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第41話 スネークフィルター




(…………はあ────っ………………なんだったの、一体……)



 総合服飾工房オール・ドレッサービスティでの一幕。

 厄介な空気を出す人間 エリック が店を後にして、すぐ。

 心底疲れた声を胸の中に、指先でにぎる封筒に向かって息を吐き切るのは、着付け師のミリアだ。



 いつもの職場。

 自分のホーム。


 そこでいきなり始まったスネークとエリックの『縄張りバトル』に挟まれたミリアの気苦労は、想像に容易いだろう。


 体感、二ヶ月は老け込んだ気分である。

 頬も口元も下がるし、笑顔なんて出ないし、密かに指は震えるし。とんだとばっちりを受けた気分である。


(今の自分、やばいブサイクだな………………自信あるわ……)と、息を吐き背中を丸めるミリアだが、次の瞬間には『一拍』。

 来客スネークに向かって「ぐっ」と背を伸ばし、会費の封筒を持ったまま、カウンター越しに語り掛ける。



「…………スネークさぁん、……ほんとに知り合いじゃないんですか?」

「ええ、存じ上げませんねえ。少なくとも私の方は記憶にありません。知らない人間です」



 『ほんとにぃ?』と眉をしかめながら聞いてみたミリア。

 知り合いじゃないのなら『どうしていきなり戦闘モードだったんですか』と込めたつもりであったが、スネークの崩れない姿勢・・・・・・に──彼女のほうが眉を下げた。


 「……あぁ……、」とひとつ項垂れる。

 彼女は勘繰るのが得意ではなかった。

 それなりにものを考えるタイプなのだが、言われた以上のことを勝手に広めるのは好きではないし、目上の『スネーク商工会長』が違うというのだから、それ以上に勘ぐるのは失礼に値すると判断したのだ。


 そんな対応を受け、次にミリアが口にしたのは──『仲間の無礼』に対する謝罪だった。



「……ちょー態度悪くてすいません………………いつもはあんな────」



 言いかけて。

 脳裏によぎる、エリックの態度。


 『へえ、それは知らなかったよ、お嬢さん?』

 『普通はああするんだ、靴を投げたりしない』

 『またやって欲しいんだけど?『頑張ろうね、スフィー♡』って』



「────感じでもない、……わけでもない……んですけど」

「ほう? そうなのですか?」



 咄嗟にフォローをしようとして、逆に、変にぼかした言い方になってしまったミリアの言葉は、スネークの『興味』を刺激した。


 なにしろ、スネークの前でエリックは一切笑わない。

 怪訝な表情になることはあれど、にこりともクスリともしない。


 8年、笑顔など見せたこともないボスに対して『そんなことない』というミリアの証言に、奥底で興味が躍る。


(──……これは、聞くしかありませんね?)と内心呟くスネークの思惑などつゆ知らず、ミリアは(よかったごまかせた!)と、明るく笑って口を開くのだ。



「ええ! 割と気のいいお兄さんですよ。なんだかんだ付き合ってくれるし。『ちょっと』と思うこともあるけど、それはまあ『個性』というか」


「ほう。では、貴女の前では『気のいい青年』なのですか?」

「んん〜〜、まあ……」


「……私には警戒と嫌悪だけでしたが」

「……だから『知り合いかなー』って思ったんですけど……?」

「知りませんねぇ」



 『じー』っとした問いかけをすまし顔のままさらりと回避。

 やっぱり少し気になって突いてみたミリアだが、相手はスネークだ。その糸目の表情を読み取ることなど出来ず、ミリアはあっさりそれを飲み込み細やかに頷いて、



「そうですか、すみません〜。うーん……なんであんな態度とったんだろう?」

「…………どうやら、嫌われたようです」


「『いきなり嫌い』とか、あります~? だいぶ失礼じゃありません? もうっ」



 正直に物申し、今は居ぬ仲間にジト目でぶーたれる。

 ミリアの感性からすれば、『いきなり嫌い』はありえない。

 ────しかし。

 スネークの澄ましきった声は、平坦にビスティーの中に響いた。




「女性同士でもあるとは思いますが、男同士になると多いようですよ。……オスの本能、とでも言うのでしょうか」

「……はあ……、ホンノウ……」


「オスは本来、縄張り意識が強いですから。瞬間的に嫌悪を抱くことも多々あるそうです」

「でもあれじゃあ話す気にもなりませんよね〜? お友達いるのかしら」

「さあ」


「……まあ~~わたしはべつに、彼と話すの嫌じゃないんですけどねー」

「…………」



 困ったように、右手で頬を包み眉を下げる彼女。

 スネークは、ひとつ。

 ことばを投げた。



「…………ヤキモチ、じゃないですか?」

「はいっ?」


「──貴方という人間と、好意的に話す私が気に食わなかったのでは?」

「──…………」



 ぽとん、と投げられたことば

 いきなり飛んできた、根拠も何もないところからの”推測”に。

 ミリアはハニーブラウンの瞳をまるくして────…………


 ────ぶ! 



