ノースブルク諸侯同盟・オリオン領・西の端。
ウエストエッジ・商工会事務所奥。
潰れたバーを改装した部屋で受けた報告に、エリックはまともに眉をひそめた。
「死亡事故? 事件かもしれないとは、どういうことだ、スネーク」
「────それが、まだ断定できないのですよ」
怪訝な声色に、スネークは静かに首を振った。そして流れるように、脇からぺらりと引き抜いた報告書を差し出すと、
「本当に先ほど情報が入りましてね。わかっているのは、『亡くなったのは女性である』ことぐらいです。いずれも若い女性でして……捜査部隊が今、調査に当たっています」
「”いずれも”ということは、……
「ええ。二人」
エリックが報告書を引き抜くと同時、重々しく頷いたスネークは続きを述べる。
「────亡くなったのは二名。マデリン・ブラウン24歳。ジョルジャ・シャッシ26歳。二人とも一人暮らしで、自身の住むアパートメントの前で死亡していました。今の調べから、自室から転落したものと思われます」
「…………”転落”…………、……自ら命を絶ったのか……?」
「わかりません。なにしろ、目撃者がいませんから」
資料を睨み考え込むボスに一言。
首を振り、カツンとかかとを鳴らしたスネークは、テーブルの上に地図を広げて指で差し、
「ジョルジャ・シャッシは、スピネル通り103の『ピネル・コロニ303号室』。マデリン・ブラウンは、ヘンルーダ街道7703『コロニ・イトルタ405号』住まい。いずれも、3階建て以上のアパートメントで、自室の窓が開いていたとのこと。調査に入ったものから、”部屋で争った形跡はなかった”と報告を受けています」
「…………報告をよこしたのは……、────ベルマンか」
「ええ。優秀な諜報員ですね」
ちらりと名前を確認したエリックに、スネークはさらりと頷いた。
ベルマン・フラッグ。
彼らラジアルの組合員で、警察組織に潜りこんでいるエージェントである。
優秀だが字が汚く、エリックは彼の文字を読み解くのは少し苦手だった。
安紙にベルマンの字で書かれた情報の中から「欲しい事柄」を探すエリックの口から、──
「────”時間”は……」
「ジョルジャに関しては14時30分前。マデリンがそのあと14時47分。いずれにしても、30分以内に二人、亡くなっていることになります」
「…………昼……」
(…………俺がミリアと外を歩いている頃か)
スネークの淀みない報告の途中。
思い返すは『自分の行動』。
事件が起こった頃・人が死んだ時。
自分は──”何をしていた”のか。
シゴトとはいえ、女性と二人。
呑気に歩いている自分をよそに、こんなことが起こっていた事実に、ジワリと心が淀む。
自分の過失ではない。
過失ではないが、エリックの中、濁るような感覚が湧きだすのを抑えることはできなかった。
(────人の死にざまは、想像でさえ気分のいいものじゃない……)
その場で起こったであろう悲劇と、彼女らの周りの人間。
それらをぐるりと想像し、落ちゆく心に──『喝』。
エリックは無理やり瞳を上げ切り替えると、やるせなさを怪訝に隠して口を上げた。
「────今日は朝からずっと雨が降っていたからな……外を出歩く者も少なかったんだろう」
「えぇ。マデリンの落下時刻が確かなのは、同じアパートメントの一階の住人が証言しているからです。『外で大きな音がしたと思って見に行ったら倒れていた』と。彼は遅めの昼を摂っていた途中だそうで、戻ってきたころにはパスタは冷えきっていました」
「…………パスタの情報はいい。同時に二人も、か…………頭が痛いな」
「この街で死亡事件なんて、何年ぶりでしょうねぇ……戦後10年はありましたが、盟主さまが変わられてから久しくなかったというのに」
「…………」
────そう。先代オリバーの死後、彼が引き継いでからいままで。
こんなことは起きなかった。
多少の事件事故はあっても、このような死亡案件は見られなかった。
(──のに、一気に二人か……)
状況にしわが寄る。
胃の奥の方がぐっと縮む。
しかしそれを嘆いている場合でも、口にするわけにもいかないのだ。
エリックは続きを促す様に、言葉を発した。
「…………”二人同時”と言うところを見れば、限りなく事件である可能性が高いとは思うが……────そのあたりの調べは?」
「……流石に、まだですね」
その問いに、スネークが静かに首を振る。
当たり前の受け答えにエリックも小さく息を付き、そして彼は街の地図を凝視し始めた。
