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3 君の秘密

第21話 ああ、どいつもこいつも鬱陶しい




 男は、盟主であり、スパイだった。

 盟主の暮らしはとても華やかで、それと同時に──退屈な忙しさで溢れている。




 ※



 本名 エルヴィス・ディン・オリオン。

 偽名 エリック・マーティンの朝は早い。


 早朝、起きて軽く体を伸ばし・領地内を軽く走り込み・馬も走らせる。汗を流して朝食を済ませ、執事のヴァルターから今日明日の予定を聞かされスケジュールをこなす。



 その内容、多岐に渡り。

 はっきり言って『激務』だ。

 優雅だなんてとんでもない。


 ノースブルク諸侯同盟国が属する『ネム国際平和連盟』は現在、改革の真っ最中。連盟諸国とより良い国を築くため、定期的に集まっては方向性を擦り合わせている。


 それらに並行して、同盟諸侯・貴族階級の舞踏会チェック。年間で定められた回数に満たない・あるいはあいだが空きすぎている場合など、催促という名のラブレターを出し、金を使わせるのである。



 舞踏会にはもちろん参加が必須だ。

 舞踏会が好きなわけではない。

 どちらかと言うと、出たくない。

 しかし、それも責務なのだから仕方ない。



 彼は、それらに出向いて会話を重ね、貴族のパワーバランスを把握・反乱分子の監視・忠誠心を量っているのである。


 盟主がわざわざ、小家の舞踏会にまで顔を出して・ご挨拶をして・にこやかな世辞を吐く。社交界では”完璧なロイヤル階級の仮面”をつける。


 それが彼の本業であり──責務だ。


 東に反乱分子が湧いたといえば調査の兵を出し、西に飢えで納税できぬ村あれば必要物資を届け、同盟国をまとめ上げる『盟主様』。



 ラジアルの副業しごとも、要はこちらに関係してくるのである。

 些細なことでも耳にしておけば、何かが起こった時に事態を把握しやすいだろう。


 それらも含めて。彼がこなす山のような仕事の中には本来、人に投げても良いものも山のようにあるのだが──彼は『人に任せるのが得意』なタイプではなかった。



 広い自室。本の山。

 壁という壁に立て付けられた本棚にびっちりと刺さる本を背景に、床に敷かれた絨毯を踏み締めて。鏡の前、身嗜みを整えるエルヴィスを前に、大柄の執事・ヴァルターは言う。



「旦那様、本日のご予定は」

「9時から前期納税確認・10時半から児童学校への視察・11時45分にはドミニク殿の屋敷でレアル嬢と会食。……すべてを終えるのにおよそ3時間かかるとして? 屋敷に戻れるのは17時を回るだろうから、頼む」



 執事の言葉を待たず、さらさらと口にする。

 これもいつものことだが、執事と主の言葉数がまるで逆である。

 執事が黙々と話を聞く中、エルヴィスは首元のタイを締め直しながら口を開き、



「ああ、それと。マルロ殿とヴァイオレット嬢のところに、舞踏会の開催要求を出しておいてくれ。あそこ、もう半年以上やってないから」



 流れるように分厚い書類の束を高速でめくり、ぱたんと閉じた。


 彼の朝はいつもこうだ。

 朝食は部屋で済ませて、あっという間に仕事に取り掛かる。速読で確認を済ませた書類の束をばさっと机の上に放り投げ、腕のボタンを閉め・前髪を整え、部屋を後にする。


 そして、流れるように思い出し考えるのだ。



(…………納税確認と学校視察はいいとして、問題はレアル嬢との会食だな。あそこのご令嬢の趣味は? 宝石と剥製だったか? ……いい趣味をしているよな、本当に)



 本日の訪問先・『ドミニク男爵の令嬢・レアル』の好きなもを列挙して、辟易と息を吐いた。エルヴィスは、あの屋敷が好きではなかった。



(……まあ。剥製は『毛皮』と言うわけではないけれど、材料は一緒なわけだから……それとなく聞いてみるか。場合によっては、いい話が聞けるかもしれない)



