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第41話

COCOKAさんたちの控え室に近づくと人だかりができていた。


「あっ、先輩!」


私を見つけた由姫ちゃんが、こっちだと手招きする。


「すみません。

ちょっと通してください」


人波をかき分け、そちらへと進む。


「呼んでおいてなんですが、先輩は来ないほうがよかったかも……」


気まずそうに彼女が人だかりの中心にいるふたりへ視線を向けたのを合図にするかのように、COCOKAさんの声が聞こえてきた。


「だから。

宇佐神課長と結婚するのは井ノ上さんなの!」


「……は?」


聞いた途端、クエスチョンマークが私の目の前を通り過ぎていったように見えた。

なんで私の名前が出てくるの?

しかも龍志と結婚するだとか。


「何度も言うけれど龍志がそんな一般庶民、相手にするわけがないでしょ?」


ふんと鼻で笑い、COCOKAさんに言い返しているのは、十中八九の人が美人だというであろう女性だった。

そこらの男性よりも背が高く、すらりと手足が長くてスタイルがいい。

長い黒髪は美しく、彫りの深い顔はエキゾティックな印象を与えた。

しかし相手にしないって、大会社で役職付きとはいえ龍志も一般庶民だと思うんだけれど?


「龍志とか宇佐神課長のこと、名前で呼んでいいのは井ノ上さんだけなんだからねっ!」


いや、だからなんで、私が争点になっているの?

今からあのふたりのあいだに入るのだと思うと、気が重い……。


「……頑張ってください、先輩」


慰めるように由姫ちゃんが、私の背中を叩く。

もうそれしかできないのだろう。


「あー、うん」


そんな彼女に曖昧な笑顔で返す。


「まあ、私も宇佐神課長と結婚するのは井ノ上先輩派ですが」


「もー、勘弁してよー」


由姫ちゃんがにやりと笑い、その場に崩れ落ちそうだった。


私はCOCOKAさんの担当なわけでこのまま放置しているわけにもいかず、嫌々ながら止めに入る。


「ちょっと、騒ぎは困ります!」


「あっ、井ノ上さん!」


姿が見えると同時にCOCOKAさんが、ぐいっと私の腕を引っ張った。


「アンタなんかより、井ノ上さんのほうが、何倍も……ううん、何千倍も素敵なんだから!」


いーっと歯を剥き出しにしてCOCOKAさんがルナさんを威嚇する。

褒めてくれるのは嬉しいが、今は勘弁してほしい。


「はぁ?

こんな冴えない女にこの私が負けるとでもいうの?」


はぁっと呆れるようにルナさんがため息を落とす。


「私の負けでいいですから、言い争いを……」


「なに言ってるの、七星お姉さま!

こんなヤツに負けていいの!?」


私の仲裁など受け付けず、COCOKAさんがビシッとルナさんの鼻先に指を突きつける。

しかも七星〝お姉さま〟なんて呼ばれたが、どうなっているんだ?


「ちょーっと親がお金持ちで自分が美人だからって鼻にかけて。

前から気に食わなかったのよ!

オワル。くんが貧乏なのをいいことに、お金をちらつかせて大勢の人の前で犬みたいに扱ったり!」


とんでもない爆弾発言がされ、その場がざわめく。

オワル。くんとはCOCOKAさんが可愛がっている後輩配信者だ。

しかし、ルナってそんなことをしていたの?

それはかなり、性格が悪い……。


「あれはちゃんとパーティでなにかやってほしいって依頼して、それで彼が犬の芸をやっただけだけど?」


しかしルナさんはまったく相手にしていない。

彼女を擁護する人たちはそうだよなと納得しているくらいだ。


「嘘、嘘よ!

オワル。くん、やりたくないこともやらされたって、泣いてたもん!」


それは抗議したくなる気持ちもわかる。

が、今は仕事の場なので少しは考えてほしい。


「その話はあとで!

あとで時間を取ってやってください!」


「嫌よ。

配信者なんて低俗な人間と話すだけ、時間の無駄」


本当に嫌そうにルナさんがため息をつく。

よくこんな高飛車で今まで仕事が続けられてきたな。

さっきからおろおろしているマネージャーさんの苦労が忍ばれる。


「なによ低俗って、アンタのほうがよっぽど最低じゃん!」


それはCOCOKAさんの言うとおりなのでなんとも言えないが、とにかくこの場をどうにか収拾しなければならない。


「いいから!