(…………スピネル通りとヘンルーダ街道は、徒歩で30分以上離れた場所にある……馬でも使わない限り、この二人を同時にひとりで殺すのは不可能だ。まずは馬主をあたるか? いや、複数犯だと決まったわけじゃない。マデリンとジョルジャの接点もわからない)
────早くめぐる思考に・落ち着けと息を吐き、エリックはやや疲れた表情を醸し出すと、スネークに瞳を投げて問いかける。
「──……いずれにしても。今はまだ、事件か事故かわからないんだよな?」
「ええ。組織も事件と事故、ふたつの観点から調べを進めるそうです」
「ああ。ベルマンに『引き続き頼む』と伝えてくれ。……それと、『深追いはするな』と」
「────はい。手引きさせていただきます」
素直に頷くスネークに、エリックはひとつ、陶器の仮面の下から息を吐いた。
スネーク・ケラーという男とは基本的に仲も悪いし相いれないが、
互いに同じ方向を向いている時のみに発揮されるコンビネーションだが、こちらの意図をくみ取り先回りする、この有能さは──他のなにを差し引いても余るものであった。
(……いつもこうならいいんだけどな)
と、それでも悪態をつくエリックの傍らで。
糸目のスネークといえば、脇に書類の束を携え、こほんとひとつ咳払いをすると、
「…………それと、もう一つ」
「……まだなにかあるのか」
その、やや辟易を纏った声に、スネークは音もなく頷いた。
どちらかといえばこちらの方が本題である。
”べろり”と書類の束を差し出し、トーンもそのまま彼は言った。
「上がりたての価格調査報告書です。毛皮だけではなく、綿と絹も高騰しています」
「………………ああ」
「落ち着いていますね、ご存じでしたか?」
「彼女から聞いた。現場にいれば、情報は『一瞬』だからな」
答えながら、手渡された資料に目を落とすエリック。
魔具ラタンが照らす室内で、エリックの蒼く黒い瞳が捕らえる情報の数々。
記載されている綿とシルクの売価。
その他の変動。
彼女と訪れた問屋の言う通り、仕入れた情報と差異はない。
────と、同時に浮かぶ、
『……困る!』
『ねえ、どうしてこうなったのっ!』
『────どうしよう……!』
「…………────」
つい先ほど目の当たりにした彼女に、黙りこんでいた。
いつものお気楽さはどこにもなかった。
真剣に困っている様子だった。
ハニーブラウンの瞳に移った焦りの色。
ぐんと瞳を貫く余裕の無さ。
それらに圧倒されて、喉元まで出かかった言葉が──蘇る。
──『…………だから、』(『なんとかする』)
(…………思い出しても呆れるな。「なんとかする」なんて……一番あやふやで不確かなことを言ってどうするつもりだったんだ)
『あの時の自分』を自嘲気味に吐き捨てる。
このあいだからそうだが、どうにも『自分らしくない』。
今までの自分は、スパイ行為を行う際、情に訴えかける言葉などいくらでも吐いてきた。『助けてあげたい』『特別になりたい』『困ってるなら助けてあげたい』の
『情に訴えかけることはあっても・情に訴えかけられて、言葉が突いて出そうになった』のは──あってはならないことだからだ。ホイホイと軽々しく情に流されたり、衝動的に動かぬよう訓練を受けてきた。
────なのに。
あの時出そうになったのは『衝動的』で『短絡的』な言葉だ。
────言ってどうするつもりだったのか。
彼女を安心させたかったのか。
それとも気迫に押され口が滑りそうになっただけか。
それらのどれも、今は答えとしてあげられるものではないが────
思い出すたびに、心が焦る。
(…………焦っても仕方ないことはわかってる、けど。……なんとかしないと)
ひとしれず表情を険しさで染め、ぐっと指に力を込め、瞬時に小さく首を振る。
(…………いや、別に彼女の為じゃない。素材自体の値が上がって、産業が倒れたら困るんだ)
そうだ。
ミリアのためではない。この街のためだ。
情報源の訴えが起因じゃない。もともとそのつもりだったのだ。
見えないものをそのまま、闇の奥底に隠し蓋をするような感覚で。
エリックの限りなく黒に近い青の瞳で、紙の上の違和感を探し出し────
「?」
目に飛び込んできたそれに、彼は”ぐっ”と眉間を寄せた。
「………………? ”ニモ No,8"……とか、”ルメ65の90”……とか。価格が上がっているのはわかるが……なんのことだかさっぱりわからないな……」
