「過去に行った矯正施設での実験データ、そして因果・京による推論からすると、三浦円佳は無事に目覚めたとしても記憶や感情への障害が発生している可能性が高い…よもや我々が与えた因果が崩される日が来ようとはな」
騒動の収まった因果律研究所の会議室では、主任クラスをはじめとした上位の研究者たちが集まり、剣呑な雰囲気を隠さずに意見を交わしていた。
「しかし、因果・京が一切攻撃を受けなかったのは不幸中の幸いでしたね。緊急時とはいえ自立モードが起動したときはコントロールを失うことになるかと思いましたが、遅延式リカバリスイッチのおかげですぐにセーフモードに戻せたのは救いだったでしょう」
「ですが、自律防衛中の操作ログは我々でも復号ができません。さらに自律モード中は『因果律保全』を最大目標に動いていたため、短期的な犠牲は厭わずにケイが最適と思った行動を取っていた可能性があります…清水主任、ケイオス・プロトコルをオンにしたのはあなただ。この件に関してはどのように責任を取るおつもりで?」
入り口から見て向かい合いように設置された横長の机、その左側に座っている研究者の一人は「してやったり」という意地の悪さを隠さない表情で、右側の机に座る清水へと追及した。
対する清水は今も残る痛みにすら顔をしかめることなく、すでに頭の中に叩き込んでいる情報を整理しながらゆっくりと説明を始めた。
「それに関しましてですが、お手元の資料をご覧ください。ケイが自律する前後での所内のシステムの変更点について追ってみたのですが、ドローンの操作奪還をはじめとして、外部データ遮断、敵勢力への攻撃的な情報操作やフェイク生成などの痕跡は認められたものの、研究所に対して明確な害となる操作は確認されてません」
「だね〜。私もセキュリティ担当に無理を言って徹夜で探ってみたけど、奪われて困るようなデータの消去はしてないし、都合の良し悪しは別として情報の改ざんもなかったかな〜」
「ましてや、清水主任は撃たれながらも最善と言える行動でスパコンを守っている。彼女の行動は褒められこそすれ、責任の追及までされるのはいかがなものだろうか。もしも責任を取るとしたら、彼女一人に向かわせた我々にもその一端はあるだろう」
清水は配られていた資料に書かれていることを明確に、そしてわかりやすくまとめて口にする。そして同じく右側の机に座っているのんびりとした話し方の女性研究者も、援護とばかりに付言した。
さらに、右側の代表とも言える位置に座っていたメガネで細身の男性研究者も不毛な責任の押し付け合いは無駄だとばかりに、その場にいる全員を睨むように吐き捨てる。疲労の滲むその声音はトゲを隠すことすら面倒であるように、ふんと鼻を鳴らしていた。
「…まあいいでしょう、責任の所在についてはあとで決めれば。それよりもまずは因果を消された被検体、三浦の扱いについてだ。我々としては、この機会に新しい因果形成を試すべきだと考える」
「幸いなことに、早乙女のおかげで年齢を重ねた状態での因果律操作の技術ノウハウも蓄積してきました。こうした緊急時にこそ新しい実験…おっと、新しい技術にて彼女を救うべきでしょうな」
この国ではしばしば『同じ組織内にいつつも派閥を作って権力争いをする』という悪しき習慣があった。それは政治だけでなく企業、さらにはこうした秘密裏に存在する施設内でも同じであり、左右に分かれた机がその所属先を物語っていた。
左側の机に座っている研修者たちは先ほどの発言からもわかるように、『実験派』と呼ばれている。彼らは因果律のさらなる進化と発展を名目に、知的好奇心や権力欲を満たすことを優先し、矯正施設にいる人間…通称『人型モルモット』は言うに及ばず、CMCすら実験に使うべきだと日頃から掲げていた。
「それにつきましても、過去の実験やスパコンの推論から『因果でのつながりは双方向で消えない限りは完全に喪失することはなく、絵里花と一緒にいれば回復の可能性が高い』と出ています。そもそもあのリセット装置は長時間使わないと完全には消せないため、あの短時間で完全に因果が破壊されたとは思えません」
「そもそもさぁ、私たちが因果律の破壊装置を作る意味ってあるの〜? こういう研究をしてたから敵に利用されて、こっちの被害が拡大しちゃったでしょ〜? そろそろ打ち切ったほうがいいんじゃないかなぁ」
