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第86話「だれもいないとこ(2)」







(────見つめ返せばよかったじゃないか。

 そうしてミリアの気持ちを手の上で、


 ──……いや、違うな。

 もう彼女を『利用』しようとしているわけじゃないんだ。好意を持たせて都合よく動かす必要はない)





 二転三転。

 転がりながらも、脳が答えを探し出すその傍らで

 さっきから、妙に動きが早い鼓動ぶぶん





(………………そう、そう。

 ────ただ、”焦った”んだ。

 ”想定外の動きに、ついていけなかった”。

 それだけで)



 理由を立てる。




 体の反応に、動きに

 『頭が、追いつかない理由』を、懸命に。





(……そうだ。

 さっきからカードの件で狂いっぱなしなんだ。

 それに連動して”焦った”)



 言い聞かせる。





(混乱が後を引いているんだ。

 あれは、仕方ないだろ? そう、それのせいだ)

 納得させる、自らの心。



 と。

 ビストロ・ポロネーズの席を囲み、頬杖を突いて黙り込むエリックの前で





「…………」

 彼女も、口元を緩やかに握った指で隠し、考えていた。




 落ち込んでいるわけでも、傷ついているわけでも、慌てているわけでもない表情で、ただ、じーっと。

 ハニーブラウンの瞳で、カラになった紅茶のグラスをみつめ──……







「────ねね、

 ────試してみよっか」

「え?」



 唐突に声をかけた。

 ミリアのその声に、エリックが弾かれたように目を上げる。



 少々驚きの顔をする彼に、彼女は前のめりに机に腕をつくと、




「エリックさん。

 魔法元素カード そ れ 

 使ってみたいんでしょ?

 使い方、教えてあげる」


 真っすぐ向けるは、にこりとした悪戯っぽい笑顔。





「……だから、”誰もいないとこ”、いこ?」

「…………」




 テーブルの向こう。

 キョトンとした彼が、一瞬”う”と固まり、そして──



 テーブルに右腕を置き、真面目な顔で問いかける。





「────一応。確認しておくけど。

 …………『広場』、だよな?」



「────ほかにどこがあるというのか。」

「だと思った」




















(────まったく……)

 ”ミリア・リリ・マキシマムという女性は、本当に思い通りにならない”。



 ビストロ・ポロネーズの店内を横切りながら、エリックは心底そう思い、軽く息をついた。



 話の流れで『どこか広場に行こう』という話になってから、数分。『会計をする』という場面になったときに、またひと悶着あったのである。



 『ここは出す』というエリックに対し、ミリアは『いや、それには及ばない』と譲らなかった。



 あの女も、変なところで頑固だ。

 金ならあるし、そもそもご馳走すると申告したのに、断固として財布をしまわないのはどうなのだろう。




 『ミリア?

  そもそもココは、君のねぎらいを兼ねているんだぞ?』

 『そうだったかもしれない。

  しかし忘れたので、ここは払う!』


 『じゃあ思い出して。ほら、しまって』

 『じゃあじゃあ10メイル! 細かいのは払う!』



 ────と……

 『大人しくご馳走さえされない彼女』に、エリックは若干意地になった。





 彼にもプライドというものがある。

 たかだか1000メイル行かない金額を、庶民の女に払わせるほど落ちぶれちゃいない。

 しかしそこを汲まないミリアと、危うく店の会計前で言い合いになるところだったのは、言うまでもないだろう。




 もちろん、押し負けたのはエリックの方だったが。



 彼女には、自分が盟主であることも、スパイのボスであることも言っていないのだから、仕方ないと言えば仕方ないのだが。





(……まったく、本当に)




 彼は店を突っ切りつつ息を吐いた。

 今までの女性たちと毛色が違いすぎるのを、痛感していた。




 今までは、大人しくおごられる────

 いや、『それが当然ですわね』という貴族の女ばかりを相手にしてきたエリックにとって、これもある意味計算外である。




 エリックとて、ミリアの反応をまるで予想していなかったわけではなかったが、こうも聞き分けがないとは思わなかった。




(まあ。彼女がそう言いそうなのはわかってたけど?)



 眉間に皺。

 唇に力。


 なんとも形容しがたい表情で、胸の内で何度目かの息。




 わかっちゃいるが、ブツブツと言いたくなるのだ。

 予防線を貼りつつ『意見という名の文句』を言うのは、彼の得意技である。



 と言うか。

 そうでもしなけりゃ、彼の置かれている環境で、自身を保つのは、難しかったのかもしれない。




 財布をしまいながら、彼の足が踏みしめたのは石畳。




 シルクメイル地方 オリオン領 西の端

 ウエストエッジのタンジェリン通り。



 その『裏の小道 商店街』は、色鮮やかに彼を、皆を受け入れる。





 夏の光に眩しい 建物の白い壁と赤茶けた屋根。

 規則正しく立ち並ぶ、建物の前 軒を連ねた露天商の客引きの声が響く。




 活気あふれるタンジェリン通りに安堵の息を付き

 店の軒先が作り出す影を抜け

 燦々と降り注ぐ8月の光に少し、眩しそうに眼を閉じて





 彼が探すのは、先に出ているはずのミリアの姿。





 探す視界の中で、目にも鮮やかに並ぶ商品の数々。


 バスケットに入れ・並べられた、ベリーをはじめとする果物や

 高く積まれた『白く丸いマッシュルーム』に『真っ赤なパプリカ』・『パセリの根っこ』。


 大きく実り並ぶ、目にも鮮やかなトマトが、エリックの暗く青い瞳に映りこみ────





 それらを全て視界の隅に流し、彼はミリアの姿を求め、目を配らせる。



(…………ミリア?)



 胸の中で、声に出しながら、人通りも多いその路地 店の前。

 彼はぐるりと辺りを見回して────……




「…………。」



 ────居た。

 捉えた。


 その姿を目にし、彼はわずかに眉を寄せ、ぎゅっと石畳を踏みしめた。





 通りの向こう。

 見知らぬ男を前に、嬉しそうにする彼女と。

 ────その手に突然現れた、色鮮やかで小さな花束を目にして。








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