「────『にも』? ですか?」
捕らえたのは『意味の分からない単語』。
隣から『にょき』っと資料を覗き込むスネークにわかるよう、エリックはトントンと指で刺し言葉をつづける。
「ほら、ここ。書いてあるだろう。『ニモ No,8』・『ルメ65-90”』。せめて、これが
「おや……なんでしょうねえ?」
「……品名もない。これだけでは見当すらつけられない」
「……”ニモ”に”ルメ”ですか……」
眉を寄せるエリックの隣で、スネークも同じように眉を寄せた。
書かれているのは価格のみ。
縫製などしたこともない男二人、報告書の前で固まり首を捻る。
────『ニモ・ルメ』。
「なんでしょう?」
「…………型番か?」
「……そのよう、ですね?」
「…………なんの?」
「……さあ。私に訊かれましても。縫製や服飾は専門外ですから」
「…………」
「…………はて……、なんでしょう?」
目配せやアイコンタクトなどはすることもなく、紙を見つめて首を捻る。
エリックもこの前、ミリアからざっと話を受けたのだが、『ニモとルメ』については聞いた覚えがない。
エリックがひとり、(……なんだ、これ……『ニモ』……、『ルメ』……、シャルメ……は違うよな……? ニモ……、)と脳内データを探る中、ふと。
スネークは、気が付いたように息を吸い込むと、手袋越しの指を紙に押し当てて、
「…………ああ〜、これも、わかりませんね。『ボーン・S』と。これだけです」
「…………”ボーン・S”?」
わかるようでわからない単語に、さすがに繰り返していた。
”ボーン”と聞いてシンプルに出るのは『骨』だが、確証はない。
見下ろす目の先、スネークの指の先。
確かに、あるのは『ボーン・S』と表記だけ。
「…………なんでしょう? 骨、ですか?」
「…………骨、だろうけど」
「洋服作りに『骨』、ですか。傘や、そういったものならわかるんですが」
「……芯として入れ込んでいる、とか……?」
「ですかね……?」
「……なにに……?」
「…………さあ。私にはさっっ……ぱり……」
「…………」
「………………」
商工会奥。
魔具ラタンの光を浴びながら、書類に疑惑の視線を向けるエリック。
そんな、至極真面目なボスに────スネークは、伺うような目を投げ口を開くと、
「……ボス。
「────『例の彼女』って?」
スネークが『わざわざ』『名前を伏せて』『思わせぶりに』投げたからかいに、またもいら立つ。『またか』『余計なことをいうな』『今関係ないだろ』を叩き込んでいるというのに、『この男はまた』。
エリックの太く低い声が場を畏縮させる中、スネークはもろともせず、むしろ愉快に「フフッ」と鼻を鳴らすと、
「またまた。わかっていらっしゃるのでしょう? あなたのお気に入り……、おっと。あなた
「────ス ネ ー ク」
「彼女なら…………教えてくれるのでは?あなたに。それはもう、献身的に」
「────だろうな? 30分ほど時間を割いて、彼女の知りうる限りを教えてくれるだろう」
(────ほう? 肯定するんですね)
鋭い睨みでこちらを射抜いたかと思ったら、ふっと視線を反らしあっさりと挑発を受け止めたボスに、スネークは僅かに眉を上げた。
これは面白い変化である。
ターゲット──を含む女性関係の話題を、全てばっさりと遮断してきたボスの、明らかな変化に驚くスネークの前で。
堅物の盟主エリックは、『ぐっ……!』と資料を握る親指に力を入れ、『トントン』と紙を叩くと、黒く青い瞳でぎろりと彼を射抜き────発した。
「──────けど。それと『縫製ギルドが提出してきた資料が”資料の役割を果たせていない”』のは別問題だろう。資料は、誰が見てもわかるように作られていないと意味がない。今までのことを悪く言う訳じゃないが、これでは管理が杜撰すぎる。
俺が直接言うことではないだろうが、これを機に抜本的な見直しをした方が賢明だ。工業魔具もどんどん普及していき、これから様々な物の大量生産が見込まれる中、今後のギルド管理のことも考えたら、新しく記入様式を作り体制を整え」
(─────あ。ヤブヘビでした)
エリックの口から出た、山のような文言を黙って聴きながら。
スネークはこっそり思う。
(────独身の私が、ボスにこのようなことを思うのは失礼に値しますが。
……ボスとご結婚される方はさぞ苦労するでしょうねぇ……)と。
(──…お気に入りであることは、否定しないんですねぇ)とも。
堅物のボスから