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第61話「むしてたべる」




 暮らす場所・育つ場所が違えば、もちろん使うものや道具にも差が出るものである。



 食事中、ミリアが出した『プリン』の話。

 どうにも通じないそれを確認するため、彼女は聞いた。



「────ねえ、もしかしてここって、『蒸し料理』がない……?」

「………………ムシ、料理…………?



 ミリアの問いかけに、『信じられない』というニュアンスで呟いたのは盟主・エルヴィス・ディン・オリオンだ。


 彼は完全に誤解している。

 彼女の言う『蒸し料理』は『蒸す』という調理法のことであり、『虫料理』ではないのだが、彼が認識したのは昆虫のほう。


 頭の中で一気に『幸せそうに虫を食べるミリア』の姿が思い浮かび、エリックは──気まずさの中にも、気遣いを残したような顔をして、言う。



「……そんなの、初めて聞いた、かな。…………あー、……そっちでは、よく、その、……食べ、るのか……?」

「けっこう。よく。蒸して食べる」


「…………”虫て食べる”…………」



 ケロッと言われて、さらに内心ドン引くエルヴィス・ディン・オリオン。

 昆虫を食べる民族がいるのは知っていたのだが、まさか目の前の彼女がそうだとは。


 別に、それが異常だとかどうとか言うつもりはないが、その大人しそうな外見で『虫おいしー!』と、ほおばる彼女を想像してドン引く。盛大な勘違いではあるが、妙に鮮明に思い浮かんでしまった映像に、彼は一瞬いろいろ考えて



(…………いや。そんなことで、引いてどうする。別に、食の好みなんて様々じゃないか。彼女は彼女だろう。虫を食べる民族や国があるのは前から知っていたわけで、彼女がそうだからと言って、ここで付き合い方を変えるのは)

「──なんでそんな顔するの?」

「────え」



 自覚なしの険しい顔で考え込む最中、声をかけられ目を上げれば、そこにあるのはミリアのキョトンとした顔。

 まさか『虫を食べる君を想像してどうかと思ってる自分を窘めている』など言えるわけもなく、彼が浮かべるのは愛想笑いだ。



「…………あぁ、いや、別に? 『へぇ』って思っただけ」

「こっちはしないから? 場所違うし、そういうのあるよね〜あっち、揚げもの無いもん。こっちにきて初めて食べたの。揚げたやつ」


「──待て。揚げ物がない、のか……!? そっちでは揚げたりしないのか?」

「ないです。鳥の唐揚げとか、革命的美味しさでございました……! しばらくハマって太りました……!」



 エリックは半ば無理やり話に乗っかった。

 それに気づかず頬を包むミリアに首を振る。



「…………信じられない。あんなに美味いものがないなんて……!」

「ね。あれ知らないなんて、人生の4割ぐらい損してるよね〜」


「ああ、損をしているな。君はここに来て、4割得したわけだな?」

「そういうことになります♪」



 流れるような会話の中、ミリアは陽気にクリームを纏ったキノコをぱくり。


 そんなミリアを前に、エリックの中で沸き起こるのは『葛藤と疑問』だ。彼女の言っていた『プリン』が気になる。しかし、虫を食べたいとは思わない。だが、『あまくてぷるぷるらしい』それは────エリックの心をどうしようもなく揺さぶったのだ。




「…………なあ、ミリア。……さっきの」

「さっきの?」


「……あぁ、えーと、”ぷりん”? ってやつ」

「ぷりん?」


「そう。その、甘くてぷるんとした、”ぷりん”。あー…… その、虫じゃなくて、他の方法で作れないのか?」

「? なんで?」

「…………」



 キョトンとした返しにエリックは口を閉ざした。

 『君が虫を食べるところを想像して引いてる』なんて言えないし、かといって虫を食べるのは遠慮したい。そんな葛藤が渦を巻き、彼の口から出たのは、配慮に配慮を重ねた言葉だった。



「…………甘いものは好きだから。君が、その、うまいと言うのなら、興味はあるんだけど。……その……ええと。……虫を口に入れるのは……、ちょっと、な」


「…………? むしを・くちに・いれる…………?」

「────そう」



 真剣・真顔。深刻を敷き詰めつつ言いにくそうに言うエリックを前に、ミリアは彼の言葉を反芻はんすうし────



(……むし、を、くちに………………入れる…………)


 むしを・くちに・入れ

 ────ぷ!

