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第15話「黒い噂」




「…………くろい、うわさ……」



 その言葉にミリアが止まる。

 工房ビスティーのカウンターぐち、エリックとの間は人2人分。


 先ほどまで、軽やかに動かしていた手を止めて。小物を宙に持ち上げたまま、彼女はぽそりと呟いていた。


 その、探すような、確かめるような口調に、エリックの静かな視線が降り注ぐ。


 楽しく穏やかな空気が一変、店内の空気が淀み重くなったのを感じながら、彼女は”すぅ────……”っと静かにまぶたを落とし口を、開いた。



「────まあ、仮にあったとして……お外に話せないよね、そんなこと」



 静かに述べる彼女の背がカウンターを打つ。

 左肘を右手で掴みながら述べる声は声色は、至極まじめなものだった。

 彼を否定するわけでも、拒否するわけでもないトーンで腕を組みなおし、エリックに目を向けると、



「噂はうわさじゃん? 確証も何もないでしょ? うちも、信用でやってるから。例えばそのお客様が、ウチでしか話してないとして、噂が広まったら? うちの信用ガタ落ちじゃない?」



 言いながら首を振る彼女は真剣だ。



「……そんなことできない。……根も葉もない噂話を、裏も取らずに広げるなんて無責任なこと、できないよね〜……」

「………………」



 答えるミリアの、その後ろ。

 積み重なった糸や布がやけに大きく、重く、存在を主張する中、彼女は言葉を続けた。



「聞いてる分には、聞くよ。それも仕事だから。でも、それを他に流すかと言ったら別問題。お兄さんが言った『どこどこのお坊ちゃんが婚約した』とかなんとか言う話も、おおやけに出るまでは言わない。信用にかかわるから、やらないのがベストだよね」

「…………確かに、そうだな」



 その言い分に、エリックは重々しく頷き、そっと息を逃がしていた。


 店の糸や、彼の背後トルソーに飾られたドレスたちが2人を見守る中、彼の中、じんわりと湧き出すのは…………『罪悪感』だ。



 別にこういうことが初めてだというわけではない。スパイ行為をする以上、相手に不利益をもたらすのは当たり前である。



 しかし彼の罪悪感の正体は、そこではなかった。



 ミリアが思ったよりしっかりしていたこと。彼女はきちんと『店を守る』ことも考えながら会話としていたということ。そして、彼女にも生活があるということ。



 ”相手を軽く見過ぎていた”。

 そこに──自身の中、恥じらいと後悔が生まれていた。



「……………………」

「……おにーさん?」



 自分でもどうしてかわからぬ重さに黙りこくるエリックに、ミリアの軽い問いがかかる。しかし、彼はそれを口にせず首を振る。



「…………………………いや、なんでもない」

「いやね、ここにいて思うのよ。『口に戸は立てられないな』って。みんな、そういう話大好きだからさ~」



 急に静かになったエリックの空気を庇うように、ミリアは軽めの口調で息を吐いた。


 あまり表情の動かぬ彼の、感情の機微については全然つかめないのだが、もしかしたらなにか、気分が落ちるようなことを言ってしまったのかと思ったのだ。



 ミリアの中、黒い噂については全く思い当たらないし、貴族令嬢子息のゴシップについては漏らすつもりはない。


 ────しかし、物見遊山か野次馬か。

 彼のようなことを言ってくる人間も、少なからず存在していたのは、今までの経験からわかっていた。


 ……ただ。



(……なんだろ……、なんか変だな? みんなこんなふうに黙り込んだりしかなかったのに)

 様子の変わった彼を前に、ほんの少し、心に芽生える罪悪感。



(……このおにーさんが何の目的があってそう言うこと聞くのか、さーっぱりわかんないけど)

 くるくる回る、抱いた疑問。



(ちょっと調子狂うじゃんっ)

 眉をひそめ、瞬時に言葉を紡ぐことにした。



「──凄く良く聞くよー、どこそこの貴族サマの愛人事情から、交友関係まで。お上に対する不満とか特にね~盟主さまの話とかさ~」

「────……盟主様?」



 何気ない一言に、彼の目線が少し上がる。

 その反応に引っ張られるように、ミリアは二つ返事で頷くと、



「そうそう、ここ う ち のエライヒト。名前が~~……えーっと…………」

「────エルヴィス・ディン・オリオン。……ここの、……盟主だろ?」


「そうそう! そんな名前だった!」

「そんな名前だった……って……知らなかったのか……? この街のあるじだぞ?」

「え」



 気分転換になるかと思い、出した話題に返ってきた反応は驚愕と呆れそのもので、ミリアは逆に驚き目を丸めた。



(思ったより驚かれたっ?)

 と目をぱちくりする。

 しかしエリックの驚愕に満ちた視線は容赦なく、思わず『へらっ』っと笑って頭を掻くと、



「……いやー、アッハッハッハ。ぼんやり名前はわかってたんだけど……ふ、フルネームはちょっと……」

「…………はあ…………………………呆れた」

(────呆れられたっ!?)



