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第十六話 鱗山

「なんだってこんなことに?」


 いくら次元ポケットとはいっても、こんなところにアマゾン並みの密林が存在しているのはどういうことだろう?

 ただ、次元ポケットそのもののデータがあまりないのもまた事実。

 もしかしたらなんでもありの空間の可能性もある。


「どうやったら出られるんだっけか?」

「普通に境界線まで進めば出られるはず。だけど今回は目的が違う」

「それもそうか」


 一条は私の言葉に納得し、頭をポリポリとかく。

 本当に分かっているのだろうか?

 こういうある意味大雑把なところが、人に好かれる要因なのかもしれないけれど……。

 やはり私とは違うと思う。


「この中でならアイツの気配を探れるよ」


 影薪が得意げに胸を張る。

 そうでなくては困る。

 そしてできればこの次元ポケットがどの程度広いのか知りたいところだ。

 薬師寺家の資料によると、次元ポケットは実際の範囲を大きく逸脱することはないとのことだったが、すでに環境が大きく逸脱してしまっている以上、あまりあてにならない。


「遠い?」

「うん。たぶんこの次元ポケットの中心にいるかな? ここから十キロはあるかも?」


 影薪ですら疑問形で答えるあたり、本当に遠いのかもしれない。


「車が使えるのもここまでだろうし……どうしようか?」


 残念ながら車が入れそうな道は存在しない。

 トンネルを出てから目に入るのはツタや木ばかり。

 頑張れば歩けそうな獣道が点在するだけで、とてもじゃないけど車は持って行けそうにない。

 左右を切り立った断崖に挟まれ、その手前に密林地帯が広がっている。


「ここでキャンプするか?」


 一条がやや嬉しそうに提案する。

 せっかく買ったんだし使おうぜといわんばかりの表情だった。

 確かに空はやや薄暗くなってきている。


「この中だと電波は死ぬみたいね」


 携帯を開いたが圏外となっている。

 呪力や気配すら遮断する世界の壁だ。

 電波なんて届くはずもない。


「やりましょうか、キャンプ」


 いまから登山するには流石に夜が近すぎる。

 慣れない獣道を夜の世界で突き進むのは無謀だと思う。


「影薪、手伝って!」


 私たちは三人でテントを張る。

 なにげにお店でトップクラスに高いテントを買っていただけあり、テントを張るのにそこまでの労力はかからなかった。


「木を拾ってくる」


 テントを張り終えたところで、次は焚き火の準備をしだす。

 着火剤はあるため、一条は木を拾いに密林の中に消えていった。

 まだぎりぎり太陽が顔を出している。

 アマゾンの密林のような空間のくせに、寒さだけはきちんと日本の十二月だった。

 おかげで防寒具もちゃんと必要となっている。

 本当に買っておいてよかったと心から思う。

 そこは一条に感謝ね。


「影薪、敵の気配は?」

「一切動いていないよ。たぶん自分からは動かないんじゃないかな?」


 影薪はアイツの呪力の味を憶えている。

 アイツの監視は彼女に任せ、私たちは明日の朝から動くために休むのだ。


「あ~あ。今日は妖狐に会えないのか……」

「重症だね葵」


 影薪はマジでへこんでいる私を見てケラケラ笑う。

 そんなに重症だろうか?

 でもそうかもしれない。

 たった一晩会えないだけで、これだけガッカリしてしまうのは明らかに異常だ。

 異常なほど私は妖狐に依存しているのだ。

 きっとお父さんが十年前に妖魔に殺されているから、余計かもしれない。

 父親代わりというわけではないが、妖魔や私の役割を理解した話のできる存在は彼しかいなかった。


 最初はストレスの捌け口だったはずなのだ。

 だけどいつからだろう?

 いつから私は妖狐をはっきりと異性として意識するようになった?

