大槻はその後、結構な時間を喋った。
俺はスマホを見て時間を確認する。
「もう三十分も経ったか。俺一度戻るわ」
「まだ女子の時間じゃ……ああ、そういう」
「……なんだよ」
「いいやなにも。俺はもうちょっとここいるから」
「りょうかい」
俺は大槻と別れ購買を後にした。
あの感じだと大槻もなんとなく察したか。
まぁ、いいか。
俺は元来た道を戻っていく。
徐々に吹奏楽部の練習の音などが聞こえなくなり、静かな校舎内へと歩みを進める。
一人目じゃないと良いんだけどな。
そう思いながら、待機所である教室に向かう。
もうこの廊下をまっすぐ進むだけという時だった。
待機所の隣、オーディション会場から夏村が出てきた。
どうやら二年女子の最初は夏村だったらしい。
俺は近づいて話しかける。
「よ、お疲れ」
「杉野、戻ってきたんだ」
「ああ、ちょっとな」
「一人?」
「……大槻なら購買だ」
「そう」
短く答える夏村だが、その表情はどこか暗かった。
なんだ? どうしたんだ?
「オーディション、うまくいかなかったか?」
「そっちは問題ない。全力出し切った」
「じゃあなんで暗いんだよ」
「別に。暗くない」
「いや暗いだろ」
「……」
「……」
夏村が無言で俺を睨む。
え、何? 心配しているだけなのに何で睨まれてんの?
「杉野、空気読めてない」
はい。このパターンですよ。
また俺の勘が鈍くて怒られるパターンですよ。
えー、何が原因だよ。大槻の話してたら夏村が表情暗くしたか、ら? …………はっ! まさか!
「杉野、とんちんかんなこと思っている」
「ああだよな。てか、とんちんかんって響き良いよな」
「私はただ、最近大槻に避けられているから少し話すタイミングを探っている」
「ああ、そうなん?」
あ、でもこの前男子四人で遊んだ時に言ってたな。自分から話しかけるのは減ったって。
それが夏村から見たら避けられている感じなのか。
「まぁ、仕方ないけど。部活に支障が出たら」
「それは大丈夫だよ」
「え?」
「そりゃゴールデンウィーク色々あったけど、あいつも成長しているんだ。部活に迷惑かけるようなことはしないよ」
「でも」
「まぁ、試しに今日の終わりにでも話しかけてみろよ」
「……うん」
半信半疑といった感じで夏村は頷いた。
大槻と話そうとしているのは、部活が好きな夏村なりの心配なのだろう。
きっと告白されたどうのこうのではなく、大好きな演劇部の一員として大槻と繋がっていたいのだ。
そんなことを考えていると、夏村が待機所となっている教室の方に向かおうとする。
「そ、そういえばさー」
「大丈夫、杉野」
「次は香奈。呼んでくる」
夏村は一瞬だけこちらを向くと、得意げな顔をした。
そして、待機所の教室へと入っていった。
…………お見通しかよ。そりゃ、空気読めないって言われるわな。
俺は少し恥ずかしくなった。
待つこと三十秒。教室から椎名が出てきた。
「杉野。どうしたの?」
出てきて早々、不思議そうな顔で聞いてきた。
まぁ、そうなんだけどさ。
「なんつーか。まぁ、一言伝えに来た」
「何かしら?」
「頑張れ」
俺がそう言うと椎名は一瞬驚いたが、すぐに笑顔になった。
全身が痺れて仕方なかった。
さっきまでの恥ずかしさとは比べ物にならなかった。
「ありがとう」
椎菜も一言だけ答えてくれた。
そのまま俺の横を通り、オーディション会場へと入っていった。
俺は黙ってその様子を見守った。
オーディション会場から声が聞こえ始めた頃、俺は待機所の教室へと静かに入った。
扉を開けると、こちらはこちらで緊張感に満ちていた。
次の順番であろう増倉は必死に台本を読み、小声でセリフの確認をしている。
一年生たちも同じような感じだ。
対して、オーディションの終わった轟先輩や夏村は端の方で少し気楽そうだった。
あれ? そういえば山路の姿が見えないな? トイレか?
「杉野ん。お帰りー」
「ただいまです」
俺は話しかけてきた轟先輩の方へと歩いていく。
オーディションが上手くいったのか、轟先輩はご機嫌だった。
「ご機嫌ですね、轟先輩」
「ふふふ、まぁね。私結構この待ち時間好きなんだよねー」
「待ち時間ですか?」
「そ、みんなの頑張りが分かるからね」
教室全体を見るようなしている轟先輩の目は、とても穏やかで温かかった。
それは、先輩の目だった。
「あ、だから一番最初にオーディションやってんですか?」
「バレたか」
俺の冗談にも笑顔で返してくる。
流石は部長だ。
「杉野んはいいのかい? 台本の確認とかしなくて」
「もう少ししたらしますよ。今からしたら本番まで持ちませんよ」
「いいスタミナ管理だね」
「どうも。それより山路見てません?」
「……山路んかい? 私が戻ってきたときにはどこかに行ってたけど」
「そうですか」
別に敵に塩を送るわけではないが、山路は始めから集中していたから心配だ。
外に行ったのなら、息抜きしているということだろう。
「心配かい?」
「まぁ、少し」
「杉野んは優しいねー」
「そんなんじゃないですよ。全力でぶつかり合いたいだけですよ」
「それも立派な優しさだよ」
轟先輩はそう断言した。
なら、そうなのだろうか。
不思議なことに先輩に言われるとそんなことを思ってしまう。
「山路んも頑張っているもんね」
「ええ、今回はかなり」
「でも、負ける気ないんでしょ?」
「先輩……!? どうしてそれを?」
普通なら、山路と俺が同じ役を狙っているとは思わないはず。
それに山路が俺に宣戦布告したことは男子四人しか知らないことだ。
「ふふふ、甘いね若人よ。先輩は何でもお見通しなのだよ」
轟先輩は胸を張って笑った。
ああ、本当にスゲーな先輩って。
「で、杉野んはどうなん?」
「どうって…………負けるつもりはないですよ」
「……そう……うん。そっかそっか」
何かを納得する轟先輩。そして突然立ち上がる。
教室から出て行こうとするので、俺は慌てて聞いた。
「どこ行くんですか?」
「ん? ちょっとお手洗いー」
轟先輩は振り返ることなく、軽く右手を振って答えた。
そのまま、教室を後にした。
「なんだったんだ?」
俺の疑問に答えてくれる人はいなかった。