────ぷわんっ。
──不思議な音。
一瞬の閃光を当てられ、黒の目隠し・瞼の向こうが白く光る。
「はい、こちらお願いしまーす!」
若干はしゃいだ男の声。
真っ黒な繊維の隙間から覗く、『
彼の隣、ペアの女性の腰を抱き、顔を合わせ、顎を引く。
カッ! と降り注ぐ閃光。
ぷわん! と鳴る不思議な音。
彼の黒い癖のある髪と金の髪が、交わる寸前で静止する。
次々にポーズを取るドレスとスーツに身を包んだ男女に、魔具を操る男は嬉しそうに手を叩いて声を張った。
「────はいっ、OKですー! おつかれさまでしたぁああ!」
ウエストエッジ、中枢。
ミリーア通りの一角にある、『
『……はあ……』と疲れた様子で息をつく盟主『エルヴィス』に、転写魔具を構えていた男は手を揉みながら近づくと、神に救われたかのような勢いで述べる。
「…………あぁぁぁぁりがとうございますエルヴィス様! 盟主様直々にモデルをしていただき、私共はいつも!」
「…………ああ、構わない。それより、ここでその名を出すのはやめてくれないか?今は『リック・ドイル』だ。盟主のエルヴィス・ディン・オリオンではない」
「────はいっ!」
駆け寄り速攻、目尻を力一杯下げる撮影師に、エルヴィス────いや、『リック・ドイル』は黒のアイマスクを外し、ややうんざりした口調で答えた。
いきなり開けた視界。撮影所の特有の照明魔具が目に眩しい。
慣れない光の世界に煩わしそうに目を細め、『終わった』と言わんばかりに息をつく。
『
これもエリック──いや、エルヴィスの仕事だ。
盟主直々にモデルの役を担うというのもいささか異常な状態ではあるのだが、ここはファッションの街だ。
服飾産業は街の過半数を支えており、生活の基盤となっている。
その産業を盛り立てていくためには、当然広告塔も必要なのだが────稀代のモデル『ココ・ジュリア』が、転写魔具の入国と共に築きあげた『モデル』という仕事は、全くと言って良いほど人気がなかった。
原因は──そう。
じつはこの
国連では、エルヴィスを筆頭に魔具の普及を推進しているのだが、生活魔具はとにかく
しかし、モデルという『広告塔』はなくてはならない。
一度『広告塔』に慣れてしまった業界はそれをなくして宣伝する手段を持ち合わせていないようなものだし、ココ・ジュリアにおんぶに抱っこだった業界がほかの手段を模索するわけもない。
モデルを担う役割として、女性服は『ココジュリア・オリビア親子』が請け負っているから安泰だが──問題は男性服である。
どれだけ煽りをかけても、どれだけ募集をしても、
────いわば、貧乏くじを引いたのだ。
本当なら、彼は自分の顔を出したくないのに。
盟主としても、命を守るためには顔が割れていない方がいいし、顔出しモデルなどしようものなら、彼が重きを置いているスパイ活動ができなくなってしまう。
そこをなんとか解決できたのは、ジュリアが唱え・貫き通していた『
『服を着るのは
『ココ・ジュリア』の意思を尊重し、モデルは覆面で顔半分を覆い隠す。
髪型服装を変えてしまえば──
(──
「…………」
撮影技師がなにやら魔具をいじるのを視界の隅に、そっと息をつく。少しばかり気が抜けたのだ。正直まだまだ気を抜くわけにはいかないのだが──今日は朝から濃かった。
朝いちラジアルにつめ・ミリアの一人劇場に大笑いし、その後、スネークとエンカウント。事件のあらましを聞いて、そして今は『モデルの撮影』。はっきり言って『多忙もここに極まれり』だ。脳も疲れで動きが鈍ってきた。
──が。ここで一度気を入れ直す。
(……ふう────……ええと……屋敷に帰ったらまず……)
────カツンっ。
鈍く動き出した脳をせき止めるようなヒールの音に、一拍。
エルヴィスは静かに目を向けると、その名を呼んだ。
「────オリビア殿」
「お疲れさまですぅ♡ メイシュ様♡」
真っ赤なヒールに・鮮やかな赤のドレス。金の髪も綺麗に、大きくぱっちりと彼を捉えるのは青の瞳。しゃなりしゃなりと近づいて、妙に弾んだ『
名を『ココ・オリビア』。
稀代のモデル『ココ・ジュリア』の愛娘である。
「今日もオリビアのパートナーを務めてくださり、有難うございます♡」
「…………これも仕事だからな。礼には及ばない」
にっこり微笑み『こくんっ』と首を傾げるオリビアを一瞥し、彼は静かに首を振った。エルヴィスの目線も顔も、オリビアの方になど向いてはいない。やや疲れを見せながら『はあ……、』と息つくのみだ。
そんなエルヴィスに、オリビアの口元。
にこにこと笑みをかたどっていたそれが、すぅっと真っ平に伸びていった。
「──ほんっとうに固いですよね、メイシュ様は。『オリビア』はパートナーのはずですのに、ちっとも釣れないではないですか」
「──釣る気もないだろう? わかってるよ」
「あら。御明察ですのね♡」
表面上の『傷ついた』を瞬時に切り替えたオリビアに、エルヴィスは冷めた口調で言い返した。
この『ココ・オリビア』というモデルの女性は、他の貴族令嬢たちとは少し毛色が違う。
盟主であるエルヴィスに対し、最初に見せたのは『警戒』と『品定め』。今でこそ冗談交じりで『エルヴィスさまぁ♡』と煽ってくることはあるが、すり寄ってきたことはない。
それでも当初は猫を被っていた。
愛想をふりまくっていたが、今はもう、それもない。