「なにを言いますか! あれは面白半分で因果を破壊するためでなく、『因果は記憶と感情の形成にどこまで関与しているか』を知るために欠かせないのです!」
「ふふふ、その通り…仮に記憶と感情にまで強い影響を与えるのなら、矯正施設にいながらも更生する気のない人間に使うことで、因果どころか『人格』までリセットできる…そう、理想の人間へ作り替える一助にすらなるんですよ?」
右側の机に座っている研究者たち…清水をはじめとした人員は、『保護派』と呼ばれていた。
彼女たちは因果律の操作は必要であると考えているものの、それは徹頭徹尾『すべての人類の幸福のため』であり、CMCは『幸福になるために生まれてきた子供たち』と位置づけ、あらゆる手段でもって研究対象となった子たちを守るべきだと考えていた。
中でも清水が所属するチームである『因果心理・社会適応研究班』はCMCやエージェントたちの訓練内容の倫理審査や改善提案、因果操作を受けた対象の精神・社会適応の追跡調査、当事者たちの意見をルールに反映させるための窓口といったことを担当しており、CMC保護の最先端を走っていた。
因果律の研究をする組織内にてこうしたチームが一定の力を持っているのは、研究者たちの隠れた罪悪感の表れなのかもしれない。
だからこそ、こうした会議が開かれる度、双方の言い分が激突して進行を阻害するのは日常茶飯事だ。今も『因果律を操作するために因果の破壊が必要かどうか』という、不毛な言い合いが始まっている。
「…私は、因果律の操作が人間性にまで及ぶべきでないと考えています。本当なら今すぐにでもすべての人に因果を与え、人生の始まりから終わりまで幸福に満ちた道を歩んでほしい。ですが、現段階では幼少期を過ぎた操作はそうした人間性にすら影響を与えかねず、民主主義国家の根幹とも言える『自分の人生を主体的に歩める社会』とは真逆になりかねません。ですから、そのような実験は慎むべきだと今一度再考願います」
「綺麗事を…清水主任、我々のように実験を推進する一派がいるからこそ研究所はここまで大きくなったのですよ。あなたのいう『因果律に見放された人間にすら因果を与えられる世界』を実現するのなら、そのための礎となる人間たちも出てくるのは必然では? いくら両親が残念な結果に終わったとはいえ…いや、そういう経験があるからこそもっと我々の言い分を」
「言って良いことと悪いこともわからんか馬鹿者が! 清水はいくつの頃からこの研究に身を置いていると思っている、どれくらいの実験を見届けてきたと思っている? それも知らずにインテリぶるんじゃあない、小童が!」
「な、なんと下品な…!」
「…下品なのは、ここにいる全員でしょ〜? 誰だって人の因果をいじってる、それが品性のあることだって断言できる人間なんて…いないよ」
清水は常日頃から『人間の意思まで操作してはならない。それをすればその人は消えてしまうのだから』と考えていた。
因果という人と人の出会いを操作する以上は意思決定に何らかの影響を与えているものの、それも踏まえた上で『因果を与えることは幸せになれるよう背中を押すこと』だと信じ、そしてCMCたちの人間性を尊重してきたのだ。
だからこそ、自分たちが与えた因果に責任を持ち、守り、そして見届けていく。そこに破壊や上書きはあってはならない、そう信じて清水はまっすぐに表明した。
そんな清水を再び揶揄するように彼女の過去を持ち出そうとしたことで、右側の責任者は机を叩き怒鳴りつける。彼はここにいる研究者の中でもとりわけ長くここに勤め、そして清水が両親を失って連れてこられて間もない頃からいたこともあり、感情的になるのを押さえられなかった。
そしてのんびりとした研究者も声こそ荒げないものの、「下品なのはお前だ」と言わんばかりの冷たい目でこの場を凍り付かせるような発言をする。そこでようやく周囲はクールダウンしたのか、少しのあいだ沈黙が部屋を支配した。
「清水主任、先ほどの非礼を私からも詫びよう…だが、『三浦へのリセットは限定的なので完全回復の可能性が高い』という楽観論よりも、『リセットの進行が止まらなければ自分たちが施した因果が消える』という危機感のほうが所内でも強いのはご存じか?」
「…それは、存じております」
「ましてや、先ほどの襲撃によって研究所内は疑心暗鬼に包まれている…そんな状況なのだ、我らまでもがいつまでも言い合いをしていたら、組織自体の存続も揺らいでしまう。ゆえに、今は早々に結論を出さねばならん」