「あはははははは! そっ、それは絶対ないと思いますよっ、スネークさんっ!」



 二、三秒の沈黙のあと。

 思いっきり吹き出し腹を抱えた笑い声が、大きく響き渡った。

 彼女は大きく手と首を振りながらその右手で目尻を押さえつつ、



「ぷっ、ぶっ! な、何を言うかと思えば……! もー! スネークさん面白いなぁ!」


「──おや。違いましたか?」

「ちがうちがう! そぉんなわけないじゃないですかっ! だってそんなに仲良しじゃないですもん!」



 ばったんばったん手を振りながら否定するミリア。


 スネークには言えないが、エリックは『契約者』である。

 それ以前に出会ってからおおよそ2週間、3度しか会っていないのにヤキモチも何もない。


 しれっとすまし顔でそこにいるスネークに、ミリアは『はーっ』っと息を吐きながら手をぺしぺし動かして、



「っていうか、こわいこわい! それで好意向けられるとか怖すぎますって! ないない無理無理、絶対ない! あの人、顔はいいんですからっ、こんなところでわたし相手に、ぶっ! やきもっ……あはははは!」

「……そんなに笑いますか?」


「は──っ……、もーやだ、苦しいっ……! エリックさんは『ただのお客さま』ですっ。」

「あれほど仲睦まじく腕相撲をしていたのに?」



 ────ぷはっ! ん゛、んん゛、コホンこほん!


 追撃に笑いと咳がでた。

 彼女の中で、どうしてスネーク組合長がそんなことを言うのかさっぱりわからないが、とにかく『ミリ単位ともあり得ない』事柄に、笑いがこみあげてくる。


 ぷるぷるぷるぷる、笑いで震える唇と、出てくる涙をぬぐいつつ、ミリアは大きく息を吸い込むと、



「……あ〜……あれは、わたしが無理やりやらせたよーなもんですっ。全然いないんですよね〜、ああいうのに付き合ってくれる男の人って」



 言いながら、彼女が思い出すのは『失礼じゃない』エリックの方。


 なんだかんだで荷物を持ってくれたり、腕相撲に付き合ってくれたり、最終的には、ナンパから助けてくれた彼が蘇り────徐々に落ち着いた顔から、こぼれる笑み。



「……ん。まあ、その〜〜〜、優しいほうなんじゃないかなーって思ってますよ〜わたしは嫌いじゃないですね〜なかなか面白いお兄さんです〜」

「………………ほう。なるほど。そうですか」


「はい~、そうなんです~……ふふふ、それにしても、ふ! ヤキモチって……!」



 静かに納得した様子のスネークにそういって、ミリアはまたクスクスと笑い出した。


 ありえない。

 ありえないのに────面白いことを言う商工会長である。



(──はあ、おかし~、どこをどうみたらそうなるのか。っていうかスネークさんって結構愉快な人だったんだ?)──と、肩を揺らすミリアの、その隣から。



「────ミリアさん」

「はい?」


「会費、頂いてもよろしいですか?」

「うわっと! すみません忘れてましたっ」














 ──火のないところに煙は立たない。

 とある国にはそのような言葉があると言う。

 噂が立つには推測が出るのは、少なからずその原因があるというものだ。



「────いやあ。驚きましたねぇ。まさか、『彼女』がそうだったとは」



 ウエストエッジ・商工会議所・奥。

 今しがた到着した彼に対して、スネークは声も高らかにそう言った。

 その『愉快』を描いたような声に、エリックは怪訝に顔を顰めて声を張る。



「…………だったらなんだ。誰を情報源にしようとお前には関係ないはずだ、スネーク」

「えぇ。そうですねぇ」



 『これ以上聞くな』と突き放すエリックの物言いをさらりと受け止めて。しかしスネークはニコニコとした笑みのまま、ボスに目を滑らせると、こくりと首をかしげて述べるのだ。



「ただ────、驚いただけです。『流石』と申し上げた方がよろしいですか?

「…………は?」



 『流石』を強調する物言いに、エリックは不機嫌に声を張った。

 込めるのは『鋭利な棘』と『重い圧』。

 ”怪訝”をあらわにするエリックの前。

 しかしスネークは口角も滑らかに、鼻をクスリと鳴らして言うのである。



「────私は、『彼女』を知っていましたから。このウエストエッジでは珍しい愛想の持ち主で、人当たりもいい。もし私があなたの立場なら、白羽の矢を立てていたところです」

