「…………オリオン領は今、改革の真っ最中なんだ」
空気は重かった。
きっかけはひょんなところから。
ミリアが『話題変更に』と口にした、盟主の話からだ。
昼のビスティ、窓際で。その重さを察知したミリアに「……座ってよ」と促され、布張りのソファーに腰を下ろすエリックは、悩まし気に頬杖をつく。
そのさまは、窓ガラスを額縁に描かれた絵画のようだが……本人は当然、ミリアも今はそんなことを思う余裕などありはしなかった。
「…………そうだな、順を追って話すか。エルヴィスの先代、オリバーの時代、ここは……女性軽視がすごかった」
語り始めるのは、この街の事情。
神妙な面持ちで、彼は言葉を紡ぐ。
「ナガルガルド継承戦争において戦争支援をしていたこともあって、男を支えて当たり前──、むしろ、非力で人質になってしまう女性は、妻として
「…………うん」
語るエリックは真剣で、ミリアも思わず聞きの姿勢に徹する。
客用通路にあった背の低い丸椅子に腰掛けて、目線をあわせ頷く。
客のいない工房でふたり。
窓の外から伝わる熱から逃げるように姿勢を正すと、彼は続きを語った。
「…………しかし、時代は流れて、我らはシルクメイル三国は『ネム国際平和連盟』を立ち上げ、不戦の誓いをした。戦争はせず、民の尊厳を第一に考えを置いた際・男女共に、その命にも、尊厳にも差は存在しないという考えに至ったんだ」
「うん」とひとつ頷くミリア。
それが合図だったように、エリックは、かけたソファーの上で緩やかに指を組む。
「……それが約20年ほど前のことになる。先代のオリバーは、表向き連盟に同意を表していたが、実はそうでもなくてね。連盟の中でも
……ふう……と息。
やや疲れた様子のエリックだったが、そこで大きめに息を吸い込み言葉を続けた。
「しかし、彼の死後。連盟の考えに同意し、改革を進めているのが、現在の盟主……エルヴィス・ディン・オリオン閣下だ」
「……へえ……」
彼の言葉に、素直に相槌を打っていた。
素直に知らない事柄を聞いたとき、人の反応はとても素直だ。
そんな反応にエリックはくすりと笑いをもらすと、
「……君が、名前も覚えていなかったエルヴィス様だよ。もう覚えたよな?」
「…………えるびす……さま」
からかうように言われて、ミリアはとりあえず繰り返してみた。
ぶっちゃけ、ミリアとしてはこの街の盟主情報に興味など微塵もない。知りたい情報というわけでもないし、知らなくても生活は困らない。
しかし、ここまできちんと教えてくれたら無下にはできない。
今しがた聞いたその名前を、脳内で確かめるように繰り返しつつ。ミリアは、膝の上で緩やかに指を組み、左上を見つめながら口を開けると、
「えーと……『若き盟主・若年の革命児』……? だっけ?」
「────まあ、そうだな? とても『やり手』だよ。今までの政策が古めかしい分、それを抜本的に改革するには、新しい感性と力が必要だから」
「……なんか、凄くパワーありそー……」
「まあね。他国に倣って教育を取り入れ、国民全体の教養向上をはじめとし、これまでの『性差蔑視』を取り払う。……その為に、色々試してみてはいるんだけど。……なかなか……難しいみたいだな」
「ふうーん……」
難しい顔つきで語るエリックに、ミリアはゆっくりと相槌を一つ。
自分の前で話すエリックという男性は悩まし気で、思わず空気に釣られて思い出していた。
ここで聞いたこと。
他の人が漏らしていった『盟主』の話。
ミリアは、イエローブラウンの瞳でぐるーっと天井を見回すと、
「……噂は聞くよ、メイシュさんの、」
「エルヴィス閣下」
「えるびす閣下さんの。」
言い直した。
(……細かいなー……)と、一瞬思うが、スルーして言葉を続ける。
「……そのー、『やり手』だとか『かっこいい』とか『怖い』とか『凛々しい』とか『貴公子』とか『笑わない』とか、いろいろ。……でも、会ったことあるわけじゃないし、わたしみたいなイチ庶民には『へえ〜』しか出てこないな?」
「………………そういうものなのかな。俺からしてみれば、国の政策・上の方針や領主の考え・人柄に関心を持つのは当然の事だと思うけど」
「──わたしの関心は、『上の方針』よりも、『縫い針の刺し心地』だったりします」
「…………大喜利のつもりなのか?」
「いや、別にそんなんじゃないけどっ」
ふふんと鼻を鳴らしていった言葉に、返ってきたのは呆れた視線。
瞬時に肩をすくめて誤魔化すミリア。
彼女には、こういう癖がある。
時と場合によっては、本気で怒られるか切り捨てられるような冗談を言う癖だ。
それを魅力に感じるかどうかは人によりけりだが、彼・エリックは『怒る』タイプではないらしい。
