言い出したのは、ミリアの方。
『話が聞きたいって言ってたよね? それなら、ビスティーでどう?』
そういう彼女に、エリックは内心ほくそ笑んだ。
少々手こずったが、これでやっとスタートラインに立てる。
やはり容易い。
情報なんていくらでも取れる。
──さて、今日はどこまで盗ろうか。
そんな内なる野心を笑みに隠して、彼は見事に
「あーと〜〜〜、そうそう。うちでやってるサービスって他にも色々あってさ、例えばこれ。隣のクリーニング店に出されたものなんだけど、洗う前に全部チェックしてお直しするの。洗った後で『破れてた!』とか、結構あったらしくて。そういうトラブルを未然に防ぐための、業務提携をしている感じなんですね? クリーニング屋のご主人がさー、お直しとか苦手で。まあこっちもお金もらってるし、持ちつ持たれつってやつ? これが、一枚につき20パーセントの報酬。結構な時間潰しになるのよ、これが」
「…………ああ」
「ほらぁ、うち、基本は女性服取り扱い店なんだけど、やっぱりその辺もやっていかないと生き残れないじゃない? こういう地味な仕事が、命を繋ぐんですよね~~。ほらここ、ボタン取れてる。こっちは裾の裏が穴空いてる。ね? これとか、これとかをね? 直すの。OK?」
「……うん。──……なあ、ミ」
「で、これがカタログ。これから、お客様が望んでいるスタイルを決めて、布を決めていく感じ。これとこれはオーナーの手書き。こっちはわたし。ここから服を選んでもらって〜、あそこの扉。あの二つあるやつ。あの奥がフィッティングルームになってるんだけど、入るとずらーーっとドレスやワンピース・ビスチェタイプの上着とか縫ってない状態のスカートとか並んでるから、そこで試着してもらう。カウンターで大まかに決めて、奥でみっちりフィッティングね? あ、ちなみにうちカウンセリングとオーダーは予約制だから。ここから参考にセミオーダーしていく感じ」
「…………へえ。そうか。」
巻き込まれていた。
客用通路・作業台前。
かれこれ、もう30分以上以上になるだろうか。しゃべり続けるミリアに、エリックはわずかな笑みを貼り付けたまま、感情のこもっていない声で相槌を打っていた。
ハッキリ言ってマシンガントークである。
ビスティーに入ってから今まで、ずっとこの調子。エリートスパイ・エリックの、顔に貼り付けた笑顔も機能しなくなってきていた。
確かに『仕事の話を聞きたい』とは言った。
しかしそれは『仕事で得た噂話や愚痴』というニュアンスだったのだが、彼女はそれを、どストレートに捉えたようである。
道具の場所から糸の種類、ドレスや服に適した布生地や、さまざまな型の説明・魔具シャルメの使い方。業務提携の話に、果ては縫いにくい生地の愚痴まで。
ワンピースやスカートも多いが、ビスティーの取り扱いはドレスに偏っているようで、とにもかくにもドレスを主軸に散々聞かされた。
もう、ここで今『はい、働いて!』と言われたら働けるのではないかと思うほどだ。
(……それを聞きたいんじゃないんだけど)
とは思うものの、ここで相手の話を遮ってしまえば、きっとムッとするだろう。
(いっそ、誰か客でも入ってきてくれれば……一度話が切れるんだけど)
とも思うが、こういう時ほど、誰も入ってこないのがお約束というやつである。
今もなお喋り続けているミリアにこっそり息つくエリックの前。
ミリアは意気揚々と腰に手を当て、ふふんと首をかしげると
「──ってな感じかな? 他に質問ある?」
「────へえ、そうか」
──ん゛!?
