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第四十三話 妖刻の残り魔


 警察署内に足を踏み入れた私たちに好奇の視線が集まってきた。

 見慣れない二人だったからだと思う。

 普通この現代日本において、和服の若い男女なんてそうそう見ない。

 しかもそれが警察署ともなればなおさらだろう。


「貴方のせいで視線が痛いわ」


 私は妖狐の手を引いて地下への道を進みながらぼやく。

 何度も来ているはずの私でさえ、となりに和装イケメンを連れていると物珍しい視線からは逃れられないのだ。


「いやいや、見られているのは葵じゃないのか?」


 妖狐は一切の自覚がないらしい。

 妖魔である彼にとって、人間の美醜の感覚は理解しにくいみたいだ。


「そんなわけないでしょ。私は何度もここに来てるんだから」


 そうは言いつつも周囲の視線の一部は私にも注がれているため、あながち彼の言っていることも間違っていないのかもしれない。


「この先か?」

「そうよ」


 階段を降りていった先、いつもの地下のフロア。

 妖魔対策室がここにある。

 私はドアノブに手を伸ばして静かに開いた。

 いつもと同じ室内だった。

 何度となく訪れたこの部屋の突き当りに、この対策室の担当刑事が座っていた。


「お疲れ様です葵さん」


 対策室の刑事、平野啓介。

 妖刻の前に発生した妖魔殺人事件から配属となった新人刑事。

 前任者がスキームに殺された結果、出会った青年だ。


「こんにちは。今回は何があったのですか?」


 私がさっそく本題に乗り出そうとするが、平野さんは妖狐の顔をジロジロと見ていた。


「どうしました?」

「いや、失敬。彼はどなたでしょうか?」


 平野さんの問いに、妖狐が困り顔で私を見る。

 ああそっか。

 妖狐にはどの程度存在を知らせるか言ってなかったっけ?


「言い忘れていました。彼は妖狐です。今日は私の用心棒として……」

「よ、妖狐!?」


 平野さんは驚きのあまり立ち上がる。

 いま目の前に妖魔が立っているという事実が、平野さんからすれば中々受け入れられないのだろう。

 それも仕方のないことなのかもしれない。

 彼はこの妖魔対策室の担当刑事。

 彼にとって妖魔とは全て事件を起こす存在だ。

 そんなのが目の前にいれば驚くのも無理はない。


「葵、もしかして説明してないの?」


 私の影の中から影薪が飛び出てきた。

 そういえばちゃんと説明してなかったかも。


「うっかりしてた」

「うっかりですまして言いわけ? 当主なんだからしっかりしなよ」


 影薪に私のうっかりを指摘される。

 なんだろう?

 どことなく釈然としない気持ち。

 普段いい加減な影薪に指摘されると納得感が薄い。


「平野さん、先日妖刻があったのはご存知ですよね? そのときのことを話すと長くなるので割愛しますが、いろいろあって地下室に封印されていた彼が解放されて、人間側につくことになったのです。それでこうして人間界に慣れてもらうために……って平野さん、聞いてます?」


 平野さんは私の説明を聞きながら、目が虚ろだった。

 だめだ、思考が停止している……。

 立場上、普通の人間よりも薬師寺家の地下に封印されている妖狐についての情報を知っているがための衝撃だろう。


「ああ、すみません。あまりに情報量が多いもので頭がパニックでした。続けてください」


 正気に戻った平野さんが続きを促す。


「それでしばらく戦えなくなった私の代わりに戦闘をお任せしようかと。だから社会見学兼、用心棒兼、国への貢献度アップでここに連れてきたんです」


 説明を終えた私は平野さんをじっと見る。

 なぜなら平野さんは再び目を見開いていたから。


「聞き間違いかもしれないので確認なのですが、いまなんとおっしゃいました? しばらく戦えない?」

「そうなんです。妖刻で限界まで呪力を使った結果二週間ほど呪力が練れない状態になってしまって……」


 私の言葉を聞いて平野さんは頭を抱えていた。

 気持ちはわかる。

 私が戦えなければ誰がどうやって妖魔を何とかするのかって話だ。


「それはもちろん妖刻は国家レベルの一大事ですし、無事に切り抜けて顔を見せていただけて、その点はものすごく良かったと思っているのですが、葵さんの代わりに彼が戦うというのは……」


 平野さんからすれば見たことのない妖狐しか戦えない状況が不安なのだろう。

 しかも妖狐が人間の味方だといったところで妖魔であることには変わりない。

 私以外の人間からしてみれば信用できないという状況は変わっていないのだ。


「そうよね。まだ平野さんが彼を信用できないというのはわかります。だけど信用してもらうしかないんです。いま実際に戦えるのは彼しかいないので」


 私の言葉に平野さんは神妙な顔をして頷き、妖狐に視線を移す。

 平野さんと妖狐、妖魔を取り締まる側と妖魔の王(元)。


「そこまで葵さんが言うのでしたら……。妖狐さん、先程は失礼いたしました。このあとの調査、よろしくお願いします」


 平野さんは誠心誠意謝って頭を下げた。

 心からの信用はともかく、とりあえず納得してくれたようだ。


「別に俺は気にしていない。葵が求めるままに動くだけだ」


 妖狐の言葉に平野さんは唖然として私を見る。

 きっと彼の言葉や態度から、ただならぬものを感じたに違いない。


「ごめんなさい刑事さん。この子たちラブラブなんです」


 影薪がさらっととてつもないことを暴露する。

 しかも別にラブラブではない。

 私が一方的に好意を抱いているだけで、きっと彼の気持ちは少し違う気がするのだ。


「ちょっと影薪! 黙ってなさい! すみません平野さん、今回の本題を」


 私は今回呼ばれた理由に話題を移す。

 いつまでも私と妖狐の関係に時間を割いている暇はないのだ。


「そうでした。今回お呼びした理由は明確で、この徒花町でまた妖魔による殺人事件が起きました。しかも今回は殺し方が普通ではないのです」

「普通ではない?」

「はい。前回までの事件とは比べ物にならない現場でして……」


 平野さんは言葉を濁す。

 それだけの現場だったのだろうか?


「どんな状態なんだ?」


 ずっと黙っていた妖狐がたずねた。

 平野さんはハッとして自分の顔を叩き、一度大きく息を吸った。


「被害者は若い女性で、その四肢が引きちぎられていたんです。そして今回は目撃者がいました。目撃者の男性が言うには、全身を何かに縛られているような何者かがいたと」


 平野さんの言った事件現場を想像すると、おぞましい光景だろう。

 四肢が引きちぎられた死体などそうそう見るものではない。

 そんな怪物が徘徊しているのなら、放っておくわけにはいかない。


「……とりあえず現場に行きましょうか」


 私はシーンとした空気の中で立ち上がった。


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