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第40話

その後も目が回るほど忙しく、告白なんてする隙もないまま新作発表会当日がやってきた。


「うー、眠い……」


携帯のアラームが鳴り、まだ眠気で頭がぐらぐらするが無理矢理起きる。

昨日は帰りが終電だった。

そして今は朝五時。

そりゃ、眠いってものだろう。

いくら今日が新作発表会だからといってあと一時間半は寝ていられるが、早起きしたのには理由がある。


「よしよし、ちゃんと炊けてるな」


ひさしぶりに稼働させた我が家の炊飯器を見てにんまりと笑う。

龍志は昨日から会社に泊まり込んでいる。

なので朝ごはんにおにぎりを差し入れようと思っていた。


動画で確認し、練習したおにぎりを作る。

握らずにごはんをのせた海苔をたたんでいくやり方だ。

最初は崩れたりしてあれだったが、何度かやったらまあまあ上手くできるようになった。


「よしっ」


できあがってしばらく置き、冷めたおにぎりを密封容器に入れる。

さらに即席味噌汁をのせて100円ショップで買ってきたお弁当包みで包んだ。

これならきっと、龍志も喜んでくれるはず。


身支度を済ませて家を出る。

まだ早いが、あまり遅くなると龍志は朝ごはんを食べてしまうかもしれない。

あまり寝ていないなんて嘘のように、わくわくして会社に向かった。


「おはようございます」


「おはよう。

早いな」


出勤してきた私を見て龍志は腕時計で時間を確認したあと、驚いた顔をした。

もしかしたら一瞬、もう私が出勤してくる時間になっていたのかと焦ったのかもしれない。


「朝ごはん、もう食べました?」


「あー……」


長く発したまま、龍志は止まっている。


「……すっかり忘れてた」


少しして彼は情けなく笑った。

この忙しさと現場責任者という責任の重さに、飛んでいても不思議ではない。


「おにぎり、作ってきたんです。

よかったら食べませんか」


持ってきた容器の包みを出して見せる。


「わるい、助かる」


彼が頷いてくれて少し嬉しかった。


少しくらいは時間が取れるというので、休憩コーナーへと移動する。


「食べててください。

お茶とお味噌汁、入れてきますね」


「おー、わるい」


龍志を残し、給湯室へ行って適当なカップにお茶と持ってきた即席味噌汁を入れる。


「おまたせしましたー」


「サンキュー」


休憩コーナーに戻ると龍志はおにぎりを頬張りながらタブレットを見ていた。

時間はあると言いながらやはり、仕事が気になるらしい。


「うまいわ、これ」


手に持っていたおにぎりを彼が軽く上げてみせる。


「よかったです」


心の中でガッツポーズをし、彼の前に入れてきたお茶とお味噌汁を置いた。


「わるかったな、わざわざ」


私の顔を見て彼が、にかっと笑う。

その眩しい笑顔につい、目を細めていた。


「いえ、いつも忙しいのにいろいろしていただいているのでこれくらい」


どきどきと心臓が無駄に高鳴る。

ひさしぶりに見る、龍志の素の笑顔は破壊力抜群だ。


「今日が終わればとりあえず、落ち着くからな。

そしたらお礼にうまいメシ、食わせてやるわ」


「あの、これくらいでお礼なんて別に」


私も作るついでに食べたし、改まってお礼なってしてもらうほどのことではない。


「ん?

毎日、シーツとか換えてくれてただろ?

