目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

5 盟主の勤め

第44話 「事件かもしれません」




 ノースブルク諸侯同盟・オリオン領・西の端。

 ウエストエッジ・商工会事務所奥。


 潰れたバーを改装した部屋で受けた報告に、エリックはまともに眉をひそめた。



「死亡事故? 事件かもしれないとは、どういうことだ、スネーク」

「────それが、まだ断定できないのですよ」



 怪訝な声色に、スネークは静かに首を振った。そして流れるように、脇からぺらりと引き抜いた報告書を差し出すと、



「本当に先ほど情報が入りましてね。わかっているのは、『亡くなったのは女性である』ことぐらいです。いずれも若い女性でして……捜査部隊が今、調査に当たっています」

「”いずれも”ということは、……複数・・なのか?」

「ええ。二人」



 エリックが報告書を引き抜くと同時、重々しく頷いたスネークは続きを述べる。



「────亡くなったのは二名。マデリン・ブラウン24歳。ジョルジャ・シャッシ26歳。二人とも一人暮らしで、自身の住むアパートメントの前で死亡していました。今の調べから、自室から転落したものと思われます」

「…………”転落”…………、……自ら命を絶ったのか……?」


「わかりません。なにしろ、目撃者がいませんから」



 資料を睨み考え込むボスに一言。

 首を振り、カツンとかかとを鳴らしたスネークは、テーブルの上に地図を広げて指で差し、



「ジョルジャ・シャッシは、スピネル通り103の『ピネル・コロニ303号室』。マデリン・ブラウンは、ヘンルーダ街道7703『コロニ・イトルタ405号』住まい。いずれも、3階建て以上のアパートメントで、自室の窓が開いていたとのこと。調査に入ったものから、”部屋で争った形跡はなかった”と報告を受けています」


「…………報告をよこしたのは……、────ベルマンか」

「ええ。優秀な諜報員ですね」



 ちらりと名前を確認したエリックに、スネークはさらりと頷いた。


 ベルマン・フラッグ。

 彼らラジアルの組合員で、警察組織に潜りこんでいるエージェントである。

 優秀だが字が汚く、エリックは彼の文字を読み解くのは少し苦手だった。


 安紙にベルマンの字で書かれた情報の中から「欲しい事柄」を探すエリックの口から、──それ・・がこぼれ落ちる。



「────”時間”は……」

「ジョルジャに関しては14時30分前。マデリンがそのあと14時47分。いずれにしても、30分以内に二人、亡くなっていることになります」


「…………昼……」

(…………俺がミリアと外を歩いている頃か)



 スネークの淀みない報告の途中。

 思い返すは『自分の行動』。


 事件が起こった頃・人が死んだ時。

 自分は──”何をしていた”のか。


 シゴトとはいえ、女性と二人。

 呑気に歩いている自分をよそに、こんなことが起こっていた事実に、ジワリと心が淀む。


 自分の過失ではない。

 過失ではないが、エリックの中、濁るような感覚が湧きだすのを抑えることはできなかった。



(────人の死にざまは、想像でさえ気分のいいものじゃない……)



 その場で起こったであろう悲劇と、彼女らの周りの人間。


 それらをぐるりと想像し、落ちゆく心に──『喝』。

 エリックは無理やり瞳を上げ切り替えると、やるせなさを怪訝に隠して口を上げた。



「────今日は朝からずっと雨が降っていたからな……外を出歩く者も少なかったんだろう」

「えぇ。マデリンの落下時刻が確かなのは、同じアパートメントの一階の住人が証言しているからです。『外で大きな音がしたと思って見に行ったら倒れていた』と。彼は遅めの昼を摂っていた途中だそうで、戻ってきたころにはパスタは冷えきっていました」


「…………パスタの情報はいい。同時に二人も、か…………頭が痛いな」

「この街で死亡事件なんて、何年ぶりでしょうねぇ……戦後10年はありましたが、盟主さまが変わられてから久しくなかったというのに」

「…………」



 ────そう。先代オリバーの死後、彼が引き継いでからいままで。

 こんなことは起きなかった。

 多少の事件事故はあっても、このような死亡案件は見られなかった。



(──のに、一気に二人か……)



 状況にしわが寄る。

 胃の奥の方がぐっと縮む。

 しかしそれを嘆いている場合でも、口にするわけにもいかないのだ。

 エリックは続きを促す様に、言葉を発した。



「…………”二人同時”と言うところを見れば、限りなく事件である可能性が高いとは思うが……────そのあたりの調べは?」

「……流石に、まだですね」



 その問いに、スネークが静かに首を振る。

 当たり前の受け答えにエリックも小さく息を付き、そして彼は街の地図を凝視し始めた。



(…………スピネル通りとヘンルーダ街道は、徒歩で30分以上離れた場所にある……馬でも使わない限り、この二人を同時にひとりで殺すのは不可能だ。まずは馬主をあたるか? いや、複数犯だと決まったわけじゃない。マデリンとジョルジャの接点もわからない)



