彼女は語る。
賑やかに食事を囲む人々を背景に。
「────でもさあ、『ここなら綺麗にしてくれる!』って思って来てくれるお客様の期待には、応えたいじゃない?」
嬉しそうに頬杖をつきながら、疲れた顔に光を宿して。
「『盟主さまの目に留まりたい』って。『あの方の瞳に入りたい』って。この街の女性だって、別に『相手が要らないわけじゃない』と思う」
そんなキラキラしたミリアに、彼が返した言葉は『鉛色』。
「…………どれだけの人間が……『エルヴィス・ディン・オリオン』を見ているのか、疑問ではあるけどな」
「? どゆこと?」
「────いや、なんでも?」
皮肉も込めた呟きは最後、口の中。
切り替えたように顔を上げ、ごまかしさえ掃き捨てて問いかける”彼”は、話題をミリアに向ける。
「……それで? 君は? 毎日ドレスにも触れて、着せているんだろ?」
「わたしは、着せる側じゃん? ドレス一着いくらすると思ってるの? 婚礼の贈り物って言われてるのに。貴族令嬢でもないわたしが、着れるわけないでしょ〜?」
返す彼女は『なにを当たり前な』と言わんばかりで、それを考えたこともなさそうだった。
しかし彼女は笑うのだ。
今ある幸せを、噛み締めるように。
「…………でもね、いーの。毎日服を選ぶだけで楽しいんだよ? そんなの、ここに来るまで知らなかったっ」
「…………………………」
その『 何も望まない 』と言わんばかりの返答に、────
「…………着てみたいとは、思わないのか?」
※※※
「…………着てみたいとは、思わないのか?」
「……?」
それは、修羅場の中のオアシス。
ウエストエッジ・飲食街の一画。
人で賑わう『ビストロ・ポロネーズ』の店内で。
食事を共にしている男性『エリック・マーティン』にそう聞かれ、ミリア・リリ・マキシマムは小さく目を見開いた。
彼女のハニーブラウンの瞳が捉えるのは、エリックの暗く青い瞳。その眼差しがどことなく真剣で──ミリアはそのまま、顎を乗せていた手のひらの指を、緩やかに握り『うん?』と眉を上げると
「? 着てるよ? カタログから試着ドレスを起こす時とか。 わたし、体型がド平均だから。あそこにあるドレス、大体入るんだ」
「…………いや、」
答えた直後、返って来たのは小さな否定。
しかしミリアの耳には届いていない。
「まあ、サイズが大きすぎるのとか〜あと、お子様用のは流石に入らないけど。試着のやつはだいたい着てるよ? 」
「…………」
「うちのドレスって基本オーダーだけど、とりあえずレギュラーサイズで型紙とって、それで細かく合わせていくのね? 絞れるものはフリーで作る。で、そのレギュラーサイズを作る時に、わたしがトルソーになるの。型紙起こす勉強にもなるし、仕立てが分かると、おすすめする時も説得力が増すでしょ?」
「……まあ」
「ドレスのスカートの感じをみたりとか、途中の仕上がりを確認するのに着てみたりとか、本縫いする前に確認したりする時とか、結構重要な仕事なのね? ……動けないけど」
「…………だから、」
「? だから、あのー……割と着ている、けれど、も……??」
「…………」
「????」
何か言いたげに黙り込んでしまったエリックに、ミリアは、ただただ不思議だと言わんばかりに目を向けた。
細やかに瞬きをしながら『じぃ────:っと視線を送ってみるが────彼は、複雑そうな顔をするのみ。そんなエリックを前にミリアは
(…………何が言いたいのかしら。このおにーさん…………)
彼女は『エリックが何が言いたいのか』本気で分からなかった。
今の彼女にとって、ドレスは『着付けるもの』であり、『商品』だ。『自分が金を出して身に着ける』ものではない。
明らかな高級品。身の丈に合わないもの。
全く憧れがないといえば嘘になるが、しかし『欲しくてほしくてたまらない』というものではない。
それでも昔は、ドレスにあこがれて仕方なかった。『あんな服を着てみたい』と思っていた。
けれど、いざこの街に来た時、突きつけられたのは
──貴族でもない彼女が、普段の生活を送りながら、手に入れられる
そしてミリアは割り切った。
──『ドレスは、婚礼の贈り物』。
『身分ある女性が纏う衣装』であり『わたしが着るものではない』。
『花嫁の予定もない。それになれるとも思っていない。でも好き。だからドレスの花を咲かせる手伝いをするのだ』と。
そう、当の昔に割り切った彼女にとって、エリックの問いは、ピンともなんとも来なかった。
(……えと……いや……『着て、みたい』というか、着てるっていう……ってゆか、どうした?? なに??)
と、もう一度、疑念の目を向ける。
しかしエリックは、気まずそうに黙っている。
(────えぇ~……、……どうしたぁ────……??)
