「さっきぬいぐるみがどうとか言ってたけど……」
「あ、そう! そう……なんだけど」
ほどなくして宿に着くと、ミカエルはまるでエスコートでもするかのようにリーゼロッテをカフェへと案内した。何でもないように椅子まで引かれ、大人しく腰を下ろしたリーゼロッテは、思いがけず大きくなってしまった声に慌てて自分の口を押さえる。
繊細なレースのテーブルかけに覆われた天板は丸く、向かい側へと座ったミカエルが遅れて小さく肩を揺らす。
「隣の席は遠いし、そんなに気にしなくても大丈夫だよ」
片目を閉じてそう言われ、リーゼロッテは辺りを見渡しながらもおずおずと頷いた。たしかにテーブルとテーブルの間隔は広いし、食事どきにしては人が少ない。淡いクリーム色を基調とした店内は落ち着いた様相で、客層も淑やかだ。さりげなく飾られた調度品も綺麗に磨かれており、気取りはないのに品があった。
「それで?」
「あ、うん」
魔法使いの法衣は正装であるとも言えるものだが、それにしても場違い感が否めない。
本当に自分なんかがここにきて良かったのだろうか。いまさら思いながらも、リーゼロッテは問われるまま口を開く。
ばつが悪そうに口許を覆っていた手を下ろし、
「これ、なんだけど……」
さっきよりは少しばかり控えた声で続けながら、フロントで預けたリュックとは別に下げたままだったポーチに目を向ける。
(……)
優しく取り上げられた手の中で、シリウスは沈黙する。
リーゼロッテに声をかけてきた相手がミカエルであるとわかった瞬間から、シリウスは寝たふりを決め込んでいた。そんなことをしなくても動けないのだが、それでもなにも見たくもないし考えたくないと思っていた。
目の前のぬいぐるみが
それならそれで、邪魔はしない。
シリウスは努めて思考を遮断すると、ぬいぐるみよりもぬいぐるみらしくあろうとする。どこを見ているのかわからない眼差しを貫き(もとからである)、四肢を投げ出し(こちらもありのままだが)、リーゼロッテの手にされるに任せる。
「へぇ……?」
テーブルの上、リーゼロッテは緩く掴むようにしてシリウスを立たせて見せる。ミカエルが興味深そうにそれを見下ろす。無駄に長い睫毛に縁取られた宝石のような金色の瞳に無機質なぬいぐるみが映る。幸いというべきか、揃いの法衣を着せられたシリウスの普段着はミカエルには見えなかった。シリウスのシャツはもともとミカエルが仕立てたものなので、見られていたらなにかしら感付かれていたかもしれない。
「なんていうか……普通のぬいぐるみだね?」
「うん。服の着せ替えられる、男の子のぬいぐるみ」
「あ、これ男の子なんだ」
「ああ、うん。わたしとお揃いの法衣着せちゃってるからかわいくなってるけど、男の子だよ」
「なるほど……」
ミカエルは瞬き、つんと指先でその頭に触れた。そのまま髪の毛を捲られたり頬を撫でられたりして、シリウスは心の中で「やめろ」と歯噛みする。
「お揃いの法衣、かわいいね」
「で……っあ、いや……でしょ……?」
眼差しを緩めて褒めてくれるミカエルに、リーゼロッテはまたしても高い声を上げてしまいそうになる。今度はぎりぎりのところで堪えて、恥ずかしそうに身を竦ませながらも小声で言った。
「フードがね、ねこちゃんになってるの。わたしのはうさぎさんなんだけど……」
示唆するように、視線を自分の肩へと動かす。背中には二股に分かれたフードが落とされている。濃紺の生地に銀色の糸で縁取りはされているが、その形はたしかにうさぎをモチーフにしたデザインだった。
「でね、この子、ちょっとシリウスに似てると思わない?」
「シリウスに?」
「そう。髪の色とか、目の色とか……」
「……それだけだな?」
ミカエルは口許に手を当て首を捻る。改めて
「――で、まぁ、そのシリウス似のかわいいぬいぐるみが、今回の人捜しになにか関係してるってことか?」
「あ、うん、そう。そうなんだ」
リーゼロッテは思わず居住まいを正す。あやうく話が脱線しかけていたのを、ミカエルにさりげなく戻された。かたわら、ミカエルは食事の手配もしてくれていた。昼食用のコースだった。量はそう多くもなく、内容の割りに価格もそう高くない。……まぁ、リーゼロッテの手持ちからすれば十分なお値段だったわけだけれど、それがわかるのはもう少しあとの話だ。
そこからリーゼロッテは一通りの状況を説明し、その後は久々に会ったおさななじみとの歓談を楽しんだ。運ばれてきた豪華な食事(リーゼロッテ比)に瞳をきらきらと輝かせ、幸せそうに舌鼓を打ちながら、食後のスイーツを食べ終えたときにはこれ以上ないほど幸せそうな顔で手を合わせていた。
そして――。
「その迷子の話、これからちょっと聞きに行ってみるね」
リーゼロッテは手持ちギリギリだった代金をそれでもミカエルにしっかりことづけ、すれ違う給仕係、施設の係の者にもそれぞれ深々と頭を下げてから、早々に宿をあとにしたのだった。