 当主になってから、たまりにたまったストレスを妖狐で解消していた。それは否定できない。

 本当に今となってはありえないことだが、最初はそれこそ物のように扱ってしまっていた。

 しかし何度も話すうちに、私は彼に依存した。


「妖狐……」

「お前、ヤバいな」


 ハッとして振り返ると、そこには両手に木の枝を抱えた一条が立っていた。

 あれ、もしかして聞かれた?


「な、なにがかな?」

「滅茶苦茶動揺してるじゃねえか!」

「ど、動揺?」

「キャラが崩れてるぞ?」


 一条はドン引きというより、面白いものを見つけた感じだろう。

 厄介だ。

 いっそのことドン引きしてくれたほうが楽だったかもしれない。


「うるさい! それにしても早くない?」

「そうか? ニ十分くらい探し回ればこのくらい落ちてるだろ?」


 ニ十分?

 そんなに経ってた?

 私どんだけ物思いにふけっていたんだろう?

 ダメだ、恥ずかしさで顔が熱くなってる。


「そ、そう。ありがとう。日が暮れないうちに火をおこしましょう」

「そうだな」


 私はさらっと先ほどの醜態をなかったことにして火を灯す。

 一条が枝をたっぷりと集めてくれたおかげで、焚き火は思いのほか火力が強い。

 私たちはテントの前にイスとテーブルを組み立て、すぐに食べられる缶詰やお菓子などを広げ始めた。


「なあ葵」

「なに?」

「妖狐ってどんな奴なんだ?」


 残念ながら一条はまだまだ私で遊ぶつもりらしい。

 そうだよね、そういう顔してたもんね。


「どうって言われてもな~説明が難しいよ」

「見た目は?」

「超イケメン!」


 私はつい反射的に答えてしまった。

 ああほら、一条が見たことがないほどニヤニヤしている。


「面食いなんだな葵って」

「別にたまたまよ。どっちかっていうと精神的に依存しちゃっているだけかも」

「そう! 一条からも言ってやってよ!」


 最後に影薪が一条を煽る。

 影薪が私と妖狐の関係をどう思っているのかは分からない。

 かたち上は私をからかって遊んでいるが、彼女の本心はどうなんだろう?

 妖狐は妖魔の王で、私はその対極に位置する存在。

 許されない関係……。


「まあ、良いんじゃねえの?」

「え?」


 一条から放たれたのは、想像していなかった一言だった。


「もう昔とは違うんだ。本人同士さえよければいいと思う。それに依存も悪くないぞ? 恋愛なんて共依存みたいなもんじゃねえか」


 私は思わず目を見開いた。

 なんとなく一条が人に好かれる理由が分かった気がした。


「まさか一条からそんなセリフを聞けるとは思わなかった」

「失礼な! 俺だってそれなりに経験してるんだ」


 一条は頬を赤らめてそっぽを向く。

 でも彼の言う通りかもしれない。

 家や役割に縛られるのは対妖魔関係だけでいい。


「ありがとう」

「お礼、言えるんだな」

「私をなんだと思っているの?」


 気を取り直して食事を済ませ、私たちはテントに中に入り込む。

 流石に焚き火だけでは寒さをしのげるはずもなく、テントの中でもりもりの防寒グッズに身を包むことにした。


「あたしも入れて!」


 影薪は自分の分ではなく、私の中に入ってきた。

 二人分の体温があるおかげか、さっきよりもずいぶんと暖かい。


「ねえ影薪」

「な~に~?」

「私と妖狐のこと、実際のところどう思っているの?」


 私は今までとは違う真面目なトーンでたずねた。

 一条はああ言ってくれたけど、一番近くで私を見てきた彼女の気持ちが知りたかった。


「あたしも良いと思うよ。葵には葵の人生があるから」

「そう……ありがとう」


 私はホッとして影薪をなでる。

 心までもが暖かくなった気さえするから不思議だ。


「あたしとは違ってね」


 眠りに着こうかという間際、影薪が小声でこぼした独り言のような言葉を私は聞き逃さなかった。

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