 見慣れた屋敷の装飾の向こう側──思い浮かべるはドミニク邸のインテリア。



 ──エントランスホールに入って早々、客を迎える大きなニルヘイム熊の首。

 ところどころに置かれた、シア鹿。

 当然だがそれら全てについている──『艶やかな・生気のない瞳』。

 『もうそこに 生命いのちはないのに。輝くことのない瞳が並ぶ景色』。思い返すだけで気分が沈む。



(…………剥製、ね。他人の趣味をとやかくいうつもりはないけど……『殺した上で生きているように展示する』アレ。……どこがいいのか、わからないんだよな)



 生首が見守る中で振るまわれる中、レアル嬢の饒舌な自慢話をエッセンスに運ぶ食事を予想して、彼はげんなりと息をこぼしたのであった。










 ────貴族の付き合いは好きじゃない。


 煌びやかなドレスや上質のスーツに身にまとい、美味いものを食べ、暮らす。


 会食を行い、常に同じ話を聞く。

 本人の趣味・歌劇や宝石・絵画──興味のないものにもさも興味があるように示し、時間を棄てる。



 饒舌に語る彼らがすべて薄っぺらく感じるのは、恐らく。語る本人に魅力を感じないからだろう。



 エルヴィスはそんな貴族の付き合いに辟易としていた。しかし、そこに彼の意志は関係ない。



 やらねばならない。

 やるからには失礼な態度はとらない。

 オリオンの家に生まれ落ちたのなら『これが責務だ』と。

 重々承知していた。




 ※




「はっはっは! どうですかな閣下! お味の方は!」

「────────ええ。とても」



 招かれたドミニク邸。 

 陽気に言われて笑う・・

 物腰も柔らかに、にこにことした笑みを浮かべて。



(…………味? 悪いわけじゃないけど、食べた気がしない)



 つぶやく本音は胸の内。

 いくら爵位が下だとはいえ、本音を吐けば今後の関係に支障が出る。


 例えば相手が気に入らない相手でも。

 例えば屋敷の内装が不気味なものでも。


 気取られぬよう、常にささやかな笑顔を張り付けて。相手の機嫌を損ねぬよう・かつ威厳を保ちながら。


 気を払い・薄っぺらい言葉を吐き・距離を保ちながら「付き合っていく」。


 彼はそういう《外面の良さ》は完璧だった。



 腹の底の不快感を微塵も出さないエルヴィスに、ドミニクの娘・レアルはくねくねと動きながら彼に向かって好色の目を向け、



「ふふ、でしょう? お父様にお願いして、最高級の牛をご用意致しましたの♡」

「──ご配慮賜り光栄です、レアル嬢」

(……これを毎日だもんな。正直気が知れない)



 ワインも肉も嫌いではないが、ここで口にするそれはどうにも旨くない・・・・


 グラスに入ったワインは毒々しい紅。

 最高級だという肉は油の塊。

 旨味どころか胸のヤケたような不快感を覚える中、レアル嬢は胸元をぐっと上げ小首をかしげると、



「ねーぇ? エルヴィスさまぁ? レアとの話は楽しんでいただけているかしら? さっきからお顔が優れませんわ……? レア、エルヴィス様のために、お話をご用意してきましたのよ?」



「…………ええ。楽しく聞かせてもらっていますよ」

「あぁ、なら良かった! 見てくださる? こちらの宝玉を。とても綺麗でしょう? ご存じかしら?」



 出されたのはジュエリーボックスの中で深い黄色の玉だ。宝石なのはわかるが、エルヴィスはその方面に明るくなかった。



「────ああ、いえ。知識がなくて申し訳ありません。私に教えていただけますか?」

「希少人種の瞳ですの!」


「────へえ、それは凄いな」



 嬉々として。

 ジュエリーボックスの中で輝く深い黄色の目玉に、素早く嘘を吐いた。



(────”瞳”って。剥製だけでもどうかと思うのに)



