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第56話「やるならヤルと早目に言ってくれる?」




 その日、エリックの気持ちは穏やかだった。

 久しぶりの街の中。

 旧街道を行き交う人も店も、どことなく活発に見える。



 あれから数日。

 やっと訪れることができた旧街道。


 国際連盟円卓会議も済ませ、キャロラインにつつかれた舞踏会の手配もした。盟主としての舞踏会の準備も済んだ。


 舞踏会の日程については、今後の『毛皮の件』やその他スケジュールの都合もあり、直近で「開催できるであろう日程」にねじ込んだ。


 それもこれも、『毛皮の件』に時間を割きたいからだ。



(…………他のことは済ませたし、これで任務に専念できる)



 と呟くエルヴィス……いや、エリック・マーティンの足取りは軽かった。



 8月の、燦々と降り注ぐ日の光を受けているのにもかかわらず、だ。


 それというのも、実はこの彼。

 夏が苦手なのである。


 彫刻のような外見と雰囲気から、『心頭滅却すれば火もまた涼し』とか『暑さなんて気合で乗り切れる』とか言い出しそうなのだが、彼は北国シルクメイル地方で生まれ育った男だ。

 暑さに弱かった。



 本当なら、もっとラフな格好をしたいし、部屋の中なら上半身は裸でいいと思っているのだが──彼の立場・・が、それを許してはくれない。



 彼は『盟主エルヴィス・ディン・オリオン』。

 調査機関のボス『エリック・マーティン』。副業モデルの『リック・ドイル』。


 貴公子であり、革命児であり、モデルであり、裏のボス。



「…………でも、暑いな」



 しかし、身分それと暑さは別問題。


 街行くエリックの手が伸びるのは、首元。

 開けた胸元をぐぐっとひっぱり、ぱたぱたと仰いで空気を送り込む。



(……ベストがあると、熱がこもって仕方ない)



 ゲンナリと呟き思い出すのは、リチャード王子の言葉だ。

 『暑いなら脱いだらいいのに。オレなら耐えられないね』

 それに対して『脱げるわけないだろう? 貴族としてここにいるんだから』と、ピシャリと返答したのがついこの前。


 本当なら脱ぎたいが、気を張っていなければならない相手の前で、だらしない姿を見せられるわけがなかった。



 しかし。


(あぁ、暑い……ミリアに言っても仕方ないのは重々承知だけど。次の紳士服の流行りは、もう少し通気性のいいものをお願いしたい)


 と弱音。


(民に馴染むよう身に着けてはいるが、夏にベストと詰襟つめえりのシャツなんてどうかしてる。暑くて仕方ないんだけど?)



 いくら北国だとは言え、詰襟はナンセンスだろとげんなり愚痴るエリックの視線の先。遠く捉えた目的地に、小さく息を抜いた。


 見えた店構え・緩やかに上がる口元。脳裏に浮かぶ────ミリアの顔。




 ──さあ、今日は何を話そうか。


 リチャードにもらった『マジェラのカード』のことを聞いてみようか。それとも、作戦会議をしようか。するのなら、どう運んでいこうか。


 それらを考えて、少しばかり心が浮き立つ。



 ──しかし、思考人間の彼は、休む間もなく考えを巡らせるのだ。『次なる一手』を考える。



(……ミリアはいいとして、次はオーナーだな。彼女について回るにしろ、店の手伝いをするにしろ、オーナーにはきちんと挨拶をしたい)



 まだ見ぬオーナーに思いを巡らせ、彼の足はビスティーの前へとたどり着き、同時に足を止めた。



(────”closedクローズド”……? 店にいるのに?)



 吊るされた看板を目にして、瞬間的に首をひねる。

 今日は定休日ではないはずだ。


 自然と視線が行くのは店の中。


 ガラスの向こう側。closedクローズドの札はかかっているが、ミリアはいつものようにカウンターの向こう側で作業をしている様子。



「…………?」


 店にいるのに閉店とは。


 エリックは、瞬間的に瞼の中で瞳を惑わせ『こんこんっ』。


 瞬間的に上がるミリアの顔。

 ばちっと目が合ったのを合図に、彼は扉を押し開けて──



「────……ミリア? 今日は店を閉めているのか? 大口の注文でも入っ」

「────きたっ!」

「…………!?」



 エリックの言葉をかき消して。

 カウンターの内側から飛んできた声に驚き目を見開く中、ミリアは彼の前に飛び出ると、



「待ってた! マッテイタ! 待ってたのキミをっ!」

「────ど、どうした? そんなに歓迎してくれるなんてう」


 ────わしっ! むんずっ!

 ────── カ ッ !!!!!!!