「…………」
(────だまると気になるんですけど……)
エリックの『珍しすぎる沈黙』に、困惑に包まれ瞳を惑わせた。
彼女の中、『エリック』という青年は、『基本的にレスポンスがいい』。
一つ言えば二つ返ってくると言うか。
気になることがあれば、もれなく小言もおまけでついてくると言うか。
『おしゃべりな男』というわけではなく『意見を言うのに躊躇いがない』。『遠慮なくずけずけと、思ったことを言ってくる』。のに、たまにこうして言い淀む時もある。
その線引きが掴めないミリアには──エリックの『不調』は不思議で仕方なかった。
(……わっかんない
「…………ねえ、調子悪いの?」
「え? ああ、いや?」
胸の疑問を気遣いに変えて、ミリアが飛ばした問いに、エリックが返したのは『素早いNO』だった。
素早く顔を上げたエリックには一瞬『不意を突かれた』ような色が見えて取れたが、彼は即座に『余裕』と言わんばかりの色を湛え、テーブルの向こうで意地悪く笑う。
「…………むしろ、悪かったのは君の方じゃないか? 食事を摂ってだいぶ顔色が戻ったように思うけど?」
「…………うぁあ〜、心配して損したぁ〜。修羅場なの、誰のせいだと思ってるの?キミのご主人さまのせいなんだからね!」
からかいを含むそれに返すのは、ノリのいいむくれ顔。瞬時にエリックの眉が下がり、言葉は返ってくる。
「…………だから、『手伝う』って。オーナーにも許可をもらったし、オリオンの家のものとして、精一杯やらせてもらうよ」
「…………お屋敷のお手伝いはいいの?」
「ああ、大丈夫。俺の仕事はもう終わったから」
伺うように聞くミリアに頷きながら、落ち着き払った口調で答えつつ、エリックは『ここ数日で片付けた仕事の数々』を思い出していた。
簡単に『終わった』とは言ったが、その量は膨大なものだった。
舞踏会に招かねばならない人間のリストをもとに、招待状という名のラブレターをおくり、もてなす食事のメニューをざっと確認し、場所を確保し金を納める。
ビスティーが修羅場なように、オリオン家も相当な修羅場であったが、今回。エリックの印象に強く残っていたのは、膨大な量の手紙でも食事の発注でもなく──『衣装の新調』であった。
一度宴が決まれば、流れるように始まるこの慣習。
親・祖父の代からの慣わし・慣例行事。
注文せずとも『舞踏会』といえばやってくる、お抱えテーラーの縫製師。
ぶっちゃけ彼は『舞踏会で毎回やることもない』と思うのだが、ここで新調しないと、お抱えのテーラーが泣きをみる。
その縫製師が語る『生地やらボタンの種類やら』の話題に、彼は少し前まで『そうか』『良いものなのだな』としか返しようがなく、どう話題を拡げて良いかわからない時間だったのだが、今回は違ったのだ。
──『ほんの少し明るくなっただけで、返せるものが違ってくる』。
「…………君から話を聞いたおかげで、今回は随分スムーズだった。相手の言っていることがわかるようになると、話の進みも早いよな」
「……? わたし、舞踏会の準備に役立つようなこと言ったっけ……?」
「いや? こっちの話だから。気にしなくていいよ」
盛り上がった話題と、嬉しそうにしていた老いたテーラーを思い出しながらぽろっと溢れたそれを素早く掃き流し、彼は次に──小難しい顔つきで口元を覆い悩ましげに息をつき言葉を続ける。
「────そうだな、残っている仕事といえば……あとは、当日? ……当日は流石に、抜けられそうも無いけど」
「……当日はさすがに、男性スタッフ立ち入り禁止ですね……?」
「……ああ、そうか。当日こそ修羅場だよな」
「よやくでいっぱい。あさからドレス締める」
「なるほど。……で、俺が言いたいのはそっちじゃなくてさ」
「?」
首をかしげるミリアに、ひとつ。
エリックは背を浮かせて距離を詰め、彼女の瞳を覗きこむと、軽さを捨てた声を出す。
「……「契約」。今のうちに詰めて置きたいのはそっちほうなんだけど」
「…………」
言いながら、”コツ・コツ・”とテーブルを鳴らすが────彼女は顔のパーツ全てを横に引き伸ばして黙るのみ。
それを確認するべく、エリックは伺うように首を寄せると、
「……忘れてた?」
「いや?? 1割ぐらい覚えてたし??」
「…………それ、ほとんど忘れてるのと一緒だろ」
「や、」
テンポ良く、呆れ口調のそれに一瞬。
『ちが、』と言いかけるが────素早く瞳を回し、話を進める方向を取り、話題を振った。
「そいえば「やり方はおにーさんが考える」んだっけ? この前そういってたよね?」
「…………ああ」
『話題反らし作戦』が成功したミリアが(ヨシ!)とガッツポーズを取る正面で────深刻に頷く彼は、気を潜めて周りに神経を配る。
探る。
────昼の『ビストロ・ポロネーズ』。
天井から吊る下げられた数々の照明魔具を頭の上に、楽しそうに話し込む人々。
職場の仲間か、兄弟か、それとも、母親同士なのか。
わいわいざわざわと騒がしい客を背景にエリックは、「じっ」と彼女を見つめテーブルに両肘を置き、声を潜め、澄ました顔でそっと囁いた。
「…………少し、こっちに来て」
「……!」
ざわめきの中、誘うように声をかけ、『聞いてもらう』。
細かく瞬きしながら前のめりに『聞く』姿勢を取るミリアに、エリックは声を潜めると、
「これぐらい煩いぐらいの方が、都合がいいんだ。下手に静かなところより、周りの声が会話をかき消してくれるから。──それに。これなら『仲のいい恋人同士が語らっている』ようにしか見えないよ」」