言葉は、不思議だ。
誰にいつ
どのような影響を与えるかわからない
狙った言葉が響かないこともある
労いのつもりが傷付けることもある
そして
何気ないひとことが
何かを動かすこともある
スパイのボスであり、盟主の男
エリック・マーティンは、話す。
着付け師のミリアと席を囲んで、雄弁に。
「君が相手につかまりでもしたら、その時は助けてあげるよ」
…………ぴくっ…………!
エリックの何気ない一言に
ミリアが────ぴくんと小さく、動き、震えた。
「…………たすけて、くれるの?」
ほんの少し丸い声は
エリックの意識をひいて、
「? 当たり前だろ?
君は、ほっといたらあっという間に捕まりそうだからな?
……そうならないように手は打つけ、
ど」
時間を 止めた。
その目を向けた先
はちみつ色の瞳
ぱちっと合ったそれが
こちらを見つめて、離さない。
「………………」
「………………」
ミリアの視線が
────”なんとなく”
恥ずかしそうな、照れたような
迷うような、躊躇うような
不意を、突かれたような
しかし『真剣な眼差し』に感じ 彼は言葉も無く 動きを止める。
見入る彼の
ミリアの目尻が、いつもより
気持ちばかり下がっているように見え
────そんな、顔つきに
「…………ちょっ、っと……!
そんな、見るなよ……!」
エリックは慌てて声を出していた。
反らした瞳、視界から消えるミリアと、ポロネーズの床。
途端。
がらりと動きだした空気、聞こえ出したあたりのざわめき、雑多な話し声。
そんなざわめきも手伝って
エリックは飛び出した『待った』の右手を、そのまま首後ろに回した。
────落ち着かない。
目が逃げる・焦る・そこを見ていられない。
そわそわする。
けれど、黙っているわけにもいかないだろう。
突き出た言葉に一瞬顔をひそめ、瞬時に彼女の顔色を窺い瞳を迷わせ苦笑い。
そして、平静を意識し、
「──面白い、もの……でも、ないだろ?
あの、流石に、その、
あ~─……、”気になる”から」
「────あ。
ごめん。
う────ん、と。
ごめん」
出た声は、情けないぐらい たどたどしかった。
瞬時に(いや、何やってるんだ)と自省し
自身の中の”居心地の悪さ”を何とかしようとするエリックに対し、
ワンテンポ遅れて答えたミリアは、パタパタと手を振った後、じっ……と目を落とし静かになった。
食って掛かるわけでもなく。
窘められて、肩を落とした子供のように、口をつぐむ彼女。
そんなミリアの、驚きと反省の混ざったような素振りに、
「…………いや、別に、いいんだけど」
──と。頬をかき、間に合わせのフォローをするが
「…………」
「………………」
『………………』
(──気まずい……)
自らが作り出した──、いや、変わってしまった空気に、彼も口を閉ざしてしまった。
先ほどまで、にこやかに談笑を続けていたのに。
今、二人のテーブルだけが、水を打ったかのように、静かで。
──”次の手”が、見つからない。
(…………参ったな)
彼が、暗く青い瞳を瞼の中で迷わせ、ちらりと伺うその向こうで
ミリアは小さく目線を落とすと、細やかにこくこく頷き目を上げ、
「…………そだよねー。
じっと見られたら気になるよねー、
嫌だよねー」
「いや、
……”嫌”……というか」
のほほ~んと、ゆる~く云う彼女に首を振る。
彼女は『そうだよね~』と虚空を見つめながら納得している様子だが、エリックの内部はそうじゃなかった。
(…………なんて言えばいいんだ)
言葉に、迷う。
『君が謝ることじゃない』
『嫌というわけじゃない』と口にしようとしたのだが、それも適切ではない気がする。
適切なそれを探すエリックをよそに、彼女は平静だ。
まるで情報を処理するかのように『うんうん、そうだよね』と呟き、気を落としてはいない様子。
その対応を前にして、彼はさらに
迷い・戸惑い・わからなくなっていた。
「────、」
隠すのは口元。
迷う瞳が落ち着くは、視界の『下』。
そして、混乱気味の脳が問いかける。
『どうしてこうなった?』
『今まで自分はどうしていた?と。
瞳は、視線は、武器になる。
『じっ……』とこちらを見るそれを、多くは見つめ返し、笑いかけるという手段をとってきた。
相手の気持ちを、転がすために。
心理的優位を、勝ち取るために。
そうすれば
相手は慌て、頬を染めたり怯んだり、いろいろな態度を見せてきた。
彼の妖艶な視線・まなざし・綺麗な顔を前に
思惑を勘違いしはしゃぐ
──そう。『視線は武器だったはずなのに』。
今、彼女に見つめられて、何もできず、焦ったのは『自分の方』だ。