どんなものにも、表と裏はあるだろう。
日の当たる部分、影の射す部分。
商工会ギルドとて、その例外ではない。
商工会総合ギルドとして『市場の調節や人間関係の調和を担う』表の顔と。『裏家業の受付窓口』としての裏の顔。
表の商工会ギルド。
裏の極秘調査機関・ラジアル。
共に協力し合い、表裏一体の組織で街の平穏を保つ。それがこの街の仕組みであった。
裏に持ち込まれる仕事は時によって変わるが、大抵は同盟諸侯の調査及び監視。商いに絡んでくる貴族の不正や、税収調査が主である。
彼、エリック・マーティンは、裏に持ち込まれる調査を請け負う『調査機関ラジアル』のボスであり、諜報員の一人であった。
「……『親愛なる エリック・マーティンさんへ』。
「……ボスと呼ぶな。俺は、組織上お前の上に立っているわけではない」
「おや、”ボス”で間違いないのでは? あなたはそういう立場のお方でしょう」
「…………」
嗤いながらの声掛けに、エリックの表情が険しく強張る。
確かに、『そういう身分』ではある。
しかし怪訝の理由はそこだけではなかった。
スネークの言い方もさることながら、怪訝の原因は『封筒』だ。
そこに
『新緑の蝋印』。
(────嫌な予感しかしない)
上客は上客”で間違い無いが、
立ち込める警戒を胸の奥に押し込め、どっかりと腰を下ろしていた皮張りのソファーから立ち上がり、短いため息をひとつ。
(……今度は一体なんだ)
胸の内で呟きながら、エリックは能面のまま封を開け、羊皮紙を引き抜いた。
指の先、上質な羊皮紙に記されたその文面────
”────親愛なるエルヴィスさんへ
エルヴィスクンやっほー。
今日も元気カナ!?
オレは毛皮が高くて悲しいヨ。
調べてね、よろぴく!
りちゃーど。”
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
「”お客様”は、なんと?」
覗き込むように聞いてくるスネークに、顔を強張らせる。
瞬時に溢れる言葉を飲み込んで、表情を殺し、文面を凝視して──
「……毛皮が高いから、調査しろとのことだ」
「────ほぉう? 毛皮、ですか」
「……………………」
濃縮還元で絞り出した。
その言葉に関心の声を上げ、涼しい顔で全てを理解したかのような顔つきで、資料の山に向かうスネークを視界の隅に。
エリックの胸の内、リチャード・フォン・フィリップ──隣国『アルツェン・ビルド公国』の王子への文句が吹き荒れる。
(────別に。頼んでくるのは構わないけど。文面に問題があるだろ。もう少し何とかならなかったのか? なんだこの文章。検閲はどうなってる。……あいつ、また自分で投函したな? なんだこの文章。なんだこの文章……!)
しかし、それを”ぐっ……っ”と飲み込み、エリックはスネークに目を向けると、
「………………実態は? どうなってる」
なるべく、厳格なトーンで尋ねた。
大変なのである。
この『文面への文句を我慢する』のが。
彼は『ボス』だ。
威厳、尊厳は保たなければならない。
手紙に愚痴るわけにもいかない。
仕事の内容は大したことじゃない。
彼が構えて居たのは、この文面だった。
しかし、エリックの葛藤など知る由もなく、問われたスネークは資料を片手に澄ました表情で口を開くと、
「…………先月の価格調査報告書によると、確かに……”跳ね上がってます、ね。売価の方ですが」
「仕入れのほうは」
「仕入れに変動はありません。大きな変化は”売価”です」
自然とテーブルに集まる男二人。
棚から引き出した資料を片手に述べるスネークに、エリックは手を伸ばして資料を寄越すよう促した。
ドンと置かれる紙の山を横目に、提出された資料に目を落とし────目が捉えたのは毛皮の売価。
読み取る情報。
ここ一か月の『毛皮』の動き。
──……確かに、スネークの言う通りだ。
「………………内需が伸びていて、生産が追いつかないのか……?」
「その辺りのことは、流石にわかりません」
「そもそも、なんで今『毛皮』なんだ。夏だぞ?」
そう。季節は7月中旬。
北東にそびえる霊峰ニルヘイムより吹き下りる冷風も和らぎ、徐々に暑さを感じる時期である。
シルクメイル地方の夏は、南に比べてそれほど暑くない。
人によっては長袖のまま過ごす人間もいるぐらいであるが、それでもこの先、ここの土地なりに暑くなる。
こんな季節に『毛皮の内需が伸びる』のは首を捻ってしまうが、しかし、情報は正直だ。不可思議な数字に、喉の奥で唸るエリックの隣で、スネークは黙って首を横に振ると、糸のような目をわずかに開けてボスに述べる。
「………隣国の王子サマも随分と先物買いですねぇ。こんな季節に毛皮、ですか」
「…………あいつはさておき、問題は値段の跳ね上がり方と時期だろう? もっと詳細な報告書は?」
「こちらで開示を求めているのは大まかなもの過ぎません。ここから先は縫製組合の管轄になります」
「────縫製……、」
聞いてエリックは渋い顔で唸っていた。
一瞬目を逸らし顔を上げると、スネークに向かって口を開く。
「……報告をあげるよう、指示できないのか」
「あちらは職人組合・こちらは商人組合。ボスもご存知でしょう? 我々の……仲の悪さは」
「…………ああ。うんざりするほど、な」
言われ、エリックは苦く、舌を巻いた。
(──……よりにもよって”縫製”とは……!)