 ────早くめぐる思考に・落ち着けと息を吐き、エリックはやや疲れた表情を醸し出すと、スネークに瞳を投げて問いかける。




「──……いずれにしても。今はまだ、事件か事故かわからないんだよな?」

「ええ。組織も事件と事故、ふたつの観点から調べを進めるそうです」


「ああ。ベルマンに『引き続き頼む』と伝えてくれ。……それと、『深追いはするな』と」

「────はい。手引きさせていただきます」



 素直に頷くスネークに、エリックはひとつ、陶器の仮面の下から息を吐いた。


 スネーク・ケラーという男とは基本的に仲も悪いし相いれないが、こういう時・・・・・は本当にスムーズに流れるのだ。


 互いに同じ方向を向いている時のみに発揮されるコンビネーションだが、こちらの意図をくみ取り先回りする、この有能さは──他のなにを差し引いても余るものであった。



(……いつもこうならいいんだけどな)

 と、それでも悪態をつくエリックの傍らで。


 糸目のスネークといえば、脇に書類の束を携え、こほんとひとつ咳払いをすると、



「…………それと、もう一つ」

「……まだなにかあるのか」



 その、やや辟易を纏った声に、スネークは音もなく頷いた。


 どちらかといえばこちらの方が本題である。

 ”べろり”と書類の束を差し出し、トーンもそのまま彼は言った。



「上がりたての価格調査報告書です。毛皮だけではなく、綿と絹も高騰しています」

「………………ああ」


「落ち着いていますね、ご存じでしたか?」

「彼女から聞いた。現場にいれば、情報は『一瞬』だからな」



 答えながら、手渡された資料に目を落とすエリック。



 魔具ラタンが照らす室内で、エリックの蒼く黒い瞳が捕らえる情報の数々。

 記載されている綿とシルクの売価。

 その他の変動。


 彼女と訪れた問屋の言う通り、仕入れた情報と差異はない。




 ────と、同時に浮かぶ、

  『……困る!』

  『ねえ、どうしてこうなったのっ!』

  『────どうしよう……!』



「…………────」


 つい先ほど目の当たりにした彼女に、黙りこんでいた。


 いつものお気楽さはどこにもなかった。

 真剣に困っている様子だった。

 ハニーブラウンの瞳に移った焦りの色。

 ぐんと瞳を貫く余裕の無さ。


 それらに圧倒されて、喉元まで出かかった言葉が──蘇る。



 ──『…………だから、』(『なんとかする』)



(…………思い出しても呆れるな。「なんとかする」なんて……一番あやふやで不確かなことを言ってどうするつもりだったんだ) 



 『あの時の自分』を自嘲気味に吐き捨てる。

 このあいだからそうだが、どうにも『自分らしくない』。


 今までの自分は、スパイ行為を行う際、情に訴えかける言葉などいくらでも吐いてきた。『助けてあげたい』『特別になりたい』『困ってるなら助けてあげたい』の

を刺激し、欲しいものを盗ってきた。


 『情に訴えかけることはあっても・情に訴えかけられて、言葉が突いて出そうになった』のは──あってはならないことだからだ。ホイホイと軽々しく情に流されたり、衝動的に動かぬよう訓練を受けてきた。



 ────なのに。

 あの時出そうになったのは『衝動的』で『短絡的』な言葉だ。


 ────言ってどうするつもりだったのか。

 彼女を安心させたかったのか。

 それとも気迫に押され口が滑りそうになっただけか。

 それらのどれも、今は答えとしてあげられるものではないが────



 思い出すたびに、心が焦る。



(…………焦っても仕方ないことはわかってる、けど。……なんとかしないと) 

 ひとしれず表情を険しさで染め、ぐっと指に力を込め、瞬時に小さく首を振る。



(…………いや、別に彼女の為じゃない。素材自体の値が上がって、産業が倒れたら困るんだ)



 そうだ。

 ミリアのためではない。この街のためだ。

 情報源の訴えが起因じゃない。もともとそのつもりだったのだ。


 見えないものをそのまま、闇の奥底に隠し蓋をするような感覚で。

 エリックの限りなく黒に近い青の瞳で、紙の上の違和感を探し出し────



「?」



 目に飛び込んできたそれに、彼は”ぐっ”と眉間を寄せた。



「………………? ”ニモ No,8"……とか、”ルメ65の90”……とか。価格が上がっているのはわかるが……なんのことだかさっぱりわからないな……」

「────『にも』? ですか?」



 捕らえたのは『意味の分からない単語』。

 隣から『にょき』っと資料を覗き込むスネークにわかるよう、エリックはトントンと指で刺し言葉をつづける。



「ほら、ここ。書いてあるだろう。『ニモ No,8』・『ルメ65-90”』。せめて、これがなんなのか・・・・・名前だけでも書いておいてくれれば、こちらも悩むことはないんだが……」

