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第24話:つぎはぎの真実④

 ミヤマシロヒメ。


 この白錐山はくすいやまの繁栄を司どる神である。


 女の神様であり、一見すると黒い影のような外見だが、少女のような声で語りかけてくる。


 時折、山の中腹にある神木の根元に佇み、訪れる旅人に声をかけては、旅人が見聞きした異国の話を求めてくるという。


 旅の話を聞くとき、彼女の声は喜びに満ちているらしい。


「随分、熱心なお嬢さんだね。学者さんかい?」


 老人が言う。


「ううん、キャンプ用品店で働いてるって言ってたから。違うんじゃないかなー」


 老人の隣に座った木之元きのもと弥生やよいが、首を傾げる。


「土着信仰に興味があるのかね。若いのに感心するなぁ。最近の若者は生まれ育った土地の歴史や成り立ちに無関心で困る。弥生も見習いなさい」


「えー、あたしだって知ってるよー。桃太郎とか、浦島太郎とか」


「はあ‥‥」


 そんな弥生と、弥生の祖父の話を聞き流しながら、たてはは弥生の祖父から渡された冊子を捲った。



   △



 朝日を見たあの丘で、弥生にミヤマシロヒメについて詳しく教えてほしいと頼むと、彼女は快諾してくれた。


「でも実際、あたしも良くわかんないの。あ、うちのおじいちゃんだったら、その辺のところ詳しいかも。今日はあたしも余裕あるし、お姉さんが時間あったら、実家まで案内するよ」


 そんな有難い申し出に感謝し、たてははチェックアウトが済むと弥生の運転する軽トラの後ろに着いて、彼女の祖父がいるという実家へと向かった。


 田んぼ道を貫く農業道路を渡る。


 両側には色褪せ始めた稲穂が頭を垂れている。


 信号待ちでサイドミラーに止まったアキアカネに気づいて、たてはは秋の始まりをかんじていた。


 弥生の実家は小高い丘の上に建てられた古い木造で、ノスタルジックな映像作品でしばし見られるような、田舎の小さな学校並みの大さはある。

 部屋が多いだけでほとんどが物置だよ、と弥生言ったが、部屋を埋め尽くす程の歴史が蓄積している事だけでも十分にすごい。


「あ、おじいちゃん、さっき電話した件だけど」


 玄関に出てきた小柄な老人に弥生が言い、たてはは頭を下げる。


 客間に通されたたてはは、弥生の祖父から一冊の冊子を渡された。


 藁半紙をホッチキス止めした古い冊子で、区役所の職員が定期的に作成しているものらしい。その中の一つ、この地区に伝わるミヤマシロヒメ様の

情報をまとめたものが、今たてはの手元にあるこの冊子だった。


 元々、地域の伝説を一般の人々に普及するため作られた冊子なので、内容が非常にわかりやすくまとまっていた。

 所々手書きのイラストが添えられていて丁寧さを感じるが、同じように添付された写真は全て白黒のため、紙質の良くない藁半紙では細部の様子が全く見えてこない。


 たてはの弥生の祖父の許可を得て、御神木と呼ばれている木の写真と、そこに至る手書きの地図をスマホの写真に撮る。

 現在は土砂崩れの影響で行けないらしいが、どこかで役に立つかもしれない。


「どうですか、何かわかりましたか?」


 たてはが冊子から目を上げたタイミングを見計らって、弥生の祖父が尋ねる。


「非常に、勉強になりました」


 たてはは冊子をお返しして、深々と頭を下げる。


 出された麦茶は氷がすっかり溶けてしまっていた。喉が渇いていたので一気に飲み干してしまった。


 祖父に何度もお礼を言って、弥生の実家を後にする。玄関を出る時に振り返ると、立派なスズメバチの巣が玄関に飾られていた。


「もうすぐお昼だから、お蕎麦なんてどうかなー? おいしいお蕎麦屋さんがあるから、食べていこうよ」


 弥生の提案に頷いて、たてはは再びバイクに跨った。


 軽トラの後ろについて、田舎道を法定速度で走りながら、たてはは先程見た『ミヤマシロヒメ』の伝説について考える。


 誰が読んでも分かり易いように今風の表現にアレンジされているのだろうが、ミヤマシロヒメの容姿や、文脈から読み取れる人となりは、るりにとても似てるように感じる。


 黒い影のような身体。


 若い女性の声。


 旅の話を好む嗜好。


 これらは、たてはが知っているるりと完全に合致している。

 たてはの中で、『るり』が灰塚はいづか達樹たつきの言う『ミヤ』であり、この白錐山の神『ミヤマシロヒメ』であるという仮説が現実味を帯びていく。


 近づくことでより大きくなった三角形の山を見上げながら、たてはは次にすべきことを考えた。


 ミヤマシロヒメがるりとした場合、まずはるりがなぜ山を離れる事になったか。


 それについては灰塚達樹が深く関わっていることに間違いはないだろう。強制的になのか、自主的になのかはわからないが、灰塚達樹との出会いが彼女を外の世界に駆り立てたのだろう。

