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第28話 「お願い、黙ってて!」





 ────よくよく考えたら、不思議な話だ。


 以前、彼女から『マジェラ出身だ』と聞かされた時には、その事実に納得してしまい、理由を聞くまでに至らなかった。


 しかし、長き歴史の間。

 商人や物流を動かすものはさておき、国を渡り移住する者など、大陸戦争が終結してから今でもあまりお目にかかったことがないのに。



 ましてや、彼女は女性である。

 人外まものが出ないとも言えない街の外──いや、国の外からと考えると、随分と大それたことをしている。しかも彼女の年齢から逆算すると、越してきたのは19の時だ。



「……君。なんでマジェラから来たんだ? 理由があるんだろ? わざわざ、国を超えるなんて」


 『改めて』。

 ……いや。『場を繋ぎ・空気を緩ませるため』の問いかけに、しかしミリアは慌てて手を上げると、



「────ちょ、ちょっと待って!」


 血相を変えたのであった。





 ※※




 シルクメイル地方・オリオン領西の端・ウエストエッジ。

 雨上がりの住宅街。


 突如慌てるミリアに『ん?』と目だけで様子を伺うエリックに、ミリアはそのはちみつ色の瞳で素早くあたりを見回すと



「…………し、──しーっ……! それ、外では出さないで……!」

「…………!」



 声を潜め、小刻みに首を振り、必死を醸し出すミリアに釣られて息を呑んだ。

 そのあからさまな困惑と焦りに驚くエリックの視線が注がれる中、ミリアは彼の両腕をガシッと掴むと、



「……おにーさんには言ったけど……! 他の誰も知らないの、言ってないの。まじで。ほんとに誰も知らないやつっ……! 言った後で申し訳ないんだけど、黙っててお願いっ……!」

「…………」



 言われ、すぐに言葉が出なかった。

 こちらを見上げるミリアの表情は、彼女のイメージから離れた『必死』そのもの。



「……どうした? らしくないな。それが問題あるのか?」

「……あるよ……! マジェラ う ち が、昔どんな風に言われてたか知ってるでしょ?」

「────!」



 彼女の言葉に喉が鳴る。

 そして瞬時に理解した。

 ミリアの懸念と、その理由。


 『マジェラ』は、大昔。

 『喧嘩を売ってはいけない国』・『人成らざるものの魔境』などと言われ、恐れられてきた。『喧嘩を売ったが最後、黒き魔物が国を焼き払うだろう』という言い伝えもあったとも聞いている。


 しかしそれは遠い昔で、もはやおとぎ話に近いものだ。


 国交が開かれてから、魔具商人も多く出入りするようになり、マジェラの民に対するイメージはすでに払拭されているはずで、迫害もなければ偏見もない。



 しかしまさか、彼女がそれを気にしているなんて。 

 出会ってからまだ数回ではあるが、彼から見た『ミリア・リリ・マキシマム』という女性は『基本的にじゃじゃ馬で、向こう見ずで、多少の雨の中なら傘を差さずに走っていきそうな印象』だっただけに、『そんなこと』を気にしているとは 思わなかった。


 その戸惑いは、素直に口を突いて出る。



「…………いや、確かに大昔はそうだったかもしれないけど。今はそんなこと思うやつ、居ないよ。安心していい」 


「…………そんなのわかんないじゃん? キミも言ってたとーり、意識が変わるまでには時間かかるじゃん」

「…………、……」



 はっきりと言われて言葉に詰まった。

 《意識改革までにかかる時間》については、彼自身が一番身に染みていることだからである。



 人の意識……いや、民衆の意識など、そう簡単には変わらない。

 どれだけ説こうと、中年以上は女性に対する扱いを改めない。どれだけ説こうと、こびりついた価値観はなかなか変わらない。



 ウエストエッジの一角。

 住宅街の路地、雨上がりの昼過ぎ。


 黙るエリックのその前で、少し緊張した面持ちの彼女は『こつ、こつ、こつ』と、ゆっくり石畳を踏みしめながら、祈るように手を合わせ口元につけると、ちらりと目配せして言うのである。



「…………言わないが吉。……あーっと……、ここの人たちの事、信じてないわけじゃないよ? いい人ばっかりだし、オーナーとか、親以上に感謝してる。うちの職人もすごいし」



 言いにくそうなその顔は、如実に彼女が『そうならないように努めている』のが現れている。



「……でも、言う必要ないものは言わなくていいじゃん。特になんか──、その………………できるわけでもないし」

「………………」




 最後は、申し訳なさそうに眉を下げ、瞳を迷わせながら気まずそうに肩をすくめるミリアに沈黙した。



 返す言葉が見つからない。


 エリックは本来、口が達者な方である。

 貴族関係の交流なら相手に敬意を払いながら対応できるし、どんな嫌味を言われてもにこやかに返答してきた。

 依頼関係ならもっと容易い。上下関係だけだからだ。


 『だから』、と言っては少々違うかもしれないが──民族の違いについて、このように意見してくる人間などいなかった。


 まして、当事者の意見を聞けることも、無かった。



(────外の人間だからこそ、か……)



 いまだ、所在なさそうに肩を落として歩む彼女に呟いて、エリックは考えを巡らせて──


「────なら、ミリア。……君がナンパに対して力を使わなかったのは、そういうこと?」

「…………!」




 エリックの問いかけに、今度はミリアが目を丸くして黙り込んだ。


 その顔に図星を走らせ、はちみつ色の瞳を激しく悩ましげに迷わせた後。ミリアは、ばつの悪そうに見上げると





「…………あー、おにーさん、勘がいいよね~……」



 気まずそうに苦笑い。

 その様子から推測できる、彼女の胸の内。

 エリックは”さっ”と周りの様子を窺って、周りに人が居ないことを確認すると、ひそひそと声を潜めた。



「……不思議だったから。マジェラ君の故郷は『皆、力がある』はずなのにどうして力を使わなかったんだろうって」

「ウ、ウぅん……」

「──いや、いいよ。考えていることはわかってる」



 胸の前で握った指をもみながら、居心地悪そうに肩をすくめるミリアに首を振る。きっと、予測しているのだろう。



 『魔術を使った時。そしてそのあと。周りの扱いがどう変わるのか』『どういうリスクが降りかかってくるのか』



(──────……)