険しい顔つきで書面を見つめるエリックの隣。
『困りましたね』と言わんばかりに、スネークが肩を竦める。
この、スネークが長を務める『商工
商人
一見、持ちつ持たれつの関係性に見えるが、蓋を開ければ、価格を決める商人と、少しでも高く物を売りたい職人たちとでバチバチと火花を散らし合っている。一応形として『商人側』が『総合ギルド』を管轄しているのだが、中には、それらに反発する組合もあるのだ。
しかしそれは、どんな国でもある程度は起こること。
どこの国も、全て円満とは行かないらしい。
やたらと起こるトラブルも、内側から調査する。
それが、調査機関ラジアルの仕事である。
資料を眺めて男二人、明かりもほの暗い部屋でため息を一つ。
先に沈黙を破ったのは、スネークの方だった。
「…………しっかし…………困りましたねぇ……
大工や鍛冶屋ならまだしも、”縫製”ですか。
あそこは、ギルドのなかでも特に大きいですからねぇー……。
我々総合ギルドが命令を出したところで、はいはいと言うことを聞くとは思えません」
「…………”命令”とはいえ”お願い”だからな。
強制力があるようで、無い」
「お互い様ですからねえ。
我々は商品がなければ商売になりませんし、彼らは彼らで、商人が扱う材料がなければ生活が成り立たちません」
「そこが分かり合えれば苦労はないんだが……」
「……まあ、難しいでしょうね。
どこも『安く仕入れ・高くさばきたい』ものです。
組合長をしていて、肌で感じますよ。
特に……こと縫製業界に関しては」
含みある物言いに、エリックはすぅーっと大きく息を吸い込むと、一拍。
硬いトーンの声と共に、それを漏らす。
「──────
「そうなんですよねえ。しかも、
……厄介なことに、あそこは『女性社会』です」
「………………」
言われ、エリックは声にならない唸り声を上げた。
まさに”今の”問題点を煮詰めたような案件に、自ずと表情が険しくなる。
怪訝なエリックの心を汲むかのように、スネークは資料をぺらぺらとめくりつつ、すまし顔で口を開くと、
「……国内でも、『オリオン領の女性軽視』は凄いものがありましたからねえ。
現盟主さまに世代交代されてから
女たちは表向き・男性に色目を使いませんし、半強制的に結婚させていた 前時代から、一変。
世代交代を期に自由恋愛制にした途端、婚姻率は下がる一方……
これもそれも、前オリオンサマの”ゴカツヤクあってこそ”、なんですが。勘弁していただきたいものです」
「…………スネーク」
「────おっ……と。失礼いたしました。
私はいい街だと思っていますよ、
『ウエストエッジ』」
「………………」
じろりとあげた目に、冷ややかながらも楽しんでいるような笑みで返され、エリックはそのまま、スネークを一瞥を送る。
正直。
彼はこの、スネークという男の態度が気に食わなかった。
トラブルを面白がるような姿勢、人の神経を逆撫でる物言い。どうにも”食えない男”。
なるべくなら、関わり合いになりたくない。
が。
このスネーク、『表向きの情報収集と、立ち回りの良さ』は抜群なのである。
周りをよく見て、力関係も把握し、時には頭も下げるし上にも立てる。
立場上、裏の情報も知っておきたいエリックにとっては、依頼の運び屋として十分すぎるほどの動きをしていた。
スネークとしても、自分が調査をするわけにいかない。
最初こそああだったが、今は。
エリックとスネーク組合長は、互いに協力関係にあった。
…………仲は、悪いのだが。
エリックは、嫌味のようなトゲを飲み込んで。
短く息を吐き
低めのトーンで話始める。
「…………おまえの感想はいい。
それより、縫製組合は、確か女性の組合員が8割……だったか」
「正確に申し上げるなら7.6割ですね。
被服の他に、革と衣料小物・靴・洗濯なども含まれています」
「…………」
「ここで対象になる”毛皮製品”に至ってはほぼ、女性の組合員の管轄です。
……他は〜……
革と靴職人は男性がおおいですが。
組合の中でも数が少なく……可哀想なものです」
「…………縫製は……
前時代の縫製革命と労働改革、……あとはモデル『ココ・ジュリア』の影響で、さらに力をつけた業界だ。
今まで働くことを制限されていた分、”手に職をつけたい”と雪崩れ込む女性が多かった。
だからこそ、組織としての結束は……
とても 強い」
「簡単に突っぱねられますからねえ。
『これは求められていません!』と、怖い顔で言われるのが目に浮かびます」
「……一丸になった時の、女性の団結力すさまじいからな。
情報を聞く限り、普段から互いが互いを支えて、見張りあっているんだろう。
…………良い抑止力だよ」
「自活力のある女性が団結すると、ここまで強固になるとはねえ。我々の誰も、夢にも思いませんでした」
「…………」
「…………」
長い政策の末。意固地に結束してしまった縫製
「…………どうします? ボス。
依頼主は上客ですが……少しばかり相手が悪いのでは?」
沈黙を破ったのはスネーク組合長。
響かせる声色に諦めも交えつつ、煽るように述べた。
しかしエリックはテーブルに手のひらをつき、背筋を伸ばしながら──言う。
「……どうするもこうするも。
”これ”が俺の仕事だ」
迷いのない返事。
スネークの口元がふふっと上がる。
そしてスネークは
声も高らかに述べるのだ。
「……しかし……困りましたねぇ。
……縫製業界の女性といえば、私も何度も袖に振られたんですよ。
どこかに、都合よくぺらぺらとしゃべってくれる女性が居ればいいんですが。
流石に、そんな都合のいい女は────」
「────心配ない」
張りのある声がアジトにこだまする。
スネークのジリッとした視線を受けつつ
彼は言う。
「…………お誂え向きがいる」
『よく喋り』
『愛想もよく』
『現時点でこちらを警戒していない 縫製業界の女』
浮かび上がっている人物は────そう
ミリアとかいうあの女。