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39.天使の魔法(嘘)で……。

 学生時代のミカエルは、座学こそふるわなかった気もするけれど(それでもリーゼロッテよりはずっと上だ)、それでも実技系の科目は確かにトップクラスだった。


 思えば疑う余地もないと、リーゼロッテは澄んだ眼差しでミカエルを見つめる。


(いったいどうする気だ……)


 とはいえ、ミカエルの言っていることは全部嘘だった。そしてそれをシリウスは見抜いていた。というか、そもそも誰も信じないだろう。特殊な魔法と呼ばれるものが、一朝一夕で身につくはずがない。それこそ修得者が純血の魔法使いだったとしても難しい話だ。


 そんなことはある種の常識だったが、リーゼロッテは当事者にそれっぽく言われると信じてしまうところがあった。


「……お前が何者かは知らないが……」


(……?)


 ミカエルはリーゼロッテから受け取ったぬいぐるみ(シリウス)を頭上に掲げ、それからその耳元に顔を寄せた。シリウスは心の中で眉を顰める。ミカエルのやろうとしていることがまるでわからない。


「――リーゼロッテになにかしたら、ただじゃおかないからな」


(はぁ……?)


 ミカエルとはかなりの身長差があるリーゼロッテは、そうして声をひそめられると何を言っているか聞き取れない。


 仮に高度な呪文なんかを唱えられていたならそれも当たり前ではあるのだが、それでもリーゼロッテは興味津々といった表情でそのさまを見守っていた。


「――うん。もういいよ」


「え?」


「このぬいぐるみ、動くようにしておいたから。四六時中とはいかないが、リーゼロッテのいうことなら聞くはずだ」


(……げ!)


「ええ⁈」


 シリウスがぎょっとしたのと同時、リーゼロッテの高い声が辺りに響く。辺りにいた人たちが振り返るほどの声量だった。


「え……え、動く? この子が?」


 はっとしたリーゼロッテは慌てて声を落とす。それでもそれ以上周囲を気にする余裕はなく、ただ差し出されたぬいぐるみを両手で受け取りながら、信じられないとばかりに視線を落とす。手の中で仰向けにじっとしているシリウスは、かけない汗をだらだらとかいた。


(こ……っのクソ天使が……っ)


 ミカエルは普段通りの微笑みを浮かべ、その小さな頭を指先で撫でる。念を押すかのようにくりくりと、やがてぐりぐりと押さえつけては離れていった力は思いの外強かった。


(いってぇな、クソ……)


 痛覚はないので実際痛くはないけれど、それでも微妙に額がへこむほどの圧をかけられるのは心外だ。そんなシリウスの胸中をどう思っているのかはわからないが、ミカエルはいっそう釘を刺すようにシリウスを見遣って、それから今度はリーゼロッテの頭を撫でた。それはそれは優しい手付きで。


「いますぐには動かないかもしれないけど、大丈夫。そのうち動くようになるから」


「そ……そうなの?」


 顔を上げたリーゼロッテに、ミカエルは爽やかに頷いた。時折ちらりと向けられる視線がいまいましい。シリウスはリーゼロッテの死角で恨めしげな視線を送る。


「ああ、そうだ」


「え?」


 そんなシリウスを一瞥し、不意にミカエルは手を打った。ぱちりと瞬くリーゼロッテの前で、長い指が懐に差し入れられる。まもなく取り出されたのは真っ白い羽根だった。


「とりあえず、アリスハインには俺から連絡を入れておくよ。あとで羽根これを飛ばしておく」


「わ、ありがとう!」


「ついでに数枚貸してあげるから、何かあれば使ってくれ」


 ミカエルは手のひら大のそれを数枚、リーゼロッテへと差し出した。


 ミカエルの持つ純白の羽根は、当人が希望した場所へ飛ばすことができる魔法道具だ。もともとはミカエル自身の翼から抜け落ちたものだが、その一部をミカエルがそういった用途に合うよう加工している。それこそ、天使の血をひく魔法使いだけが使える、複合技の一つだった。


「なにからなにまで……」


「いや……残念ながら、ついていってあげることはできないからね」


「そんなこと!」


「じゃあ、俺はそろそろ……リハーサルの時間がせまってるから」


「あ、引き止めてごめんね。本当にいろいろありがとう」


 リーゼロッテはぬいぐるみを両手のひらの上に載せたまま、ひらりと手を振って踵を返すミカエルの背中に頭を下げる。自然と視界に入るぬいぐるみはなんらいつもと変わりなく、ちょこんと手のひらに載ったままだった。


 本当にこれが動くのだろうか。ミカエルの言ったとおりに?


「あ、そうだ! ミカエル、あのときのお金……!」


 そこで不意に思い出す。けれども慌てて顔を上げたときには、すでにミカエルは人混みの中へと消えていた。






 街を立つ前に、リーゼロッテはもう一度山の上の湖に寄ってみた。けれどもそこにオルランディの姿はなく、小屋や畑があった辺りにも、ポリーのものよりもずっとハイレベルな目隠しの魔法がかけられていて一見なにもないようにしか見えなかった。もともとの状態を知っているから辛うじて違和感は覚えたものの、実際に結界の中に踏み入ってみても、目の前に広がる景色は変わらなかった。


 やっぱり魔法使いとしての腕は高そうだ。だけどそれだけではない気もする。リーゼロッテは不思議に思いながらも、再び箒に跨がり今度こそ街を後にしたのだった。

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