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第57話「Mrs.ベレッタ」




「ミリー? どちらさま~?」

「……オーナー!」



 奥から聞こえた声に、ミリアは勢いよく振り向いた。

 視界の片隅で、エリックも並んで目を向ける。


 二人一緒に見つめる先、カウンターの奥。

 年季の入った扉の前、にこやかにたたずむ一人の女性。


 綺麗な銀の髪はボブショート。纏うドレスワンピもスマートに、耳を彩る大きなピアスが、彼女の小顔を引き立たせる。年齢を重ねたその左手、薬指には金のリングが鈍く、しっかりと輝き、重ねた年月を物語っていた。


 かなりの細身で『上品で楚々とした淑女』という言葉がぴったりの”オーナー”と呼ばれたその女性は、ミリアにとって大切な人であり、唯一、”頭が上がらない”人物だ。



「……あ、えーとっ、ほら、この前話した、…………例の、おにいさん」



 慌てて、紹介するように。ミリアは、中指と薬指を綺麗に揃えた手のひらを向けて、当たり障りのないように紹介した。



 返ってくるのはオーナーのスカイブルーの瞳。

 エリックを無言で眺め、一瞬瞳の動きが止まる。



「……?」



 その視線を不思議に思ったのか、エリックは小さく口角を上げて微笑み返してみせた。──『怪しいものではありません』と、アピールするように。


 一瞬。

 オーナーの『じっ』とした視線と、エリックのにこやかな会釈が作り出した沈黙の後。ミリアの隣に並ぶ彼に、銀髪のオーナーは小首をかしげると



「………………アラ。貴方が──……”エリック”、さん?」

「────申し遅れました。エリック・マーティンと申します。はじめまして」

(……!)



 伺うように問いかけるオーナーに淀みなく挨拶をするエリック。

 そのきちんとした声に、思わず目を向けたのはミリアである。


 はきはきとしていて、物腰も柔らかく、彼が見せた所作・振る舞いはミリアの前にいる時とはまた違い、どこからどう見ても『好青年』のオーラを放っていたからだ。



(…………おぉお~。好青年っぽ────っキラキラしている……! きらきらしている……!!)



 好青年スマイルに驚きまくるミリアの隣で、オーナーは、ゆっくりと彼に微笑むと、



「……エリックさん? はじめまして。ビスティのオーナーをしております、ベレッタと申します」


「……はじめまして、Mrs.ミセスベレッタ。お会いできて光栄です。ミリアさんには、いつも世話になっていて……オーナーである貴女にも『いつかご挨拶を』と、思っておりました。……ああ、幸せだな」

「アラ。ふふふ」



 にこやかに交わされる挨拶。

 さらさらと出てくる、エリックの”文言”。


 彼の声に含まれている『嬉しそうな色』。

 それを受けて、くすくすと笑うオーナー。

 ────に、はさまれて、こっそりと唇を引き延ばすのはミリアである。



(────……やばい……さっきの聞こえてなければいいんだけど……!)



 穏やかな服飾工房の中。

 人知れず緊張に包まれ息を詰めていた。




 先ほどまでエリックの『オーナーに対する態度』もひそかに不安要素ではあった。

 が、それは彼の『突発好青年スマイル』で乗り切れたのだ。それが抜けた今。彼女の中で渦巻く不安は『自分がぶちまけてしまった『エリックに対する物言い』』である。


 ──基本、彼女の業務は『接客応対』。

 『従業員でもない彼の胸倉を掴んで不満をぶつけまくる』なんて店が店ならクビが飛ぶ。オーナーに聞こえていなければ幸いなのだが、聞こえていたのなら、まず間違いなくお咎めを食らうだろう。


 ────それを想像し頬を固め、(おにーさん、頼むから余分なこと言わずに帰ってくれ~!)と願う中。



 オーナーと握手を交わしたエリックは、皺のある手をもう一度、親愛をこめて握り返し微笑むと



「……ミリアさんから話は聞いているかもしれませんが、わたし此度こたび開かれる舞踏会の主催者・エルヴィス・ディン・オリオンに仕えております。……この度は、我があるじがご迷惑をおかけしているようで、大変申し訳ない」


