暮らす場所・育つ場所が違えば、もちろん使うものや道具にも差が出るものである。
食事中、ミリアが出した『プリン』の話。
どうにも通じないそれを確認するため、彼女は聞いた。
「────ねえ、もしかしてここって、『蒸し料理』がない……?」
「………………ムシ、料理…………?
ミリアの問いかけに、『信じられない』というニュアンスで呟いたのは盟主・エルヴィス・ディン・オリオンだ。
彼は完全に誤解している。
彼女の言う『蒸し料理』は『蒸す』という調理法のことであり、『虫料理』ではないのだが、彼が認識したのは昆虫のほう。
頭の中で一気に『幸せそうに虫を食べるミリア』の姿が思い浮かび、エリックは──気まずさの中にも、気遣いを残したような顔をして、言う。
「……そんなの、初めて聞いた、かな。…………あー、……そっちでは、よく、その、……食べ、るのか……?」
「けっこう。よく。蒸して食べる」
「…………”虫て食べる”…………」
ケロッと言われて、さらに内心ドン引くエルヴィス・ディン・オリオン。
昆虫を食べる民族がいるのは知っていたのだが、まさか目の前の彼女がそうだとは。
別に、それが異常だとかどうとか言うつもりはないが、その大人しそうな外見で『虫おいしー!』と、ほおばる彼女を想像してドン引く。盛大な勘違いではあるが、妙に鮮明に思い浮かんでしまった映像に、彼は一瞬いろいろ考えて
(…………いや。そんなことで、引いてどうする。別に、食の好みなんて様々じゃないか。彼女は彼女だろう。虫を食べる民族や国があるのは前から知っていたわけで、彼女がそうだからと言って、ここで付き合い方を変えるのは)
「──なんでそんな顔するの?」
「────え」
自覚なしの険しい顔で考え込む最中、声をかけられ目を上げれば、そこにあるのはミリアのキョトンとした顔。
まさか『虫を食べる君を想像してどうかと思ってる自分を窘めている』など言えるわけもなく、彼が浮かべるのは愛想笑いだ。
「…………あぁ、いや、別に? 『へぇ』って思っただけ」
「こっちはしないから? 場所違うし、そういうのあるよね〜あっち、揚げもの無いもん。こっちにきて初めて食べたの。揚げたやつ」
「──待て。揚げ物がない、のか……!? そっちでは揚げたりしないのか?」
「ないです。鳥の唐揚げとか、革命的美味しさでございました……! しばらくハマって太りました……!」
エリックは半ば無理やり話に乗っかった。
それに気づかず頬を包むミリアに首を振る。
「…………信じられない。あんなに美味いものがないなんて……!」
「ね。あれ知らないなんて、人生の4割ぐらい損してるよね〜」
「ああ、損をしているな。君はここに来て、4割得したわけだな?」
「そういうことになります♪」
流れるような会話の中、ミリアは陽気にクリームを纏ったキノコをぱくり。
そんなミリアを前に、エリックの中で沸き起こるのは『葛藤と疑問』だ。彼女の言っていた『プリン』が気になる。しかし、虫を食べたいとは思わない。だが、『あまくてぷるぷるらしい』それは────エリックの心をどうしようもなく揺さぶったのだ。
「…………なあ、ミリア。……さっきの」
「さっきの?」
「……あぁ、えーと、”ぷりん”? ってやつ」
「ぷりん?」
「そう。その、甘くてぷるんとした、”ぷりん”。あー…… その、虫じゃなくて、他の方法で作れないのか?」
「? なんで?」
「…………」
キョトンとした返しにエリックは口を閉ざした。
『君が虫を食べるところを想像して引いてる』なんて言えないし、かといって虫を食べるのは遠慮したい。そんな葛藤が渦を巻き、彼の口から出たのは、配慮に配慮を重ねた言葉だった。
「…………甘いものは好きだから。君が、その、うまいと言うのなら、興味はあるんだけど。……その……ええと。……虫を口に入れるのは……、ちょっと、な」
「…………? むしを・くちに・いれる…………?」
「────そう」
真剣・真顔。深刻を敷き詰めつつ言いにくそうに言うエリックを前に、ミリアは彼の言葉を
(……むし、を、くちに………………入れる…………)
むしを・くちに・入れ
────ぷ!
