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第10話 ミリア・リリ・マキシマム





 ミリア・リリ・マキシマム。



 総合服飾工房オール・ドレッサー Vestyビスティの従業員。

 ボルドー通り50067・アパートメント「ティキンコロニ」301住まいの24歳。恋人はなし。


 朝は9時前に出勤。

 鍵を開け店の周りを掃除し、植物に水をやる。

 午前中、週に何度か隣接するクリーニング店に顔を出している。その際、かごいっぱいの服を受け取り、のちにそれらを返却しているが用途は不明。



 性格は『明るく元気』『陽気で楽観的』『見た目は大人しそう』。

 周辺店舗の店主ともよく店先で話し込むことがあり、社交性は抜群。


 休憩は昼に取り、基本的にずっと店内で仕事。

 ビスティーの業務においては、カウンター業務とバイヤー・それと着付けが主で、帰宅は17時。

 就寝は大体22時前後。

 規則正しい生活と言えるだろう。


 彼女は雇われの身だと言っていたが────実質、彼女が工房を回しているようなものだった。



(──……生活リズムは、こんなもの……か)



 リチャード王子の依頼から、3日。

 夏の訪れを感じさせる太陽の光の元、花を売り歩く青年として。

 ビスティーの斜向かい──潰れた商店の前で、彼は声に出さずに呟いた。



 キャスケットの中・じんわりと汗をかきながら。エリックは手元の手帳から、そのページを含め何枚かを纏めて台紙から引きちぎる。


 そしてそれを、売り物の花々を背景に、まずは大きく二つに引き裂いた。


 メモは取ったが残しはしない。

 これぐらいの情報、残すに至らない。

 数日の動きを照らし合わせるためにメモを取ったが、もう用済みだ。


 およそ数日張り込んで、掴んだ。

 ミリアの生活は、とても単調だ。


 基本、朝から晩まで。

 どこにでもいる一般的な小売業の店員の生活様式。何かを売り歩くわけでも、派手に交流をしているわけでもない。



(……本人はとんでもないじゃじゃ馬みたいだけど……、生活は地味で単調だな)



 つまらなそうに呟きながら、色鮮やかな花が積まれた手押し車を前に、キャスケットを被り直す。


 くたびれ気味のシャツに、安物ズボンをとめるサスペンダー。

 靴も使用感のあるものを履き、どこからどうみても『苦労している』感を出す。



 仮にも彼は『ボス』なのだが……

 エリックは、なるべく現場を把握しておきたい男だった。


 びりっと小さく音をたて、まずは大きく二つに裂いたメモを、さらに細かく念入りに、手元の紙袋の中へ。花束を作る際に間引まびいた茎や葉に振りかけながら、温度のない目で見つめた。



 大体のことはわかった。

 一度話していることもあり、全く知らない相手をカモにするよりだいぶ楽だ。


 ミリアは場所を動き回るわけでもないし、貴族が招いた要人のように、たった一度のチャンスしかない相手でもない。店を訪ねればそこにいて、捕まえる必要もない。


 現にこうして、潰れた店舗の軒先で堂々と監視ししていたのだが──平坦な毎日が続くだけ。声をかけようと思えば、いくらでもかけられた。



 まあ、もちろん彼は『話しかける』なんてことはしなかったのであるが。

 むしろ、彼の思惑を無視して声をかけてきたのはミリアの方だ。



 ふらふらと店を出ては、『おにいさん、今日もここでお花売るの〜?』とか、『だんだん暑くなってきたよねー、水分とってる?』とか、『大丈夫? 疲れない?』とか。


 ほいほい出てきては、ちょろちょろ話していく。

 無警戒を絵に描いたような行動である。

 その無警戒っぷりに、エリックはやや呆れた。



 声色や調子を変えているとはいえ、こちとら、ふらりと現れた『花売りの青年』だ。彼の感覚で考えれば、何度も話しかけにくるなんてことは、目的でもない限り『ありえない』。



(…………まあ、そういうところが、周りの評判になって返ってきているのかもしれないけど?)