 考えたくはない。

 しかし、あり得ない話ではない。


 『マジェラの民や魔法に対する偏見や畏怖はなくなっているはずだ』とはいえ、ノースブルクの人間は『実際に魔術を操る人間』を見たことがないだろう。


 国民は魔法を使えないし、魔具で力を借りる程度。

 盟主であるエリックも見たことがない。

 そんな中、『突如街中で魔法が現れたら』、どうなるだろう?


 事態を──いや、『事態が起こった後に渦巻く雰囲気』を思い浮かべて気落ちする。しかしエリックは切り替えるように息を吸い込むと、冷静を前面に彼女に問う。



「…………つまり。現状、今ここで君のそれ・・を知っているのは、俺だけってこと?」

「…………う、うん。いやーごめんその、言うつもりはなかったんだけど……」



 問いかけに返ってくるのは、いまだ──気まずそうな声。

 そこにいつもの快活さは無く、あるのは居心地の悪そうな表情だけ。


 ミリアは頬をこりこりと掻きながら誤魔化すように言うのである。



「────なんかっ、こう、ぽろっと……いや、ズバッと。けっこう堂々と、宣言してしまい────……多大なるご迷惑をおかけしたことを、ここにお詫び申し上げまス」

「────はあ……なら、今度から気を付けて。相手が俺だったから良かったものの、他のやつだったら、君が予想もしないような目に遭っていたかもしれないだろ?」


「…………キミほんと正論いうよね……」

「口に出してしまったものは撤回できないからな。常に注意を払っておかないと」



 『当然だ』と言わんばかりに、吐き出す息と共に溢して、彼はそっと目を伏せた。

 ……彼女の手前呆れを交えてそう・・は言ったが



(──ミリアが警戒するのも、無理はない……か)



 彼女が言いたいこと、懸念するのもよくわかる。

 『身分が明らかになること』

 『正体がばれること』

 そのリスクやメリットについては彼自身──常にそばにあるからだ。



 『盟主』の自分には皆すり寄ってくるし、『融資』という名の金の無心をしてくるやつもいる。あからさまにへつわれることもある。

 ラジアルのほうもでもそれは同様だ。

 裏社会で『ラジアル』を聞いたことのある者には、名乗るだけで十分な牽制になる。


 『盟主』『スパイの頭』『モデル』……

 外から見えぬ立場が露見した時。

 相手の態度が変わることは『往々にしてあること』だ。


 “良くも、悪くも”。


 エリックは彼女の言い分を反芻し、沸き上がる気持ちを、言葉として漏らし始めた。



「……本当なら、『この国にそんな人間はいない』って言いたいところなんだけどな……」

「いや〜〜……、全員がイイヒトだったら、気持ち悪いよ〜。『国家レベルで洗脳でもかけてる?』って思うじゃん? そっちの方がこわいよ」



 彼の愁いの言葉を、軽くやんわりとフォローしたのはミリアである。

 彼女は『そんな理想論』を抱いている人間じゃない。どこにだって悪人はいるのだ。変人もいるし、能力のある人もいる。


 ──『綺麗ごとでは渡れない』。

 そんな価値観を根っこに持っているミリアにとって、彼の意見は『究極の理想論』に他ならなかった。


 隣で『意外にも理想論を口にする彼』に。ミリアは軽い足取りで彼の前に躍り出ると、後ろ向きに歩きながら、いたずらがばれた子供のような顔で彼を見上げ、両手をぱちんと合わせるのだ。



「…………えーっと、だから、その──~……。秘密にしてくれると うれしーな───って」

「…………ああ。もちろん。安心してくれていい。俺、口は堅いから」


「……おにーさんっ……!」

「……”エリック”だ」



 即答した彼に、うるるっと瞳を潤ませて。祈るように両手を強く握るミリアに対し、エリックは何度目かの同じセリフを吐いていた。


 もうすでに、様式美となりつつあるやり取りに息つく彼の隣。

 感動で彩った表情を安堵の笑顔に変えて、浮足立った様子で自分の少し前を歩くミリアは『あーよかったあ、生き延びたぁ、社会的に死んだかと思った、ふう~』などと、漏らしている。


 ──────フ、……!


 そんな彼女に、思わず笑った。


(……本当に、切り替えの早さだけは負けるな)


 ──そう、緩やかに呟く彼は、気づいていない。



 この先、彼女に何かを依頼する際。

 彼女を強請ゆすることができるだけの、切り札を得たことに。

 彼女の立場を揺るがすような秘密を得たことに。


 それが『使える』という発想に至らぬまま、エリックは浮き足立って先を歩く彼女に、改めてもう一度、問いを投げる。 



「…………で、理由については聞いてもいいのか?」

「りゆう?」


「そう。……まあ、純粋に知りたいだけなんだけど。『君がここに来た理由』。街道が設けられているとはいえ、パサー山脈あの山を越えてきたってことだろ? ……なにか相当な理由が」

「だって。」



 少しの間。視線を送るエリックに、ミリアは十分間をとって────



「──────」

「…………はっ?」



 その理由に、エリックは間の抜けた声を上げたのであった。




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