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8

第85話「だれもいないとこ」




 言葉は、不思議だ。



 誰にいつ

 どのような影響を与えるかわからない




 狙った言葉が響かないこともある

 労いのつもりが傷付けることもある



 そして

 何気ないひとことが

 何かを動かすこともある





 スパイのボスであり、盟主の男

 エリック・マーティンは、話す。

 着付け師のミリアと席を囲んで、雄弁に。




「君が相手につかまりでもしたら、その時は助けてあげるよ」

 …………ぴくっ…………!





 エリックの何気ない一言に

 ミリアが────ぴくんと小さく、動き、震えた。





「…………たすけて、くれるの?」



 ほんの少し丸い声は

 エリックの意識をひいて、



「? 当たり前だろ?

 君は、ほっといたらあっという間に捕まりそうだからな?


 ……そうならないように手は打つけ、

 ど」




 時間を 止めた。














 その目を向けた先

 はちみつ色の瞳



 ぱちっと合ったそれが

 こちらを見つめて、離さない。




「………………」

「………………」



 ミリアの視線が

 ────”なんとなく”



 恥ずかしそうな、照れたような

 迷うような、躊躇うような


 不意を、突かれたような




 しかし『真剣な眼差し』に感じ 彼は言葉も無く 動きを止める。




 見入る彼の視線せかいの中で



 ミリアの目尻が、いつもより

 気持ちばかり下がっているように見え




 ────そんな、顔つきに




「…………ちょっ、っと……!

 そんな、見るなよ……!」



 エリックは慌てて声を出していた。

 反らした瞳、視界から消えるミリアと、ポロネーズの床。



 途端。

 がらりと動きだした空気、聞こえ出したあたりのざわめき、雑多な話し声。




 そんなざわめきも手伝って

 エリックは飛び出した『待った』の右手を、そのまま首後ろに回した。




 ────落ち着かない。


 目が逃げる・焦る・そこを見ていられない。


 そわそわする。

 けれど、黙っているわけにもいかないだろう。


 突き出た言葉に一瞬顔をひそめ、瞬時に彼女の顔色を窺い瞳を迷わせ苦笑い。




 そして、平静を意識し、



「──面白い、もの……でも、ないだろ?

 あの、流石に、その、


 あ~─……、”気になる”から」

「────あ。

 ごめん。

 う────ん、と。

 ごめん」



 出た声は、情けないぐらい たどたどしかった。


 瞬時に(いや、何やってるんだ)と自省し

 自身の中の”居心地の悪さ”を何とかしようとするエリックに対し、




 ワンテンポ遅れて答えたミリアは、パタパタと手を振った後、じっ……と目を落とし静かになった。




 食って掛かるわけでもなく。

 窘められて、肩を落とした子供のように、口をつぐむ彼女。



 そんなミリアの、驚きと反省の混ざったような素振りに、

「…………いや、別に、いいんだけど」

 ──と。頬をかき、間に合わせのフォローをするが



「…………」

「………………」

『………………』


(──気まずい……)

 自らが作り出した──、いや、変わってしまった空気に、彼も口を閉ざしてしまった。



 先ほどまで、にこやかに談笑を続けていたのに。

 今、二人のテーブルだけが、水を打ったかのように、静かで。



 ──”次の手”が、見つからない。



(…………参ったな)

 彼が、暗く青い瞳を瞼の中で迷わせ、ちらりと伺うその向こうで

 ミリアは小さく目線を落とすと、細やかにこくこく頷き目を上げ、




「…………そだよねー。

 じっと見られたら気になるよねー、

 嫌だよねー」


「いや、

 ……”嫌”……というか」




 のほほ~んと、ゆる~く云う彼女に首を振る。

 彼女は『そうだよね~』と虚空を見つめながら納得している様子だが、エリックの内部はそうじゃなかった。




(…………なんて言えばいいんだ)



 言葉に、迷う。


 『君が謝ることじゃない』

 『嫌というわけじゃない』と口にしようとしたのだが、それも適切ではない気がする。



 適切なそれを探すエリックをよそに、彼女は平静だ。

 まるで情報を処理するかのように『うんうん、そうだよね』と呟き、気を落としてはいない様子。




 その対応を前にして、彼はさらに

 迷い・戸惑い・わからなくなっていた。




「────、」

 隠すのは口元。

 迷う瞳が落ち着くは、視界の『下』。

 そして、混乱気味の脳が問いかける。




 『どうしてこうなった?』

 『今まで自分はどうしていた?と。





 瞳は、視線は、武器になる。

 『じっ……』とこちらを見るそれを、多くは見つめ返し、笑いかけるという手段をとってきた。



 相手の気持ちを、転がすために。

 心理的優位を、勝ち取るために。


 そうすれば

 相手は慌て、頬を染めたり怯んだり、いろいろな態度を見せてきた。




 彼の妖艶な視線・まなざし・綺麗な顔を前に


 期待おもわくに乗ってくる愚か者もの

 思惑を勘違いしはしゃぐ愚か者もの──と。





 ──そう。『視線は武器だったはずなのに』。

 今、彼女に見つめられて、何もできず、焦ったのは『自分の方』だ。



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