ミリアは、なんとなくそれを感じ取っていた。このエリックという青年は、呆れながらも付き合ってくれているという感じで、おそらく怒ってもいないし腹を立ててもいない。
黙り込んだ時の迫力は凄いし、偉そうだと感じるのだが、彼と話していて『嫌』だとは思わなかった。
木造りの丸い椅子の上、ミリアは、彼と目線同じに言葉を紡ぐ。
「……ほら。実際暮らしてて『じゃあ何が必要なの?』っていったら、わたしの生活にはあんまり必要じゃないって言うか。まあ、知っておいた方がいいのはわかってるけど、知らなくても困らないじゃん? それよりも糸と布と飾りの値段と、納品日の方が重要だしー……」
「…………まあ。…………そうなんだろうな」
『……ふうっ』と短く、こぼれるエリックの息。ミリアはとっさに、フォローに回る。
「わたし、この国の歴史とかさっぱり知らなかったけど。その、改革も、何してるのか知らないけど。そういう、何十年? 何百年? にも渡って染みついた価値観って、覆すの大変だと思う。……盟主さまと、国の理想については『いいなあ』って思うけどさ」
「………………」
言って肩をすくめるミリアに、エリックはひとつ。喉の奥でうなると、足と腕を組み、考えながら口を開いた。
「…………『改革』は……、そうだな。まずは女性の社会進出を促した。先の大戦で 物資・人材を支援していた分、慢性的な人手不足ということもあったんだけど。性別が女だからと言って、まったく能力がないわけじゃないだろ? 家事育児はできているんだからさ。そんな彼女たちに、『家庭の一部』ではなく『個人として』生きられるようにと、
「…………うん」
「──……これは、大成功と言っても過言じゃなかった。領内の生産性はあがったし、おかげさまで、ウエストエッジは服飾で急速な発展を遂げることができた」
「……おにーさん、若いのによく知ってるね?」
「…………だから、言ってるだろ?『これぐらい、常識だから』」
「…………………………………………」
(────まあ……この国の人にとってはそうなんだろうな。そういうことですよねわかります)
もう、慣れてしまった『当たり前理論』に、こっそり胸の内でつぶやき毒づく。
彼女の脳内、彼の学生時代がありありと目に浮かび──……唇は自然と一文字の形に変化していった。
(…………優等生だったんだろうなあ、この人)
勝手に、自分とはまるで違う学生時代を思い浮かべるミリアの前。エリックは黒く青き瞳を足元に落としながら、言葉をつづける。
「……と、同時に、男性側の意識改革も
語る彼には苦労が見える。
「……君の言うように、長年にわたり染みついた感性や価値観はなかなか覆らない。いくら『召使じゃない』と説いても、成人──、特に、中年以上の層はまるで聞く耳を持たないんだ。……それらに着手して、4年目ぐらいになる」
「…………なるほど、それでかあー……」
そこまで聞いて、ミリアはしげしげと腕を組んだ。
今までの疑問が解消した気分だった。
うっすら感じていた『男女間のよそよそしさ』には、それが根本にあったのだと。
今まで抑圧されていた分、女性は跳ね返って言うことを聞かなくなる。そんな女性たちの扱いに、多くの男性はさらにエゴで押さえつけようとする。
もちろん皆が皆、そういうわけではないのだろうが、納得できた。
だから『あの雰囲気なのだ』と。
「あぁ~、納得したぁ~。つまり今、揺り返しが起こってるんだ?」
「────まあ、そういうこと」
「なるほど『改革期』ってやつねぇ~……! 女性に対する態度の強引な感じも、そういう根っこがあるからなんだ! はぁ~、なるほどぉ~……!」
「………………なあ。」
面白いぐらいうんうん頷く彼女を前に、エリックは一言。
彼女の瞳を”ぐっ”と覗き込むと、
「…………君、本当に知らなかったのか? 5年も暮らしているんだよな?」
「…………マア レキハ ゴネン デスケド」
ねじりこむ様な問いに、カタコトで返す彼女。間髪入れずに戻ってくるのは、彼の鋭い目つきと質問だ。
「オーナーは何をしていたんだよ?」
「店の回し方とお直しとかはバッチリ教えてもらった」
「………………」
瞬間、エリックの中には山のような文言が浮かび上がるが──エリックはそれを脳の隅に追いやり、息を吐いた。そして響くのは『ミリアから出た言葉』だ。
『偉そう』『強引』。
(…………そう、本当に多いんだ)
外から来た人間にズバッと言われ、その通りだと繰り返す。
街でいくら潰しても湧いて出る。
一部の上流層を除いて、あぶれた男たちは強引な方法をとる。