「あはははははははははははははははははは!!」

「……!?」



 それに気がつき吹き出した。

 いきなりのことに驚くエリックの前で、ミリアはぎゅっと自身を抱きしめるように腹を抱え、大きく息を吸い込み苦しそうに首を振る。



「むっ! 昆虫むしではなく! 蒸気とか、お湯の熱で! 火を通すほうほうのことだよっ」


「──────へ」

「……ぷ! 今思いっきり勘違いしなかった!? 『虫食べるとかありえない』って思ってたでしょっ。あははは! 違うよっ!? 虫なんか食べないよっ?」

「………………」


「ひーーー! どんびき! ドン引きしてるしっ! あはははははは! その顔ーっ! おーもしろいなもぉー!」

「………………!」



 ────目の前で涙を流しながら笑うミリアに、勘違いを自覚したエリックは『しまった』を前面に押し出しながら右手で口元を覆った。



 ──吹き出すのは羞恥心。

 自然に眉間に皺が寄る。


(……飛んだ勘違いだ……!) 



 手のひらの中苦々しく呟く。勘違いもシンプルに恥ずかしいのだが、今だ肩を揺らしている彼女の前、”やってしまった”感がすごくて仕方ない。


 いまだケタケタと笑う彼女に、エリックは恥ずかしさを押しこめながら眉を顰め、半身を捻ると



「……そういう意味か……! そんな調理法があるとは……!」

「ぷっ! 虫だと思ったんでしょっ」


「ああ、思った。思いっきり勘違いした」

「あははははは! マジで恥ずかしいって顔してる!


「──ああ、図星だ。白状するよ。今、すごく恥ずかしい。……ああくそ、勘違いした自分が恥ずかしいな」

「あっはっは!」



 清々しいほど笑われて、エリックは恥ずかしさを抱えながらも素直にこぼしていた。笑われるのも、恥じらいも『嫌じゃない』。彼は苦笑いで問いかける。



「……もう。時間を戻せるのなら、戻して欲しいんだけど?」

「ふふふふ、残念ながら無理ですね〜?」


「ミリアさんならできると思うんだけど?」

「さすがに出来かねますねっ~っ、ふふふっ」



 ────愉快だった。

 勘違いも恥ずかしさも・軽口も挑発も、楽しい食事のエッセンスだ。


 エリックが心の片隅で楽しい食事に満たされていく中、一通り笑い終わったミリアは『すぅ』っと息を吸い込み背筋を伸ばすと、ご機嫌に口を開いて、



「あのね、プリンは割と簡単だよ? クリームと、卵と、砂糖があればできるから。わたしも自分で作れるぐらい、お手軽デザート♪」


「…………へえ。そうなんだ」

「うん、あとでレシピ教えてあげるよ。作ってみたらいい〜、美味しいよ♪」

「…………ああ」



 ご機嫌な彼女に、エリックは細やかに頷きながら微笑んでいた。


(────ああ、不思議だ)

 穏やかというか、平和というか。



 勘違いした自分も。

 陽気に笑う彼女も。

 『何気ない時間』の一部のような気がして、自然と表情がほころぶ。


 『自然体』というものはこういうものなのだろうか。

 こんなにも穏やかに、笑いを交わしたことは、今まであっただろうか。


 恥をかいたはずなのに嫌だと感じないのは、なぜなのだろうか。


 無防備になった彼の気持ち。

 そんなエリックの口から流れ出たのは

 計算も何もない『思いついたまま』の話題だった。


 エリック・マーティンは問いかける。

 囲んだ席の向こう側、笑いの収まった相棒に『ひとつ』。



「…………それにしても。仕事。すごい量だったな? 毎回ああなのか?」

「……ん〜〜〜。まあ、そうかな? でも、開催まで期間が長ければ、そのぶん、分散するから余裕できるんだけど。今回お知らせ来た時点で2週間ないんだもん、みんな焦って持ち込んだ感じー」