その沈黙を破ったのは、左側のチームでもとくに冷静な女性研究者…莉璃亜への『新たなる因果操作』を担当する人間だった。
彼女もまた清水に対して『私情に流されCMCを甘やかす未熟者』という意見を持ちつつも、実に軽々しく頭を下げる様子には右側のチームも口をつぐむ。
そのトーンダウンした様子を逃さないように、彼女は冷然と研究所の意思を伝えていた。
「単刀直入に言おう。早乙女には三浦の復帰に関わるサポートをさせ、その因果が三浦に適合したならパートナーとして正式に配置すべきだ。正直に言うのなら『新しい形の因果を試す絶好の機会』という本音もあるが…三浦ほどの優秀なエージェントを失いたくないのはあなたも同じだろう?」
「! ですが、それは…」
「あなたにも報告が届いているはずだが、早乙女はエージェントとしても、新しい因果の適正者としても優秀だ。目覚めたばかりで不安定な三浦をサポートするならより優れたエージェントが、そしてより柔軟で強固な結びつきを持つ因果のほうがいいとは思わんかね? なに、早乙女の因果はこれ以上いじることもない…そうせずとも、三浦の助けになるだろうからな」
円佳を守れるのなら、そして幸せになれるのなら、誰と組み合わせたとしても問題ない。
その理屈は因果律による幸福を信じる清水にとって、決して理不尽な事実ではなかった。彼女もまた、自身の両親に対して『もしも途中から因果を与えることができたのなら?』と何度も考えていた。
(でも、そうなったら…絵里花は…)
しかしその決定に対して素直に頷けない理由、それは…あの小さな頃からいじっぱりで、それでも優しく、同時に円佳のおかげで変わることができた少女だった。
清水にとって絵里花が幸福になることは、円佳が幸せになることと同じくらい大事だった。それは間違いなく私情を含む彼女の希望であり、一部のCMCを特別視することは好ましくないとも理解している。
それでも、彼女は思うのだ。
そう思う自分の人間性もまた、因果によって操作されるべきではない…自分が自分でいるための、因果律による未来へ貢献するための原動力なのだと。
「…たしかに彼女は優秀でしょう。ですが、それは今すぐに絵里花…辺見を外す理由にはならないと考えます」
「…なに?」
「先ほどもお伝えしたとおりです。三浦と辺見の因果は完全に断ち切られたわけではなく、たとえか細くともお互いに残っているのなら、そこからつながりは蘇る…いいえ、より強い絆になって復活することもあり得ます」
清水は信じていた。
自分の理想を託せる相手、それはCMCを置いて他ならない。そう思える理由、それはいつもカウンセリングの際に感じていたのだ。
いずれのCMCもパートナーについて話すときは考え、悩み、それでも嬉しそうに顔をほころばせていた。
そしてそれは年月と共に変わっていき、もっと幸せそうに自分たちの物語を教えてくれる。CMCに与えた因果はただそこにあり続けるのではなく、変わり続けるのだ。
それは時に、自分たちが思っていた以上に強く、そしてどこまでも続く絆へと進化するように。
「しかしだな、早乙女のほうがあらゆる面で優秀だ。それに、あなたの言うことは理想論が過ぎる」
「それはそちらも同じはずです。早乙女が三浦と完全に適合するかどうか、それもまた未知数ではないでしょうか? ならば辺見も一緒に過ごさせることで、どちらの結果も期待できる…そう、理想的な『実験』になるはずです」
「…まあ、それでもいいでしょう。ただし、どんな『実験結果』になったとしても恨まないでもらいたい」
「もちろんです、私も研究者の端くれですので」
そしてようやく会議は終わり、研究者たちは忙しく席を立ってそれぞれの配置へと戻る。
しかし右側の机にいたメンバーは左側がいなくなってもしばらくはそのままで、清水は味方だけになったことを確認すると、先ほどの気丈さとは裏腹に弱々しく机へと突っ伏した。
「…あの子に、なんて言えばいいのかしら…」
「…まったく、お前は変わらんな。繊細なくせに強がって、弱音を吐けずに溜め込んで…辺見はお前似だな」
「あはは〜、円佳ちゃんも似てるっしょ〜。大切な人のためには引き下がらないところ、くりそつ〜」
そんな清水に対し、二人の研究者は呆れたように、けれども親しみを持って言葉を贈る。
すると清水は机から顔を上げ、そして戦友たちに向かって「せめて大人としての責任だけは果たすわよ」と力なく微笑んでいた。