「あはははははははははははははははははは!!」
「……!?」
それに気がつき吹き出した。
いきなりのことに驚くエリックの前で、ミリアはぎゅっと自身を抱きしめるように腹を抱え、大きく息を吸い込み苦しそうに首を振る。
「むっ!
「──────へ」
「……ぷ! 今思いっきり勘違いしなかった!? 『虫食べるとかありえない』って思ってたでしょっ。あははは! 違うよっ!? 虫なんか食べないよっ?」
「………………」
「ひーーー! どんびき! ドン引きしてるしっ! あはははははは! その顔ーっ! おーもしろいなもぉー!」
「………………!」
────目の前で涙を流しながら笑うミリアに、勘違いを自覚したエリックは『しまった』を前面に押し出しながら右手で口元を覆った。
──吹き出すのは羞恥心。
自然に眉間に皺が寄る。
(……飛んだ勘違いだ……!)
手のひらの中苦々しく呟く。勘違いもシンプルに恥ずかしいのだが、今だ肩を揺らしている彼女の前、”やってしまった”感がすごくて仕方ない。
いまだケタケタと笑う彼女に、エリックは恥ずかしさを押しこめながら眉を顰め、半身を捻ると
「……そういう意味か……! そんな調理法があるとは……!」
「ぷっ! 虫だと思ったんでしょっ」
「ああ、思った。思いっきり勘違いした」
「あははははは! マジで恥ずかしいって顔してる!
「──ああ、図星だ。白状するよ。今、すごく恥ずかしい。……ああくそ、勘違いした自分が恥ずかしいな」
「あっはっは!」
清々しいほど笑われて、エリックは恥ずかしさを抱えながらも素直にこぼしていた。笑われるのも、恥じらいも『嫌じゃない』。彼は苦笑いで問いかける。
「……もう。時間を戻せるのなら、戻して欲しいんだけど?」
「ふふふふ、残念ながら無理ですね〜?」
「ミリアさんならできると思うんだけど?」
「さすがに出来かねますねっ~っ、ふふふっ」
────愉快だった。
勘違いも恥ずかしさも・軽口も挑発も、楽しい食事のエッセンスだ。
エリックが心の片隅で楽しい食事に満たされていく中、一通り笑い終わったミリアは『すぅ』っと息を吸い込み背筋を伸ばすと、ご機嫌に口を開いて、
「あのね、プリンは割と簡単だよ? クリームと、卵と、砂糖があればできるから。わたしも自分で作れるぐらい、お手軽デザート♪」
「…………へえ。そうなんだ」
「うん、あとでレシピ教えてあげるよ。作ってみたらいい〜、美味しいよ♪」
「…………ああ」
ご機嫌な彼女に、エリックは細やかに頷きながら微笑んでいた。
(────ああ、不思議だ)
穏やかというか、平和というか。
勘違いした自分も。
陽気に笑う彼女も。
『何気ない時間』の一部のような気がして、自然と表情がほころぶ。
『自然体』というものはこういうものなのだろうか。
こんなにも穏やかに、笑いを交わしたことは、今まであっただろうか。
恥をかいたはずなのに嫌だと感じないのは、なぜなのだろうか。
無防備になった彼の気持ち。
そんなエリックの口から流れ出たのは
計算も何もない『思いついたまま』の話題だった。
エリック・マーティンは問いかける。
囲んだ席の向こう側、笑いの収まった相棒に『ひとつ』。
「…………それにしても。仕事。すごい量だったな? 毎回ああなのか?」
「……ん〜〜〜。まあ、そうかな? でも、開催まで期間が長ければ、そのぶん、分散するから余裕できるんだけど。今回お知らせ来た時点で2週間ないんだもん、みんな焦って持ち込んだ感じー」
「……舞踏会ひとつでああなるとは。……想像が及ばなかったよ」