 苦し紛れの笑顔に返ってきた言葉に驚いた。


 そこまで呆れられる事柄ではなかったはずなのが、エリックが纏う空気は確実に『呆れ』から『憶えのある空気』へ変化している。



 ────そう。『叱咤』である。



(この雰囲気、しってる! これ、久しぶりな気がする! やばい、……なんかやばい雰囲気!)



 と、喉を詰まらせ身構える彼女にエリックは、両手を腰に当て、ぐっと距離を詰めると



「────君。今までどうやって暮らしてきたんだ? まさか、この街や国のことを何も知らないというわけじゃないだろうな?」


「………おおむね平和に……安いご飯屋さんと、布屋さんなら知ってマスが……」

「そうじゃなくて。この街の事情とか、ココの政策とかだよ」



 予想通りに射抜かれて、ミリアの中、ぶわーっと吹き出す昔の記憶。



 この雰囲気。

 この感じ。

 忘れもしない。

 学校だ。学校の先生である。



 エリックの黒く青い瞳の睨みは、まさに。

 学校の教師のそのものだった。



(……やべーやべーやべ……! これ、説教タイム始まるやつだうわあああああああああああ)



 若干のけぞり引き気味に 心の中で大絶叫。

 反り返った腰と引いた肘が、後ろのカウンターをコツンと音を立て、ミリアからあからさまに滲み出る『やばい、知らない〜!』という空気に、エリックの口が開く。



「………………その顔。……嘘だろ? 君、成人してるよな? 新聞や通達文があるだろう? それは読んでないのか? 仮にもここで暮らしていて盟主の名前も知らないって、あり得ないんだけど」

「ちょ、ちょ、ちょっとまっておにーさん」



 矢継ぎ早の質問に、ミリアは慌てて待ったを入れた。

 このままでは説教2時間コースを予想したのだ。


 確かに自分は市勢に詳しいほうではないが、彼女には彼女の事情というか、言い分がある。



「めっちゃ非常識な女に見えるかもしれませんが、言わせてください!

 ────わたし、実は」



 エリックの『信じられない』をひっくり返す一言を



「この国の人間じゃないの。マジェラって知ってる? わたし、そこから来ている。こっちに来て5年ぐらい!」



 『どうだ!』と言わんばかりに言い放ったのであった。






☆ エルミリ ☆








 ────マジェラ。


 ここより遥か南部に位置する魔道国家だ。

 南の海を抱き、漁業と魔力で発展を遂げた国である。


 『北のネム神聖地方・南のマジェラ地方』とも呼ばれ、そのお国柄は正反対。


 騎士道を志し・神への敬虔けいけんな信仰を重んじるシルクメイル地方と、魔力を宿し、流るる血筋・能力を重んじるマジェラ。


 互いに互いの存在は認識していたが、国民間で両国を行き来する・または移住するものなど、長い歴史の中で 到底考えられることではなかった。



 マジェラ国家はその力を国外に出すことを良しとしなかったし、150年ほど前までシルクメイル地方始めその他国家は、マジェラ国民を『人成らざる者』と恐れていたのである。



 ただ、国同士が戦争を始めたら────周辺各国は、掌を返したようにマジェラに共同戦線を持ちかけてきた。そこで、どのような交渉・取引が行われていたかは……想像にたやすいだろう。