 その原因がわかれば、るりとの今後についても見通しが立つ。


 そしてもう一つは、ミヤマシロヒメが本来存在するべき「白錐山」から離れた事で、どの様な弊害が起きるかだ。


 確信はないが、ここ最近この山で起きている土砂崩れや不作などの異常事態は、本来あるべき神の不在によるものなのかもしれない。

 そして、宗助に起きている不調についても、本来関わるべきではない二つの存在が関わってしまった事が原因なのかもしれない。


 ミヤマシロヒメであるるりを、再びこの山に留まらせる。

    きっとそれが最もスマートな解決法なのだろう。しかしそれは彼らの別れを意味するのかもしれないし、るりの笑顔を奪う結果になるのかもしれない。


 気がつくと、弥生の運転する軽トラは中央線に寄って右ウインカーをあげていた。慌ててたてはもその後を追う。


 私道に入り奥まったところに、古い民家を改装した蕎麦屋があった。

    ちょうどお昼時だったが、平日ということもあってか待つ事なく席に案内された。

 おすすめと書かれている天ざるそば御膳を二つ注文する。メニューには地場野菜を使った天ぷらと書かれていたが、今年は野菜が不作のため、写真の品目とは異なるらしい。

    それでも構わないと注文したものの、これも山神の不在による影響かもしれないと思うと、なんだか申し訳ない気持ちになった。


「この店、あたしもよく食べにくるんだー。うちのキャンプ場でキャンプした人にも、帰りはここで食べていってね、っておすすめしているのー」


「本格的なそばっぽいね」


「十割そばだから、香りがいいの」


 うっとりとした表情で弥生は言う。


 出された煎茶を口に含みながら、たては改めて弥生を見た。小さな顔の中心で、大きな目がキョロキョロと店内を見回している。


 落ち着いて考えてみると、こんな得体の知れない女にここまで親切にしてくれる人などそうそういないだろう。

    これは彼女の内面に染み付いた優しさと、物事を深く考えない単純明快な性格がそうさせているのだろうか。そんな事を考えて、たては『いやいや、深く考えないなんて表現は失礼だ』と心の中でかぶりを振る。


「どう? おじいちゃんの資料は役に立ったかな?」


 弥生が尋ねる。


「うん、ありがとう。色々わかった事があったよ」


「うんうん、よかったー」


 そう言って何度も頷く。


 それ以上詮索をしてこないのは、興味がないのか、何かを察してくれているのか。いずれにせよ、現状を上手く説明する言葉を持たない今のたてはにとっては、ありがたかった。


 蕎麦が運ばれてきた。

 蕎麦は口の中で簡単に千切れ、芳しい香りが口の中いっぱいに広がる。

    天ぷらはエビや野菜が白い花びらのような衣に包まれていて、箸で挟んだ時の感触だけでその美味しさが伺える。

    揚げ油にごま油が含まれているのか、香ばしい匂いが食欲をそそる。


「ここは田舎だからさ」と弥生は言う「いつか出ていってやろうって、ずっと思ってたんだー。高校卒業したら、東京に行って、いろんな人と会って、いろんな景色を見て。でも、うちのお父さんとお母さんは、実家から通える大学に進学して、この町で何か仕事を見つけて、結婚して‥‥そんな人生を望んでたみたい。だからあたし、今の旦那について行こうと思っちゃったの。あいつなら、あたしに見たこともない景色を見せてくれるんじゃないかって、まだ純粋なオトメだったあたしは、健気にそう思っちゃったのよねー」


 そんな弥生の話を聞きながら、たてはこの女性に親しみを覚える理由がわかった気がした。


 彼女の行動原理は、るりと似ている。


 同じ土地で生まれ育った者同士のシンパシーなのだろうか。見たことのない景色に憧れ、遠くの空に想いを馳せる。


「でもね、結局は旦那と一緒に戻ってきちゃった。旦那の視点でこの町を見た時に、新しい発見がいっぱいあったんだ。いろんな種類の花とか、生えてるキノコとか、毎日のようにやって来るキャンパーさんの話とか、私の視点じゃ絶対に気づけなかったこの田舎の新しい景色。18年住んでたこの田舎にまだまだ新たな発見があるなんて、なんかびっくりしたよ」


 ミヤマシロヒメはこの山で、どのくらいの年月を過ごしてきたのだろうか。

 数多の木々が繁茂しては朽ち、川の流れがうねって変わり、巨岩が砂利に変わるほどの年月。

    それはただの人間なら気が狂い、考えることを放棄してしまうほど、長い時間だったのではないか。


「そうそう、あたしがいなくなった時、ミヤマシロヒメに攫われたんじゃないかって噂になってたらしいよ。言葉通り、神隠しってやつ? でも、もしミヤマシロヒメが本当にいたら、あたし仲良くなれそうな気がするよ。だって、あたしはこの山が好きだから」


 たてはは天ぷらをかじる。

 天ぷらの中で唯一、この山の畑で育てたと説明があった大きな大葉の天ぷらは、芳醇な油の風味の後に、夏の終わりを感じさせる爽やかな香りを残していった。


「うん、絶対仲良くなれるよ」


 たてははそう返していた。



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