきた」
「私の分も?」
「ん! さぁやも元気付けないと、くさびんが心配する」
そう言ってウィニは私に器を渡してきた。……温かい……。
「……そうねっ。ウィニの言う通りだわ。……ありがとう」
そうだ。私が元気でいなければ誰がクサビを支えるというのか。
活力が少し湧いてきたのか、思い出したように空腹が押し寄せてきた。スープのいい香りがさらに食欲を掻き立てた。
「……じゃあ、頂くわね。厨房のおじさんにもお礼を伝えてね」
「ん! じゃ、わたしもごはんたべてくる」
ウィニは微笑気味に頷いて去っていった。
「……クサビ、一緒に食べよう? ……ほら、美味しいよ……」
「…………」
やっぱり反応はなかった……。
私はクサビの体を起こし、口元にスプーンを運んで囁くが、やはり何の反応もない。
少しでも食べて欲しいと願いながら、クサビの唇を割ってスプーンを押し込み、少しずつ流し込む……。
…………でも、途中でクサビの喉が拒絶反応を示す。
そしてすぐに吐き出してしまった……。
私は泣きそうになるのを我慢して、クサビの口元を拭いた。
「……っ。ほ、ほら駄目よクサビ……! ちゃんと……食べなきゃ」
声を震わせながら無理矢理に笑みを作り、またスープをクサビの口に運んで行く。
――お願い! 一口でもいい……。一滴でもいいから――――!
…………しかし無情にもスープはクサビの喉を通らない。
私は愕然と項垂れてしまう。
諦めないと心に決めたばかりだというのに、この現実があまりにも辛すぎて……。
私は負けるものかと、ぎゅっと自分の手に力を込める。
そして睨みつけるように強い意思を宿しながらクサビを見た。
虚ろに俯くクサビを、このままにはしてあげないんだから……!
――そして私はクサビのスープが入った器を掴み、口をつけ、自らの口内に流し込んだ!
そして、それを口に含んだまま、クサビの両頬に手を添える!
――私は絶対にアンタを元に戻す――
その強い意思を込めて、私はクサビの唇に自分の唇を押し当て、口の中を流し込む……!
「――――…………ふぐっっ……っ……」
クサビの体が驚いたようにビクンと跳ねるが、私は決して唇を離しはしなかった。
――飲みなさいっ! 生きる為に! ――
クサビの体がスープを飲む事を拒絶し、私はそれを拒否する。
私は少しの隙間の許さずに口移しし続けた。
――ごくん。
「――っ!」
確かに聞こえた。
クサビの喉を通る音が……! 良かった……っ!
私はクサビから唇を離す。
クサビは相変わらず光のない目をしていたが、吐き出すことなくスープの飲んでくれたようだった。
そこで私は、再びスプーンに掬ってクサビの口に運ぶ。
――ごくん。
「クサビ……! 食べてくれた……!」
食事を摂ることを思い出したように、今度は抵抗もなく自然に喉を通った。
私は一つの心配事が消えて、つい嬉し涙を流してしまった。
ちゃんと栄養さえ摂れれば、きっとクサビは持ち直してくれるわ!
それまでは私がしっかり支えていくからね。
私は自分のスープの器を手に取る。先ほど燻りまた静まりかけていた食欲が、安堵によって蘇ってきたのだ。
そして今度はきちんと言える。
「クサビ。一緒に食べようね」
そうして私は、私とクサビへと、交互にスプーンを動かすのだった。
――と、そこで思い出した。
クサビを死なせない為とはいえ、私はとんでもないことをしたのでは。と。
今になってクサビの唇の初めての感触が鮮明に蘇り、私の顔が熱くなる……!
「…………っ」
……私はその感触に浸るようにうっとりと、自分の唇をそっと指でなぞった…………。
――――はっ!?
ち、違うわ! これは非常時だったから……!
そう、これはノーカン! 数のうちに入らないわっ!
……こんなの、ちゃんとしたうちに入らないんだから……っ。
私はクサビをちらと見て一人、また顔を赤くしていた。
――その夜。
皆がクサビの様子を見に来ていて、食事を摂れるようになったことを凄く喜んでくれた。
ラシードなんて感極まって泣いていたわ。その横のマルシェはそんな姿にもらい泣き。ウィニは『わたしのスープのおかげ』とドヤ顔だ。
私含めて皆張り詰めた様子だったから、久しぶりに喜びを分かち合う。
クサビ? 貴方の為にこんなにも喜んでくれる仲間がいるのよ。早く戻ってきなさいね。
と、心の中で祈りを送った。
「それにしても、よくクサビが食えるようになったな! 一体どうやったんだ?」
ラシードの何気ない言葉で、私は再びさっきのことを思い出す。
急激に顔は熱くなって、しまいには汗まで……!
「……い、いや? ふつうに……よ?」
「……? なんで顔真っ赤なんだよ」
私は挙動不審になりながらラシードから目を逸らして誤魔化した。
真顔で首を傾げるラシードだったが、隣のマルシェとウィニは、何か感付いたような表情で私を見ていた。
「ま、いいか! クサビの顔色もだいぶマシになってきたしな!」
特に引きずることなく、ラシードは笑い飛ばす。……ふう。
「そうですね、これならサヤが付きっ切りじゃなくても大丈夫そうです。ラシード、クサビを見ていてくださいね?」
「……え?」
「お? なんだ風呂か? わかった、行ってこい!」
「ではさぁや、まるん、れっつごー」
「……えええっ?」
気付けば私は両腕をマルシェとウィニに抱えられていた。そのまま引きずられるようにして船室を出る。
「えっ、あの、どこへ……?」
「もちろんお風呂です。そこで詳しく聞かせてくださいね……?」
マルシェが威圧感のある笑みを浮かべてくる。
「ていこうは、むだ! さぁや、観念するのだー」
ウィニまでもがニヤニヤしている……。
「ふ、二人とも……? そんな大したことじゃ……ないからっ――」
――私はその後、自分達の船室に連行された。精霊具のお風呂セットの用意万全の部屋の中、二人によって衣服をはぎ取られ、事の詳細を根掘り葉掘り問い詰められたのだった……。