「キ ミ の ご 主 人 様 。やるならヤルと早目に言ってくれる???」

「…………えっ?」



 その剣幕に、またも『話題』がすっ飛んだのであった。










 出迎えたのは、ミリアの『来た!』という『待ち望んでいたような声』。



 勢いよくカウンターを回り込む彼女にエリックが困惑しながらも、少しだけ胸の奥で感じていた『期待のようなもの』は、『わしっ!』 っと掴まれた胸倉と『むんずっ!』 っと引っ張られた襟元と



「キ ミ の ご 主 人 様 。やるならヤルと早目に言ってくれる???」



 かっぴらいたその瞳に、動揺へと変わる。



 一瞬思考が停止して、流れるようにエリックの目が捕らえるのは、彼女の後ろだ。


 やけにごちゃついているカウンター上。この前は見受けられなかった、羊皮紙の付いたドレスの数々。山盛りで色とりどりな布を背景に『 修 羅 場 』と言わんばかりに前髪をすべてまとめ上げたミリアは、彼の胸倉をググっと引き寄せると、



「”舞踏会”をなんだと思ってんの? みんな既存のドレスで行くとでも思ってる? ドレスが、リメイクがすぐ仕上がると思っていらっしゃる??? ねえ、盟主さまはそう思っていらっしゃる??」


「──────は。」

「いいのよ! いいの! 舞踏会おおいにけっこう! ありがとうございますオリオン様っおかげで仕事が繁盛しております! しかしですねおにーさん!? 納期までに2週間きってるってどういうことなの、わかってる!?」


 ぐぐぐぐぎぎぎぎぎぎっ。

 締まる首元に、血走る眼。 


「そっちは手紙出してお料理用意するだけでいいかもしれないけどねっ! こっちは元の業務に加えて、舞踏会に備えてドレスを新調したり リメイクしたり 作り替えたりする、貴婦人・ご婦人・お嬢様方が、どっさーーーーーってくるわけ! それはもう、どっさーーーっと!!」


「…………あ、あぁ」

「わかる!? この忙しさ! コサージュ コサージュ 裾上げウエスト直し・コサージュ コサージュ スパァンコォル!! 予想はしてるよ大丈夫! 舞踏会、あればこうなる、こういう修羅場も慣れている!! しかしね!? ……それでも今までは開催まで1ヶ月とか余裕あったのに今回2週間ないだとッ!? おかげで2日家に帰ってないぞばかあああ!!」


「────あ、あぁ……」

「──『くぉら”エっ』!」

「?」



 ピタッとミリアが止まった。

 エリックは首をかしげる。

 彼女は眉をひそめ首をかしげまくると、



「…………えるっ?」

  えびッ、 

  しゅっ、

  でぅッ?

 …………オリオン!!!」


「……『エルヴィス・ディン・オリオン』」

「────そのひとっ!」

「………………」



 びっしっ! と指をさされ、エルヴィス・ディン・オリオン本人は黙り込んだ。 


 もはやすべてに言葉が出ない。

 まさか自分の目の前で堂々と、『あれあの人名前なんだっけ芸』を喰らうなんて思わないし、この修羅場の原因を作ってしまったのも絶句であった。


 ────彼は盟主。

 招待客のドレスの細かい装飾まで見ちゃいないし、ぶっちゃけ舞踏会があるたびに女性がドレスをリメイクしたり、パーツを付け替えたりしているなど、知らなかった。


 ────しかし。

「………………」

(…………言われてみれば、そうか…………)



 『催し物があればモノが動く』は自明の理だが、目の前に積まれた『修羅場』に愕然とするエリックの前。


 『なりふり構っていられない』と言わんばかりに髪をトップで縛り上げ、目の下にクマをつくり、腰に巻いたストールの結び目の部分に無数の待ち針を指したミリアは『ふぅ────っ』と息吐き出すと、



「…………ってのをですね。聞いていただきたく。……オリオン様にお仕えしているおにーさんに言うのは、少し、どうかと思うわけなのでございますが。…………もお〜〜〜さああ〜〜〜言わなきゃやってらんなくてさあ〜」

「…………」



 眉を思いっきり下げて、がっくり首を垂れるミリアの声色から感じ取れる『相当な苦労』。


 その様子に黙り込む盟主の前で、ミリアは、流れるように肩をすくめ、はちみつ色の瞳でエルヴィスを見上げると、くにゃ~っと眉を下げ、言うのだ。



「それでもって、おにーさん来ないしさ? まあ『舞踏会開く』っていうなら、お仕えのキミも忙しくて来れないのは当たり前なんだけど」



 計画した本人にねぎらいを送る。



「大変だったよねー? 今回、一般からも参加OKとか、聞いた? みんな気合い入りまくり。お料理もいくつ用意するんだか。…………おにーさんも苦労するよねぇ〜?」

「…………」


 すべての根源に同情し、


 ぽんぽん。うんうん。

 わかるわかる。一緒一緒。

 ぺしぺしっ。たしたしっ。

(…………えーと…………)



