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54.黄色いレインコート

「今後ともごひいきに!」


 その日もサギリはやってきていた。初回に箒の材料エニシダを卸してもらって以降、どうやらヴィヴィアンとその後の契約まで取り付けたらしく、リーゼロッテのことも心配だと言って毎日顔を出すようになっていた。


 ものがそろっているなら、一度にまとめて卸せば手間も減るし、時間の節約にもなるだろうに。リーゼロッテは不思議に思いながらも、ヴィヴィアンの方も満更ではなさそうなのでひとまず口は出さないようにしている。


 だって雷や風にはむらがあるものの、雨だけはずっと降っている。そんな中でも箒が直ってからはリーゼロッテも何度かシリウスの捜索には出ていたが、それでもやはり長時間飛ぶのは難しい天候が続いていた。


 なのにサギリはまめに通うのだ。品物が極力濡れないようにと小分けにするのはわかるけれど、それにしたって昨日は結局、日に三度もやってきていた。


 恋愛には決して聡くないリーゼロッテだったが、ここまで来たら少なくともサギリがヴィヴィアンになにかしらの感情を抱いていることくらいは想像できる。


(ヴィヴィアンの方も笑顔が増えてきてるんだよね)


 そう遠くなく二人は恋人同士、なんて関係になるのかもしれない。確信があるわけではなかったものの、そんな未来を思い浮かべるだけでリーゼロッテの心もじわりと温かくなる。


「じゃあ、わたし夕飯の支度してきます」


 サギリを見送ってまもなく、いつも通りに店内の掃除をしていたリーゼロッテは、自身の箒の手入れも済ませてから腰を伸ばす。時間はまだ夕方にもなっていないけれど、おそらく今日はもう客は来ないだろう。来たとしてもよくて一人――。


「うん。よろしくね、今夜は三人分」


 今夜の夕食は、サギリも一緒に食べることになっていた。よそへの納品を済ませたら、また戻ってくるとのことだった。


「はい、任せてください」


 ちなみに、一旦外に出てしまえば気が焦るばかりのリーゼロッテはつい無理な捜索をしてしまいがちで、そのせいか昨日は風邪でもひきかけたかのように少し寒気がしていた。それに気づいたヴィヴィアンに「今日は安静にしてなさい」と布団に押し込まれたおかげで、今朝にはすっかり元気になっていたのだけれど。


「今日はポトフを作りますね。あとはサラダとガーリックトーストと……」

「それで十分よ」


 頷くヴィヴィアンに、リーゼロッテも笑顔で頷いた。シチューを爆発させた前科はあったけれど、その後も料理を禁止されたりはしていなかった。場合によっては普段よりも上手く作れた日もあったくらいだ。そのときにはヴィヴィアンも「いいじゃない」と褒めてくれた。


 シリウスシェリーのことはずっと気がかりだったけれど、捜索はまた明日再開しよう。シェリーあの子ならきっと大丈夫。〝無事でいておまじない〟もきっと効いているはず。あとはせめて、明日の天気が少しでも穏やかなものとなりますように。


 リーゼロッテは努めて気持ちを奮い立たせると、一旦店の奥へと姿を消した。






「……あら?」


 その後まもなく、ヴィヴィアンはぱちりと瞬いた。長い睫毛がぱちぱちと上下する。


 視線の先、店の窓のすぐ外でなにかが動いていた。そのまましばらく見ていると、ちらちらと見え隠れしていた小さな指先が窓のふちへと伸ばされる。軒先で背伸びをしながら、店内の様子を窺おうとしているルイーズだった。それに続いて、黄色いレインコート――ポンチョタイプ――をかぶったシリウスの頭も覗く。


「あ、ルイじゃない」


 ルイーズはヴィヴィアンの店に来たことがある。リオナ母親トリスタン父親、祖父母の買い物についてくることがたまにあるからだ。両親ともに水の精霊の血をひくせいか、ルイーズの透き通るような青い瞳は雨の日にはいっそう深みを増してたゆたうように揺れる。ややしてガラス越しに目が合うと、一瞬ルイーズは固まった。


「見つかった!」


 五歳ながらに、行儀が悪いということはわかっていた。そのためすぐに頭を引っ込めたけれど、逃げる間もなく窓が開く。


「ルイ、どうしたの、おつかい?」

「んーん、単なる散歩」


 ルイは一歩あとずさり、首を横に振った。


「あ、それもしかして新しい子?」


 ルイはかばんにぶら下げていたシリウスを片手に持っていた。それを示唆されたのだと気づくと、すぐに身体のうしろに隠してしまう。


「いや、これは違う……違わないけど」

「? 違うの? 違わないの?」


 窓から少し身を乗り出したヴィヴィアンに、ルイは「違わない」と呟きながら、おずおずとシリウス(それ)を掲げて見せた。


 黄色いレインコートに包まれた、おそらくは男の子のぬいぐるみ。フードを深くかぶっているため顔はよく見えないけれど、とても丁寧な作りをしていることは(まだ見習いであるとはいえ)職人であるヴィヴィアンにはすぐにわかった。


「おー。この前持ってた子もかっこよかったけど、この子もなかなか男前だね」

「うん。名前はクリスっていう」

「クリスか。いい名前じゃない」

「ん。俺の特別」

「特別! いいねぇ!」


 少しばかり大げさに言ってヴィヴィアンが微笑むと、ルイーズは「だろ!」とはにかむように頷いた。


「ヴィヴィアン、ごめんなさい、バゲットが見当たらないんだけど――」


 そこに奥から声がする。リーゼロッテが顔を出すと、ルイーズはとっさに頭をひっこめた。


「え、あ、ルイ?!」

「雷が鳴りそうって言われたから帰る!」

「そう、気をつけて帰るのよ!」


 ヴィヴィアンがリーゼロッテを振り返った隙に、ルイーズは踵を返していた。気づいたヴィヴィアンがその背に声をかける。確かに遠くの空に稲妻が瞬き始めていた。


「特別かぁ……いいね。かわいい」


 ヴィヴィアンは呟き、窓を閉める。


「……お客さんですか?」

「うん。お客さんちの子なんだけどね。いい子なんだ」


 店内に姿を現したリーゼロッテは、ヴィヴィアンの視線を追って、窓外に目を向ける。


「あ、そういえば……。あの子の母親――リオナさんに頼まれていたものもサギリに頼めば……」


 ふと思い立ったように独りごちながら、ヴィヴィアンは踵を返す。残されたリーゼロッテの見つめる先で、ルイーズの背中が小さくなっていく。そのかばんの横で、黄色いレインコートを着たぬいぐるみが揺れていた。

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