ふたりとも一旦、落ち着いて!」


「はぁーっ、本当に面倒。

龍志が勤めてる会社からの依頼だから受けたけど、今からでもやめようかな……」


これ見よがしな視線を私たち社員にルナさんが向ける。

しかし、その口端が馬鹿にするように僅かに持ち上がっているのを私は見逃さなかった。


「また龍志って……」


「申し訳ありません!」


ルナさんに噛みつこうとしたCOCOKAさんの頭を慌てて押さえる。

こんなの、ルナさんの思うつぼだとわかっていた。

けれど、当日の今になって降板など、現場は大混乱、会社にもどれだけの損害を出させるかわからない。

さらにどんな噂が立てられるか。

もちろん、ルナさんにも損害賠償が発生する可能性もあるが、それを払うくらい彼女には軽いのだろう。


「COCOKAさんには十分、言って聞かせますので。

ここは一旦、収めてもらえませんか」


力一杯、COCOKAさんの頭を押さえて下げさせ、私も一緒に深く頭を下げる。


「ちょっ、七星お姉さま!」


「お願いだから今は従って」


抵抗する彼女にだけに聞こえる声で頼むとわかってくれたのか、おとなしくしてくれた。

これでどうにかなるのではと期待したが。


「ほんと、馬鹿ばっか。

なんで龍志、こんな会社で働いてるんだろ?

早く辞めて私と結婚すればいいのに」


ルナさんがため息をついた瞬間、隣でぶちっと忍耐のキレる音がした。


「……馬鹿ばっか、って言った?」


私の手を払いのけ、COCOKAさんの頭が上がる。


「KAGETSUDOUの皆さんは七星お姉さまをはじめ、みんないい人よっ!」


COCOKAさんが吠え、空気が震えた。

さっきまでは彼女としては抑えめにしていてくれたのか。

庇ってくれるのは嬉しいが、今ではない。

それに本気になってしまった彼女をもう私では止められないなと、頭を下げたまま遠い目になった。


「私が馬鹿やっても七星お姉さまは庇えるところは庇い、ダメなところは厳しく叱ってくれた。

他の人たちも、そう。

私が反省したら、温かく受け入れてくれた。

七星お姉さまを、KAGETSUDOUの皆さんを、馬鹿にしないでー!」


こんなに想っていてくれたのかと胸が熱くなったが、これでは火に油を注ぐだけだ。

……案の定。


「はぁ?

だから、なに?

だいたい、その、お姉さまって気持ち悪い」


うぇっとルナさんが吐く真似をする。


「決めた。

今すぐこんな会社、龍志を辞めさせるわ。

それで一刻も早く、私と結婚してもらう」


「だから、宇佐神課長と結婚するのは七星お姉さまなの!」


「だから、この女には無理だって。

地味で冴えないのはもちろん、龍志は……」


「ルナ」


遮るようにその声が聞こえてきて、ルナさんはぴたりと口を噤んだ。

声のした方向を見るともうひとりの当事者である龍志が立っている。


「なに、騒ぎを起こしてるんだ?」


彼の声は静かだったが、それだけ怒っているのだと感じさせた。

私はもちろん、COCOKAさんも周囲の人間にもおかげで緊迫した空気が流れたが。


「あーん、龍志ー、あの女がルナを苛めるのー」


ルナさんだけは別だったみたいで、龍志にしなだれかかった。


「ルナ」


再び彼女を呼ぶ龍志の声は怒気を孕んでいる。

さらに眼鏡の向こうから彼女を見下ろす瞳は冷え冷えとしていた。


「どうせお前がなんか言ったんだろ」


庇うどころか龍志がルナさんを突き放す。

これにはさすがのルナさんもおとなしくなった。


「ほらみんな、散った、散った!

もう開場までさほど時間はないんだ!

さっさと持ち場に戻れ!」


「はっ、はいっ!」


大慌てで野次馬たちが散っていく。

あとには私とCOCOKAさん、ルナさんとそのマネージャー、さらに龍志が取り残された。


「俺はこっちをフォローしてくるから、井ノ上はそっち、頼む」


龍志が視線でCOCOKAさんを指す。

私が彼女の担当だからなのはわかるが、少しだけもやっとした。


「はい。

ほら、COCOKAさん。

控え室に戻りましょう」


「……はい」


自分がとんでもないことをしてしまったという自覚があるのか、COCOKAさんはしょんぼりと項垂れている。

反対に龍志に促されて控え室に入るルナさんはふて腐れているように見えた。

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