飛び出す相槌、未更新。満足げだったミリアの顔に皺が寄る。
「…………話、聞いてた? ちょっと。」
「……聞いてた。聞いていました」
伸ばした腕で二の腕をぺしぺし! と叩かれ重々しく頷いた。
正直、もう やや疲れたのだが……『聞きたい』と言った手前、そんな素振りは見せられない。
ぐったりとした気持ちに叱咤を入れつつ、エリックはその頬に一筋の汗を流すとビスティーの中を一望し、
「………………まるで新人研修みたいだった。備品の場所まで全部覚えた。……俺、もうここで働けるよ。自信がある」
「────ぷっ! あははは! それは無理だと思う〜!」
ため息混じりの言葉に、響くのはミリアの笑い声だ。真面目に言ったつもりだが、彼女は肩を揺らしてくすくすと笑いながら、口元を手で隠して得意げに首を傾げると、
「
「”エリック”だ。……いい加減、名前ぐらい覚えてくれないか?」
「覚えてる覚えてる。覚えてるから、アレンジしている〜」
「…………はあ…………、そう。」
二つ返事でゆるゆると応えるミリアに、がっくりと項垂れる彼。
店内にふんわりと舞う毛ぼこりに反して、エリックの気持ちは下降の一途をたどっていた。
(…………これだけ聞いて、欲しい情報にかすりもしないとは……)
”上手くいかない”。
こんな状況にやや辟易としている彼だが、スパイの仕事を甘く見ているわけではない。
欲しい情報がすぐに手に入るなどと思っていないし、こういう仕事は『忍耐』が
しかし、繰り返すが『このパターンは初めて』だ。
何度も『待ってくれ』と言葉を挟もうとしたのだが、彼女が張り切って説明をし始めるし。とても楽しそうだし。口も挟めないし。息継ぎすら怪しいほどのスピードで繰り出される説明を、ひたすら飲み込み理解しながら様子を伺うしかなかった。
しかしそれを無理やりぶった切ってもいいことはない。
気持ちよく話している時は聞きに徹したほうがいい。
わかってはいるのだが、矢継ぎ早に繰り出される説明に、何度も口を挟みたくなったのは言うまでもない。
布やら糸やら、そんなものははっきり言って無駄────と言いたいところだが、彼は、吸収する方に徹した。
スパイというものは、いつ・どこで・どんなものが武器になるか、わからないものなのである。
──彼女から聞いた情報をもとに、彼が次に、脳内で組み立てるのは今後の作戦。
持って行き方・会話の運び方、情報の盗み方。
引き出しは、多ければ多いほど。
切り返しが、話題が増えていく。
相手の矛盾を突くことも、賛同することもできる。
一通り説明をし終えて、ご機嫌に作業台上の預かった服をチェックする彼女に、ちらりと目を向けて、エリックは考えを巡らせた。
自分の話の持って行き方が悪かったとしたら、次はどうするべきなのだろう? どう会話を投げれば、誘導できるだろう?
『今まで聞いた情報』と『欲しい情報』を照らし合わせ、探し当てた言葉を投げる。
「…………なあ、聞いていて思ったんだけど」
「はい、なんでしょうか?」
「…………生地にも、流行り廃りがあるんだろ? 今年人気が出ているものとか、あるのか?」
「あるある!」
返ってきたのは陽気な二つ返事。
大きなカット台の前・綺麗なドレスの裾をチェックしながら答えるミリアに、エリックは
「…………へえ……やっぱりそうなんだな……俺にはさっぱりわからないけど。良いものが流行ったり?」
「うん、高い生地が流行る時もあるね〜」
反応はいい。間髪入れずに返ってくるそれは、ミリアが自分を警戒していないことを示していた。
無知を装いつつ、エリックは瞳に野心を宿す。
(────これなら、少し鎌でもかけてやればたやすいかもしれない)
「……へえ、そうなのか。良いものといえば……そうだな。 シルク? とか……あとは……毛皮、とか?」
「────けがわ?」
言った瞬間手が止まる。
一拍・二拍。
まるで絵の中に入ったように動きを止めるミリアに、エリックの視線が注がれて──……
「……なんで《けがわ》?」
そのはちみつ色の瞳がまあるく まっすぐに。
彼を捉えて問い返したのであった。