なまじ、ひと昔前まで女性に拒否権がなかった分、今も『力でやりこめられる・女は格下』だと思い込んでいる男は多く、その弊害が浮き彫りになり始めている。
「………………」
考え黙り込む彼の前で、ミリアは気を紛らすのように手をひらき、細やかに動かしながら述べた。
「まあまあ、おかげさまでよくわかったよ~。男の人もやり方わかんないんだね? たぶんそういうことでしょ?」
「…………まあな。やり方を説いてはいるよ」
「そうなの? ……断ったら暴言吐いて逃げてく人しか見たことないんだけど、難しいんだね~」
「…………」
「……でもね、女として言わせてもらう。ああいうの良くないと思う。ほんとよくない。その辺まるっと、『なんとかしてくれ! 盟主さま!』」
「…………………………」
「まあ、盟主さま一人でどうにかできることでもないと思うんだけどさ~」
肩をすくめるミリアに、口を閉ざして、数秒。エリックは、その限りなく黒く青い瞳で彼女を見据え、言った。
「────じゃあ、君は『前時代の女性軽視と 女性の社会進出における、婚姻率の減少と男女の溝』について……他国民から見て、どうしたらいいと思う?」
「いきなり難しいこと聞くね!?」
問われミリアは素っ頓狂な声をあげた。
思ってることを素直に述べていたが、いきなり社会問題について問われるとは思わなかったのである。
「えぇ〜〜〜〜……?」
考えたこともない質問に、困ったように眉を寄せ、瞳を惑わせ口の中で唸る。盟主の名前も知らなかったのに、そんな社会問題の解決方法など問われても出てくるわけがない。
「えっ?
……えぇ~〜──……?
うぅーん…………どうしたらって
…………えぇぇぇ〜?」
まともに困り顔。上を見、下を向き、そしてミリアは数秒の間をおいて、彼に述べた。
「……見本見せたらいーんじゃない?」
「…………見本?」
「そうそう。盟主様自ら、奥さん大事~~~にして、幸せオーラ巻き散らかしてみるとか? オリオンさん、愛妻家になる・らぶらぶする・周りも結婚したくなる・問題解決♡」
「………………」
「あっはっは♡ そんな簡単じゃないよね、へへへ、ごめーんっ」
まともに沈黙したエリックを前に、咄嗟にお道化たミリアの笑い声を聞きながら。
エリックはそっと、苦い苦い溜息を逃がしたのであった……
※
ウエストエッジ・郊外。
小さな森を抜けた先、ここに膨大な敷地に建つ屋敷がある。
持ち主は、エルヴィス・ディン・オリオン。
ノースブルク諸侯同盟の最高責任者だ。
市街への視察を済ませ、ベストを脱ぎながら”彼”は、沈みゆく夕日に目を向け、言われた言葉を思い出す。
『見本見せたらいいんじゃない?』
『領主様自ら、奥さん大事にする♡』
『あはは、そんな簡単じゃないよね、ごめーん』
(…………見本……、見本、ね)
絨毯の敷かれた広い部屋。手首のボタンを外しながら、陽気な笑い声が脳内に響き、
「オリオン盟主様へ
──ロゼ・ルーベンツより」
「麗しのエルヴィス様
──アルベラ・ジャン・シャリ―」
「親愛なるエルヴィス様へ
──ミリア・ベル・オーブ」
封すらあけていない『誘い』にうんざりと目を反らす。
正直本音は『面倒な作業を増やすなよ』と毒づきたい気分であった。
(…………早く返事を返さなければ)
とは思うものの、その内容はどれも似通ったものだろう。
読むのさえ億劫だ。
(…………適当に返事を書かせて、あしらえれば……どれだけ楽かな)
薄っぺらい、積まれた封書。
その向こう側に透けて見える、家柄・歴史・付き合い・存続などの重圧。
彼女たちもまた、『貴族』という身分に生まれた人間であることに変わりはないのだが、ねばつく女の視線・値踏みする令嬢の面持ち──……
────は──────っ……
とてつもなく、面倒だ。
(……望んでこんな立場に生まれたのではない)
じわりと広がる鈍重な重みに目を伏せた時。”──こんこん”、と重厚な扉から音がした。
「────入ってくれ」
「──旦那様、お食事のご用意ができました」
「…………わかった」
大柄の執事に声をかけられ、彼は
大理石の床、長い廊下の照明には魔具ラタン。彼の財力を証明するかの如く、綺麗に並ぶそれを横目に、ふわりと蘇るのは
『見本、見せたら良いんじゃない?』
(──…………『見本』っていっても……その『見本』が、独身なんだけど)
*/*
どんなものにも、表と裏があるだろう。
盟主という表の顔と、スパイという裏の顔。
そして、もう一つ。
彼「エリック・マーティン」──いや「エルヴィス・ディン・オリオン」はいくつもの仮面を付け替え、改革の世を生きていた。
────これは、仮面を外さぬ男の話。