「んまあ、男の人ならしょーがないんじゃん? おにーさん、貴族でもなんでもないんだし。普通普通。そんなもんだよ~」
エリックの中に潜む『強めの反省』に微塵も気づかず、ミリアは軽く手を振り答えた。
ミリアからしてみれば、『
「まあ、大体リメイクなんだけどね? リメイクはね? ドレス作るよりは手間もなくて割高で、儲けられるから『らっきー!』って感じなんだけど。何しろ数が多くて。片付けても片付けても増えてくんだもん。ひと昔前ならお直しできるショップもいっぱいあったんだけど、今はもう『作りっぱなし』のところが多いじゃない? ウチみたいに『他で購入したものも直しますよ』なんてところ、すごーく少ないのねー? だから、溢れちゃうの」
はぁ、と短く漏らす息。
そして彼女は肩をすくめ、
「スタッフ総動員。わたしも縫う。猫の手も借りたい。うちの職人は血眼」
「…………」
「今回は、流石のうちもオーダーストップした。こんなの初めて」
「…………」
「ふふーん? その顔『なら最初から受けるな』とか『キャパを考えろ』って言いたそうだね〜? ────でもさあ、」
なにか、”言葉を飲み込んだ様子”のエリックに、ミリアはスプーンを置いて笑いながら手のひらで頬杖をつくと、そのはちみつを閉じ込めたような瞳に、光を宿し────述べる。
「────”ここなら綺麗にしてくれる!”って、思って来てくれるお客様の期待には、応えたいじゃない? 普段、その辺の男にツンケンしてる感じの女の人も、すごくキラキラした顔で来店されるんだよ?」
話す彼女は幸せそうで、慈愛に満ちていて。
「『盟主さまの目に留まりたい』って。『あの方の瞳に入りたい』って。……わたしはどんな人か知らないから、聞いてただけだったんだけど。みんな、いい笑顔してた。キミのご主人さまって、『憧れの人』なんだね」
「…………」
ニコニコと語る彼女とは反対に、エリックの中が地味に澱む。
────ああ、違う。あいつらが見ているのは《俺》じゃない。
「あのね、わたし思うんだけどね? この街の女性だって、別に『相手が要らないわけじゃない』と思う。『あれだけを見てると』だけどね、そう思うの」
──違う、違う。
しかしそれは口に出せない。
彼女の『嬉しさと憧れの混じった気持ち』に、エリックは──皮肉を交えて鉛をこぼす。
「…………まあ、そうかもしれないけどな。…………どれだけの人間が『エルヴィス・ディン・オリオン』を見ているのか、疑問ではあるけど」
「? どゆこと?」
────鉛色の|本音に問いが返る。
「────いや、なんでも? ……それで? 君は?」
「? わたし?」
「着付けているし、提案しているんだよな? 『舞踏会に・憧れ』、とか」
「?」
それに答えず、質問で隠したエリックに戻ってきたのは、心底不思議そうなミリアの顔だった。
「わたしは、着せる側じゃん? ドレス一着いくらすると思ってるの? 『婚姻の贈り物』って言われてるんだよ? 貴族令嬢でもないわたしが、着れるわけないでしょ〜」
答える彼女は『なにを当たり前な』と言わんばかりで。
暗に『それでいいのか』と疑問をぶつける彼の前、満足そうに微笑み、そして言うのだ。
「いーの。一生地味〜なローブ着て過ごすより、全然マシ。毎日服を選ぶだけで楽しいんだよ? そんなの、ここに来るまで知らなかったっ」
「…………」
ご機嫌に、そして陽気に笑うミリアに────彼は思わず、投げかけていた。
「…………着てみたいとは、思わないのか?」