 ここ数日の、彼女のちょっとした声かけと。

 靴を投げられたあの日の出来事を思い出しつつ、胸の中で呟く。



(────ミリア・リリ・マキシマムさん……ね……)



 静かに佇むビスティーから目をそらし、彼は荷車を押しつつ、そこを後にした。

 ────その黒く青い瞳に、静かな光を宿しながら。







 ミリアは、幸せをかみしめていた。


 明日は休みだ。

 週末前日の午後、買い物がてらに出歩いて、いそいそ入った安メシ屋。


 この土地としては強くなってきた日の光を避けるように、軒先に置かれた建付けの悪い椅子に腰かけ、木造りのぼこぼこテーブルの上で鳥の串焼きを頬張る。



(…………やっば……! ……このために生きてるなあ~っ……!)



 口の中にじゅわっと広がる鶏の旨味、噛むたびカリっと音を立て砕ける皮に、ミリアは人目もはばらず握りこぶしを作り噛み締めていた。



 鶏肉と塩胡椒。

 これに勝る飯は存在しないだろう。



(やっぱあれだね、シンプルな奴が一番なのよね、わかる。鳥を捌いて食べようと思った人もそうなんだけど、塩と胡椒を振りかけようと思った人は天才なんじゃないだろーか? いや、そもそも塩と胡椒を見つけたひとが、凄い。マジで天才。素晴らしい。あ~~~、発見した人に感謝状でも贈りたい。アナタのおかげで今日も肉がうまい!)



 どこぞの誰ともわからない人間に感謝して、グラスに注がれた水を流し込む『ミリア・リリ・マキシマム』が次に求めたのは『新しい味』。

 添え付けの揚げパスタを指でつまんで、彼女はご機嫌にぽりぽりと噛み砕く。


 誰かと同席している訳ではない。

 完全にひとりなのだが──彼女は、満足だった。



(ぼっち飯が寂しいなんて、だーれが決めたのよ♡ こんなに快適なのに〜〜〜♪)



 と、一人 鶏皮のぷるぷるした舌触りと甘い脂に舌鼓を打った時。



 その深みのある茶色の髪を捉えながら、後ろから、ミリアに近づく男が一人。

 白のシャツは前を開け、この前と変わらぬベストを羽織り、黒のパンツにミドル丈のブーツ。


 鳥の焼けるスモークが蔓延する中──狙いを澄まして、エリックは、次の串焼きを摘みあげたミリアに声を投げる。



「…………あれ? こんにちは。……君も1人? 偶然だな?」

「────あ。ひょのまえのおにーふぁん」






 やけに親しげのある声で呼ばれて、ミリアは口の中の鳥を頬に避けながら振り向いた。



 ミリアがもぐもぐと頬張りながら見上げた先、そこにいたのはもちろん、この前の”青年”。


 黒い癖毛に、深く黒に近い青の瞳。

 シャツの胸元をあけて、袖まくりスタイルの『彫刻のような容姿を持つお兄さん』。

 エリック・マーティンである。


 彼の声賭けに目をぱちぱちさせるミリアに、彼は空いてる席を視線でうながし微笑んで、



「ここ、いいかな?」

「どうぞ~。」

「……ああ、ありがとう」



 さらりとした返事に、エリックは、にっこりと微笑みかけ、まずは手始めに『一発』。暗く青い瞳に色気を乗せ『じっ……』と『好意』を送る。


 ────大抵の女は、これで頬を赤らめる。

 の、だが。



「…………?」



 ミリアの調子は変わらなかった。

 彼がじんわりと出す”好色の視線”にもまるで気づかず、もぐもぐと口を動かし、串焼きを咀嚼している様子。



(…………へえ?)