 周辺各国にしてみれば国を賭けた戦いであったが、マジェラにとっては『クソはた迷惑な争い』でしかなかった戦争が終わった昨今。


 マジェラは『魔力をモノに定着させる技術』を生み出し、広く生活用具として浸透させ、財を得ている。



 当国で、その魔法道具取扱窓口になっているのが、先に名の出た『エルヴィス・ディン・オリオン』である。



「…………『マジェラ』って……『あのマジェラ』で間違いないんだよな……!?」

「ん、そーだよ~。そのマジェラで間違いないです~」



 エリックのハイパー詰問タイムから、一転。

 話の主導権を握り返したミリアは、彼の問いかけにのほほ~んと答えた。


 浮かべる表情は、にこにこ、にこにこ。

 決して『説教タイムは嫌でござる!』という気持ちが滲み出ぬよう、ミリアは微笑むと、



「っていっても、中途半端な田舎のガンダルブってところなんだけど。さすがにわからないでしょ?」

「…………ああ、そうだな。さすがに、他国の細かい地名までは……俺も、わからない」

「いいよ、大丈夫。そんなもんだよ~」



 エリックの押し出す雰囲気が変わったのを察知して、ミリアは極力のほほ〜んと返しながら、脇をすり抜け、窓際のトルソーへと向かう。


 毛埃を払い、日が当たらないように少しトルソーを引き、流れるようにカット台前に移動する。


 そんな彼女を目で追いながら、エリックは、ふぅーと深く、息を吐く。



「……そうか、君、マジェラから来たのか……」

「意外だった? ノースブルクの民っぽかった?」



 妙に落ち着いた声に、ミリアは浮き足立った声で笑った。


 何気、ミリアが住んでから5年の月日が過ぎている。

 国に溶け込んでいて当然だ。


 それを期待して、指先でつまみ上げたお直しのドレスも軽やかな気分だったが、エリックから返ってきたのは静かな『NO』だった。



「…………いや? どちらかというと、逆だな。この国の民にしては少し異色だと思っていたから」


「いしょくって。」

「自覚がなかったのか? 異色だよ。少し関わっただけの俺でもわかるぐらい」

「…………まじか」


「──ああ。でも、これで合点がいった。生まれ育った場所が違うのなら、それは……そうだよな」

「…………」



 『心底腹に落ちた』と言わんばかりに頷く彼に、ミリアの気持ちは複雑だった。



 彼女は、自分の適応力に自信があったのである。

 現に今まで『あれ? どこ出身?』と聞かれたこともなかった。


 ──のに、この男は堂々と『異色』と言い放ちやがったのだ。



「…………仮にも5年暮らしてるんですけど……これで、異色とかショックなんですけど……」

「────フ! 5年暮らしていて、盟主の名前も覚えていないじゃないか」

「………………コイツ………………」



 すっきりとした顔で皮肉るエリックに、ボソッとした声と共に、摘まみ上げていたドレスを落とす。



 工房ビスティーの昼下がり、窓から差し込む光も穏やかに。客側通路の真ん中で、ミリアは彼に向って眉をくねらせると、唇を立て、



「っていうか、盟主さんの名前は関係なくない? だって知らなくても生きていけるし、生活困らないもん。それよりそんなに異色かなあ、わたし?」


「……この国の女性は、ナンパを相手になんてしないからな。面と向かって食ってかかる女性なんて初めて見たけど?」

「嫌なものは嫌だと言わなきゃ伝わんないでしょ。主張する、大事」


「……君の場合、その主張の仕方が問題あると思わないか?」

「嫌だって言ってるのに、柔らかく断ってるうちに立ち去らないのが悪い」

「………………」



 ミリアのきっぱりとした言い分に、今度はエリックが黙り込んだ。


 図星を突かれたかのように眉を寄せる彼を視界の隅に、ミリアはというと『あっさり』だ。切り替えたように腕を組むと、エリックに向かって言葉を投げる。



「で、まあ、わたしの話はさておいて。たしかに〜、そうだよね? ああいうナンパに対して、はっきり言わないよね。ここの人。ついでに、ずーっと感じてたけど、特に若い女の人、男の人に冷たいよね。そよそよしいっていうか、冷徹って言うか」

「………………」



 その言葉に──さらに黙り込むエリック。


 平然としたミリアの目の前、彼の見目麗しい顔がどんどん……険しく苛立ちを帯びていく。



(…………こわっ……!)



 その変わりように、ミリアは頬を固めて身をすくませた。


 もともと『彫刻のような容姿』の彼の表情が、さらに険しくなった時、その絵面が放つ迫力は半端ないものがある。


 剣幕・威圧・オーラ。なんと表現したらいいかわからぬ圧を目の当たりにして、ミリアが内心背筋を凍らせるその前で



「…………やはり、感じるのか」



 エリックの、やや落ち込んだような声は、ビスティーの空気を打った。



 深刻・真剣。

 悩んでいると言っても過言ではない空気を放つ彼に、ミリアは慌てて、後ろから引っ張り寄せた男性ものの貴族衣装を握りながらわたわたと、



「……え、えーと。最初は違和感あったけど、もう慣れちゃったかな? 女性店員さん、わたしにはにこやかなのに、次の男の人にはツンツンしてて不思議だったけど、勝手にそういう規則や教えでもあるのかなって思ってた」

「…………」


「…………あ、あの~、悪く思わないでね? 他の国の人間の感覚だからさ、ちょっと、えーっと、変わってるなって思っただけでっ」

「…………なら」



 困ったようなフォローから、一拍・二拍の呼吸を置いて、エリックは──口元を覆っていた右手を下ろし、まっすぐとミリアを見つめて問いを・放つ。



「…………君から見て、今のここはどう思う? ……聞かせて」

「え? いいの? 素直に言っちゃうけど」

「…………いいよ。聞かせて」



 返る戸惑いに、真摯に述べる。


 エリックにとって『ここまで聞ける人間』はほかに居ないのだ。そして『国外の人間』もまた同様。『忌憚のない意見』は彼にとって、今一番欲しいものでもあった。



 そんなエリックの、ある種・救いを求めるような問いかけに──ミリアは一瞬戸惑うが──”一拍”。



「ナンパ多すぎ。質悪すぎ。偉そうすぎ」


「………………」

「ああいうの、ほんと多い。よく見かける。とりあえず偉そう。たいど酷い。女は物じゃなければ家政婦でも何でもないのに、力でおさえようとするじゃん」


「…………」

「ああいうの見てると、女の人たちの態度も納得できる……けど。なんでああなの? 昔からなの? 盟主さんなにやってるんだろ??」



 ────────はぁ────────……

 ミリアの忌憚ない言葉に、彼は重々しいため息を落とし呟いた。




「………………オリオン領は、今改革の真っ最中なんだ」



 その昏き青の瞳に、深い影を宿して。





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