「…………はあ、苦労するよネ、お互いネ。下のもん同士、なかよくしよーネ。」

「………………」


 ────────『気まずい』。



 『完全に仲間』の立場からねぎらいを送るミリアの瞳を見つめられない。

 すぅ──っと口の端から気まずさを逃がすぐらいには気まずい。


 ──────言えない。

 予定を組んだのは自分自身である、と。

 『調査に注力したい』と『面倒なことは早めに済ませてしまいたい』『というかここしか空いてない』で、無理やりねじ込んだと。


 『君が大変な思いをしているのは、俺のせいなんだ』と。


 …………言えない。

 彼は言えなかった。


 ああ、居たたまれない。

 ミリアの気持ちが逆に痛い。

 責めているわけではないのに大激痛である。



「……………………」



 黙り込んで言葉も出ない盟主さまの前。

 『さーて、愚痴も言ったし仕事するかー!』と伸びをする彼女に、彼の・重い・口が・開いた。






「…………その、ミリア、………………さん」

「はい?」


「……………………悪かった」

「ん? な~んで謝るのよ。キミが謝ることじゃないでしょ〜……オリオンさんがいきなり開くからじゃん」


(…………いや……、だから……)



 ミリアが困った顔つきで述べたフォローを、複雑な気持ちで受け止めるエルヴィス・ディン・オリオン(本人)。



 嗚呼。この申し訳ない気持ちをどこに吐き出したらいいのだろう。


 黙り込む自分の前で、ミリアは不思議そうに首を傾げながら困り顔で笑っているし、まさか『俺がスケジュールを組みました』などと言えるわけもないし。


 エリックは、溢れ出す『申し訳ない』をぐっと胸の内に溜め、ガクンと首を垂れ眉を下げて、



「────あ────、…………その、『オリオン様に仕えるものとして』。……謝らせてくれないか。…………すまない」

「だぁからぁ。おにーさんが悪いわけじゃないでしょ? そんなこの世の終わりみたいな顔しないでよ」


「…………いや……、えーと……」

「いーってばっ。愚痴聞いてもらっただけで満足だしっ。それより、いきなりごめんね? びっくりさせた。おにーさんも忙しい中来てくれたのに。ごめんね?」



 ミリアがにこやかに、そして軽快にフォローするほど、気遣いが、逆に痛い。

 猛烈に吹き出しまくる罪悪感。


 半ばキャロラインへの反骨心でスケジュールを組んだこと・屋敷の人間に無理をさせたこと・身の回りが片付いて安堵したことなどが駆け巡り、痛烈を抱える彼を前に、実情を全く知らないミリアは、疲れた顔で『ふぅっ』っと息をつき笑い言うのだ。



「────あ、でも。オリオンさんに『次は一ヶ月余裕とってほしい』って伝えておいてくれる? 現場が死んでしまう〜〜」

「……………………わかりました」

「素直か」



 痛烈な『了解』に、ミリアは素早くツッコミを入れていた。



 ミリアのイメージの中、エリックという青年は『まあ、いいじゃないか。これで君も一人芝居をしなくて済むよな?』とか『暇を持て余すよりマシだろ?』とか『ああ、まあ伝えておいてあげるよ』とか、軽口を飛ばして来そうなだけに────意外もいいところである。



(……っていうかキミがなんでそこまで言う…!?)

 ──そう、目を見張るミリアを見ることもできず、鎮痛な面持ちで立つエリックは


(…………次は、十分に期間をとる。…………本当にすまない)

 と、固く誓う。



 そんなエリックの『鎮痛の理由』を知らないミリアは────目の下にできた『筋』を引っ張るように、疲れ顔のまま目を見開き、



(……いや、どうしたの……!? なんか悪いものでも食べたの……!? あ、『ご主人様が原因だから』? いや、そんなに気にせんでいいのに……。真面目な人だなーっ……)

 と、勝手に自己完結。



 『人に迷惑にならない程度の推察と自己完結』。

 それは、彼女の得意技だった。


 エリックが放つ空気を吹き飛ばすかのように、ミリアはくるりと身をひるがえし、上げた左腕を引っ張っぱりながら、肩越しに顔を向けると、



「────まあまあ、いいよいいよ! とりあえず、わたしはコサージュになる予定のシルクを片付けなきゃ〜」



 ぐぅ────っと伸びをして、『切り替え完了~』と言わんばかりに肩を回す。

 そんな彼女にエリックは、追いかけるように────声をかけた。



「…………ミリア。……俺が聞くのもなんだけど。……相当、まずいのか?」

「マジヤバめ。修羅場。デスマーチ。マジでしんどい。おなかへった」

「……」


「……や、あの、事実言ってごめん……嘘ついても仕方ないと思って……でもあの別に、おにーさんを責めてるわけじゃ」

「────ミリー? どちらさま〜?」

「……!」



 突如。

 ミリアの声を遮って、店の奥から響いた声に、二人は小さく動きを止めた。


 耳に届くは、上品な女性の声。

 ミリアは素早く振り返りエリックは、『店の奥』。

 そろってカウンター横の扉に目を向けて────



「…………オーナー!」


 呼ばれたように古ぼけた扉から姿を現した、短い銀の髪はボブショート。


 かなりの細身で「楚々とした淑女」という言葉がよく似合う、大きな丸いピアスが目立つ、初老の女性。



 ミリアにオーナーと呼ばれたその彼女は『ふふ』っと微笑んだ。



「…………アラ。こんにちは」



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