 予想外の動きに、エリックは内心唇を引き上げた。

 ここで空ぶるのも珍しいのだが、こんなもので驚くわけがない。軽いジャブだ。空ぶったところで特に問題はない。


 それよりも、かけた椅子の立て付けの悪さとぼこぼこ感に、若干戸惑いながらも、エリックがそこに座り直した時。


 テーブルをはさんで向かい合ったミリアは、串の二切れ目を飲み込むと、




「なーに? この辺よくくるの?」

「ああ、うん。まあね。たまに来るよ」



 横目でチラり。

 軽く一言 言葉を交わしてやる。


 胸元をぱたぱたと仰いで頷く彼の隣、ミリアは串に刺さった鶏肉をふりふりしながら自慢げに笑うと、



「ここの串焼き美味しいよね〜。わたし、大好きだから良く来るんだ。おにーさんもたべる? いっぽんどーぞ」

「──ああ、ありがとう。……なあ。”お兄さん”じゃなくて、名前があるんだけど。 ……もしかして覚えてない?」

「おぼえてるよー、”エリックさん”」




 串焼きを差し出し、受け取り短く答えるエリックの視線の先。

 彼女は、そのハニーブラウンの瞳で”じっ”とこちらを見つめると、おもむろに口を開いて言い出した。



「…………なーんか。見た感じのイメージと名前違うよね、エリックさんって」

「? そう?」

「うん。名前見た時『クリストファーとかじゃないんだ~、へえ~』って思った」


「…………ふふ、『クリストファー』? 俺、そんなイメージなのか?」

「うん、あと『ディラン』とか」


「…………うん? 『ディラン』? へえ、そんなこと、言われたこともなかったな」



 まずは合わせる。彼女の方に。

 彼女の言葉の意図はまるでわからないが、の言葉を冗談交じりに返しながら。エリックはとりあえず、受け取った串焼きを一口頬張り────……



「………………!?」



 瞬間。目を見開き静止していた。

 舌先から広がる鶏の旨味。

 途端・頬の奥が疼いて唾液が溢れ出す。


 舌で押しただけで染み出す肉汁。カリカリとした皮を砕く度、鶏皮独特の甘みある脂がじゅんわりと舌を包み、あっという間に肉が喉の奥へ消えていく。



「……これ……! 美味いな……!」

「でっしょー?」



 思わず漏らした驚嘆の声に、返ってきたのは自慢げな一言。

 その、限りなく黒に近い青の瞳で串焼きを見つめる彼に視線を送りつつ、ミリアはご機嫌な頬杖を突くと




「……ねね、もしかして、これは初めてだった? たまに来るんだよね?」

「……ああ、この辺りにはよく来るんだけど。この店はチェックしてなかったな……」


「美味しいでしょ? 鳥の旨味がじゅわ〜って!」

「…………ああ……! 驚いた。……どこで育てた鳥なんだろう……!」


「……や、普通のだとおもう……」



 鶏肉のカリッ・じゅわっと感に驚くエリックを前に、一変。

 ミリアはトーンを下げて茫然と呟いた。



 ここは、この辺りでも屈指の安飯屋である。

 高級店でもあるまいし、そんな高い食材を使っているわけがない。

 店の親父の焼き方が上手いため、抜群に味はいいのだが、肉自体は最安値のはずだ。


 そんな店の、”ただの鶏肉を食べてこの反応”。ミリアは純粋に驚きでいっぱいだった。



(……ふ、フツーの肉に……なぜこんな反応をする……? このおにーさん、なに……?)



 と、こーっそり首をかしげるミリアの前で、エリックは今も、串に刺さった肉をまじまじと見つめながら二切れ目の肉を噛み締めている。




(……いや、そんなにまじまじ驚くもの??)

 と、不思議に思うミリアの隣で



(……調理方法が違うのか? うち以上だ。特別な銘柄の鶏じゃないんだよな? どうしたらこんな味わい深い肉になるんだ……)

 取りを注視するエリック。



 そんな、彼の無言の「凝視」に、ミリアは──さらに首を捻った。



(うぅん……ここのおじちゃん、いい肉の時はそう言うしなあ? 今日はそんなこと聞ーてないし……普通にいつも通りの肉だけど……?)


(……美味い。うちの料理人でもこんな味は出せない。これは素晴らしいな……、あとで店主に声を掛けて、……いや……)



 不思議に思うミリア。

 ただただ驚くエリック。

 そんな二人のあいだを、もくもくとしたスモークが立ち込めて──



(…………あ。)



 ミリアはひらめき小さく口を開けた。

 思いつく『一つの可能性』。

 それを確かめるべく、彼女はおもむろに眉を下げると、おずおずと彼を覗き込み────



「…………ねえ、あのさー」

「うん?」


「…………ちゃんとご飯食べてる? 無理してない?」

「────はっ?」



 心底まじめな問いかけに、エリックは素っ頓狂な声をあげたのであった。







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