(────見つめ返せばよかったじゃないか。
そうしてミリアの気持ちを手の上で、
──……いや、違うな。
もう彼女を『利用』しようとしているわけじゃないんだ。好意を持たせて都合よく動かす必要はない)
二転三転。
転がりながらも、脳が答えを探し出すその傍らで
さっきから、妙に動きが早い
(………………そう、そう。
────ただ、”焦った”んだ。
”想定外の動きに、ついていけなかった”。
それだけで)
理由を立てる。
体の反応に、動きに
『頭が、追いつかない理由』を、懸命に。
(……そうだ。
さっきからカードの件で狂いっぱなしなんだ。
それに連動して”焦った”)
言い聞かせる。
(混乱が後を引いているんだ。
あれは、仕方ないだろ? そう、それのせいだ)
納得させる、自らの心。
と。
ビストロ・ポロネーズの席を囲み、頬杖を突いて黙り込むエリックの前で
「…………」
彼女も、口元を緩やかに握った指で隠し、考えていた。
落ち込んでいるわけでも、傷ついているわけでも、慌てているわけでもない表情で、ただ、じーっと。
ハニーブラウンの瞳で、カラになった紅茶のグラスをみつめ──……
「────ねね、
────試してみよっか」
「え?」
唐突に声をかけた。
ミリアのその声に、エリックが弾かれたように目を上げる。
少々驚きの顔をする彼に、彼女は前のめりに机に腕をつくと、
「エリックさん。
使ってみたいんでしょ?
使い方、教えてあげる」
真っすぐ向けるは、にこりとした悪戯っぽい笑顔。
「……だから、”誰もいないとこ”、いこ?」
「…………」
テーブルの向こう。
キョトンとした彼が、一瞬”う”と固まり、そして──
テーブルに右腕を置き、真面目な顔で問いかける。
「────一応。確認しておくけど。
…………『広場』、だよな?」
「────ほかにどこがあるというのか。」
「だと思った」
(────まったく……)
”ミリア・リリ・マキシマムという女性は、本当に思い通りにならない”。
ビストロ・ポロネーズの店内を横切りながら、エリックは心底そう思い、軽く息をついた。
話の流れで『どこか広場に行こう』という話になってから、数分。『会計をする』という場面になったときに、またひと悶着あったのである。
『ここは出す』というエリックに対し、ミリアは『いや、それには及ばない』と譲らなかった。
あの女も、変なところで頑固だ。
金ならあるし、そもそもご馳走すると申告したのに、断固として財布をしまわないのはどうなのだろう。
『ミリア?
そもそもココは、君のねぎらいを兼ねているんだぞ?』
『そうだったかもしれない。
しかし忘れたので、ここは払う!』
『じゃあ思い出して。ほら、しまって』
『じゃあじゃあ10メイル! 細かいのは払う!』
────と……
『大人しくご馳走さえされない彼女』に、エリックは若干意地になった。
彼にもプライドというものがある。
たかだか1000メイル行かない金額を、庶民の女に払わせるほど落ちぶれちゃいない。
しかしそこを汲まないミリアと、危うく店の会計前で言い合いになるところだったのは、言うまでもないだろう。
もちろん、押し負けたのはエリックの方だったが。
彼女には、自分が盟主であることも、スパイのボスであることも言っていないのだから、仕方ないと言えば仕方ないのだが。
(……まったく、本当に)
彼は店を突っ切りつつ息を吐いた。
今までの女性たちと毛色が違いすぎるのを、痛感していた。
今までは、大人しくおごられる────
いや、『それが当然ですわね』という貴族の女ばかりを相手にしてきたエリックにとって、これもある意味計算外である。
エリックとて、ミリアの反応をまるで予想していなかったわけではなかったが、こうも聞き分けがないとは思わなかった。
(まあ。彼女がそう言いそうなのはわかってたけど?)
眉間に皺。
唇に力。
なんとも形容しがたい表情で、胸の内で何度目かの息。
わかっちゃいるが、ブツブツと言いたくなるのだ。
予防線を貼りつつ『意見という名の文句』を言うのは、彼の得意技である。
と言うか。
そうでもしなけりゃ、彼の置かれている環境で、自身を保つのは、難しかったのかもしれない。
財布をしまいながら、彼の足が踏みしめたのは石畳。
シルクメイル地方 オリオン領 西の端
ウエストエッジのタンジェリン通り。
その『裏の小道 商店街』は、色鮮やかに彼を、皆を受け入れる。
夏の光に眩しい 建物の白い壁と赤茶けた屋根。
規則正しく立ち並ぶ、建物の前 軒を連ねた露天商の客引きの声が響く。
活気あふれるタンジェリン通りに安堵の息を付き
店の軒先が作り出す影を抜け
燦々と降り注ぐ8月の光に少し、眩しそうに眼を閉じて
彼が探すのは、先に出ているはずのミリアの姿。
探す視界の中で、目にも鮮やかに並ぶ商品の数々。
バスケットに入れ・並べられた、ベリーをはじめとする果物や
高く積まれた『白く丸いマッシュルーム』に『真っ赤なパプリカ』・『パセリの根っこ』。
大きく実り並ぶ、目にも鮮やかなトマトが、エリックの暗く青い瞳に映りこみ────
それらを全て視界の隅に流し、彼はミリアの姿を求め、目を配らせる。
(…………ミリア?)
胸の中で、声に出しながら、人通りも多いその路地 店の前。
彼はぐるりと辺りを見回して────……
「…………。」
────居た。
捉えた。
その姿を目にし、彼はわずかに眉を寄せ、ぎゅっと石畳を踏みしめた。
通りの向こう。
見知らぬ男を前に、嬉しそうにする彼女と。
────その手に突然現れた、色鮮やかで小さな花束を目にして。