 呟く内側に嫌悪が芽生える。

 虐殺の様子が脳裏をよぎる。


 『食うに暮らすに致し方なく』なら理解もできるが、レアルが自慢気に見せるそれは『高慢と欲にまみれた殺生の証』だ。


 薄く張り付けた笑みの奥、滲み出てしまいそうになる軽蔑を抑え込むエルヴィスの前、レアルは頬を緩ませ『輝く目玉』を指でつまみ上げ光に照らすと、



「ここまで深い色のものは珍しいのです。条件が揃わないとこの色にはならないんですって。加工と保存も難しいようで、レアもお父様にお願いし続けて手に入れたのです♡」

「はっはっは。それを言われた時は、さすがの私も考えたがねぇ〜! 愛する娘の頼みとなれば、聞かないわけにいかないでしょう? 盟主殿!」



「…………ええ」

「はっはっは、いやはや失礼! 盟主殿にはいささか見当もつかぬ話でしたかな? しかしですぞ、閣下! 娘は可愛いものです。エルヴィス様。どうです? そろそろ本気でお相手を探しては?」


「…………そう…………ですね、……まあ」

「……まあ! 嬉しい……! お父様、レア、お嫁に行ってしまうかもしれないわ?」

「おうおう、我が愛しの娘レアル……! 私の元を離れてしまうのか……!」

「────あぁん、お父様……っ!」


「ははは」

(…………勝手に話を進めるな)



 テーブルの向こうではじまった寸劇に、乾いた笑いで毒を吐く。


 彼はこれにも参っていた。


 盟主の座につき、年齢を重ねて26歳。18のころから散々言われ続けてきた『婚姻』に、いよいよ、娘を持つアッパー階級貴族たちのアピールが酷くなってきたのである。


 若いうちはまだ冗談交じりのものも多かったが、23を迎えたあたりから相手の本気度が増してきた。令嬢たちのねばつく視線も・その親たちの卑しさも一層感じられるようになった。


 それらがわかるからこそ、こちらからは距離を置き、相手の心傷が最小になるよう努めてきた。少しでも気を持たせたら取り返しのつかない事態になり得るからだ。しかし。



(────これが延々続くと思うと……吐き気がするな)



 思い返して毒を吐く。

 言われれば言われるほど堅牢になることを、彼らは知らないのだろうか。



 そっと、端でうっぷんを逃がし、陶器の仮面を貼り付けたまま、音もなくグラスを持ち上げるエルヴィスの前。


 ドミニクはというと、肉の腸詰のような指でレアルを引き寄せ頬ずりするのだ。



「おおぅ〜、レアルぅ〜、寂しくなるなあ〜」

「……お父様……! 嫁いでもレアルはいつまでもお父様の娘ですわ……!」

「────しかしな! レアル! エルヴィス様がお相手ならパパも」

「少し待ってください」



 ────流石に声を上げた。

 このまま放っておくのはマズい。ここできちんと意思表示をしなければ、話を聞かないこの親子はどんどん暴走するだろう。



(……こんな悪趣味な家と、未来永劫付き合ってたまるか)



 と、内心吐き捨てつつ、彼は自らの思惑とは正反対の、にこやかな笑みを張り付けて、



「────ドミニク殿。そなたのご息女はとても麗しいお嬢様だ。……わたくしには勿体無い、もっと良い人がいますよ」


「そんな、エルヴィス様……!」

「────それに、レアルさん。貴女も、こんな知りもしない男に、安易に婚約を打診するものではありません。ご自身を大切にするべきだ」



 憂いと謙遜を込めた拒否ことばを吐いて距離を取る。

 レアルはしかし悲劇を纏わせふるふると首を振り、じっと上目遣いを向けてくると



「───釣れないのね、エルヴィス様……!」

「はっはっは! レア! 気にすることはない! オリオンの人間は、昔っからこう・・なのだよ!」


(──────…………またか)





 瞬時にエルヴィスの頬が強張る。

 静かに息を殺し、目だけで殺意を漂わせる中。

 くるんと小首をかしげるレアルに、ドミニクは陽気に笑い──述べた。



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