「おや……なんでしょうねえ?」


「……品名もない。これだけでは見当すらつけられない」

「……”ニモ”に”ルメ”ですか……」



 眉を寄せるエリックの隣で、スネークも同じように眉を寄せた。

 書かれているのは価格のみ。

 縫製などしたこともない男二人、報告書の前で固まり首を捻る。

 ────『ニモ・ルメ』。



「なんでしょう?」

「…………型番か?」

「……そのよう、ですね?」


「…………なんの?」

「……さあ。私に訊かれましても。縫製や服飾は専門外ですから」


「…………」

「…………はて……、なんでしょう?」



 目配せやアイコンタクトなどはすることもなく、紙を見つめて首を捻る。

 エリックもこの前、ミリアからざっと話を受けたのだが、『ニモとルメ』については聞いた覚えがない。



 エリックがひとり、(……なんだ、これ……『ニモ』……、『ルメ』……、シャルメ……は違うよな……? ニモ……、)と脳内データを探る中、ふと。

 スネークは、気が付いたように息を吸い込むと、手袋越しの指を紙に押し当てて、



「…………ああ〜、これも、わかりませんね。『ボーン・S』と。これだけです」

「…………”ボーン・S”?」



 わかるようでわからない単語に、さすがに繰り返していた。 

 ”ボーン”と聞いてシンプルに出るのは『骨』だが、確証はない。

 見下ろす目の先、スネークの指の先。

 確かに、あるのは『ボーン・S』と表記だけ。



「…………なんでしょう? 骨、ですか?」

「…………骨、だろうけど」


「洋服作りに『骨』、ですか。傘や、そういったものならわかるんですが」

「……芯として入れ込んでいる、とか……?」


「ですかね……?」

「……なにに……?」


「…………さあ。私にはさっっ……ぱり……」

「…………」

「………………」



 商工会奥。

 魔具ラタンの光を浴びながら、書類に疑惑の視線を向けるエリック。

 そんな、至極真面目なボスに────スネークは、伺うような目を投げ口を開くと、



「……ボス。例の彼女・・・・に、聞いてみたらどうです?」

「────『例の彼女』って?」



 そこを強調するような・・・・・・・・・・言い方に、エリックは反射的にトゲを込めた。


 スネークが『わざわざ』『名前を伏せて』『思わせぶりに』投げたからかいに、またもいら立つ。『またか』『余計なことをいうな』『今関係ないだろ』を叩き込んでいるというのに、『この男はまた』。


 エリックの太く低い声が場を畏縮させる中、スネークはもろともせず、むしろ愉快に「フフッ」と鼻を鳴らすと、



「またまた。わかっていらっしゃるのでしょう? あなたのお気に入り……、おっと。あなた気に入っていらっしゃる、着付け師のミリアさんのことですよ」

「────ス ネ ー ク」


「彼女なら…………教えてくれるのでは?あなたに。それはもう、献身的に」

「────だろうな? 30分ほど時間を割いて、彼女の知りうる限りを教えてくれるだろう」

(────ほう? 肯定するんですね)



 鋭い睨みでこちらを射抜いたかと思ったら、ふっと視線を反らしあっさりと挑発を受け止めたボスに、スネークは僅かに眉を上げた。


 これは面白い変化である。

 ターゲット──を含む女性関係の話題を、全てばっさりと遮断してきたボスの、明らかな変化に驚くスネークの前で。 


 堅物の盟主エリックは、『ぐっ……!』と資料を握る親指に力を入れ、『トントン』と紙を叩くと、黒く青い瞳でぎろりと彼を射抜き────発した。



「──────けど。それと『縫製ギルドが提出してきた資料が”資料の役割を果たせていない”』のは別問題だろう。資料は、誰が見てもわかるように作られていないと意味がない。今までのことを悪く言う訳じゃないが、これでは管理が杜撰すぎる。

 俺が直接言うことではないだろうが、これを機に抜本的な見直しをした方が賢明だ。工業魔具もどんどん普及していき、これから様々な物の大量生産が見込まれる中、今後のギルド管理のことも考えたら、新しく記入様式を作り体制を整え」

(─────あ。ヤブヘビでした)



 エリックの口から出た、山のような文言を黙って聴きながら。

 スネークはこっそり思う。


(────独身の私が、ボスにこのようなことを思うのは失礼に値しますが。

 ……ボスとご結婚される方はさぞ苦労するでしょうねぇ……)と。

(──…お気に入りであることは、否定しないんですねぇ)とも。



 堅物のボスから協力者・・・なんて言葉が出たその日。スネークは愉悦に包まれていた。





この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?