特別仲がいいわけではないし、互いに馴れ合いもしない。
どちらかと言えば放置しあう間柄だが、それが少しだけ、エルヴィスとしてはやりやすかった。
モデルは『あの距離で仕事を共にする』のである。いちいちドキドキされていては仕事にならない。
しかしながら『モデル・オリビア』の声掛けにもかかわらず、冷めた様子で肩の毛をはらうエルヴィスの態度は──オリビアのプライドを刺激するのだ。
オリビアはツンと高飛車に腕を組むと、彼に向かって言い募る。
「今だから言いますけれど、もう少し柔らかな人だと思っていましたわ? オリビア、こんなに『普通』扱いされたのは初めてでしたのよ?」
「……君の母上から言い含められていたからな。『娘は同等に扱ってください』──君の母上は、我が街の広告塔だ。加えて、君はビジネスパートナーだ。仕事としてきているのだから、当たり前だろう?」
「────まあ。それが今となっては楽でいいのですけれど。モデルとして少し悔しさは残りますわね」
「…………」
プライドと悔しさの混じる声に、黙った。
そして言葉は滑り出る。
「…………ああ、わかるな」
「──『わかる』?」
くるんと小首をかしげつつ、眉をしかめた彼女に沈黙した。
ココ・オリビアは美しい。
被写体として、アイマスクで隠しているのが『正解』だと思うほど。
凛とした吊り目、金の髪。ココ・ジュリアの生写しと言われている彼女は、外でも相当モテるだろう。
しかしエリックの好みには引っかからなかった。それを『当たり前として』・『オリビアを仕事相手として扱ってきた』のだが────……
(────自分の自信がある部分が効かないと)
「…………つい意地になるというか」
「なんですか?」
最後の言葉は口の中。
ぽそりとこぼしたそれに、オリビアが首を傾げ目を見開くが「────いや? なんでもない」。素早く首を振り会話を流す。
顔が効かない・言葉が効かない・お決まりの誘い文句が通用しない。
これらを食らわせるのではなく『喰らう』のが、悔しくもあり意地になるとは知らなかった。
はじめのころの『オリビアの愛想』と、自分がミリアに仕掛けた『嘘』が脳の中で重なって。次にエルヴィスの中に生まれたのは、オリビアへの懸念であった。
(────その気もないのに粉ばかりかけるのも、どうかと思うけどな。相手が本気にしたらどうするつもりなんだよ)と、小言をひとつ。
しかし、(…………そこまで言う義理もない)と温度の無い溜息で捨て去り、何事もなかったかのように『仮面』をつけ、ほほ笑んだ。
──煌びやかで、紳士な『貴族の仮面』で、彼はゆったりと手を差し出すと、
「外も暗くなってきているし、送りますよ。ココ・オリビア様?」
「まあ、ありがとうございます♡ メイシュ様」
盟主エルヴィスのそれに細い指を添えながら、歩きだしたオリビアは──澄ました彼の横顔に、胸の内で呟いた。
(……『わかる』……とは、どういうことなのかしら?)
※
────その日は、本当に『濃かった』。
朝からラジアルに詰め、ミリアのもとへ行き、一人劇場に大いに笑わせてもらった後、彼女を協力者として囲い込むことができた。
────その後に起きた、ビスティーでの『スネークとの鉢合わせ』は、エリックにとって不都合な出来事でしかなかったが、あとの情報共有の速さを考えたら、どちらかと言えばプラスに働いたと見ていいだろう。
月の数回のモデルの仕事も片付け、時刻は黄昏。
夏の太陽もすっかり隠れ、深い藍色が広がる空の下。
彼、エリック・マーティン──、いや、エルヴィス・ディン・オリオンは屋敷に帰り着いていた。
数キロ手前の
厳格・荘厳という言葉がふさわしい、石造の我が家。
先々代、彼の祖父が建てた石の城。
エルヴィスの趣味ではない。
────祖父と父の、財力の証。
やたらと大きく、重い扉が彼を出迎え、そこの守衛に目くばせをして、『これが済んだら、もう引き上げていい』と言葉をかける。
開かれた扉の先。
廊下に待っていたのは一人のメイドだけだ。
「────おかえりなさいませ、旦那様」
「……アナか。悪い、待たせたな」
玄関口、深々とお辞儀をする、メイドのアナに言葉をかける彼。
アナはとても小柄な女性のメイドだ。
普段はハウスキーパーをしていて、エルヴィスとほとんど話すことはない。
父の時代までは、ここに大勢のメイド執事を並べたものだが──エルヴィスの代になってからは『各自作業を優先してくれ』と、盛大なお出迎えを排除した。
『帰り時間もまばらな主人を出迎えるためだけに、いつでも気配っていなければならないなんて、無駄でしかない』という理由である。
屋敷の前、愛馬から降りたエルヴィスに、アナは素早く駆け寄ると
「…………お手紙が届いております、旦那様」
「……ああ、手紙。どこの誰からだ」
「────キャロライン・フォンティーヌ・リ」
「わかった」
メイドの報告を皆まで言わせず遮って、ため息交じりに封を切った。
そこまで聞けば、先は聞かずとも解る。
相手は、皇女。
『ネム国際連合』三国の一つ・セント・リクリシアの『キャロライン・フォンティーヌ・リクリシア』。
────その性格から、『鋼鉄の女』の名をほしいままにしているお姫様である。
(……”皇女”ということは、……)
胸の内、予測を立てながら呟いて、照明魔具ラタンの光も煌々と灯る中。
彼はそっと、その羊皮紙を引き抜き────