「いぃいぇ。良いのですよ〜。それも、ワタシたちの勤めですから。ねぇ、ミリー?」

「…………そうソウそう。あのね、いくらデスマーチでも、やるので。へいきですので。」



 流れるように始まった自己紹介に、ミリアはすかさず乗っかってこくこく頷いた。ここが逃げ道だと見極めたのだ。


 しかし、その若干固めの口調で察したのか、オーナーのベレッタは”くるん”とミリアに向き直り、



「ンもぅ、お客様に愚痴をこぼしたのー? ミリー?」

「………………このひとお客様じゃないもん」

「コラ、へりくつ・・・・

「う。……スイマセン」



 ”つん”っとおでこを突かれ、ミリアは”うっ”と顔をひそめた。

 突かれたおでこを恥ずかしそうにスリスリと擦りながらも、滲み出るのは『反省の色』。


 ミリアは、敵わなかった。

 そしてとても慕っていた。


 マジェラからはるばる国を超えて、飛び込んできた自分を雇ってくれたオーナー。

 その懐の大きさと、穏やかでいてそれでいて上品で。

 ”自分のしたいことをしている”、凛とした女性。

 オーナーは、彼女の憧れだった。  


 ミリアとベレッタ。その間柄はまるで親子のようで、『ンもぅ』と怒るベレッタに、ミリアはしゅんと眉を下げる。



 そんな、二人の横から。

「…………えぇと、オーナー。…………突然のことですみません。…………忙しいのは重々承知しておりますが」




 ゆっくりとした口調、落ち着いた面持ちで、エリックは声をかけた。

 ふたりの視線が集まる中、エリックは整った顔を柔らかに彩ると、ベレッタを敬うような所作で小首をかしげ



「……彼女────、ミリアを、少し連れ出しても構いませんか?」

っ?」

( なに 言 う て は る ん で す か )


「…………彼女は随分と疲れているようだ。聞けば、二日家に帰っていないとか。彼女には世話になっているし、なにより、この忙しさはわたしの主人のせいでもあります。オリオンの家に仕える者として、せめて食事をご馳走したい」

「いやあの待って!?」


「良いものを仕上げるために。より良い仕事をするために、適度な休息が必要です。いかがでしょうか?」

「アラぁ」

「ちょ、まって!」



 用意していたかのように始まったエリックの突然の提案に、”きょとーん”と頬に手を当て相槌を打つオーナーを尻目に、ミリアは誰よりも慌てふためいていた。



 寝耳に水もいいところだ。

 彼女は『好青年スマイルを浮かべているエリック』に”ぐっ”と詰め寄ると、慌てて肘のあたりをつまみ、



「ちょ、ちょっと何言ってるの!? さっき修羅場って言ったじゃん!」

「……だからだよ、ミリア。君、自分の顔は見たのか?相当疲れた顔してる。その状態じゃあ、ミスするだけだ」


「じゃあ納期どうすんの! 今この時間だって惜しいって言うのに!」

「…………ああ、それを今、言おうと思って」



 言うミリアのその前で、エリックはくるりとオーナーに向き直り、『自分を、売り込むように』微笑むのだ。



「……どうでしょう、オーナー。彼女を連れだして後れを取った分、私がフォローに入るというのは」

「はっ!?」


「手先の器用さには自信があるんです。──……とは言っても、『いきなり来た男に売り物のドレスを触らせるのには抵抗もある』でしょう。ですから、……そうですね、”彼女の助手”というか。”見習い”として。お手伝いさせていただきたいのです」


「…………ちょ」

「単純に手が増えるだけで、作業の進みは大幅に良くなります。布のカットでも、なんでも言ってください。それが駄目なら、”男手として”。力仕事に使ってくれても構わない」

「…………アラぁ……」



 エリックの口から、淀みなくさらさらと出た提案に

 オーナーのベレッタの口から洩れたのは、感心のため息だった。

 ────しかし。



「ちょとと、まっ! 待ってよっ! ありがたいけど、無料タダってわけにいかないじゃん、ねえオーナー?」



 慌てふためくミリア。

 眉を下げ手を広げ、『あらまあ』と考えている様子のオーナーに話を振る。


 ミリアは決して、彼が邪魔だと思っているわけではない。

 その申し出はありがたいとは思うのだが、しかし、正式に『一人分』賃金が増えるとなると、別問題なのだ。


 金銭勘定もしている彼女には、それがよくわかっていた。



「……そぅねぇ。けれど……ウーン。もう一人雇うお金はねぇ……」

「でしょ? ────ほら、おにーさん。気持ちはありがたいけどさ~」



 うなるオーナーを庇うように、困り顔で眉を下げた。


 目論見と焦り。

 若い二人の思惑が交差する中、オーナーから放たれたのは、穏やかな一言だった。






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