「……舞踏会ひとつでああなるとは。……想像が及ばなかったよ」

「んまあ、男の人ならしょーがないんじゃん? おにーさん、貴族でもなんでもないんだし。普通普通。そんなもんだよ~」



 エリックの中に潜む『強めの反省』に微塵も気づかず、ミリアは軽く手を振り答えた。


 ミリアからしてみれば、『お屋敷の主さんエルヴィスめいしゅがやらかしたことを自分のように謝ることなんてない』のだ。そこまで気にする彼を(まじめだなあ)と捕えつつ、ミリアは続きを語る。



「まあ、大体リメイクなんだけどね? リメイクはね? ドレス作るよりは手間もなくて割高で、儲けられるから『らっきー!』って感じなんだけど。何しろ数が多くて。片付けても片付けても増えてくんだもん。ひと昔前ならお直しできるショップもいっぱいあったんだけど、今はもう『作りっぱなし』のところが多いじゃない? ウチみたいに『他で購入したものも直しますよ』なんてところ、すごーく少ないのねー? だから、溢れちゃうの」



 はぁ、と短く漏らす息。

 そして彼女は肩をすくめ、



「スタッフ総動員。わたしも縫う。猫の手も借りたい。うちの職人は血眼」

「…………」

「今回は、流石のうちもオーダーストップした。こんなの初めて」


「…………」

「ふふーん? その顔『なら最初から受けるな』とか『キャパを考えろ』って言いたそうだね〜? ────でもさあ、」



 なにか、”言葉を飲み込んだ様子”のエリックに、ミリアはスプーンを置いて笑いながら手のひらで頬杖をつくと、そのはちみつを閉じ込めたような瞳に、光を宿し────述べる。



「────”ここなら綺麗にしてくれる!”って、思って来てくれるお客様の期待には、応えたいじゃない? 普段、その辺の男にツンケンしてる感じの女の人も、すごくキラキラした顔で来店されるんだよ?」



 話す彼女は幸せそうで、慈愛に満ちていて。



「『盟主さまの目に留まりたい』って。『あの方の瞳に入りたい』って。……わたしはどんな人か知らないから、聞いてただけだったんだけど。みんな、いい笑顔してた。キミのご主人さまって、『憧れの人』なんだね」

「…………」



 ニコニコと語る彼女とは反対に、エリックの中が地味に澱む。

 ────ああ、違う。あいつらが見ているのは《俺》じゃない。



「あのね、わたし思うんだけどね? この街の女性だって、別に『相手が要らないわけじゃない』と思う。『あれだけを見てると』だけどね、そう思うの」



 ──違う、違う。

 しかしそれは口に出せない。

 彼女の『嬉しさと憧れの混じった気持ち』に、エリックは──皮肉を交えて鉛をこぼす。



「…………まあ、そうかもしれないけどな。…………どれだけの人間が『エルヴィス・ディン・オリオン』を見ているのか、疑問ではあるけど」

「? どゆこと?」



 ────鉛色の|本音に問いが返る。



「────いや、なんでも? ……それで? 君は?」

「? わたし?」

「着付けているし、提案しているんだよな? 『舞踏会に・憧れ』、とか」

「?」



 それに答えず、質問で隠したエリックに戻ってきたのは、心底不思議そうなミリアの顔だった。



「わたしは、着せる側じゃん? ドレス一着いくらすると思ってるの? 『婚姻の贈り物』って言われてるんだよ? 貴族令嬢でもないわたしが、着れるわけないでしょ〜」



 答える彼女は『なにを当たり前な』と言わんばかりで。

 暗に『それでいいのか』と疑問をぶつける彼の前、満足そうに微笑み、そして言うのだ。



「いーの。一生地味〜なローブ着て過ごすより、全然マシ。毎日服を選ぶだけで楽しいんだよ? そんなの、ここに来るまで知らなかったっ」

「…………」



 ご機嫌に、そして陽気に笑うミリアに────彼は思わず、投げかけていた。



「…………着てみたいとは、思わないのか?」













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