あと、冷蔵庫の中の、ぐっすり眠れるっていうあれ。

おかげでよく眠れて、睡眠時間短くても寝覚めバッチリだ」


「えっ、あっ」


私としてはこっそりやっているつもりだったのに、気づかれていたとは。

おかげでみるみる頬が熱くなっていく。


「なにが食いたいか考えとけ。

あ、外食でもいいぞ」


「……あの」


「ん?」


袖をちょんと掴まれ、龍志が怪訝そうに私を見る。


「……龍志の作ったごはんが食べたい、です」


作り置きしていてくれたので毎日、彼の作ったごはんを食べていたといえばそうなのだが、作りたてを彼と一緒に食べられないのがずっと淋しかった。

けれどそんなことを告白するのは恥ずかしくて、俯いて小さな声で言う。


「了解。

なんでも七星の好きなもの、作ってやる」


私の頭をぽんぽんする手が優しくて、嬉しくなった。


今日はとにかく忙しい。

準備を済ませ、他の社員たちと一緒にイベント会場入りする。


「井ノ上さん、今日はよろしくお願いしまーす!」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


時間に遅れるどころか予定時間の五分前にCOCOKAさんがきた。

初めての打ち合わせのとき、大幅に遅れても平気な顔をしていたとは信じられない成長だ。

今日、発表会の様子を彼女のチャンネルで生配信してもらうようになっていた。


「控え室はこちらです」


「あ、隣、モデルのルナなんだ?」


控え室に入る前に彼女が、隣の扉をちらっと見る。

そこには【ルナ様控え室】と貼られていた。


「はい。

キーモデルがルナさんなのはお話ししましたよね?」


「はい、聞きました」


部屋の中でCOCOKAさんは、持ってきた荷物を広げている。


「単独のインタビューなどには応じられませんが、発表会を配信する一環でルナさんが映るのは許可をいただいています」


「はーい、了解です」


おどけるように彼女が敬礼し、つい笑っていた。


「でも私、ルナ、嫌いなんですよね」


本当に嫌そうに彼女が顔を顰める。

そういう、よくいえば自分に正直なところは変わっていないようだ。


「父親が大会社の社長とかで、セレブですーってお高くとまってるじゃないですか。

私たち配信者とか見下してるし。

だからアイツ、嫌いー」


COCOKAさんと仲のいい配信者の中には、テレビでルナさんと仕事をした人もいる。

もしかしたらそういう人からなにか聞いたのかもしれない。


「別にCOCOKAさんがルナさんを嫌いでもいいですが、揉め事は起こさないでくださいよ。

くれぐれも大人の対応でお願いします」


「はーい、わかってます!

井ノ上さんにも宇佐神課長にも迷惑かけられないですもん」


お行儀よくいい子のお返事はしてくれたが、一抹の不安を感じるのはなんでだろう?

まあ、彼女の以前の言動たらしたら仕方ないか……。


「今日は弊社のメイクさんがCOCOKAさんのメイクを担当します。

もう少ししたら来ると思いますので、よろしくお願いします」


「はーい」


「私はずっとついていられませんが、なにかあったら携帯に連絡ください。

できるだけすぐ、対応します」


「はーい、わかりました!」


COCOKAさんはすでに準備に入っているようだ。


「では、申し訳ありませんが、私は一旦、席を外しますので」


「はーい、いってらっしゃーい!」


笑顔で手を振る彼女に苦笑いしつつ、控え室を出る。

一日、彼女についていられればいいが、他にも仕事を抱えているので無理だった。


「じゃあ、こちらはそのようにお願いします。

それで……」


『井ノ上先輩。

大変です』


業者さんに指示を出していたらインカムから声が聞こえてきた。

相手は由姫ちゃんだ。


「すみません」


業者さんに断り、インカムに出る。


「どうしたの?」


『COCOKAさんとルナさんが揉めています』


それを聞いて大きなため息が私の口から落ちていったが、仕方ない。


「わかった、すぐ行く」


しかしすぐに、気合いを入れるように勢いよく頭を上げる。


「すみません。

こちら、お任せしても大丈夫でしょうか」


「ええ。

なにかありましたらすぐに連絡します」


業者さんはすぐになにかあったのだと悟ってくれたのだろう、承知してくれてほっとした。


「本当にすみません!」


もう一度、頭を下げて急いで控え室のほうへと走り出した。

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