「…………それで?」


「────いやぁー、彼女があそこに勤め始めたころのことが鮮明に思い出されますねぇ……あの頃はまだ初々しい少女でしたが、今では立派な看板娘です」

「なにが言いたい」



 ──ふっ……

 冷徹な声にぬらりとした、スネークの笑みが返る。



「────いえ? ただ…………『ボスは彼女を、どう思われたのか』……、と思いましてね? 気立てのいい娘でしょう?」

「────別に。彼女はただの利用者ターゲットだ。……それ以上でも、以下でもない」



 その、伺うような言い回し・雰囲気にエリックははっきりと言い捨てた。

 瞳で射貫いていたスネークから目をそらし、彼は革張りの椅子に腰かけると、両肘をももに突き、温度の無い声で述べた。



「────利用できるか、できないか。盗れるか、盗れないか。使えるか、使えないか。それだけだ」

「──なら、いつものように?」

「………………ああ」



 ひじの先、力なく垂れ下がった指を緩やかに組みながら、端的に。

 『”いつものように”ミリアの前から消えるだけ』。


 ────と、言おうとして、一瞬。

 彼女の顔が脳裏に横切るエリックの隣で、スネークは澄ました顔で一つ頷き「…………そうですか」と言葉を落とす。



「…………スネーク。なんだ」 



 やけにあっさりと引いたスネークと、そこはかとなく漂う失望の色に、エリックが眉根を寄せた時。スネークは『哀れ』と言わんばかりの眉づかいで首を振ると、



「…………冷たいですねぇ。ミリアさんは貴方のことをあんなふうに言っていたのに……」

「………………は?」

(──何を言っている?)

「────何を聞いた」



 思わせぶりな言い方にエリックは声を張った。

 容赦なく向ける苛立ちの牙。

 詮索も嫌いだが勿体つけられるのは──いや、この男に勿体つけられるのは、心底嫌いだ。


 そして今の一言で、エリックの中で同時に渦巻くのはミリアへの懸念である。


 ミリアが何を言ったか知らない。

 が──その内容次第では、作戦の根本からやり直さなければならない。

 彼女は口も堅いとみているし、最低限の分別もある筈だ。それに、こちらのことを『契約者』以上には見ていないだろう。


 が、『あの後 何を話したのか』、わからない。

(────不快だ)



 奈落を閉じ込めたような黒く青い瞳に嫌疑と苛立ちを乗せ、じっ……っと黙りこくりながらも圧をかけるエリックの前──、スネークは、くすりと口元を緩ませ”一歩”。



「いえ。大したことはありませんよ、ただ……ミリアさんは、貴方のことを『とても優しくて良い人だ』『面倒見もいいし、好感が持てる』『カッコ良くていい』──それに何より『面白くて一緒にいて楽しい』と。そう、おっしゃっていましてね?」

「………………」



 聞いて、すぐに言葉が出なかった。

 『予想外のものを食らった』。

 懸念は一気に崩れ去り、驚きと戸惑いが胸に広がる。



「……彼女は大層誉めていましたよ? アナタのことを語るミリアさんは、本当に良〜い笑顔をされていました。アナタのことを『面白い』と表現するひとには、初めてお会いしましたから、私もいささか興味が出たのですが……」

「…………」


「……まあ。そうはいってもボスにとっては『情報源』ですし。いずれ切り捨てる対象だと言うのなら……そうなのでしょうねぇ」

「…………そうは言ってない」



 さらさらと言われて、ひとつ。否定の言葉で抗う。


 スネークを通して、ミリアの『まあ、優しいほう』が『とてもやさしい』。『顔はいい方』が、『カッコ良い』。『面倒見が良い』に『いい感じ』、『話していて嫌じゃない』が『一緒にいて楽しい』と変換され──エリックに伝わっていく。



「ただ…………彼女は、俺の協力者だ。余計なことはしないでくれないか?」

「余計だなんて人聞ひとぎきが悪いですねえ。私はただ……彼女の素直な気持ち・・・・・・を伝えただけです」

「………………」



 聞いて過るのはミリアの顔。

 ──〈ふふっ、あの人面白い人なんですよ!〉

 ──〈かっこいいし、優しいんです!〉


 ──── 一瞬。

 見えた幻影そうぞうに、黙り込み、一拍。



「────それでも。余計なことはするな。…………彼女に迷惑になる」

「────えぇ。承知しました」



 抑揚を抑えた声に、スネークの淀みない返事が響いた。



 商工会、奥。

 昼だというのにほの暗いその部屋で、じわりと生まれた『迷い』のようなものに黙り、考える。「協力者」・「情報源」・「相棒」・『面白い』──という彼女・・の言葉。


(…………いや。今は、そこじゃない)



 ぐらり。

 揺れた何かを無理やりにでも整えるように首を振り、彼は顔を切り替えた。そして再びつけるのは──真面目で、固い、ボスの仮面 かお



「…………それで。お前は、それが言いたくて俺を呼び出したのか? そんなことのために?」

「いいえ?」



 いつものように怪訝と威圧を纏わせて。

 『隙など無い』と腕を組むエリックに、スネークは『愉快なすまし顔』を消し去り、糸のような細い目で述べた。



「……お耳に入れておかねばならないと思いましてね。死亡事故が起きました。──いいえ、事件・・かもしれません」


「…………死亡事件? 場所は? 東の方か?」

「────いいえ。ウエスト・エッジ こ の 街 で」



 男は、盟主であり、スパイであった。

 スパイの暮らしは、常に予期せぬトラブルで溢れている。


 ────これは、嘘を重ねる男の話。




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